お隣さんとスーパーウーマン

Reonれおん

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第5章 捨てる神と拾う神

第22話

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 女心と秋の空。
 もう冬に近いけれど。
 どうりで背中が寒いはず。冷たいビールなんて飲むんじゃなかった。
 帰ったら熱めの湯船にゆっくり浸かろう。ああ、そうだ、見逃したドラマも見なきゃなぁ。

 咲良は遠くの壁を眺めた。目の前のを視界からも脳裏からも一旦デリート、そして改めて再起動して先生である藤森を上書き?
 が、人間そうそうコンピューターのようにはいかない。だから仕方なく現実逃避してみる。
 
 

「あれれれれぇ、もしかしてセンセから先生に昇格?」

 
 咲良が別のところに意識を飛ばしていると、藤森が悪戯っぽく笑う。

 強制的に現実に引き戻された咲良は、藤森の顔に目をやるとごしごしと瞼をこすった。
 あれれ、あらら?
 ああ、やっぱり。
 あれは気のせい、幻か?
 だって有名人気作家先生様は何処へやら、目の前にいるのは間違いなく咲良のよく知る隣人藤森センセ以外の何者でもない。


「ちょっと、ちょっと、そんなにこすったら赤くなるよ、どうした?」

「ど、どうしたもこうしたも、センセが先生に見えたんですよ」

「???」

「し、しかも、先生たるオーラみたいなのを感じちゃったりして?」

「・・・・・」

「い、一瞬、ですけどね」

「…で?」

「び、びびった…」

「びびったって俺に?」

「違いますよ、そう見えちゃった自分にですよ!」

「…ぷ、」

「ぷ?」


 ぷぷっ、ぷははははっ!と、藤森が吹き出したのは言うまでもあるまい。


「アハハ、よく分からないけれど、つまり、昇格、でしょ?」


 昇格?
 ま、まあ、そう言えなくはないけれど…

 咲良が返事に困っていると、クスクスと藤森の笑う声。
 ああもう、ほんといつも笑いすぎ。


「いやぁ、まさかビシッと仕事をする男の姿効果が一日目からあるとは思いもしなかった」


 ん?
 咲良は首を捻った。そして次にぽかーんとする。
 咲良の表情を表現するにまさにぴったりだろう。
 そして、


「意識して真面目な顔するのって以外と顔の筋肉使うんだね。引き攣りそうになっちゃった。でも効果絶大って証明されたかも」

 
 そう続けた藤森に、咲良はただでさえ大きく開いていた瞼を更に大きく開けた。


「効果…って、え、ええーっ、そーゆーこと?!」


 思わずテーブルに手をついて立ち上がった咲良の両目から、ポロリ何かが落ちた、ような気がした。
 うろこ。
 咲良、ただいま目からうろこを実体験。

 ちくしょ、騙された。いつの間にうろこなんか!
 引き攣るほどの偽顔されりゃ、そりゃ大先生様にも見えるだろう。


「そ、それをズルって言うんです!」

「ズル?形から入るのも大事だと思うけどなぁ」

「に、人間、中身です!本当の姿は内面から滲み出て来るんですよ」

「んー、でもさ、オーラまで感じちゃっんでしょ?説得力ないよ、それ」

「・・・・・・・っ」


 咲良は一瞬、反論の姿勢を見せたものの、力が抜けたように腰を椅子に落とした。
 はい。それを言われちゃぐうの音も出ません。そう言って珍しく咲良が早々に敗北宣言。え、もう!?と藤森は楽しいディスカッションを期待していたようだが、その手に乗るつもりはない。
 ただし、オーラが見えたのは一瞬だけだったとしっかり主張はしたけれど。


「一瞬でも見えたなら成功でしょ。まあ、今後に期待。うん、頑張れ、俺」


 ったく、この男、絶対に頑張るところを間違えている。
 真面目顔の練習でもしているのか、目下百面相中の藤森を尻目に咲良は呆れるばかり。
 誰かに見せるわけじゃないなどと言いつつ、練習してるあたりが誰かに見せる気満々な証拠だ。
 明日は顔面筋肉痛に苦しむがいい。

 付き合ってられない、さっさと帰ろ。
 の話題からだいぶ逸れてしまったしまったが、どうせその話を持ち出したところで同道巡りなのは目に見えているし、今後その話題に触れない約束もした以上、咲良から言い出すのはルール違反だろう。
 
 答えを聞いた今でも、咲良は自分自身の勘を信じて疑わない。もう、口に出して言う事はないけれど。
 実際のところ、仮に僕が藤森だったとして、それでどうしたかったの?なのが本音だけれども。
 
 深く考えるな。単なる興味以外のなんでもない。
 ぶるぶるぶる。
 また寒気がした。風邪でも引いたか、こりゃさっさと帰るに限る。
 これは勇気ある撤退。いつかぎゃふんと言わせてやる。
 変顔の藤森が引き止めるも、咲良は残りのビールを一気に飲み干し、とっとと藤森宅を後にした。


 この日から暫く、咲良は藤森に会っていない。

 翌日。
 約束通り、出来たてのカレーの鍋を引っさげ咲良がお隣にやって来るももぬけの空。昨日、咲良が訪ねた時間より今日は少し早いからか、気分転換に散歩にでも行ったのだろうか。
 しかし、それにしてもバルコニー側とはいえ、留守なのに鍵が開けっ放しとは無用心な。もっとも、それを言ったら今現在、咲良の部屋がその状態なのだが。

 仕方ない、一旦帰るか。藤森の事だ、帰ってきたら間違いなく顔を出すだろう。
 その三十分後に藤森からSNSで連絡が来た。

『ごめん、急な打合せでまだ帰れそうにない。カレー、食べるから残しておいて。この埋め合わせはいつか必ず』

 さらに翌日、咲良が仕事から戻ると、バルコニーテーブルの上に見覚えのある鍋があった。昨夜のカレーの鍋、蓋を開けると中に人参とメモが一枚。

『カレー、ご馳走様。美味すぎて完食。
 予定では一週間ほど、仕事で出版社近くのホテル泊。
 留守番よろしく。
 人参は亀吉に。 藤森』


 ここからだって通えるのにホテル住まいとは豪勢な。
 もっとも同じ都内といえど出版社があるのは都心、ここは二十三区内とはいえ外側。連日行ったり来たりするよりは確かに楽かもしれないけれど。
 ちなみに咲良の実家は都内ではあるが、都心に出るよりお隣の県の方が近い、住所に市が付く地域だ。
 

「亀吉~、置き土産の人参、早速頂いちゃう?」


 亀吉にかけた咲良の声はどこか嬉しそう。
 にょろっと頭を伸ばす亀吉に、にこにこーっと笑いかけた。


「へへへ、亀吉。一週間、ご主人様は留守だって。つまり下僕はなし!あーっ、今日も夕飯作りかと思うと憂鬱だったんだよねぇ」


 よぉし、心の休暇だ、レッツエンジョイ穏やかで平和な日常!
 足取り軽やか、咲良は鍋を両手に部屋の中へ。早速この日からのんびり一人晩酌を楽しむ咲良だったのだが…

 そうは問屋が卸さない。
 咲良の穏やかで平和な日常が続くはずがない。
 
 その翌朝、いつになく寝覚めのいい朝を向かえ、心も足取りも軽やかに職場に向かった咲良。朝から考えるのは自分の為の今夜の酒の肴。

 
「おはよー」

「おはようございまーす」

「なんか中嶋さん、今朝からご機嫌じゃないの。いいことあった?」

「えー、分かりますぅ?なーんて、別になにもないですよ?あー、強いて言うなら、昨夜は特に用事もなく、なーんにもしないでのんびり出来たってことかな」

「それ一番の贅沢よ~。ね、ね、たまに代わってもいいわよ、なーんにもしなくていい日」

「いきなり子持ちの主婦業なんて無理でーす」

「ええー、そんな事言わずに代わってよ~」


 朝の品出しの戦友、山田と冗談を交わしながらいざ出陣!
 朝電の常連、加藤もここ最近は遅刻、早退、欠勤なく真面目に勤務で、朝の時間との戦いはだいぶ楽だ。ただ、これから冬に向けて風邪だインフルエンザだと、急な欠勤が増える時期だけれど。


「おはようございます」


 背中からかけられた聞き慣れない声に、咲良と山田は二人同時に振り返ると、そこにいたのは二人の男性。一人はエプロン姿の副店長と、そしてもう一人、やたらとぎょろっとした目が印象の無愛想な大柄のスーツ姿の男。
 彼が今回の人事異動で赴任してくる、パワハラでツーランクダウンと噂の新しい店長。正式な異動は明日だが、業務の引継ぎで今日は来たらしい。

 
「山田さんに…、中嶋さん?」


 胸の名札を確認しながら新店長がそれぞれの顔をぎょろぎょろした目で確認後、にかーっとさっきの無愛想が嘘のように、真っ白な歯を見せ極上営業スマイル。

 き、きもいっ!
 咲良と山田が思わず後ずさったのは言うまでもないだろう。
 その後この店長が、咲良にとって最低、最悪なヤローになろうとは…まだ思いもしないだろう。
 
 
  
 
 
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