261 / 287
第十二章
腕(かいな)の中のリリアーナ 107
しおりを挟む
カイトは岩盤を削って作られた簡素な石のベッドに寝かされていた。
そっと目だけで周囲を窺うと、鉄格子の向こうにはサイラスが立っていて、どうやら自分は独房の中にいるようである。身体を起こそうとして、あまりの痛さに顔を顰めた。
「酷く痛むんだろう?」
サイラスの言葉に大人しく頷く。
イフリートに叩き落された背中は痛いし、最後に殴られた顎は、砕けなかったのが不思議なくらいだ。いつの間にかみぞおちにも食らっていたようで……とにかく身体中が痛みで悲鳴を上げていた。
力が半端ない上、大柄なのに素早く動けるなんて……
「化け物め……」
起き上がるカイトが洩らした言葉にサイラスが微笑んだ。
「もうすぐじいやが来てくれるよ」
「はい……痛っ、」
サイラスに顔を向けただけで、全身に激痛が走り、歯を食い縛った後に黙りこくる。
「どうしたんだい?」
「私はどれ位の間、ここに閉じ込められるのですか?」
「イフリートは”頭が冷えるまで”と言っていたが」
痛まないよう、ゆっくり天井を見上げると、遙か上のほうに小さな明り取りの窓が見える。カイトの跳躍力をしても届かない距離だ。昼間だというのに薄暗いのも頷けた。
「地下の特別室ですね」
「そうだ」
通称”特別室”
一般の囚人は、騎士団の建物内部に併設する牢屋に入れられる。しかし、罪の重い囚人や凶悪犯、他にも脱獄の恐れのある者達は地下牢に収容された。
地下牢は、騎士団本部と宿舎の中間地点、騎士がすぐ駆けつけられる位置にあり、王族の安全のために城からは離れている。
一見、ただの石でできた小屋が平野にポツンと建っているように見える。しかし中に入ると、地下に向かって螺旋階段が深く伸び、上から覗き見ても底は見えない。階段を下りるにつれて、空気は澱み怖気が走り、だんだんと地獄に向かっているような感覚に囚われていく。最下部にたどり着き目の前の扉を開けると、鉄格子が片側にずっと並ぶのだ。
その前を通り過ぎて一番奥、壁一枚隔てた向こう側に特別室はある。楓の木で作られた扉を抜けると、手前半分に監視人が常駐するスペースがあり、奥の半分は独房になっている。
固い岩盤を掘り下げて作られた地下牢はまるで強固な要塞のようで、特別室はおろか一般の房からも、脱獄した者は誰一人としていない。
「簡単には抜け出せないよ」
カイトの考えを読んだように、サイラスが言う。
「知ってます――」
受け流して、再び問うた。
「さっきと質問を変えます。なぜ、ここに閉じ込められるのですか?」
「リリアーナ様がお前を恐れているからだ。ただ、なぜ恐れているかは、お話にならなかった」
サイラスがカイトをじっと見る。
「”カイトはリリアーナ様と距離を置かせる。近付くなと言っても聞かないだろうから、頭を冷やさせるためにも暫く閉じ込める”――イフリートの判断だ。………お前、リリアーナ様を押し倒しでもしたのか?」
サイラスを微細に観察したが、真実を言っているようにしか見えない、というか何を考えているか読めない――。カイトは諦めの溜息を吐いた。
「まあ、それに近い事はしました」
「……それ、言っちゃっていいの?」
そうだ。この事は話してしまった方がいい。リリアーナが話していないのなら、魔法が解けかけている事を誤魔化せるし、例え話していたところで、失うものなど何もない。
「薄々イフリート団長は気付いているだろうし、誰かに話したかったのかもしれません」
「押し倒した事をか?」
「違います。相手を欲しても手に入れらない辛さと、自分に無関心な恋人を持つ哀しみです」
真実が含まれているな……とカイトは自嘲気味に笑った。
「……お前が年齢を重ねたら、リリアーナ様も変わるんじゃないか?」
「いいえ、きっと変わりません。彼女の瞳に俺は映らない……」
特別室に近付いてくる足音が響いてきた。喋りすぎたと話題を変える。
「あの足音は……じいやと団長ですね」
「うん……そうだね」
ギィィィと、扉を軋ませて、じいやとイフリートが入って来た。サイラスが顔を顰める。
「この強烈な臭いは――」
「カイト、やらかしたそうじゃのう………ん? サイラスどうしたんじゃ」
「相変わらず凄い臭いだね」
鼻をつまみながらサイラスが鉄格子の扉を開け、じいやが洗面器の中身をぷんぷん臭わせて入っていく。
嫌そうに洗面器を見やるカイトの前に、どん、と青みどろの膏薬が入った洗面器をこれ見よがしに置いた。
「自業自得じゃ」
「イフリート団長もこれで治療したのか?」
視線を洗面器の中に落とすカイト。
「ああ。ちょびっとだけどな」
「ちょびっと……」
カイトがイフリートを見てムスッとする。見た目も普段通りぴんぴんしてて、カイトと違いダメージは無さそうだ。
目の前の洗面器が強烈に臭うから、イフリートも結構な量の膏薬を貼っている事に、カイトは気付かないだけなのだが……。
悔しそうにイフリートを睨むカイトに、当の本人が言い渡す。
「カイト、暫く頭を冷やせ。リリアーナ様がお前を怖がる理由を明かすまでは、獄中暮らしをしてもらう」
イフリートもやはり表情や態度から、考えを読むことはできない。
「分かりました。というか、私に選択肢はないようですし……」
「まあ、そういう事だ。リリアーナ様が話す気になるまで、休暇だと思ってここにいろ」
「休暇……」
じめじめして薄暗い牢内を見渡す。
「環境は改善してやるから」
口ばかりではなく、本当に改善しようと考えているようで、イフリートの傍にはマットレスがあった。硬い石のベッドの上に敷いてくれるのであろう。
それにしてもまずい事態だ。リリアーナが話さなかったら、ここからは出られない。話したら話したで、”これ幸い”と18才の自分に戻るまで出してはくれないだろう。
それとも、もう話していて、イフリート達はすっとぼけているのか。
カイトは臭う膏薬をぺたぺたと身体に貼られながら、考えを巡らした。
そっと目だけで周囲を窺うと、鉄格子の向こうにはサイラスが立っていて、どうやら自分は独房の中にいるようである。身体を起こそうとして、あまりの痛さに顔を顰めた。
「酷く痛むんだろう?」
サイラスの言葉に大人しく頷く。
イフリートに叩き落された背中は痛いし、最後に殴られた顎は、砕けなかったのが不思議なくらいだ。いつの間にかみぞおちにも食らっていたようで……とにかく身体中が痛みで悲鳴を上げていた。
力が半端ない上、大柄なのに素早く動けるなんて……
「化け物め……」
起き上がるカイトが洩らした言葉にサイラスが微笑んだ。
「もうすぐじいやが来てくれるよ」
「はい……痛っ、」
サイラスに顔を向けただけで、全身に激痛が走り、歯を食い縛った後に黙りこくる。
「どうしたんだい?」
「私はどれ位の間、ここに閉じ込められるのですか?」
「イフリートは”頭が冷えるまで”と言っていたが」
痛まないよう、ゆっくり天井を見上げると、遙か上のほうに小さな明り取りの窓が見える。カイトの跳躍力をしても届かない距離だ。昼間だというのに薄暗いのも頷けた。
「地下の特別室ですね」
「そうだ」
通称”特別室”
一般の囚人は、騎士団の建物内部に併設する牢屋に入れられる。しかし、罪の重い囚人や凶悪犯、他にも脱獄の恐れのある者達は地下牢に収容された。
地下牢は、騎士団本部と宿舎の中間地点、騎士がすぐ駆けつけられる位置にあり、王族の安全のために城からは離れている。
一見、ただの石でできた小屋が平野にポツンと建っているように見える。しかし中に入ると、地下に向かって螺旋階段が深く伸び、上から覗き見ても底は見えない。階段を下りるにつれて、空気は澱み怖気が走り、だんだんと地獄に向かっているような感覚に囚われていく。最下部にたどり着き目の前の扉を開けると、鉄格子が片側にずっと並ぶのだ。
その前を通り過ぎて一番奥、壁一枚隔てた向こう側に特別室はある。楓の木で作られた扉を抜けると、手前半分に監視人が常駐するスペースがあり、奥の半分は独房になっている。
固い岩盤を掘り下げて作られた地下牢はまるで強固な要塞のようで、特別室はおろか一般の房からも、脱獄した者は誰一人としていない。
「簡単には抜け出せないよ」
カイトの考えを読んだように、サイラスが言う。
「知ってます――」
受け流して、再び問うた。
「さっきと質問を変えます。なぜ、ここに閉じ込められるのですか?」
「リリアーナ様がお前を恐れているからだ。ただ、なぜ恐れているかは、お話にならなかった」
サイラスがカイトをじっと見る。
「”カイトはリリアーナ様と距離を置かせる。近付くなと言っても聞かないだろうから、頭を冷やさせるためにも暫く閉じ込める”――イフリートの判断だ。………お前、リリアーナ様を押し倒しでもしたのか?」
サイラスを微細に観察したが、真実を言っているようにしか見えない、というか何を考えているか読めない――。カイトは諦めの溜息を吐いた。
「まあ、それに近い事はしました」
「……それ、言っちゃっていいの?」
そうだ。この事は話してしまった方がいい。リリアーナが話していないのなら、魔法が解けかけている事を誤魔化せるし、例え話していたところで、失うものなど何もない。
「薄々イフリート団長は気付いているだろうし、誰かに話したかったのかもしれません」
「押し倒した事をか?」
「違います。相手を欲しても手に入れらない辛さと、自分に無関心な恋人を持つ哀しみです」
真実が含まれているな……とカイトは自嘲気味に笑った。
「……お前が年齢を重ねたら、リリアーナ様も変わるんじゃないか?」
「いいえ、きっと変わりません。彼女の瞳に俺は映らない……」
特別室に近付いてくる足音が響いてきた。喋りすぎたと話題を変える。
「あの足音は……じいやと団長ですね」
「うん……そうだね」
ギィィィと、扉を軋ませて、じいやとイフリートが入って来た。サイラスが顔を顰める。
「この強烈な臭いは――」
「カイト、やらかしたそうじゃのう………ん? サイラスどうしたんじゃ」
「相変わらず凄い臭いだね」
鼻をつまみながらサイラスが鉄格子の扉を開け、じいやが洗面器の中身をぷんぷん臭わせて入っていく。
嫌そうに洗面器を見やるカイトの前に、どん、と青みどろの膏薬が入った洗面器をこれ見よがしに置いた。
「自業自得じゃ」
「イフリート団長もこれで治療したのか?」
視線を洗面器の中に落とすカイト。
「ああ。ちょびっとだけどな」
「ちょびっと……」
カイトがイフリートを見てムスッとする。見た目も普段通りぴんぴんしてて、カイトと違いダメージは無さそうだ。
目の前の洗面器が強烈に臭うから、イフリートも結構な量の膏薬を貼っている事に、カイトは気付かないだけなのだが……。
悔しそうにイフリートを睨むカイトに、当の本人が言い渡す。
「カイト、暫く頭を冷やせ。リリアーナ様がお前を怖がる理由を明かすまでは、獄中暮らしをしてもらう」
イフリートもやはり表情や態度から、考えを読むことはできない。
「分かりました。というか、私に選択肢はないようですし……」
「まあ、そういう事だ。リリアーナ様が話す気になるまで、休暇だと思ってここにいろ」
「休暇……」
じめじめして薄暗い牢内を見渡す。
「環境は改善してやるから」
口ばかりではなく、本当に改善しようと考えているようで、イフリートの傍にはマットレスがあった。硬い石のベッドの上に敷いてくれるのであろう。
それにしてもまずい事態だ。リリアーナが話さなかったら、ここからは出られない。話したら話したで、”これ幸い”と18才の自分に戻るまで出してはくれないだろう。
それとも、もう話していて、イフリート達はすっとぼけているのか。
カイトは臭う膏薬をぺたぺたと身体に貼られながら、考えを巡らした。
0
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います
こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。
※「小説家になろう」にも投稿しています
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる