女衒真澄と三人の女郎

美里

文字の大きさ
17 / 23

野分花魁

しおりを挟む
野分花魁が桜町を出る。
それは私娼窟まで鳴り響いてくる重大ニュースだった。
晴海楼きっての売れっ妓であり、とうに前借金を払い終わっても、廓の主のようにその身を苦界に沈め続けた花魁。彼女が桜町を出る。
そのニュースを、真澄は桜町の住民達より数日早く知った。野分花魁が面倒を見ている禿、こはまが長屋にやってきたのである。
14歳になるうつくしい禿は、野分花魁の趣味だろう、渋い紺色の小袖を身に着けていたが、その色味は彼女の怜悧なうつくしさを見事に引き立てていた。
「野分花魁がお呼びです。」
「野分花魁が?」
桜町にはもう二度と足を踏み入れるつもりがなかった真澄は、その呼び出しに従うべきか少しの間迷った。
しかし、晴海楼で右も左も分からなかった真澄を女衒として仕込んでくれたのは、厳しく冷たい花魁の視線だった。今ならあの視線はすべて真澄のためだったと分かる。かつては、それが分からず野分花魁の気配がすればこっそり廓を抜け出したりしていたのだけれど。
「行こう。」
真澄が素足を下駄に突っ込むと、こはまは年相応の幼さで安堵の息をついた。
「真澄さんは来ないかもって、花魁は言ってました。」
少女の素直な口調に、直巳は思わず苦笑した。
「いや、行きたくはないけどな。怖いし、野分花魁。」
「優しい方です。」
静かに真澄をたしなめる口調は、いっそ真澄より大人びていて、野分の仕込みの確かさを物語っていた。
「知ってるよ。知ってるけどね……。」
人気の少ない真昼の私娼窟。こはまは真澄の横顔を見上げてさも可笑しそうに笑った。
切れ長の目がうつくしい少女だ。師が買い付けてきた禿だが、水揚げが終わればすぐに看板を張るような花魁になるだろう。
私娼窟を抜け、桜橋を渡るとき、真澄は一瞬だけ眩暈を覚えた。
渡りたくても渡れない橋だった。それを、先導の少女さえいればこうもあっさり渡れてしまうのが不思議だった。
「……今日、直巳さんは?」
問えば、こはまは真澄を首だけで振り返り、ちょっとだけ唇の端をつりあげた。困ったような、それは微笑の出来損ないだった。
「直巳さんなら、もういませんよ。」
耳を疑った、こはまがなにを言っているのか分からなかった。
「いない?」
問い返せば、桃割れに結った髪の項を軽く押さえながら、こはまは小さく頷いた。
「町を出て行かれました。昨日の夜。」



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 【エールいただきました。ありがとうございます】 【たくさんの“いいね”ありがとうございます】 【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由

スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの二人は、スキルを得た事で魔王討伐に旅立つ勇者と彼の帰還を待つだけのただの親友となる。 勇者と親友の無自覚両片想いのじれったい恋愛の物語。

心からの愛してる

マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。 全寮制男子校 嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります ※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

薄紅の檻、月下の契り

雪兎
BL
あらすじ 大正十年、華やかな文明開化の影で、いまだ旧き因習が色濃く残る帝都。 没落しかけた名家に生まれた“Ω(オメガ)”の青年・白鷺伊織は、家を救うため政略的な「番(つがい)」として差し出される運命にあった。 しかし縁談の相手は、冷酷無慈悲と噂される若き実業家であり“α(アルファ)”の当主・九条鷹司。 鉄道・銀行事業で財を成した九条家は、華族でもありながら成り上がりと蔑まれる存在。 一方の伊織は、旧華族の矜持を胸に秘めながらも、Ωであるがゆえに家族から疎まれてきた。 冷ややかな契約婚として始まった同居生活。 だが、伊織は次第に知ることになる。 鷹司がΩを所有物としてではなく、一人の人間として尊重しようとしていることを。 発情期を巡る制度、番契約を強制する家制度、そして帝都に広がる新思想。 伝統と自由のはざまで揺れながら、二人は「選ばされた番」から「自ら選ぶ伴侶」へと変わっていく——。 月明かりの下、交わされるのは支配ではなく、誓い。 大正浪漫薫る帝都で紡がれる、運命を超える愛の物語。

窓のない部屋の、陽だまりみたいな君

MisakiNonagase
BL
都心の高層ビル、その「内臓」とも言える地下一階のメール室。 そこで働く山﨑智之は、目立たず、期待されず、淡々と郵便物を捌く「透明人間」のような毎日を愛していた。自分は低スペックで、華やかな地上には居場所がない。そう、諦めていた。 ​そんな彼の静寂を破ったのは、二十二階の住人、若きエース・風巻隼人だった。 完璧なルックス、圧倒的な成果、羨望の眼差しを一身に浴びる彼が、なぜか地下のメール室に足繁く通い始める。 ​「五分だけ、ここにいさせてくれないか」 ​一通の郵便物から始まった、五分間だけの秘密の共有。 次第に剥き出しになっていく隼人の孤独と、それを無自覚に包み込んでしまう智之の温度。 住む世界が違う二人が、窓のない部屋で見つけたのは、名前のつかない「救済」だった。

処理中です...