観音通りにて・母親

美里

文字の大きさ
3 / 30

しおりを挟む
 あたりは真っ暗だったけれど、女のひとの白い肌は、闇に浮かび上がるように輝いていた。きれいなひと。私はぼんやり、そんなことを思った。
 「風邪ひくわよ。」
 彼女のやや低い声が、もう一度路地裏に心地よく響く。私は、疲れ切って感覚がない両脚で、なんとか立ち上がった。
 この女のひとが、見た目にそぐわぬ悪党で、どこかに売り飛ばされるとか、痛い目にあわされるとか、考えなかったわけではない。でも、それより強く、今より不幸にはなりっこないと、そんなふうに思っていた。このきれいなひとに身を任せてめちゃくちゃになったとしても、たった今のこの状況より惨めにはなるまいと。
 きれいなひとは、私に名前すら聞かなかった。黙ったまま私に傘をさしかけ、表通りへ足を進める。私は、またあの軽佻浮薄な雑踏にもまれねばならないのかと身構えたけれど、女のひとの隣で聞く雑踏は、悪くなかった。なんなら楽しげに浮き足立っているようにすら聞こえた。
 不思議だな、と思って、隣を歩く彼女を見上げる。すらりと背の高いその人は、私を見下ろすと、軽く首を傾げて微笑んだ。それは、ずっと昔から彼女とこんなふうに寄り添って歩いて来たんだと、そんな誤解をしそうなくらい肌に馴染んだ表情だった。
 「入って。」
 彼女が観音通りの長屋の一つの前に立ち止まり、がらりと引き戸を開けると私を中に促した。私は、もう疑うのをやめて、素直に彼女に従った。
 「いづみ、それ、客?」
 入ってすぐ右手の小部屋から顔を出した男が、怪訝そうに私を見た。私も多分、似たような顔で男を見返したと思う。それは、これまで見たことがないほど派手な格好をした男だったのである。金に染め上げられた髪に、耳や首にぶら下がる赤い鎖状の飾り。柄物のシャツの上に、柄物の振袖をまとい、更に柄物の帯を緩く絞めている。
 「違うわ。娘。」
 いづみ、と呼ばれたそのひとは、ごく短くそう答えた。明るい所で見た彼女は、せいぜい20代の半ばくらいで、到底私の母親というような年代ではなかったにもかかわらず。
 けれど、派手ないでたちの男も、その言い振りに特に驚いた様子もなく、へえ、あんた、娘いたの、とあっさり納得したので、私は驚いてしまう。その驚きは表情にも出ていたらしく、派手な男は私を見て、にやりと笑った。
 「蝉、悪いけどこの子、朝まで預かっといてもらえる?」
 「構わないよ。」
 「ありがとう。」
 私の頭の上でぽんぽんと会話が交わされ、私はあっという間に、蝉、とかいうらしい男の小部屋に吸い込まれていくことになった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

処理中です...