観音通りにて・弟

美里

文字の大きさ
8 / 21

しおりを挟む
 「兄貴が、」
 俺は、考え考え言葉を紡いだ。
 『康一が?』
 亜美花さんは、当たり前みたいに俺の言葉を待っていてくれた。俺は、このひとの特別だった兄貴のことを、確かに羨んだ。それなのに、兄貴は全てを放り捨てた。亜美花さんだけじゃない。学業も、家族も。それで、観音通りの男娼になった。それは、あの男のために? 俺には、よく分からない。そこまで強く誰かを思ったことが、俺にはない。
 「兄貴が、全然意味わかんないことしてて、まじで、ほんとに、全然意味不明な生き物になってたとしたら……、どうしますか?」
 自分でも要領を得ない質問だと分かっていた。全然意味不明なのは、兄貴じゃなくて俺の方だ。それなのに亜美花さんは、俺に質問の意味を問い返しもしなかった。ただ、しばらく考えるような間が合って、それから、そうねー、と、やや低いいつもの声を注いだ。
 「付き合ってた頃なら……、康一のこと、一番好きだった頃なら、それでもよかったよ。」
 「……よかった?」
 「うん。それでも、康一のこと好きだった。」
 多分ね、と、亜美花さんは小さく笑った。チャンスなんじゃないの。あの男の声が脳内で再生されて、俺はぎゅっと自分の胸元を握りしめた。そこが、痛かった。理由は、分かりたくなかった。
 もうすぐ、駅に着く。俺は、亜美花さんにそのことを伝えて、電話を切ろうとした。すると亜美花さんは、会おうか、と言った。大した意味もない台詞みたいに。いや、亜美花さんにとっては、本当に大した意味のない言葉だったのかもしれない。元彼の弟、とかいう微妙に遠い関係だけれど、兄貴も含めた三人で飯を食ったことは何回かあったから、その延長線上として。俺はそのとき、会いたい、と言いかけた。会いたかった。母さんには、兄貴のことは話せない。父さんとは、そもそも顔をわせることがない。誰かに、話を聞いてほしかった。一人で抱え込むには、今日あった出来事は大きすぎたし重すぎた。なのに、会いたい、と言えない自分がいた。それは、不純な感情が自分の中にあるのを自覚していたからだろう。俺は、亜美花さんに会いたい。それは、兄貴の話を聞いてほしい、という以上の意味で。
 『康介くん?』
 亜美花さんが、電話越しに俺を呼ぶ。俺は、上手い断りの台詞を見つけなければ、と、焦って舌をもつれさせた。電話の向こうで、亜美花さんがまた笑うのが分かった。
 『会おう。』
 はい、と、そう答える以外、俺にはもう選択肢はなかった。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

  【完結】 男達の性宴

蔵屋
BL
  僕が通う高校の学校医望月先生に  今夜8時に来るよう、青山のホテルに  誘われた。  ホテルに来れば会場に案内すると  言われ、会場案内図を渡された。  高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を  早くも社会人扱いする両親。  僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、  東京へ飛ばして行った。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...