観音通りにて・情夫

美里

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「鏡ちゃんの好きな人って、ケイ子さん?」
 問われ、鏡太郎は思わず微笑んだ。皮肉でも何でもない。彼女の正しさに乾杯でもしたい気分だった。ケイ子には、15歳から20歳まで5年間も世話になった。そのケイ子が『好きな人』。そこまで正しくなれればいいのに、と本気で思った。
 「そうだよ。」
 だから鏡太郎は嘘を吐いた。
 だから、というのは違うかもしれない。ルリ子の正しさにあやかりたいのも本当だし、『正しい』『好きな人』へのあこがれも本当だ。
 でも、本当に鏡太郎に嘘をつかせたのはそのどちらでもなくて、茜への情だった。今ではもう、愛情だか恋情だか慕情だか、なにがなんだか分からなくなってしまった感情。
 「嘘ばっかり。」
 端的に言って、ルリ子は泣いた。右の目から一滴、左の目から一滴。
 ルリ子が泣くなんて、鏡太郎からしたら天地がひっくり返るくらいの衝撃だった、あのルリ子が、泣いている。それも、俺なんかのせいで。
 その時確かに鏡太郎は、愛おしいと思ったのだ。涙を流すこの女が、愛おしいと。
 慎重に、ルリ子の首の下に右手を回し、もう片方の手で腰を引き寄せる。
 「……ヒモ、やめるから一緒に暮らそう。」
 ルリ子は鏡太郎の手を振り払いはしなかった。それどころか唇を寄せてそっとキスをして、それから笑った。ふわりと、花びら1枚ほどの重さの微笑。
 「できない約束はしない方がいいわよ。」
 ごめんね、と、ルリ子が囁く。
 「じゃあ、俺はどうしたらいい?」
 「さあ。私に訊かないでよ。」
 「俺、ルリ子しかいないんだよ。こういうの、訊けるの。」
 嘘ではなかった。心の底から本気だった。
 うん、そうだよね、と、ルリ子も頷いた。
 そして両手で鏡太郎の頭を抱え込み、囁いた。
 「あなたのお母さま、まだご健在よ。病院に入院しているけど。」
 帰りなさい、とルリ子が囁く。
 「その後どうするにしても、一度は帰りなさい。」
 無理だ、と、鏡太郎は呻いた。
 ケイ子と家を出たとき、鏡太郎は母を捨てたのだ、確かに。それが今更どの面さげて帰って行けるというのか。
 「帰りなさい。」
 もう一度、今度はもっと強く囁いて、ルリ子は鏡太郎の肩を撫でてくれた。それは遠い昔、茜が昼寝をする鏡太郎にしてくれたみたいに。
 「そこからなにしたっていいわ。またヒモに戻ったって良いの。でも、1度だけ帰りなさい。」



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