お隣さんとスーパーウーマン

Reonれおん

文字の大きさ
3 / 31
第1章 酒と煙草と男と女

第2話

しおりを挟む
「大丈夫?」

 かけられた声に咲良は声の主を見上げた。
 そこには、ちょっとボサボサの髪に無精ひげの30代前半と思われる男性がひとり。欄干に背をもたれ、指には吸いかけのタバコ。突然の侵入者に驚く様子もなく、ゆっくりとした仕草で倒れている咲良を覗き込むと、ばっちり目が合った。

 初対面でなんて格好だ!
 こみ上げる羞恥心。ああ、穴があったら入りたい。ぐるり見回す。が、そんな穴は見当たらない。それよりも目に飛び込んできたのは、たった今自身がぶち破った隔板の残骸たち。

 あ~あ、貯金どころか初日から何やってんだと、咲良は自分を呪いたくなった。


「ご、ごめんなさい!本当にごめんなさい!!」


 咲良はとっさに体を起し正座。地面に額をこすりつけるほど深く頭を下げると、くすくすと笑うお隣さんの声。


「そんなに頭下げなくていいって。それより、ケガはない?」

「えーと、どこも痛くないので、大丈夫、だと思います」


 咲良が顔をあげて答えると、お隣さんはタバコを簡易灰皿に押しつけていた。何ともなしにその仕草を眺めていると、不意に彼が反対の手をすっと差し出す。


「助けが必要?」

「え?」


 意味がわからなかった。咲良の目の前に差し出された掌を正座で眺めること数秒、すると頭上からクスッと彼の笑う声。


「立てない?」

「あっ、あああ、た、立てます!だ、大丈夫です!」


 跳ねるように立ち上がってお尻の埃を払う。差し出された手は咲良を手助けするため。その必要はなかったけれど、大丈夫だと言う咲良にもう一度ケガはないか尋ねるあたり、とりあえず隣人は身なりはちょっと…だけれども、感じは悪くない。

 
「で、いったいどうしたの?」


 ぱんぱんと体を払う咲良に、お隣の彼が興味津津とばかり訊いてくる。
 ここにきて咲良は、たった今自分が壊した隔板を改めて見れば、ものの見事にぶち破られ、大きく開いた大きな穴から咲良側のバルコニーが丸見え。
 避難経路確保のためいざという時は壊すものだが、かなり頑丈でそうそう壊れるものでないと、以前誰かに聞いた覚えがあるのは記憶違いか?


「あ…はい、そのぉ、ちょっと足をとられて…突っ込んじゃいました」


 事実はちょっぴり違うけれど許容範囲だろう。背中から突っ込んだのは事実だ。
 すると突然お隣さんがぷっと吹き出した。そして次にくくくっと肩を震わせ笑いだす。たしかに、立場が逆なら咲良も笑ってしまうだろうけど…それにしても笑いすぎ。
 

「そんなに、笑わなくても…」

「ご、ごめん、ごめん。違うんだ、高瀬さんの奥さんが、暫く留守にするって挨拶にみえた時に君のことは聞いてたから、今日越してくることは知ってたんだ。後日、本人が挨拶に来ると思うからよろしくって言ってたけど、なかなか斬新な挨拶だなぁって」

 
 ざ、斬新、ですかぁ!?
 

「す、す、すみません!初日から…本当にお恥ずかしい。あらためて、玄関からご挨拶に伺いたいと思いますので、まずはこの隔板のこと…あ、その前に、今直ぐに片付けます!」

 慌てて残骸をかき集めようとする咲良を、クスクスと笑うお隣さん。

「いいよ、もう遅いし、こっちでやっとくから。引越しの片付け大変でしょ、そっちやっつけて」


 くくくっと彼が笑いをこらえているのは明らか。
 咲良とてこんなご挨拶は想定外。用意したタオルとハンドソープの粗品を持って明日にでも伺うつもりだったのに。


「いいえ、そういうわけには!もちろん、修理の方もちゃんと手配しますので!」

「それなら俺から管理会社に連絡しとくよ」

「連絡先教えてくれれば私が!」

「気にしないで」

「あ…でも…」

「いいって。居候より正規の住人の方が話し早いし」

「え…、そうですか?じゃあ、お言葉に甘えます。でも、ちゃんと弁償はしますので請求は私にしてくださいね。それと、片付けは明日、責任もって私がやります!壊したの私ですし…何もかもやっていただくのは気がひけるので…やらせて下さい!」


 そう訴える咲良に、お隣さんは腕を組んで少し考えるような仕草をした。


「そう?じゃあお願いしようか。まとめて隅にでも置いといて」

「はい。でもこれ、どう処分するんでしょうね?」

「ん~、ついでに訊いておくよ」

「そうですか。 じゃあ、明日、必ず!」

「よろしく。あ、そうだ、いちいち断らなくても勝手に入っていいからね。悪いけど明日の日中は立て込んでて対応してる時間も惜しいんだ」


 そう言ってお隣さんは枠だけになった通路を指さす。そこから入って来いという意味だろう。


「はい!お邪魔にならないよう速やかに片付けます」

 
 頷くお隣さんに咲良はあらためて頭を下げた。ひとまずの話がついたなら長居は無用。咲良は今一度の謝罪とお休みなさいの挨拶をして、踵を返そうとした時だ。


「あ、ちょっと待って」


 そう言って咲良の行く先を手で制したお隣さんは、素早く隔板の前に向かうと、枠に残っていたギザギザした破片を力任せに引き抜いた。

 
「はい。頭と足元、気をつけて」
 

 どうぞと、お隣さんの手が亀吉のいるバルコニーに向けられた。
 ああ、なんて気がきくのだろう。
 

「ありがとうございます」


 そう言いながら、咲良は体をかがめた。ふと、見送る彼の目線が亀吉の方に向いたまま止まっているのに気付いた。彼の視線の先を追う。ああ、あれだ、いやでも目に入るのはさっき自分が飲み干したばかりの空き缶。それも一本二本じゃない。

 酔っぱらい。きっとそう思っているだろう。
 
 枠をくぐろうと、頭を下げた時だった。
 不意に腕を掴まれる。驚いて顔を向ければ、お隣さんとの顔の近さに心臓が飛び跳ねそうになった。


「そういえば、名前、聞いてない」

「え、え、えっ?な、名前!?」

「高瀬さん、じゃないよね?」

 ああ、そうだ。
 ここにきて、いまだ名乗ってなかったことに気付く。

「あ、ああ、私の! な、中嶋です」

「中嶋さん。 中嶋、なに?」

「なに、って?」

「下の名前」

「え? ああ、咲良。中嶋咲良」

「サクラさん、か。俺、藤森ふじもり。今後ともよろしく」


 こちらこそと咲良がちょこんと頭を下げれば、ニコーッと笑ったお隣さん…、もとい、藤森さんの口元から覗く歯が、無精髭とは対照的にやけに白く見えた。

 つーか、人に名乗らせて、自分は姓だけか!と、咲良が気付いたのは自分の部屋に戻ってから。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

処理中です...