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第四章 第二次大戦とその後

47. イギリスのニジンスキー

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 年の暮れ、ブルーノがまたニジンスキーの記事を書いた。
  彼と妻はイギリスに移住して、ロンドン郊外のサリーという町に住んでいるのだという。

 サンモリッツのローカルの記者だったブルーノは、ニジンスキーがスイスの精神病院でジャンプをしたスクープにより、アメリカの大手ライフ社の委託記者になったのだった。そして、彼をずっと追い続けていた。
 
 ブルーノは、五十七歳のニジンスキーが「英国に帰ってきた」と表現した。
「帰ってきた」と書いたのは、彼が昔、イギリスで踊ったことがあるからである。

 今では、ニジンスキーのスラブ系の顔は丸く白く、長い精神病による闘病生活の跡が見えるとも書いてあった。しかし添付されている写真を見ると、その顔はインスリン治療を受けていた時と比べるとひきしまっていて、昔の顔に近くなっているとぼくは思った。

 そこにはこんなことが書かれていた。
 ハンガリーでソ連軍と遭遇した時、ソ連は彼を英雄として国に招きたいと申し出た。しかし、ロモラは断り、西ヨーロッパに行くことを選んだ。
 ロモラはまだアメリカに行くことを望んでいる。アメリカに行けば、彼がまた踊ることができると信じている。

 長女のキラはすでに三十三歳になり、フランスでバレエ・スタジオを経営している。でも、ロモラは娘が女優になることを願っているのだという。
「私は誰にも、ダンサーになることを勧めません。だって、彼の場合だって二十年も厳しい訓練をしてきて、輝いたのはたった三年ですから」

 ブルーノは娘のキラにも会って、インタビューをしてきた。
 キラはロモラの若い頃とは、全く似ていない。とても頑丈で、やはり農婦のような身体つきをしている。
 ぼくが口喧嘩をしたら、その勢いには負けてしまうだろう、そんな感じだ。

「わたしは先日、ベニスに行ってきたわ。まっすぐディアギレフの墓前に行って、言ってやった。お父さんをこんなにしてくれて、ありがとうって」
 娘も父親が狂ったのは、ディアギレフのせいだと信じている。母親からそう聞いているのだから、それは仕方のないことだろう。 

 ぼくはソビエト連邦がニジンスキーを国に招いたということを知って驚いた。革命の前に外国に出たぼく達のような者は、祖国に帰ることができないでいたのだから。彼の栄光は祖国にも広く知られているから、これは特別な配慮なのだろう。

 二ジンスキーにはその申し出は知らされたのだろうか。ロモラが彼には伝えずに、断ったのではないだろうか。ぼくなら、すぐにイエスと答えるだろう。一度、国に帰ってみたい。ママ―シャに会いたい。

 ぼくはイギリスの兄さんに会いたかった。どのようにすれば、会えるのだろうか。
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