海月のこな

白い靴下の猫

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ただいま

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「まあだ、かえってこないのかよ、あのゴタゴタの姫はぁ」
イライラと書簡をめくりながらアルトは毒付いた。
『ちょっと出かけてくる』そんな置き手紙一つで消えてからもう3か月だ。
レグラムとパセルの両国間で婚姻の合意が取れてからも、ルウイは忙しく飛び回っていた。
ルウイは、報告と相談さえマメにすれば、アルトは自分の行動を許すと思っている節がある。
アルトにとってはそれを、信頼されていると取るべきかあしらわれていると取るべきか微妙なところだ。
アルトにしても、いつでも自分が追いかけていけるなら、ルウイが飛び回っても大した問題ではないのだ。
ただ、最近はやたらと政治的な場面に引っ張り出されるので、そうそう城を開けられなくなっていた。
四六時中一緒にいたいとまでは言わないが、今回のように平気で何月レベルで放っておかれるとかなり心中穏やかではない。
レグラム王は、頭の中身はともかくとして、体の面ではいまだに健康だった。
サクシアに囚われたことも何のその、アルトに『相変わらず見事な処理だったな。なに、おまえのことだ、心配はしてなかったさ。ご苦労。』の一言でちゃっかりなかったことにした。まぁ、そういうタイプだ。
長いこと王の頭の中身がぼーっとしていたのが効を奏し、平和なレグラムでは官吏レベルで大抵のことは処理されるようになっていた。
王が出ていかなくても国は回る。
なのに。
王も官吏も健在なのに、なぜこんなにアルトに負荷がかかるようになったかというと。
・・はっきり言って、遠因はルウイにある。
きらびやかな輿にのって婚約披露にきたと思うやいなや、無彩色の戦闘服に着替えて夜な夜なうろつきまわり、たった二週間で交易都市の関所の汚職をぶった切った。おかげで市に出回る品物は倍増し、価格は下がって活気はました。働き手は引っ張りだこだ。
その一方で、官吏たちの裏での均衡がどこか崩れたのだと思う。大抵これまでなんでも全会一致で決まっていたものが、われた状態でまとまらないことが増えた。
しかもその足の引っ張り合いや各々の思惑を、ルウイが得意げに実況中継する。それを聞いて放置するわけにも行かず仕方がなくアルトが官吏に意見を言う。
仕掛けた側からすれば、アルトが常に一定の情報を得て判断していることは明白だったろう。
期待の目、敵意の目、疑惑の目、それらが一斉にアルトに向く。
そんなことがしばらく続くと、どうにも引けないことが増えてくるし、アルトを旗印にしようという一派も出てくる。
最近は刺客もほとんどが王ではなくアルトのところに送られて来るようになった。
「人気者ねぇ」
ルウイは刺客を殴り倒したあとでも相変わらずの調子でのんびり笑ったものだ。
誰のせいだ、誰の。

「アルト様、お耳に入れておきたい情報がございます」
ローだ。父王側からくる情報は、はっきり言ってろくなものではない。精度は悪いし、なにより暗い。いやいや聞き返す。
「なんだ」
「ルウイ様の素行がお悪いのではないかと、家臣一同心配しております」
何が一同、だ、俺の周りでは誰も心配してはいないぞ。
うんざりしながら答える。
「まぁ、よく動き回っているようだな。そう言う性質の女もいる。気にするな」
「いえ、磨岸の市場にて、砂漠の商人サジルと密通していたとの密告があり、調査させましたところ、事実のようです」
「・・・誰の密告だ」
「突き止められておりません」
持ってくるなよ、そういう話を。
「分かった。心に留めておく」
父王サイドの情報を鵜呑みにするほど弱ってはいないものの、こんな噂が流れて心穏やかなはずがない。
なによりさっさと会いに来ないところに腹が立つ。
追っ払ったつもりだったが、ローは言い募ってきた。
「ルウイ殿は側妃以下の取り扱いをお約束ください。まだ、国としてパセルに言質は与えておりませんので、ルウイ殿には早急にお立場をわきまえていただきますように」
アルトは、ローがここまで踏み込んで来るとは思わなかった。
「父王の意志か?」
「左様でございます」
「ほおお。残念ながら、俺はルウイに散々言質を与えている。パセルとの交易がストップしてもいいのか?」
ローがニヤリと笑って声をひそめる。
「ご心配には及びません。ルウイ殿は、パセル前王のお子ではありませんでした。王女ではないのです。素行も悪い。何とでもなります」
バカだ。アルトは頭を抱えたくなる。
『姫じゃないけどね。そもそも王政ですらないのよ、うち。』ルウイの言葉が蘇る。
王政でない国で、前王の子でないことに何の意味があるのか。王の子でなくて、パセルを動かせる事の方を読め。
「何ともならねーよ。父王には余計な世話だと伝えろ」
ローは、鼻白らんだ顔になるが出てはいかない。
リュートが飛んできてアルトに告げる。
「ルウイ様がお帰りになりました!」
ほ。帰ったか。
ローが居座ったままのアルトの執務室にルウイが入ってくる。
遅い!と一括してやりたかったが、ルウイの方が、たいてい一言目が早い。
「アルト様、お会いしたかったです!」
抱きついて、顔をうずめ、幸せそうな顔ですりすりすり。
「久しぶりだな」
アルトは、抱きしめ返しながらため息をつく。人目があるので、半分演技のはいったルウイではあるが、十分グッとくる。
頼むから、裏切るときは、裏切りそうな顔してやってくれよ。こんな顔して裏切られたりしたら、一生誰も信じられなくなりそうだ。
「何か、テンションひくいなー。私なんて会いたくて仕方なかったのにさ。冷たい気がするのですけど?」
ルウイがぼそぼそと小声でなじる。まさしく先手必勝。こいつ、絶対言われそうなこと分かってしゃべっているよな、とアルトは思う。
ルウイが声のトーンを戻して、へにょりと笑った。
「二人でお話しする時間をお取りいただくことは・・・」
「は?」
意外なセリフだった。
ひと払いを望むことがではなくて、俺が、後から部屋だろうが、輿だろうがひとりで忍んでいくだろうことは想像できているはずで。
明らかに敵ですよという顔をしたローたち父王の配下の前で言わなくても良いことだ。正直こんな状況で話などできない。
俺が答える前に、ずうずうしく俺のそばに侍っているローが口を開く。
「無理をおっしゃる。あなたが王女でないことは調べがついているのですよ、パセルの神姫!アルト王子に直接取り入ろうなど・・」
「黙れ、ロー。ルウイが王女だと勝手に誤解したのは、父王だろうが」
さすがに耳障りで、ローの発言をぶった切るが、当のルウイが拾ってしまう。
「では、ほんの数日だけ宿をお貸しくださいませんでしょうか。供のものも疲れておりますし、せっかくでございますので、戦勝のお祝いの品だけでもレグラム王にお渡ししてお暇いたしたく」
その流れで、ルウイの意図を悟る。こいつ、わざとだ。
数日。
数か月待たせておいて、ほんの数日、ね。
俺が独断で長居させる前に、期限を切るつもりで二人になりたいなどと抜かしたわけか。
もうひと文句言わないと収まらない気分になったところで、深く頭を下げるルウイが、ごくわずかに、左に体重を移動させたのに気づく。
また、ケガをしているのか。
「わかった。部屋を用意させる。くつろがれるがいい」
「ありがとうございます」
そう言うと、ルウイは身を翻して執務室をあとにした。
ルウイが右足をほんの少し引きずっているのが気になった。長年の付き合いで、怪我を隠していることは容易に推測できた。とはいえ、ここでどうしたのかと問い詰めては、ほかの人間に気づかれる。
仕方なくアルトは仕事に戻った。
ミセルの元に帰ったのならきっと安心して休めるのだろうにな。
自分のもとがルウイの気の休まる場所ではないと思い知らされるのは、アルトにとってはかなり辛かった。
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