観音通りにて・情夫

美里

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だめよ、とめぐみは言った。低いが確かな声だった。
 「鏡ちゃんはヒモに向いてない。でも、私と暮らすのにはもっと向いてない。」
 優しすぎるもの、と。
 優しいなんて、女から言われたのは初めてだった。鏡太郎はヒモだし、ヒモの常として女には優しく接するけれど、これまでの鏡太郎の飼い主たちは、そんなことは百も承知の女たちだった。
 優しいわね、確かに。でもそんなの、家とお金のためじゃない。
 そんなふうに割り切った女たち。
 鏡太郎は、そういう女たちが好きだった。彼女たちの強さや、時々覆い隠せずに覗く寂しさが好きだった。
 けれどめぐみは、鏡太郎が優しいなどと言う。
 「……俺は、優しくなんてないよ。」
 ぎゅっと、めぐみの身体を抱きしめながら、鏡太郎はほとんど懇願するように囁いている。
 「ただのヒモだもん。ヒモは優しいものでしょ。それだけの話だよ。」
 優しくない。その事実を証明すれば、この女の側に居られるのではないかとすら思って。
 「そうね。」
 めぐみは囁きかえし、鏡太郎の頬を撫でた。
 「ヒモは優しい。でもね、鏡ちゃんは鏡ちゃんとして優しいわ。」
 優しい、優しい、と繰り返したところで、それは最後通告にしかならなかった。人間性を褒められているわけでは決してなく。
 「私は明日ここを出て行くわ。」
 鏡太郎ではなく天井を見つめたまま、めぐみは言う。
 「ここを出たら、多分私は生きてはいけない。15からここに立って、もう10年よ。またどこかの路上に立つのがオチでしょうね。客の質も落ちて、病気ももらうかもしれない。観音通りにいた方が百倍ましでしょうね。それでも、私は出て行くわ。」
 一緒に行っちゃダメ?
 鏡太郎が問うと、めぐみは笑った。
 「鏡ちゃんらしくないわね。鏡ちゃんはこの街から出て行けない人だと思ってた。その、死んだ人を忘れられないから。」
 めぐみの言うことは、多分正しかった。茜の面影のあるこの街から出て行くことは、鏡太郎には至難の業だ。もしもこの街から出てしまったら、全てはただの作り話にしか感じられなくなるだろう。確かに好きだったはずの、茜の面影さえ。
 そのまま手足を絡め、胸と胸を寄せ合い、鏡太郎とめぐみは一夜を越した。寒い部分は、ずっと寒いままだった。どんなに抱き合っても、胸の奥のどこかに冷たい風が吹いている。
 そして早朝、めぐみは鏡太郎の手足をそっと自分のそれから解くと、部屋を出て行った。一つの荷物も持たずに、コートの一枚も羽織らずに。
 鏡太郎は、眠ったふりをしながら彼女の背中を見送っていた。多分、彼女は死ぬつもりなのかもしれない、と思っても、止められない自分がどうしようもなく情けなかった。
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