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第六章 パリ
63. ニジンスキーと話す
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一九五十の春、ぼくはイギリスのロモラに電話をかけた。
その頃、彼らはサセックス州のアランデルに住んでいた。アランデル城で有名なこの緑の町は、ロンドンから百キロあまり離れている。ぼくは経済的援助をしていたこともあり、彼らがイギリスに移ってから、ロモラとはよい関係を保っていた。
ロモラによると、彼の体調はよくなっており、今では散歩をしたり、庭に出て草花を楽しんだりできるようになっているということだったが、彼と直接話させてもらったことはなかった。
ぼくが来年のヴェストリスのメモリアル公演におふたりをパリに招待したいと話すと、ロモラはすごく喜んで、その日は特に調子がよいからと、ニジンスキーと話すことを許してくれた。
ぼくは緊張しながらロシア語で挨拶すると、彼がしっかりとロシア語で答えたので、非常に驚いた。インスリン効果が出たのだろうか。彼は戦争を乗り越えて、正常の人になっていたように思えた。なぜロモラがこれまで話させてくれなかったのだろうかと受話器を強く握りしめながら、怒りを感じていた。
彼はぼくのことを覚えていて、「なつかしいね」と言ったので、ぼくは泣き出しそうになった。
「はい。ずうっとお話をしたいと思っていました」
ぼくはヴェストリスのことを話し、彼のモンマルトルにある墓がないがしろにされているから、それを再建したい。ついては生誕百九十年を祝って、来年、オペラ座でメモリアル公演をして資金を集めようと計画していることを伝えた。
彼は話を完全に理解できたようで、
「それはすばらしいね」
と間をおかずに答えた。
「それについてですが、メモリアル公演の時、パリのオペラ座に来ていただけますか」
「行きますよ」
こちらもすぐに返答がきた。
「もうひとつですが、ぼくと踊ってもらうことは可能でしょうか。今、アルカディアというテーマで、振付を考えています」
牧人たちがアルカディアを求めて、長い旅をする。苦労の末、ようやくたどり着くが、そんなストーリーだと簡単に説明した。
「それは、楽しみだね」
と彼が言った。
踊れないとか、踊らないとか、そうためらう部分は一切なかった。
「それはうれしいです。ニジンスカ先生も、参加してくれるかもしれません」
ぼくがそう言った時だけ、彼の反応がなかった。
ぼくは聞こえなかったのかと思って、
「みんなで踊りましょう」
と言った。
「すごくいいねぇ」
と彼が言った。
その声の響きから。舞台で踊れるのを楽しみにしている様子が伝わってきた。
ぼくはニジンスキーとニジンスカ先生と、アルカディアを踊るのだ。
キリルの遺体はいつまで経っても見つかることがなかった。
ぼくはパリに彼の石碑だけでも建てたかったのだが、どの墓地からも断られた。自殺した者には、墓地から許可がでないのだった。
ぼくは友人からあるロシア正教の司教を紹介され、相談に行った。ぼくはキリルの死は自殺ではなくて、事故だと思うと話した。なぜなら、川岸にいた釣り人が、キリルが川の途中でしばらく立っていたと話している。そして、彼が川岸のほうに向きを変えた瞬間、流れにさらわれたと証言している。
キリルは死ぬつもりで川にはいったのかもしれないが、生きようと決心を変えた時、不運にも、水に押し流されてしまったとぼくは思うと語った。彼はオーギュスト・ヴェストリスの墓の修理を考えていたほど心優しい人間なのだから、神に祝福されないわけがない。
ぼくのゴリ押しともいえる必死の説得が功を奏したのかどうかはわからないが、司教は、「神は愛であって、罰ではない」と言ってくれた。
おかげで、パリ郊外のサント・ジュヌヴィエーブ・デ・ポワのロシア人墓地に、墓を建てる許可がもらえたのだ。そのことを知ると、キリアンは涙を流して喜んだ。
ぼく達は嵐の中を一歩ずつ、前に進んでいた。もちろん、時には後退もしたけれど、ぼく達は先を見つめることができるようになっていった。
その頃、彼らはサセックス州のアランデルに住んでいた。アランデル城で有名なこの緑の町は、ロンドンから百キロあまり離れている。ぼくは経済的援助をしていたこともあり、彼らがイギリスに移ってから、ロモラとはよい関係を保っていた。
ロモラによると、彼の体調はよくなっており、今では散歩をしたり、庭に出て草花を楽しんだりできるようになっているということだったが、彼と直接話させてもらったことはなかった。
ぼくが来年のヴェストリスのメモリアル公演におふたりをパリに招待したいと話すと、ロモラはすごく喜んで、その日は特に調子がよいからと、ニジンスキーと話すことを許してくれた。
ぼくは緊張しながらロシア語で挨拶すると、彼がしっかりとロシア語で答えたので、非常に驚いた。インスリン効果が出たのだろうか。彼は戦争を乗り越えて、正常の人になっていたように思えた。なぜロモラがこれまで話させてくれなかったのだろうかと受話器を強く握りしめながら、怒りを感じていた。
彼はぼくのことを覚えていて、「なつかしいね」と言ったので、ぼくは泣き出しそうになった。
「はい。ずうっとお話をしたいと思っていました」
ぼくはヴェストリスのことを話し、彼のモンマルトルにある墓がないがしろにされているから、それを再建したい。ついては生誕百九十年を祝って、来年、オペラ座でメモリアル公演をして資金を集めようと計画していることを伝えた。
彼は話を完全に理解できたようで、
「それはすばらしいね」
と間をおかずに答えた。
「それについてですが、メモリアル公演の時、パリのオペラ座に来ていただけますか」
「行きますよ」
こちらもすぐに返答がきた。
「もうひとつですが、ぼくと踊ってもらうことは可能でしょうか。今、アルカディアというテーマで、振付を考えています」
牧人たちがアルカディアを求めて、長い旅をする。苦労の末、ようやくたどり着くが、そんなストーリーだと簡単に説明した。
「それは、楽しみだね」
と彼が言った。
踊れないとか、踊らないとか、そうためらう部分は一切なかった。
「それはうれしいです。ニジンスカ先生も、参加してくれるかもしれません」
ぼくがそう言った時だけ、彼の反応がなかった。
ぼくは聞こえなかったのかと思って、
「みんなで踊りましょう」
と言った。
「すごくいいねぇ」
と彼が言った。
その声の響きから。舞台で踊れるのを楽しみにしている様子が伝わってきた。
ぼくはニジンスキーとニジンスカ先生と、アルカディアを踊るのだ。
キリルの遺体はいつまで経っても見つかることがなかった。
ぼくはパリに彼の石碑だけでも建てたかったのだが、どの墓地からも断られた。自殺した者には、墓地から許可がでないのだった。
ぼくは友人からあるロシア正教の司教を紹介され、相談に行った。ぼくはキリルの死は自殺ではなくて、事故だと思うと話した。なぜなら、川岸にいた釣り人が、キリルが川の途中でしばらく立っていたと話している。そして、彼が川岸のほうに向きを変えた瞬間、流れにさらわれたと証言している。
キリルは死ぬつもりで川にはいったのかもしれないが、生きようと決心を変えた時、不運にも、水に押し流されてしまったとぼくは思うと語った。彼はオーギュスト・ヴェストリスの墓の修理を考えていたほど心優しい人間なのだから、神に祝福されないわけがない。
ぼくのゴリ押しともいえる必死の説得が功を奏したのかどうかはわからないが、司教は、「神は愛であって、罰ではない」と言ってくれた。
おかげで、パリ郊外のサント・ジュヌヴィエーブ・デ・ポワのロシア人墓地に、墓を建てる許可がもらえたのだ。そのことを知ると、キリアンは涙を流して喜んだ。
ぼく達は嵐の中を一歩ずつ、前に進んでいた。もちろん、時には後退もしたけれど、ぼく達は先を見つめることができるようになっていった。
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