女衒直巳と三人の女郎

美里

文字の大きさ
4 / 32

しおりを挟む
 天花茶館の跡取り息子となると、その辺の隅っこに転がしておくわけにもいかない。直巳は空いていた客室に客用布団を敷き、浴衣に着替えさせた男を寝かせた。
 ちなみにここに来るまで男は、意識ははっきりしているものの足もとがおぼつかなかったため、直巳が肩を貸して運んだ。
 勿論真澄にも反対の肩を支えてやるように言ったのだが、嫌ですよ、濡れるし重いから、とのことであった。
 「若さん、お名前は?」
 布団の傍らに膝を折った直巳が問うと、男は大儀そうに大の字になったまま、柳沢雪保と呻った。
 「お父様が本日ご登楼なさっているから、すぐにお呼びしますね。」
 「……呼ぶな。」
 「そうもまいりませんから。真澄、」
 ここで柳沢さんのお相手をしろ、と言いかけて、いつのまにか真澄が消えていることに気が付く。面倒くさいことに極力首を突っ込まない姿勢も、ここまでくれば見事なものだ。
 直巳は浅いため息をつき、柳沢雪保に深めの会釈をしてから座敷を出ようとした。
 すると線の細い茶屋の息子は、人に命令しなれた口調で、煙草盆、と言った。
 直巳は内心呆れながら、部屋の隅に片付けられていた煙草盆を布団の際に置き、改めて座敷を出た。
 するとちょうどそのタイミングで、野分花魁が廓の中央を突っ切る長い黒檀の階段を小走りに降りてきた。
 相変わらず名の通り、冷たくも清々しい風のような美貌である。
 「野分花魁、ちょっと。」
 呼びとめると野分は、くるりと白い顔を直巳に向けて立ち止まった。
 「なに? あ、政さん六番のお座敷に冷持ってって。」
 下働きの男が、はい、と女神に託宣を受けたかのように厨房に駆けて行くのを見送ってから、野分が顎先の動作だけで直巳に先を促す。
 「今日、天花茶館の旦那様、いらしてますよね。」
 「そうよ。今の六番のお座敷。」
 「それが、そこの跡取り息子さんがさっき桜橋から身を投げましてね。空蝉花魁がすぐ助けたんで大事はなくて、今はもう平気で煙草なんて吸ってるんですけど、お父様のお耳に入れておいた方がいいかと思いまして。」
 「あら。」
 話を聞いた花魁は、紅が艶やかに光る口元を袖で隠してさも可笑しそうに笑った。
 この花魁の微笑は不思議だ。明るく華やかであるのは確かなのに、それ以上にその場の気温を一度二度下げる。昔、直巳がまだ若かった頃は、この冷ややかな微笑がどことなく恐ろしかったのを覚えている。
 「さすが空蝉花魁ね。あなたの傑作はほんとうにおもしろい子。」
 「……お褒め頂いて。」
 「旦那さんには私からすぐ申し伝えますわ。今、坊ちゃんはどこに?」
 「一番の座敷に。」
 「そう。分かったわ。」
 「お願いします。」
 直巳は深々と花魁に頭を下げ、茶屋の息子が寝たまま煙草をふかしているのであろう座敷に戻った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

窓のない部屋の、陽だまりみたいな君

MisakiNonagase
BL
都心の高層ビル、その「内臓」とも言える地下一階のメール室。 そこで働く山﨑智之は、目立たず、期待されず、淡々と郵便物を捌く「透明人間」のような毎日を愛していた。自分は低スペックで、華やかな地上には居場所がない。そう、諦めていた。 ​そんな彼の静寂を破ったのは、二十二階の住人、若きエース・風巻隼人だった。 完璧なルックス、圧倒的な成果、羨望の眼差しを一身に浴びる彼が、なぜか地下のメール室に足繁く通い始める。 ​「五分だけ、ここにいさせてくれないか」 ​一通の郵便物から始まった、五分間だけの秘密の共有。 次第に剥き出しになっていく隼人の孤独と、それを無自覚に包み込んでしまう智之の温度。 住む世界が違う二人が、窓のない部屋で見つけたのは、名前のつかない「救済」だった。

薄紅の檻、月下の契り

雪兎
BL
あらすじ 大正十年、華やかな文明開化の影で、いまだ旧き因習が色濃く残る帝都。 没落しかけた名家に生まれた“Ω(オメガ)”の青年・白鷺伊織は、家を救うため政略的な「番(つがい)」として差し出される運命にあった。 しかし縁談の相手は、冷酷無慈悲と噂される若き実業家であり“α(アルファ)”の当主・九条鷹司。 鉄道・銀行事業で財を成した九条家は、華族でもありながら成り上がりと蔑まれる存在。 一方の伊織は、旧華族の矜持を胸に秘めながらも、Ωであるがゆえに家族から疎まれてきた。 冷ややかな契約婚として始まった同居生活。 だが、伊織は次第に知ることになる。 鷹司がΩを所有物としてではなく、一人の人間として尊重しようとしていることを。 発情期を巡る制度、番契約を強制する家制度、そして帝都に広がる新思想。 伝統と自由のはざまで揺れながら、二人は「選ばされた番」から「自ら選ぶ伴侶」へと変わっていく——。 月明かりの下、交わされるのは支配ではなく、誓い。 大正浪漫薫る帝都で紡がれる、運命を超える愛の物語。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

処理中です...