観音通りにて・弟

美里

文字の大きさ
19 / 21

19

しおりを挟む
 「やさしいね、コースケは。」
 男が、重い荷物を投げ捨てるみたいに言った。俺は、その言葉を皮肉かと思って聞いたのだけれど、すぐにそうではないのだと分かった。男の表情は、ごく真面目だったのだ。それこそ、神に祈る修道士みたいに。俺は男の手首を掴んだまま、首を横に振った。別に、俺はやさしくなんかない。それは自分が一番よく分かっている。
 「俺のこと、ほっとけない? ちょっと話しただけの仲なのにね。」
 くすり、と、男は端正な唇で笑った。
 「早死にしそう。そんなやさしいと。」
 俺にはその言葉は、嫌味にも脅しにも聞こえなかった。なんなら、純粋な祝福のように聞こえたのだ。
 「待ってて。」
 俺は今にも駆け出しそうになる自分を押さえながら言った。
 「ここで待っててよ。」
 待っててもらって、その先どうするかなんて考え付いてはいなかった。ただ、待っていてと、それだけ。どこかに、どこか暗くて遠い所に、行かないでほしいと、それだけ。
 「困るでしょ、それじゃあ。」
 男は微笑み、俺の手を自分の手首からどけようとした。
 「俺がここにいたら、康一をどこに連れて帰るの?」
 「分からない。……分からないけど、」
 「俺はね、大丈夫なんだよ。男でも女でも適当に引っ掛けて、宿も飯も調達できる。ずっと、そうやってきたんだから。」
 「でも、」
 「大丈夫。」
 男は、密やかに笑った。それは、背筋がぞくぞくするほどの色気があるのに妙に落ち着いた、なんとも言えない表情だった。
 「最後はなにも言わないできれいに消えるのが、ヒモのせめてもの誠意みたいなとこ、あるから。」
 だから、行きな。
 男はそう言って、力が抜けた俺の手を、そっとはがして瞼を伏せた。窓から射し始めた朝の光に、長い睫の影が真っ白い頬にまで落ちる。俺がこの部屋を出たら、この人は本当にどこかに消えるのだろう。なんの痕跡も残さず、きれいに。そう思わせるだけの儚さみたいなものが、男の表情にはあった。だから俺は、さらに男を引き留めようとした。待ってくれ、もう少し時間をくれ、と。時間をもらったところで、自分が何をどうするのかも、どうしたいのかも、どうするべきなのかも分からないまま。
 もどかしかった。頭の中が赤くぐるぐる回って俺をせかすのに、立ち止まってどうにか考えたいこともあって、だけど窓の外は白み始めて、時間は待ってくれない。兄貴が、きっともうじき戻ってくる。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

  【完結】 男達の性宴

蔵屋
BL
  僕が通う高校の学校医望月先生に  今夜8時に来るよう、青山のホテルに  誘われた。  ホテルに来れば会場に案内すると  言われ、会場案内図を渡された。  高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を  早くも社会人扱いする両親。  僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、  東京へ飛ばして行った。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...