10 / 32
3
しおりを挟む
男の言葉に、真央はなぜか動揺した。客の言葉なんか、ひとつも本気にとらないように、身も心もすっかり変わっていたのに、なぜか。
「……変わらない?」
真央が確かめるように繰り返すと、男は軽く頷いた。重みのない頷きかただった。男にとっては、それは大したことではないのだろう。自分の悲しさに、自分で気が付いていないような、そんな滑稽さとより深い悲しさがあった。
真央は、男の髪から手を離し、ついでに身体も離した。男の身体から、得も言われぬ悲しさが伝染してくるような、不吉な感覚があった。悲しいのは、嫌いだった。なるべく悲しみを感じないように、心がけて生きてきた。たまに失敗することもあったけれど、仕事中なんかに、自分に関係のない悲しみなんか、背負いたくはない。
シャワー、一緒に浴びる?
断られると分かっていて、それでもいつものルーティンを口にしようとした真央に、男が言葉を投げかけてきた。
「あんたはバイなんだろ。」
その言葉には、ただの確認作業、といった感じの確信があった。真央がゲイだとは露ほども思っていないような。全くもって一本気にゲイである真央は、男の言葉の確信に戸惑った。のんけ食いの客や、バイを好む客相手に、のんけだのバイだのと嘘をついたことはいくらでもあったから、その手の噂がこの男の耳に入ったのだろうか、とも思ったけれど、この男からはそんな噂が聞こえてくるほど、観音通りに入り浸っている匂いがしない。なんと答えるのが正解か分からなくなって、真央が曖昧に黙り込んでいると、男が再び口を開いた。
「あんた、貴子のヒモだよな?」
咄嗟になにを言われているのか分からなかった。貴子、と、ヒモ、という言葉が上手く組み合わされなくて。そんな一瞬の沈黙を、男は肯定の返事と取ったようだった。
「いつから。」
ごく低い声には、なんの色も乗っていなかった。その冷たいクリアさを、真央は怖いと思った。この男は、もしや姉ちゃんのストーカーかなにかだったのではないか。そう思い到って、心臓がぎゅっと握りつぶされたみたいに痛くなる。ここでどう返答するかで、自分が無傷で帰れるかどうかも、貴子が無傷でいられるかどうかも決まる。こういう修羅場にあったことは、立ちんぼなんかやっていればはじめてではないけれど、その度新鮮に血が凍った。
「……変わらない?」
真央が確かめるように繰り返すと、男は軽く頷いた。重みのない頷きかただった。男にとっては、それは大したことではないのだろう。自分の悲しさに、自分で気が付いていないような、そんな滑稽さとより深い悲しさがあった。
真央は、男の髪から手を離し、ついでに身体も離した。男の身体から、得も言われぬ悲しさが伝染してくるような、不吉な感覚があった。悲しいのは、嫌いだった。なるべく悲しみを感じないように、心がけて生きてきた。たまに失敗することもあったけれど、仕事中なんかに、自分に関係のない悲しみなんか、背負いたくはない。
シャワー、一緒に浴びる?
断られると分かっていて、それでもいつものルーティンを口にしようとした真央に、男が言葉を投げかけてきた。
「あんたはバイなんだろ。」
その言葉には、ただの確認作業、といった感じの確信があった。真央がゲイだとは露ほども思っていないような。全くもって一本気にゲイである真央は、男の言葉の確信に戸惑った。のんけ食いの客や、バイを好む客相手に、のんけだのバイだのと嘘をついたことはいくらでもあったから、その手の噂がこの男の耳に入ったのだろうか、とも思ったけれど、この男からはそんな噂が聞こえてくるほど、観音通りに入り浸っている匂いがしない。なんと答えるのが正解か分からなくなって、真央が曖昧に黙り込んでいると、男が再び口を開いた。
「あんた、貴子のヒモだよな?」
咄嗟になにを言われているのか分からなかった。貴子、と、ヒモ、という言葉が上手く組み合わされなくて。そんな一瞬の沈黙を、男は肯定の返事と取ったようだった。
「いつから。」
ごく低い声には、なんの色も乗っていなかった。その冷たいクリアさを、真央は怖いと思った。この男は、もしや姉ちゃんのストーカーかなにかだったのではないか。そう思い到って、心臓がぎゅっと握りつぶされたみたいに痛くなる。ここでどう返答するかで、自分が無傷で帰れるかどうかも、貴子が無傷でいられるかどうかも決まる。こういう修羅場にあったことは、立ちんぼなんかやっていればはじめてではないけれど、その度新鮮に血が凍った。
10
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
【完結】 男達の性宴
蔵屋
BL
僕が通う高校の学校医望月先生に
今夜8時に来るよう、青山のホテルに
誘われた。
ホテルに来れば会場に案内すると
言われ、会場案内図を渡された。
高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を
早くも社会人扱いする両親。
僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、
東京へ飛ばして行った。
僕の幸せは
春夏
BL
【完結しました】
【エールいただきました。ありがとうございます】
【たくさんの“いいね”ありがとうございます】
【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】
恋人に捨てられた悠の心情。
話は別れから始まります。全編が悠の視点です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる