せんたくする魚

白い靴下の猫

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晴らせぬ恨みをご存じか

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ムンドは沿岸で警備にあたっていた。そこそこの地位は得たらしい。立派な家があてがわれている。
リノは、ムンドが部屋で一人になるのを待って飛びかかった。
反撃を予想したが、二、三回剣を合わせると、ムンドは驚いたように飛びずさって、跪く。
「リノ様」
「随分、あきらめが良くなったんだな、ムンド。剣を引くのも、イリアから引くのも、な」
「・・・お切りになって結構です」
「合意なら、連れて降りるのは掟違反じゃない。お前、イリアに気があったろう?」
「いいえ」
ムンドがはっきりと答える。
「・・・。ほぉお。じゃ、なぜ連れて降りた」
「アミュ様の敵討ちのため」
大雑把にはゼノのあたりか。リノが頭をかく。
「わかるように説明しろ」

イリアには、アミュという妹がいた。イリアにくらべれば頼りなかったし年も四つ下だったが、とてもよく似ていた。
ムンドは近衛兵で、宰相の屋敷を警護していた。警護とは名ばかりで、実際は、イリアとアミュの母親ポヌが脱走しないための見張りだった。
ポヌは毎日ガチガチに警戒していたし、イリアは、そんな母親の影響を強く受けていたが、アミュだけはなぜかムンドにやたらとなついた。
母親が引き離しても引き離してもムンドに会いたがった。
ムンドも任務がらあまり表には出せなかったが、アミュがなついてくれるのが嬉しくてたまらなかった。
イリアがアミュの生存を条件に囮を引き受けたとき、アミュは、イリアを助けてくれとムンドに泣いて頼んだ。ムンドはそれを果たすつもりだった。
エラブに捉えられたあとも、墨持ちになって、イリアが生きていることを、自分が約束を果たしたことをアミュに伝えに行くことが生きがいだった。
だが実際に墨を得て、三年ぶりに砂の国の奥に入ってみると、アミュは死んでいた。
宰相が血が繋がっていながら幼いアミュを強姦し、子ができた。その子供の歯がはえるのが遅かったという理由で子供とともに生き埋めにされたそうだ。
イリアは、自分の生存さえ宰相にばれなければ、アミュは無事だと信じたまま、もう砂の国を忘れようとしている。
イリアはムンドと悔しさを共有すべきなのに。
あの膨れ上がった力をどうしてこの不条理に叩きつけてはくれないのか。
イリアに話をしようとした。だが、イリアの頭はリノでいっぱいだった。
なんだ、この花畑のような思考は!イリアを案じて泣いたアミュは、絶望のどん底で死ぬしかなかったのに。
ムンドはイリアをさらった。
イリアの強さや、リノがイリアを探すことも想定すると、長期間仮死状態にして、痕跡を残さないようにするしかなかった。
リノの薬を盗み、仮死薬が目的だとバレないように、実験室の他の薬も適当に盗んでイリアの荷物に詰めた。
それから、コズンを逃がし、宰相のもとに戻るための情報の出し方を教えてやった。イリアの退路を断つためだ。
コズンは三年経っても墨がつかず、あせっていたので言うことをきかすのは簡単だった。
目覚めたイリアには、リノがイリアを船からおろしたと説明した。
イリアは納得したようだ。
それよりなにより、イリアは砂の国の現状を見た。そして、アミュの最後を知った。
鉄壁のヒエラルキーの中で、これでもかと加えられる抑圧と恐怖と搾取。
アミュの死にざまと自分の中に膨れ上がったお花畑の対比は、イリアに覚悟を決めさせた。各所で同じようなことが起きていることを知ったイリアは、宰相を倒すことを選んだ。
イリアはムンドに言ったという。
『どうも、意識を失う前にバカバカしいこと考える癖があるみたい。一回目は宰相のために死のうと思ってたし、今回なんてリノが優しいのが唯一の不安だったのよ。ある意味すごいわね』と。
今、イリアはアミュと名乗って自分の意志で宰相に挑んでいる。
「イリア様は、すごかったですよ」
夢見るように、ムンドは話し続ける。
イリアと同じような立場の、母親を殺された宰相の下っ端息子たちから情報をとることも巧みだったし、四、五才以来だから自信がないと言いながら、山民ともコミュニケーションをとることができた。
アミュの名で戦うイリアに忠誠を誓う仲間は、今や、砂民にすら限られないのだ。

リノはムンドの話がとぎれるまでおとなしく聞いていた。
そして言った。
「理由が色恋じゃなくても、どうしてもイリアが欲しかったなら、汚い真似もおおまけに負けてやるとしても、だ。気に入らねーことが2つは残る。イリアに命に関わる薬盛りやがったこと、宰相への仇討ちが全面的にイリアにおんぶしてやがることだ!」
リノは続けざまにムンドを殴り飛ばして言い放った。
「てめーの恨みはてめーではらせ!」
ムンドは拳で血を拭った。
全く、羨ましいことだ。
なんの不可能も見たことがないようなリノの歯切れの良さは、鈍い嫉妬のようにムンドの心を曇らせる。
晴らせぬ恨みをご存知か。生き埋めにされる赤子にも、あなたは同じことを言うのか、と。
力の差が眩暈がするほど開いて、届かない人間の恨みなど、リノには一生わからないだろう。
「イリア様は、止もうまりませんよ」
「何させる気だよ」
「宰相と軍総司令を両方同時に屠ります。そして、イリア様が軍を握ります」
「クーデター?」
「いいえ。今の砂国を踏み台にした、集団亡命でしょうか。宰相を殺した後、大規模な移民が起きます。今の砂の国は、抜け殻になるかもしれませんね。
イリア様は、山民の国の奥に、海流の関係で普通の海民が行けない海域を見つけました。そこに、煉獄回廊を通らずに、行く方法もです。
山民と共同で使える港を作り、その海域の島に移民を導くつもりです。同盟してくれる海民も募って、そこで新しい世界を作られます。」
「同盟してくれる海民って、エラブ名指しだろうが、それ」
宰相を殺した集団であれば、山民が全面的に受け入れることも考えられなくはない。
しかし、大規模な移民を急に山で養えるとは思えないわけで、移民は島に移動して自分たちの食い扶持を稼がなければならない。
海流の関係で普通の海民が行けない海域の島で、生活基盤を一から築く?
危険極まりなかった最近の航海を思い出す。
その海域、踏み込めるやつがどれだけいる?
本当にそこまでやろうとすれば、海流に逆らう技術とその間の新鮮な果物の確保、新しい港からの物資や人を運ぶルートが最低限必要になる。
海民どころか、エラブ艦隊、もっと言えば、リノを含む有能な技術者数名への名指し、だ。
それで、エラブへの攻撃を露骨に避けたのか。
まぁ、今のリノへの感情の方はよくわからないにしても、物質面でイリアがリノに頼りたいことがあるのは朗報と言えた。
「さぁ。イリア様が第二のエラブを作られるかもしれませんし、あなたやパール様に頼むのかもしれません」
「・・・随分気前よくしゃべるんだな」
とりあえず、イリアが何をしたくて、何を確認しなければならないかが、リノにも随分わかってきた。
体制立て直して、も一回出向くか。
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