禁猟区

美里

文字の大きさ
上 下
2 / 31

しおりを挟む
「あんたの本命くんは元気なの?」
 本命くん。
 妙な呼び方をするな、と、俺は眉をひそめた。
 サクラが俺の本命だと言い張っているのは、万里という5つ年下の男だ。同じ児童養護施設で育った、半ば兄弟みたいなやつ。本命もクソもない、ただの腐れ縁だ。名前だって、同じ日に捨てられたから、セットで海里と万里とつけられた。今更恋情なんかと結びつくはずもないやつ。 
 それでもサクラは、バンリくんはカイリの本命、と言い続ける。多分、退屈だからだろう。
 「元気だよ。大学院の春休みが終わって、またバイトと学校で忙しいらしい。」
 「そう。カイリの本命は本当にいい子ね。」
 いい子。
 サクラのほうが、万里よりいくつか歳は下なのに、彼女はいつもそういう言い方をする。たしかに、世間ずれの仕方と言うか、やさぐれ方と言うかを考えると、サクラのほうが万里よりずっと上には見える。
 施設を出てから奨学金で大学に行き、大学院までバイト代でまかなって学問している万里は、俺やサクラとは人種が違うのだろう。
 俺は高校さえ行かずに中学を出てすぐに施設を飛び出し、今の生活にぐずぐずともつれ込んでもう10年以上が経つ。
 サクラの出自は知らないが、俺と似たようなものなのだろうな、とは、言葉の端々で感じられる。
 家族はいない。集団生活が嫌い。まともに働けない。異性を食って金にするのだけが得意。
 そんな、どうしようもないプロフィール。
 フィルターぎりぎりまで吸った煙草を灰皿に押し付けながら、サクラがちょっと唇を笑わせる。
 「本命くんがいること、麻美ちゃんには隠しときなさいよ。ああいう子はね、怖いわよ。包丁とか持ち出すタイプよ。」
 俺は思わず苦笑しながら、2本めの煙草に火を付ける。
 本命云々は別として、麻美が包丁を持ち出すタイプだという見立ては、俺の感覚とぴたりと合っていた。こんなことをこんな場面で言いたくもないが、サクラと俺は、こういうときだけいつも気が合う。
 「刃物は隠しとくよ。」
 「そうしなさい。」
 「寝てる間にやられたら今度こそ死ぬ。」
 「あのときだって、やばいタイプだって分かってたくせに。」
 「……どうだっけな。」
 「あんた、優しすぎるのよ。」
 「優しい? 俺が?」
 「わざわざ刺されてあげるなんて、バカみたい。」
 わざわざ刺されてあげる? 
 俺はサクラの目を見て肩をすくめた。
 確かに何年か前、麻美みたいなタイプの女に刺されたことはあるが、わざわざ刺されてやった覚えはない。完全に寝込みを襲われたのだ。
 サクラは俺の目を見返し、ぎゅっと眉を寄せ、呆れた、という表情を作った。
 「あんたみたいなタイプ、そのうちほんとに女に殺されるから。半端な優しさなんて、ない方がましよ。」


しおりを挟む

処理中です...