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第6章 縁は異なもの味なもの
第25話
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「はい、これ」
「なに、これ」
「プロフィール、調べておきました」
「おおーっ、早いなぁ、さっすがぁ、俺の自慢の秘書!!」
あんたの秘書になった覚えはないけどね。
咲良は心の中でごちて、調べたばかりの全身と顔写真付きプロフィールを藤森に手渡した。
そう、それは二時間前のこと…
「対談?」
聞き返す咲良に、藤森はキーボードを打つ手を止めて咲良を見上げた。
「さっき電話があってさ。倉田リリアってモデルだって。知ってる?」
「いいえ。そういうセンセは?」
「知ってるわけないじゃん。なんでも二、三十代の女性に人気のモデルなんだって。テレビCMに出てるらしいよ」
「へぇ。じゃあ見たら分かるかも」
咲良は藤森に頼まれた炭酸飲料のペットボトルを差し出すと、それを受け取りながら藤森が少し休憩すると片手で伸びをする。
「吉澤さんにどうしてもって頭下げられて受けたんだけど、よく知らない相手と何話せってんだよ。あー、断りたい」
「対談ってそういうもんじゃないんですか? ま、どっちみち吉澤さんのお願いじゃ断れませんね」
「だよなー」
吉澤とはボヌールの編集長で藤森の元上司、つまりバレッタ女だ。
季節はすっかり冬。喉が渇いていたのか、藤森は喉を鳴らしながら炭酸飲料を流し込む。
休憩するといいながらも、彼の視線はパソコンのデスクトップから離れない。筆が乗っているのか集中しているのか、それとも真逆で進んでいないのか、藤森は一昨日から食う・寝る・風呂以外この仕事部屋に引きこもり中だ。
「で、その対談はいつなんです?」
「んー、明後日」
「明後日?ずいぶん急ですね」
「次号が今年最後だから間に合わせたいんだって。そのモデルと専属契約取れたから特集組むんだとか。だからって全く関係ない俺まで巻き込むなよなー。あ、俺のスケジュール、大丈夫だよね?」
「大丈夫ですけど。ちなみに、その対談はどこで?」
「集談社のスタジオ」
集談社とはボヌールの出版社のことだ。咲良はてっきりどこかのホテルの一室でも使うのかと思いきや、そもそも出版社内にスタジオがあるとは驚きだ。
「そっか、行った事ないもんね、知らなくて当然。あ、ちょうど良いや、一緒に行く?俺の秘書兼マネージャーってことで。ついでに社内見学もしようか。もしかして今後、編集部におつかいしてもらう事があるかもしれないし」
「マネージャー? 役職増えてますけど」
「そりゃしょーがないよ、たった一人の従業員だもん」
そんなやり取りがあってそして現在。
倉田リリア(本名 倉田利理衣)
生年月日 19××年××月××日
血液型 O型
身長 170cm
出身地 東京
ジャンル モデル
デビュー 20××年
趣味 読書、音楽鑑賞
特技 ピアノ
「うわ、さすがモデル、実年齢よりずっと若く見えるし、細-っ、背高ーっ、足長-っ。横に並びたくねー」
藤森の第一声。驚くのも無理はない。咲良とて同感だ。
美しいきりりとした顔つきの中にチラッと残る可愛らしいさ、アラサーにしか見えない彼女の実年齢は36歳。素顔に近いナチュラルメイク、切れ長の大きな目、すっと通った鼻筋とぽてっとした唇。さらにすらっと細い体に豊満なバスト、長く伸びる手足。
本人の努力もさることながら、そもそも天から二物も三物も与えられた素材の勝利も否めない。
もっとも、咲良的にはもう少し腰の辺りがグラマラスな肉付きの方がずっと素敵に思えるのだけれど。
それはさておき、藤森はといえば、一枚目の写真に釘付けでその先のページを捲ろうともしやしない。
ったく、男ってやつは。
確かに、露出度も肌の密着度も高いセクシーなドレスを着ている倉田リリアは、女の咲良が見てもセクシーだけれど。
しかも、おっぱいぽろん、しそうだし。
「センセー、倉田リリア、好みのタイプでした?それとも、そんなにおっぱいが気になります?」
「え、えっ、お、おっぱい!?」
「そんなに凝視しても写真じゃぽろんしませんよ。あ、実物に会っておっぱい想像しないでくださいね。鼻血ブーとか絶対なしです」
「は、鼻血ブーって、多感期の少年じゃないんだからさっ。細すぎると思って見てたんだよ、痩せすぎだろ、これっ」
「はいはい。 まあ、モデルですからね、細いのは許してください。対談で本人に痩せすぎって言わないように。で、センセが注目すべきはそこじゃなくて趣味のところです」
「趣味…、あー、読書?」
「ピンポーン。正解です。共通の話題、大事でしょ。それを踏まえて、次のページに。これ、彼女のブログからやっと見つけたんです、しかも三年前のですよ。よく見つけたって褒めてください」
どれどれといった様子で藤森がページを捲る。すると藤森は、えっ、と声をあげた。
それは倉田リリアのその三年前のブログをそのままプリントしたもの。
タイトル「この作家のこの本にはまってます」
その一行目には、大きな文字で「作家:藤森瞬一」「かすみ草と蜜蜂」と。
藤森がやってくれたな、という顔でちらり咲良を見る。
咲良が二度と話題に出さないと約束してから久々の登場だ。が、咲良とてこれは不可抗力。けして私が話題に出したわけじゃないと目で訴えた。
短い溜息をはいて藤森がプリントされたブログに目を戻した。
長く書かれたそのブログを要約すると、映画化された藤森の作品を観て原作を読んだところ、そのまま大ファンになってしまったとか。藤森作品はほとんど読破、この作品は男性の一途な想いと、愛ゆえに自ら悪役に徹した女性の想いに胸が詰まった。こんな作品を生み出した作者はいつか会ってみたい人第一位。でも、サイン会など開かないようなので…残念!と締めくくられている。
つまり、今回の対談は、編集長のリリアに対する忖度なのか、それとも、まさか、専属契約の条件なのか。
藤森も同じ考えに至ったらしい。編集長のヤツっ、と呟いて舌打ちする。
「センセー、全く関係なくもなかったですねー。大ファンですって。ちゃっかり使われちゃいましたねー。巻き込まれちゃった感、満載ですねー。しかも、良かったじゃないですか!」
「何が」
「その小説、女性には不評って言ってましたよね?そうでもないじゃないですか。愛ゆえって、解釈も人それぞれなんですね、あ!もしかしてこの解釈が正解でした?」
「うるさい」
「ああ、そうだ!この世に十冊しかない例の直筆サイン入りの文庫本、プレゼントしたらどうですか?きっと喜びますよー」
「なんで俺がプレゼント?」
「ファンサービスですよ。どうせあげるなら相手が喜ぶ物を」
「無理、無理。だって最後の一冊は君にあげたでしょ」
「あらら、あれって最後の一冊でしたか。十冊まるまるお持ちなのかと。じゃあお返ししましょうか?あー、中古になっちゃいますね。あっ、じゃあ新しく直筆サイン入れれば良いんだ!十一冊目」
「…あのねぇ」
「はぁい?」
「面白がってるでしょ」
「なにを?」
「封印した話題が出てきて」
「ぜんぜん。ああ、そうだ。ちなみにリリアってリリーの変形型で意味は百合ですよ、百合。ユリの花」
「…何が言いたいのかな」
「センセってつくづく花の名の女性に縁があるなーって。あ、違うか!例の本に縁があるんでしょーかねー」
腕を組んだ藤森がムッとしたのが分かった。
―・―・―・―・―
今日は勝った。
咲良は足取りも軽く、自分のワーキングスペースへと戻って来た。
ワーキングスペースと言っても、リビングの片隅に備え付けられた書類棚兼のパソコンラックとワークデスクだけだけれど。
藤森が咲良の正規雇用を機に立派なデスクトップパソコンを購入、事務員兼秘書(らしい)、そして今日新たにマネージャーにもなったらしい咲良の職務には充分なスペースではある。
毎日、この職場に通うようになって間もなく二ヶ月。初めの二週間はまずは勤務環境の整備から。それもこれも、事務仕事は苦手だと藤森がずーっと放置しっぱなしだったせいだ。
曰く、会計士が全部やるから放っといていいと。いやいや、放っておくにも程がある。
それだけじゃない、ばらばらに保管されていた帳簿やら書類ファイルを整理整頓し、書斎の一角に保管場所を確保。メモ用紙に書いて壁に貼り付けただけのスケジュール、積みっぱなしの使用済み参考資料や書籍等々、手入れ箇所満載だった。
きっちり、かっちり、務めさせて頂きます。
それが初出勤当日の咲良の宣言。
咲良の真面目な性格故の言葉でもあるが、藤森が提示した相場より遥かに高い報酬に見合う仕事をしなくてはとの意気込みもある。藤森の提案にはいと即答してしまったのも、この高報酬のせいだ。年収500は保障なんて、プータロー咲良にはハイとしか答えるしかない魔法の言葉。働く女性の勝ち組みならではの年収と言っても過言ではない。
しかも、勤務地は勝手知ったるお隣、ボスも程々に知ってる隣人、飛びつかないわけがない。ただし、伊達に高報酬なわけはなく、残業も早出もあって然り。だけど咲良はそれを苦とは思わない。楽に稼げるなんてそんな上手い話がそうそう転がってるわけはない。なのに、不定休とはいえきちんと休みは頂けるのだ、むしろ感謝だとさえ思う時がある。
しかし…、売れてなんぼの世界。
ま、先のことを心配しても仕方ない、大手企業出さえ絶対の安泰はない時世だ。本人談だが、とりあえず今のところ出せばそれなりに売れるし蓄えもあるから心配するなと。
あれ?咲良の記憶だとしばらくの休業でお金がないんじゃ…。ああ、やはり隔板の分割払いの提案は貧民な隣人に気を使ったのだと再度確信。ならばと出勤第一日目に、借りは清算すべきと隔板の残金を一括で藤森に渡した。
アシスタントとしてのバイト代をそのまま貯めていたのだ。藤森は気にせず分割のままで良いのにと言ったが、あれこれ弱みのように隔板を何度も持ち出されるのを阻止する目的もあるので何が何でも受取って欲しい。
押し付けるように藤森の手に握らせ、いよいよ修繕開始ですねと咲良は訴えたが、
『このままの方が通勤に便利でしょ。玄関からだと俺がいちいち鍵を開けに行かなきゃいけないじゃん。不在の時もあるし集中してるとベルなんか耳に入らない。合鍵渡せばいいんだろうけど、一応さ、俺のプライベート空間でもあるからさぁ。かといって玄関開けっ放しは無用心でしょ?』
確かにそうではあるが…なんだかなぁ。端から直す気がないとしか思えない。
咲良が反論できずにいると、そんな事どーでもいいからと手渡された仕事用のスマホとタブレット。
『今日から君に預けるから後はよろしく!』
まさに説明もなく渡されたそのスマホがピロンと鳴る。新作の担当編集者からのメールだ。
基本的に仕事の連絡は全てこのスマホに入る。吉澤編集長だけは元上司で長い信頼関係にあるので、関係者で唯一プライベート用の連絡先を知っているそうだ。とはいえ、咲良が仕事用を預かるまでは藤森自身が携帯していたのだから、どちらに連絡しようが一緒だと思ったのは心の中だけにしておいた。
『お世話になります。先生に頼まれた史籍、明日、届くように手配しました』
「…さま、ありがとうございます、せんせいにつたえます、…っと、よし、送信」
藤森自身も仕事が相次ぎ執筆に専念する日がほとんど。
コラムの他に月刊誌の連載、時々短編の読みきり小説の依頼があったり、そのかたわら次回作のプロットを制作していたりなかなかの多忙ぶりだ。
同時に何本も内容が混乱しないのか不思議だが、藤森曰く、だから時間をかけてプロット作りをするんだと。そしてストックもあるから慌てないで済むのだとか。そんなわけで執筆依頼がなくても、常に沸き上がるイメージに妄想を駆りたてているそうだ。作家もスピードが命なんだよ、話題があるうちに次を出さないと忘れられて本屋の隅に追いやられるだけだからと。
咲良にとっては未知の世界、ふむふむと聞いていたが、で、そのプロットってなんですか?と、聞き返したことは言うまでもあるまい。
そんな多忙な中でも、藤森はよほどでない限り日課の散歩にも行くし、テレビで最新の話題をチェックしてたり、刺激になるからと他の作家の本を読んだり、打合せに出かければその帰りにデパ地下巡りしてきたり。デパ地下めぐりに関しては相変わらず、あり得ないほどの大量買いには咲良は毎度閉口するばかりだが、当の本人の楽しみなので執筆のためだと思うことにした。
そんなこんなでやっと整った環境、藤森が容赦なく新人咲良に任せると、初日から振りやがった出版社からの電話対応や、スケジュール管理のおかげで今や咲良は名実共に立派なアシスタント(あくまでも藤森談)。となれば雑事に煩わされない藤森は執筆に専念出来る環境となったわけだ。
慣れてくればそんなに難しい仕事内容ではない。後は締切り真近になると進行状況確認のためにやって来る担当者と一緒に、藤森の尻を叩くくらいだ。この数日の引き篭もり具合からして、今回の締切りは大丈夫そうだと思うが。
咲良はほっと一息つきながら時計を見れば間もなく18時、あってないような終業の時間。いつもなら藤森もそろそろ執筆を切りあげる時間なのだが、今日はどうだろうか。
噂をすれば影。パタパタとスリッパを引きずる音と共に藤森が現れた。
この時間に現れるということは、つまり、執筆が順調ということ。
藤森は肩をぐりぐり回しながら、一直線にソファへ進むとどさっと腰を下ろした。それこそ優秀な秘書なら、お疲れさまとここでコーヒーなり好みの飲み物をさりげなく差し出すんだろうが、咲良が出すのは前もって藤森が用意していたカット野菜。そう、それは亀吉の餌。亀吉の飼育係に自ら立候補し、いつの間にかちゃっかり従姉夫婦の公認まで頂いた次第だ。これは藤森にとって大事な癒しの時間らしい。
そしてこの時間ならではのルーティンとなった会話が始まる。
「夕飯、どうします?」
「んー、そうだなぁ」
「パスタか焼き魚ですけど」
つの間にか就任したらしい藤森の夕食係りとしての会話だ。
基本、味にうるさくない藤森の食事係りは特別難しいものではない。もちろん藤森が不在の時は免除だし、外食の時も多く、実際には週に二~三回ほどで咲良の分を作るついでの嬉しい賄い付きだと思えばいい。
「んー、どっちも捨てがたいけど…、気分転換に外出たいんだよねー」
そりゃ三日も、日課の散歩もせずに篭っていれば外が恋しかろうよ。
「寒いから…鍋、食べたいな。どこだっけ、いつだかさ、鍋始めましたって、見たよね」
「鍋始めました…あー、あそこですね、三丁目の居酒屋」
「そうそう、そこだ。 よし、じゃあ亀吉に会ってくるから、支度して出かけようか」
ということで今夜は外食に決定。
当然、咲良同伴で、つまり、これがあってないような終業時間の答え。
藤森との外出は出来るだけ避けていた咲良も、こう毎日一日中同じ空間にいればどうでもよくなるもので、更にタダ飯ならば天秤にかけずとも食事が勝つ。
外食だろうが家飯だろうが、就業時間外に付き、尚且つ酒も入って相も変わらず仲がよろしいようでとはいかないが、咲良に免疫が出来たのか耐性がついたのか、藤森と居るのも前ほど悪くはないと思い始めた今日この頃。誤解しないで欲しいがあくまでも雇用主と従業員としてである。
そんなこんなで新しい生活にも慣れ、今日も無事、平和な一日が過ぎていく。
そして迎える対談当日。
この出会いがまさかこんな事になるとは、この時二人は微塵も思っていない。
「なに、これ」
「プロフィール、調べておきました」
「おおーっ、早いなぁ、さっすがぁ、俺の自慢の秘書!!」
あんたの秘書になった覚えはないけどね。
咲良は心の中でごちて、調べたばかりの全身と顔写真付きプロフィールを藤森に手渡した。
そう、それは二時間前のこと…
「対談?」
聞き返す咲良に、藤森はキーボードを打つ手を止めて咲良を見上げた。
「さっき電話があってさ。倉田リリアってモデルだって。知ってる?」
「いいえ。そういうセンセは?」
「知ってるわけないじゃん。なんでも二、三十代の女性に人気のモデルなんだって。テレビCMに出てるらしいよ」
「へぇ。じゃあ見たら分かるかも」
咲良は藤森に頼まれた炭酸飲料のペットボトルを差し出すと、それを受け取りながら藤森が少し休憩すると片手で伸びをする。
「吉澤さんにどうしてもって頭下げられて受けたんだけど、よく知らない相手と何話せってんだよ。あー、断りたい」
「対談ってそういうもんじゃないんですか? ま、どっちみち吉澤さんのお願いじゃ断れませんね」
「だよなー」
吉澤とはボヌールの編集長で藤森の元上司、つまりバレッタ女だ。
季節はすっかり冬。喉が渇いていたのか、藤森は喉を鳴らしながら炭酸飲料を流し込む。
休憩するといいながらも、彼の視線はパソコンのデスクトップから離れない。筆が乗っているのか集中しているのか、それとも真逆で進んでいないのか、藤森は一昨日から食う・寝る・風呂以外この仕事部屋に引きこもり中だ。
「で、その対談はいつなんです?」
「んー、明後日」
「明後日?ずいぶん急ですね」
「次号が今年最後だから間に合わせたいんだって。そのモデルと専属契約取れたから特集組むんだとか。だからって全く関係ない俺まで巻き込むなよなー。あ、俺のスケジュール、大丈夫だよね?」
「大丈夫ですけど。ちなみに、その対談はどこで?」
「集談社のスタジオ」
集談社とはボヌールの出版社のことだ。咲良はてっきりどこかのホテルの一室でも使うのかと思いきや、そもそも出版社内にスタジオがあるとは驚きだ。
「そっか、行った事ないもんね、知らなくて当然。あ、ちょうど良いや、一緒に行く?俺の秘書兼マネージャーってことで。ついでに社内見学もしようか。もしかして今後、編集部におつかいしてもらう事があるかもしれないし」
「マネージャー? 役職増えてますけど」
「そりゃしょーがないよ、たった一人の従業員だもん」
そんなやり取りがあってそして現在。
倉田リリア(本名 倉田利理衣)
生年月日 19××年××月××日
血液型 O型
身長 170cm
出身地 東京
ジャンル モデル
デビュー 20××年
趣味 読書、音楽鑑賞
特技 ピアノ
「うわ、さすがモデル、実年齢よりずっと若く見えるし、細-っ、背高ーっ、足長-っ。横に並びたくねー」
藤森の第一声。驚くのも無理はない。咲良とて同感だ。
美しいきりりとした顔つきの中にチラッと残る可愛らしいさ、アラサーにしか見えない彼女の実年齢は36歳。素顔に近いナチュラルメイク、切れ長の大きな目、すっと通った鼻筋とぽてっとした唇。さらにすらっと細い体に豊満なバスト、長く伸びる手足。
本人の努力もさることながら、そもそも天から二物も三物も与えられた素材の勝利も否めない。
もっとも、咲良的にはもう少し腰の辺りがグラマラスな肉付きの方がずっと素敵に思えるのだけれど。
それはさておき、藤森はといえば、一枚目の写真に釘付けでその先のページを捲ろうともしやしない。
ったく、男ってやつは。
確かに、露出度も肌の密着度も高いセクシーなドレスを着ている倉田リリアは、女の咲良が見てもセクシーだけれど。
しかも、おっぱいぽろん、しそうだし。
「センセー、倉田リリア、好みのタイプでした?それとも、そんなにおっぱいが気になります?」
「え、えっ、お、おっぱい!?」
「そんなに凝視しても写真じゃぽろんしませんよ。あ、実物に会っておっぱい想像しないでくださいね。鼻血ブーとか絶対なしです」
「は、鼻血ブーって、多感期の少年じゃないんだからさっ。細すぎると思って見てたんだよ、痩せすぎだろ、これっ」
「はいはい。 まあ、モデルですからね、細いのは許してください。対談で本人に痩せすぎって言わないように。で、センセが注目すべきはそこじゃなくて趣味のところです」
「趣味…、あー、読書?」
「ピンポーン。正解です。共通の話題、大事でしょ。それを踏まえて、次のページに。これ、彼女のブログからやっと見つけたんです、しかも三年前のですよ。よく見つけたって褒めてください」
どれどれといった様子で藤森がページを捲る。すると藤森は、えっ、と声をあげた。
それは倉田リリアのその三年前のブログをそのままプリントしたもの。
タイトル「この作家のこの本にはまってます」
その一行目には、大きな文字で「作家:藤森瞬一」「かすみ草と蜜蜂」と。
藤森がやってくれたな、という顔でちらり咲良を見る。
咲良が二度と話題に出さないと約束してから久々の登場だ。が、咲良とてこれは不可抗力。けして私が話題に出したわけじゃないと目で訴えた。
短い溜息をはいて藤森がプリントされたブログに目を戻した。
長く書かれたそのブログを要約すると、映画化された藤森の作品を観て原作を読んだところ、そのまま大ファンになってしまったとか。藤森作品はほとんど読破、この作品は男性の一途な想いと、愛ゆえに自ら悪役に徹した女性の想いに胸が詰まった。こんな作品を生み出した作者はいつか会ってみたい人第一位。でも、サイン会など開かないようなので…残念!と締めくくられている。
つまり、今回の対談は、編集長のリリアに対する忖度なのか、それとも、まさか、専属契約の条件なのか。
藤森も同じ考えに至ったらしい。編集長のヤツっ、と呟いて舌打ちする。
「センセー、全く関係なくもなかったですねー。大ファンですって。ちゃっかり使われちゃいましたねー。巻き込まれちゃった感、満載ですねー。しかも、良かったじゃないですか!」
「何が」
「その小説、女性には不評って言ってましたよね?そうでもないじゃないですか。愛ゆえって、解釈も人それぞれなんですね、あ!もしかしてこの解釈が正解でした?」
「うるさい」
「ああ、そうだ!この世に十冊しかない例の直筆サイン入りの文庫本、プレゼントしたらどうですか?きっと喜びますよー」
「なんで俺がプレゼント?」
「ファンサービスですよ。どうせあげるなら相手が喜ぶ物を」
「無理、無理。だって最後の一冊は君にあげたでしょ」
「あらら、あれって最後の一冊でしたか。十冊まるまるお持ちなのかと。じゃあお返ししましょうか?あー、中古になっちゃいますね。あっ、じゃあ新しく直筆サイン入れれば良いんだ!十一冊目」
「…あのねぇ」
「はぁい?」
「面白がってるでしょ」
「なにを?」
「封印した話題が出てきて」
「ぜんぜん。ああ、そうだ。ちなみにリリアってリリーの変形型で意味は百合ですよ、百合。ユリの花」
「…何が言いたいのかな」
「センセってつくづく花の名の女性に縁があるなーって。あ、違うか!例の本に縁があるんでしょーかねー」
腕を組んだ藤森がムッとしたのが分かった。
―・―・―・―・―
今日は勝った。
咲良は足取りも軽く、自分のワーキングスペースへと戻って来た。
ワーキングスペースと言っても、リビングの片隅に備え付けられた書類棚兼のパソコンラックとワークデスクだけだけれど。
藤森が咲良の正規雇用を機に立派なデスクトップパソコンを購入、事務員兼秘書(らしい)、そして今日新たにマネージャーにもなったらしい咲良の職務には充分なスペースではある。
毎日、この職場に通うようになって間もなく二ヶ月。初めの二週間はまずは勤務環境の整備から。それもこれも、事務仕事は苦手だと藤森がずーっと放置しっぱなしだったせいだ。
曰く、会計士が全部やるから放っといていいと。いやいや、放っておくにも程がある。
それだけじゃない、ばらばらに保管されていた帳簿やら書類ファイルを整理整頓し、書斎の一角に保管場所を確保。メモ用紙に書いて壁に貼り付けただけのスケジュール、積みっぱなしの使用済み参考資料や書籍等々、手入れ箇所満載だった。
きっちり、かっちり、務めさせて頂きます。
それが初出勤当日の咲良の宣言。
咲良の真面目な性格故の言葉でもあるが、藤森が提示した相場より遥かに高い報酬に見合う仕事をしなくてはとの意気込みもある。藤森の提案にはいと即答してしまったのも、この高報酬のせいだ。年収500は保障なんて、プータロー咲良にはハイとしか答えるしかない魔法の言葉。働く女性の勝ち組みならではの年収と言っても過言ではない。
しかも、勤務地は勝手知ったるお隣、ボスも程々に知ってる隣人、飛びつかないわけがない。ただし、伊達に高報酬なわけはなく、残業も早出もあって然り。だけど咲良はそれを苦とは思わない。楽に稼げるなんてそんな上手い話がそうそう転がってるわけはない。なのに、不定休とはいえきちんと休みは頂けるのだ、むしろ感謝だとさえ思う時がある。
しかし…、売れてなんぼの世界。
ま、先のことを心配しても仕方ない、大手企業出さえ絶対の安泰はない時世だ。本人談だが、とりあえず今のところ出せばそれなりに売れるし蓄えもあるから心配するなと。
あれ?咲良の記憶だとしばらくの休業でお金がないんじゃ…。ああ、やはり隔板の分割払いの提案は貧民な隣人に気を使ったのだと再度確信。ならばと出勤第一日目に、借りは清算すべきと隔板の残金を一括で藤森に渡した。
アシスタントとしてのバイト代をそのまま貯めていたのだ。藤森は気にせず分割のままで良いのにと言ったが、あれこれ弱みのように隔板を何度も持ち出されるのを阻止する目的もあるので何が何でも受取って欲しい。
押し付けるように藤森の手に握らせ、いよいよ修繕開始ですねと咲良は訴えたが、
『このままの方が通勤に便利でしょ。玄関からだと俺がいちいち鍵を開けに行かなきゃいけないじゃん。不在の時もあるし集中してるとベルなんか耳に入らない。合鍵渡せばいいんだろうけど、一応さ、俺のプライベート空間でもあるからさぁ。かといって玄関開けっ放しは無用心でしょ?』
確かにそうではあるが…なんだかなぁ。端から直す気がないとしか思えない。
咲良が反論できずにいると、そんな事どーでもいいからと手渡された仕事用のスマホとタブレット。
『今日から君に預けるから後はよろしく!』
まさに説明もなく渡されたそのスマホがピロンと鳴る。新作の担当編集者からのメールだ。
基本的に仕事の連絡は全てこのスマホに入る。吉澤編集長だけは元上司で長い信頼関係にあるので、関係者で唯一プライベート用の連絡先を知っているそうだ。とはいえ、咲良が仕事用を預かるまでは藤森自身が携帯していたのだから、どちらに連絡しようが一緒だと思ったのは心の中だけにしておいた。
『お世話になります。先生に頼まれた史籍、明日、届くように手配しました』
「…さま、ありがとうございます、せんせいにつたえます、…っと、よし、送信」
藤森自身も仕事が相次ぎ執筆に専念する日がほとんど。
コラムの他に月刊誌の連載、時々短編の読みきり小説の依頼があったり、そのかたわら次回作のプロットを制作していたりなかなかの多忙ぶりだ。
同時に何本も内容が混乱しないのか不思議だが、藤森曰く、だから時間をかけてプロット作りをするんだと。そしてストックもあるから慌てないで済むのだとか。そんなわけで執筆依頼がなくても、常に沸き上がるイメージに妄想を駆りたてているそうだ。作家もスピードが命なんだよ、話題があるうちに次を出さないと忘れられて本屋の隅に追いやられるだけだからと。
咲良にとっては未知の世界、ふむふむと聞いていたが、で、そのプロットってなんですか?と、聞き返したことは言うまでもあるまい。
そんな多忙な中でも、藤森はよほどでない限り日課の散歩にも行くし、テレビで最新の話題をチェックしてたり、刺激になるからと他の作家の本を読んだり、打合せに出かければその帰りにデパ地下巡りしてきたり。デパ地下めぐりに関しては相変わらず、あり得ないほどの大量買いには咲良は毎度閉口するばかりだが、当の本人の楽しみなので執筆のためだと思うことにした。
そんなこんなでやっと整った環境、藤森が容赦なく新人咲良に任せると、初日から振りやがった出版社からの電話対応や、スケジュール管理のおかげで今や咲良は名実共に立派なアシスタント(あくまでも藤森談)。となれば雑事に煩わされない藤森は執筆に専念出来る環境となったわけだ。
慣れてくればそんなに難しい仕事内容ではない。後は締切り真近になると進行状況確認のためにやって来る担当者と一緒に、藤森の尻を叩くくらいだ。この数日の引き篭もり具合からして、今回の締切りは大丈夫そうだと思うが。
咲良はほっと一息つきながら時計を見れば間もなく18時、あってないような終業の時間。いつもなら藤森もそろそろ執筆を切りあげる時間なのだが、今日はどうだろうか。
噂をすれば影。パタパタとスリッパを引きずる音と共に藤森が現れた。
この時間に現れるということは、つまり、執筆が順調ということ。
藤森は肩をぐりぐり回しながら、一直線にソファへ進むとどさっと腰を下ろした。それこそ優秀な秘書なら、お疲れさまとここでコーヒーなり好みの飲み物をさりげなく差し出すんだろうが、咲良が出すのは前もって藤森が用意していたカット野菜。そう、それは亀吉の餌。亀吉の飼育係に自ら立候補し、いつの間にかちゃっかり従姉夫婦の公認まで頂いた次第だ。これは藤森にとって大事な癒しの時間らしい。
そしてこの時間ならではのルーティンとなった会話が始まる。
「夕飯、どうします?」
「んー、そうだなぁ」
「パスタか焼き魚ですけど」
つの間にか就任したらしい藤森の夕食係りとしての会話だ。
基本、味にうるさくない藤森の食事係りは特別難しいものではない。もちろん藤森が不在の時は免除だし、外食の時も多く、実際には週に二~三回ほどで咲良の分を作るついでの嬉しい賄い付きだと思えばいい。
「んー、どっちも捨てがたいけど…、気分転換に外出たいんだよねー」
そりゃ三日も、日課の散歩もせずに篭っていれば外が恋しかろうよ。
「寒いから…鍋、食べたいな。どこだっけ、いつだかさ、鍋始めましたって、見たよね」
「鍋始めました…あー、あそこですね、三丁目の居酒屋」
「そうそう、そこだ。 よし、じゃあ亀吉に会ってくるから、支度して出かけようか」
ということで今夜は外食に決定。
当然、咲良同伴で、つまり、これがあってないような終業時間の答え。
藤森との外出は出来るだけ避けていた咲良も、こう毎日一日中同じ空間にいればどうでもよくなるもので、更にタダ飯ならば天秤にかけずとも食事が勝つ。
外食だろうが家飯だろうが、就業時間外に付き、尚且つ酒も入って相も変わらず仲がよろしいようでとはいかないが、咲良に免疫が出来たのか耐性がついたのか、藤森と居るのも前ほど悪くはないと思い始めた今日この頃。誤解しないで欲しいがあくまでも雇用主と従業員としてである。
そんなこんなで新しい生活にも慣れ、今日も無事、平和な一日が過ぎていく。
そして迎える対談当日。
この出会いがまさかこんな事になるとは、この時二人は微塵も思っていない。
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