痛がり

白い靴下の猫

文字の大きさ
41 / 77

41.ピンクの毛皮

さとるは現状、メイにふれていいのかどうかわからない。
ずいぶん巻き戻ったものだと思う。
理由は、メイのトラウマがひどいので。

まともな精神科があるなら駆け込みたいが、セジスタン地区まで行っても精神科は入院前提だった。メイを見つけたあの暗くじめじめした牢獄のような施設、あれを病院だ精神科だというのを聞いて、真っ先にさとるがおじけづいた。外来がない精神科を信用できる気がしない。落ち着いたら、日本とかアメリカとか、わかりやすい精神科に行くしかない。

本人も自覚していると思う。
閉暗所がダメなのは前からだが、今は、暗いだけでも、狭いだけでも、動きがぎこちなくなる。先端や刃物から大きく視線をはずす。シューバが視界に入ると震える。いくつかの薬品臭に過敏になり、その匂いがすると立てなくなる。

メイの意識がはっきりしているときは、正直、さとるに向ける視線も声も、以前よりも甘い感じがする。
残念ながら、個体間距離は、遠くなったけれども。
会話をするときも食事をするときも、手を伸ばした時にぎりぎり触れない距離を保たれてしまうようになった。
それでも、話しかけようとすると飛んでくるし、さとるを見てうれしそうに笑うし、一緒に運動したがったりする。

だが、意識レベルが下がると別だ。
もちろん直接、触るなとも怖いとも不快とも言われたわけではない。
それでも。
メイがうなされて起きて、もう打たないでと泣くとき、暴虐を避けるようにうずくまるとき、左頬をおさえるのだ。
メイの左頬に傷はない。あるのは、多分、アンクレットをはずさせるときに、さとるがたたいた記憶。
繰り返す悪夢に、頬を抑えて、痛いと、もうやめてくれと、泣く。

動きようもなく、慰めようもなく。どうしていいか、わからなくて。



衝立が小さくノックされ、メイが顔をのぞかせて。
ベッドに入っていたさとるは飛び起きた。
「どした?」
どこか体がつらいのかと、さとるがあわてて駆け寄ろうとすると、メイは一度衝立の陰に引っ込んだ。
それから、すごくいいづらそうに、
「あの、寝付くまで、心音、ききたいです」
といったのだ。
それだけでもかなりのインパクトだが、衝立から出てきたメイは、枕を掴んだ両手を軽く上げて見せて。
そのメイの両手首に、この国に来てから一度も見たことのない色。
かわいらしいと言えなくない、薄いピンクのボア毛皮でおおわれて、さらにミニミニのクジャクの羽根みたいな飾りがついた・・・手錠っ。
なにが、どうしてそうなった?
「できれば、これで、なんとかならないでしょうか」
腕一本分以上開いていたのが嘘のように、メイが距離を詰めてくる。
おだやかで安心したような顔で手が伸ばされて、メイの手のひらと手首のボアがさとるのTシャツごしの胸にあたる。
どれでなにをなんとかすればいいんでしょうかね?!

ただ、固まるさとるをみて、穏やかだったメイの表情が心配そうに変わっていくのは看過できない。
とりあえず、心音、心音な。
メイの頭を胸に抱きよせると、彼女はものすごくほっとしたように息を吐いた。

メイを胸に抱いたまま、足で衝立を押して斜めにする。すこしでも閉鎖感が減るように。
それから、間抜け感満載なのを覚悟しつつカニ歩きで移動して、できる限りの明かりをつけ、メイを抱えたまま無事にベッドに着地した。

抱えたまま動いたせいでメイの髪の毛が乱れてしまったので、額にかかった髪をよけて耳にかけてみる。怖がっている気配はなくてどちらかというといつもより緊張度が下がっていて、目瞼と唇がちょっとだけとろんとした感じがする。

「ひょっとして、酒とか、飲んだ?」
「いいえ。酔ってなきゃだめ、ですか?薬物で、ふらふらするのはまだ少し怖くて・・」
「だめじゃない!」
ってか、そこじゃない!
そうだよな、あちこち怖いよな。なんでいきなり、こんなに何の警戒感もなく、俺に近づけるようになった?
「ぐるぐる巻きは、怖くないです。だいじょうぶです」
ぐるぐる巻きが大丈夫?
俺の方はすでに心の傷になりそうだがな!
「どうだいじょうぶだ?近づかないように、していたろう」
「あ、はい、だから、あかりさんに手錠もらいました。それでも不安だったら、ぐるぐる巻きしてもらえって。しますか?」
うん、わかった、降参しよう。
で、やっぱりおまえか、畑里!
「しません!しないから、5分!5分間、そのままベッドから降りないでまってて」



「畑里ぉ!おま、メイに何した?!」
ノック一回、さとるが返事もきかずにドアを開けて怒鳴ると、すかさずクッションが飛んできた。
「夜中に女性の部屋へ駆け込んでくるな!どうぞとか言われるまで待てないの⁈」
「待てねーわ!メイが、変で、いや、変なメイが、ピンクの毛皮!」
クッションを顔で受け止めて、文章にならない単語を並べるさとるをみて、あかりは事情を察した。
「あー、はいはい。わかったけど、その説明で『わかった』してあげる私って、甘やかし過ぎじゃないかしらね」
「なにがどうなって、あんなもん渡しやがった!」
「うちの同人誌のイメージアイテムを、あんなもんとは失礼な。いや、あんたに渡したとして、メイに手錠はめられるの?」
「なわけないだろ!」
拘束されていたのだ、そんな記憶思い出させるような。
「大概、ちゃんと寝ないとメイが限界でしょうが!不安障害ひどくなってるのわかってるくせに、よく放っておけるわね!」
「好きで放ってるわけじゃない!」
「好きでって、あ、あんたひょっとして今メイ放ってきてるわけ?手錠つきで、部屋に一人にしてるの?殴るわよ!すぐもどれ!」
たしかに、それもまずいよな。
まずいけどだからって。
「なにしろって・・」
「ただ抱っこするか18禁にするかは割とどうでもよくて、とにかくメイの希望を叶えて、彼女に1日6時間以上睡眠とらせるのよ!」
どうでもいいのかよ、マジにひとごとだな!
「メイの希望ってなんだよ」
「自分の無力化!あんたに危害加えるのをめちゃくちゃ怖がってるから、手錠でもぐるぐる巻きでも物理的に危害加えるのを不可能にすれば落ち着く」
「・・・」
無力、化?
「も、走れって!」
待てなくなったあかりがさとるの耳をもって走り始める。
「まて、ちょっとまて!何が怖いって?」
「さとるに危害!薬で意識レベル下げられた時、散々、別人をあんたと思わされたり、あんたを別人と思わされたりしたからでしょ」
さとるが出るときに開けっ放したドアが見えてきて、あかりが口を閉じる。
それから、耳を放してさとるの尻を蹴飛ばす。
さとるは、何度か振り返りながらも、急ぎ足で自分の部屋に戻っていった。

メイは、手錠でつながった両腕の中にさとるの枕をだいて、顔をうずめていた。
「た、ただいま」
さとるが小さめに声をかけると、顔をあげた。
ちょっとだけ頬が赤くて、触れたくてたまらないというように、手を伸ばそうとする。
腕の中の枕がじゃまして、たいして伸びはしないのに。
「おかえりなさい。おもったより、早かった、です」
別人をあんたと思わされたり、あんたを別人と思わされたり。
で、俺に危害を加えるのを怖がってるって?
「・・・手が、ふさがってると、安心?」
「はい、だいぶ」
メイは、不自由な手でもぞもぞと枕を腕から出すと、もとの位置に戻した。
メイの持参枕と並んでいるのを満足そうに見る。

さとるが腹を決めて、先に横になってからおいでおいでをすると、メイがうれしそうに胸に頭をのせてくる。
なるべくそっと抱きしめて、頭を撫でていると、メイは目をつむったようだ。
「眠れそうか?窮屈じゃない?」
「はい、でも、会話もしたい、です」
「うーんと、畑里に、なんて言われたか聞いても平気?」
そう聞くと、メイは頭を自分の枕に移動させて、上を向いて、ハキハキとしゃべった。
「『わかりやすく、はっきりと、誤解のないように!』」
「・・・なにを?」
「私が、したいこととか、してほしい事とか、嫌なこととか、怖い事とかを。私が本当のことを言うとさとるさんが納得するまでずっと引っ付いてなさい、って。で、なるほど!と思って、手の健でも切っちゃえばできそうって考えてたら、このピンクの毛皮くれました。さとるがさん持ってたぐるぐる巻きの本にこういうの出てくるって。そういう遊びが出来なくなるから、健切るのは絶対だめって」
は・た・さ・と~。間違ってないパーツ積み上げて誤解させるのやめろよな!
多分、ナイスアシスト、なんだと思うけど。
手の健切られなくてよかったけど。
すごいとも、ありがたいとも思うけど。
うー。
いや、やっぱり乗っかろう、あいつに抵抗するだけ無駄だ。
そうきめて、体をメイの方に向ける。
「嫌でも、怖くても、すぐに言ってくれる?」
「はい」
「・・・頬、触っても、大丈夫、か?できれば、左」
焦りすぎかな、と思わなくはないが、さとるにとっては、行動のスレッショルドというか、どうしても気になることだった。
「ど、どうぞ?」
メイは、ちょっと右を向いて左の頬をさらし、口の中から舌で頬をちょこんと膨らませた。
さとるが恐る恐る人差し指の背中側で、そうっとメイの左頬にふれる。メイはマーキングする猫のように自分から頬を寄せた。
5本の指全部と手のひらで頬を包むようになぜると、すこしだけくすぐったそうに眼を閉じる。
頬を触っても怯えないことに心底ほっとして、指で、唇もなぞる。
あの名ばかりの病院で、かさかさにこわばっていた唇が、やわらかくて温かくなったのが嬉しい。
飽きずに触っていると、メイは、ぱくんとさとるの指を唇で挟んだ。
うわぁ。それはありか。
額と、頬と、瞼と。あちこち、ぱくん返しをしているうちに、のしかかっているとしか言いようがない格好になってしまって。
この姿勢は良くないよなと、一瞬頭をかすめたけども、気が付いたら、自分の唇を押し付けて、強引にメイの舌を吸い取っていた。
ひとしきり堪能して、目を開けると、メイがさとるの首に腕を回そうとして、ピンク色に邪魔されている。
うまく姿勢をかえられずに、それでも、キスに応じようと顎をあげるメイ。
体をひねろうとしては失敗して、手首からがちゃがちゃと安っぽい音をさせているメイ。

し、心臓潰れそう。



睡眠時間が取れるようになるにつれ、メイの恐怖症は良くなっていった。
ペンを持てるし、果物ナイフは扱える。消毒薬の匂いぐらいではおたつかないし、何より痛みのフラッシュバックが劇的に減った。
まぁ、さとるの目の下のくまは濃くなった気がするが、そのぶんメイがすやすや眠っていると思えば、可愛いものだ。

それから、昨日、サシャの意識が戻った。
昨晩はシューバを含めた4人でお祭り騒ぎだったし、ますみはその後セジスタン地区に飛んで行ってしょっちゅう入りびたるようになった。
ますみに聞くと、サシャはまだ、さとるとメイには会いにくそうだと言うので、俺たちはもうちょっとだけ待とうと思う。
ますみがデロデロに甘やかして、サシャがふにゃふにゃになったら。
予後が良好で、リハビリに入れるくらいになったら。見舞いに行こう。

仕事の問題だけでなく、セジスタン地区に入り浸るますみの安全確保の面からも、あかりがシューバと信頼関係を築いてくれたのはありがたかった。
こういうものは意思表示が肝心だからと言って、こんなに要らないというほどSPを付けてくれたそうだ。たしかにシューバは「割といいやつ」かもしれない。

サーファとシューバの父親が死んで、ゼルダとティールのすみわけがはっきりしてクリスタとの契約も、VCからの資本投資もうまくいっている今、ゼルダの総帥となったシューバのあからさまな防御を突破してまで、サシャにちょっかいを出そうとする者はいなかった。穏やかに、健やかに、治療が進んでいくのがうれしいと、ますみは言った。

敦子からの連絡も、良いニュースが増えていく。
もちろん外には武装勢力だってのこっているし、メイの親族との確執だって消えたわけではない。
それでも屋敷の中に限って言えば、やっと穏やかに日が流れるようになった。
全般的にうれしいには違いないが、問題もあると言えば、ある。
ますみがいないのに、あかりまでしょっちゅうシューバのところに出かけてしまうので、当然、屋敷にメイとさとるの二人でいる時間が増えること。
心配じゃないのかとさとるは泣きついてみたが、あかりに『律儀な奴!』と言われてそれっきり。
う、クマが、クマが増える。
感想 0

あなたにおすすめの小説

【短編集】こども病院の日常

moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。 18歳以下の子供が通う病院、 診療科はたくさんあります。 内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc… ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。 恋愛要素などは一切ありません。 密着病院24時!的な感じです。 人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。 ※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。 歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

月弥総合病院

僕君・御月様
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

双葉病院小児病棟

moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。 病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。 この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。 すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。 メンタル面のケアも大事になってくる。 当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。 親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。 【集中して治療をして早く治す】 それがこの病院のモットーです。 ※この物語はフィクションです。 実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 番外編更新中です!

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

カテーテルの使い方

真城詩
BL
短編読みきりです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。