黒の転生騎士

sierra

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第十章

私を呼んで 16  無垢な愛

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「何を・・・言っている?」
 カイトが睨みつけると、益々嬉しそうに声高く笑う。
「今言った通りよ。サタン様にあの小娘の魂を捧げるの、きっとお喜びになるわ」

「そんな事はさせない――」
 カイトはカミラに近付くと、片手でその首に手を掛けて、少しづつ力を入れて持ち上げていく。
「旦那様!!」
 ベイジルが驚きの声を上げる。

「俺に殺されたくなかったら、すぐに書斎の扉を開けるんだ」
「いやよ。さもないと私はサタン様から酷い目に合うもの。絶対に開けないわ」
「酷い目に合う位いいじゃないか。ここで死ぬよりはましだろう?」
「ふ・・・ん・・・カイト、クールな騎士だと思っていたのに、リリアーナに心底惚れているのね。あからさまに憎悪のこもった目を向けられて、脅されるなんて思わなかったわ」
「早く開けろ・・・」

 カイトが更に力を込めると、もはや爪先立っていたカミラの身体が宙に浮き始めた。カイトの手を外そうともがいているがびくともせず、その表情が苦しみに変わる。
「いっ・・・いや!! 死んでも開けないわ!」

「なぜだ!!」
 カイトが手を緩めて下におろすと、ゴホゴホと苦しそうに咳をしてその場に座り込んだ。
その時、書斎のとびら上部じょうぶについている、小窓のガラスが砕け散った。

 気付いたカイトがすぐに駆け寄る。
「リリアーナ!」
「カイト・・・」
 20cm四方のその小窓からリリアーナが顔を覗かせた。

「この子を連れて行って」
 リリアーナが小窓からコマドリを差し出した。
「それからこの子はカイトと取り込まれた人達を、元の世界に連れて行ってくれるから、あとについていって」
 今度は尾が長い金色の美しい鳥を差し出した。

「取り込まれた人達の先導をお願い。私はカエレス様に頂いた守護を受けた髪の毛で、書斎のガラス戸を割って非難するから、リーフシュタインで会いましょう」
「この小窓のガラスはどうやって割った?」
「それは・・・守護を受けた髪の毛で・・・」

「なぜバルコニーに通じるガラス戸をそれで破らなかった? そうそう本数は貰ってないだろう?」
「カ、カイトに鳥たちを先に渡さないといけないと思ったから・・・」
「もう守護を受けた髪の毛は残っていないんじゃないのか? 大体、守護を受けた俺の力でもこの扉は開かなかった。リリアーナの髪の毛であのガラス戸が割れるとは思えない」

 見抜かれている――残った髪の毛は全部で三本。うち、一本は逃げる時に使えと言われていたもので、金の鳥に変化した。後の二本ではガラス戸はおろか、扉に付いている小窓を割るのがやっとであった。それでもリリアーナは認めずに答える。
「カイト、誤解よ。皆を先導するのに、中にいるカイトに渡したほうがいいと思っただけ。私はバルコニーからすぐ外に出てしまうから持っていても意味がないでしょう?」

「分かった」
 カイトはベイジルに鳥たちを託した。
「ベイジル、皆を先導してくれ」
 それを見ていたリリアーナが慌てて声を張り上げる。
「カイト! 早くベイジルと行って!!」
「俺はここに残る。君がバルコニーに出るのを見届けてから逃げるつもりだ」
「それでは間に合わないわ!! 早く!」

 カイトが動かないのを見て取ると、リリアーナは泣き出した。
「お願い――早く行って!!」
カイトは小窓から右手を入れると、親指で涙を拭った。
「君はいつも泣いてばかりだな」
 リリアーナも小窓から右手を出してカイトの身体を必死に押す。
「私も後から必ず行くから!!」

 その手を取り、手のひらを自分の口元に押し当ててくちづけた。
「最後まで一緒にいよう」
 リリアーナが息を止め、涙で潤んだ瞳でカイトを見つめる。
「カイト・・・」

 腹立たしそうにその様子を見ていたカミラにベイジルが話しかける。
「奥様――」
「何よ、ベイジル!」
「ポーレッ・・・いや、リリアーナの魂の代わりに、わたくしの魂ではいけませんでしょうか?」
「はあ・・・?」
わたくしは実の娘を亡くしてから、生きるのが辛くて仕方がありませんでした。今さら現世に帰っても生きていく自信がありません。どうせ朽ち果てるのなら、この世界での死を望みます」

「ベイジル! 駄目よ!!」
 リリアーナが必死に言い募る。
「そんな事、娘さんは望んでいないわ!」
 ベイジルが振り返ってポーレットに近付いてきた。カイトが場所を明け渡すと、小窓から覗き込む。

「君は私をひと時幸せにしてくれた。それで充分だ」
「サタンに魂を捧げるという事は、地獄の業火に焼かれるのと一緒で、きっと輪廻転生ができなくなるわ!」
「それでもいい。君の代わりなら」
「生き返って娘さんに会えなくなるのよ!?」
 ベイジルはリリアーナが首を振るさまを見つめながら、優しく微笑み頷いた。

「みんな頭がおかしいんじゃないの!!」
 カミラがいきなりわめきだした。
「何で他人の為にそんな事ができるの! 本当は自分が可愛いんでしょう!? 私は分かっているのよ・・・そうよ、そうだわ、カイト、リリアーナも、ベイジルを身代わりにすればいいのよ。そうしたら二人共、現世に帰っていつまでも幸せでいられるわ」

 カイトがいぶかしげな顔をする。
「君は一体何がしたい? 何を証明したいんだ?」
「証明したいって別に・・・」
「俺達は他の者を身代わりにはしない。そんな事をして助かっても後悔が残るだけだ」

「いいじゃない、自分が幸せなら!」
「人の不幸の上に成り立つ幸せなんて、砂上さじょう楼閣ろうかくと同じだ。やがては崩れ去る」

「そんな事はないわ!! この世は人の不幸の上に成り立っているの! 自分が幸せになる為には、どんな事をしても許されるのよ!!」

「カミラ、君は人を愛したり、愛された事がなかったのか? この人の為なら何でもできると思った事は・・・?」

 カミラの視線が何かに行き着きそこで止まると、酷く打ちひしがれたか細い声で呟いた。
「一度だけ・・・愛したことなら・・・一度だけ・・・。両親は借金の形に私をシュぺー伯爵に無理矢理嫁がせようとしたの。恋人がいたのに・・・でも、彼が『一緒に逃げよう』と言ってくれて、嬉しかった・・・彼は貧しかったけど、愛していたから」
 カミラはか細い声のまま話を続けた。

 「冬の寒い雪の日で、ずっと待っていたのに・・・彼は来なかった。やがてやって来たのは私の父親で『奴は来ない。金を受け取って遠くへ逃げた』って・・・家に連れ戻されたけど、迎えに来てくれるのを待ったわ。初めての恋だったし信じていたから」
 遠い昔を思い出すように、目を細める。

「でも、父の言ったことは本当だった。知り合いが教えてくれたの『商談で訪れた遠方の町で、若い女性と幸せそうにしていた』って・・・私の胸は張り裂けそうになった」
 カミラの瞳が悲しみに陰った。

「夫になったマクシミリアン(シュぺー伯爵)も、子供を生んで、お飾りになってくれる女性が欲しかっただけ。でも、生まれた子供は可愛くて・・・やっと心から愛せる者を手にしたのに、マクシミリアンに取り上げられてしまった。伯爵家の跡取りを育てるのに私は相応ふさわしくないから、義母に育てさせるって」
 憎々しげに歯軋はぎしりをする。

「でもいいの。どうせあの子もあの家の人間になるんだから、あの父親と同じような男になるの。男なんて、愛を奪うばかりで、何一つ与えてはくれなかった。期待するだけ馬鹿をみるの」
 そしてカイトに視線を向けた。

「カイト、私はあなたの一途さが許せなかった・・・リリアーナへの一途さを嫌悪したの。貴方からリリアーナを奪い取り、お互いを想い合っている、そんな愛はまやかしだと証明したかった」
 カミラが自分をあざけるようにくすりと笑った。 

「結局失敗したけれど、でも貴方達がまれなだけ・・・愛なんて嘘ばかり。私は絶対に認めない、みんな自分だけが可愛いの。他人なんてどうでもいいの」

「君の息子・・・ジェイミーだけど」
「ジェイミー・・・あの子を知っているの・・・?」
「ああ、あんな事の後だから(カミラは罪を犯して火刑になった。詳しくは第四章です)何度か心配で様子を見に行った事がある。君の義母がしっかり育てているよ」

「そう・・・」
「気にならないのか?」
「別に、この話をするまで忘れていたわ。元々子供は苦手だし」
「最初は俺の事を警戒していたけど、何度か会うたびに打ち解けてきて」
 カイトがカミラを見つめ返す。
「『今でもお母様のことが大好き』って教えてくれた」

「嘘よ。そんなの――」
「本当だ」
「殆ど会っていなかったのよ? 私があんな事件を起こして、肩身が狭いはずだし`大好き ‘ なんてあり得ない」

「君の義母の前では気を使って態度に表していないけど、俺と二人きりになると宝物を見せてくれた」
「宝物?」
「君の髪留めとか、リボンとか、姿絵もあった。凄い美人だったって自慢をして・・・」
「嘘!」
「嘘じゃない。絵本を読んでくれたことがあるとか、抱きしめてくれるといい匂いがしたとか」
「嘘よ! そんなの信じない!!」
「なぜ信じないんだ? 絵本を読んだ時、抱きしめた時、そこには息子に対する愛があったんだろう? だからジェイミーも君を愛した。君からの愛を感じたから」
「私からの愛・・・」
「ああ」

「絵本を読んだ事なんて・・・数えるほどしかなかったのに・・・」
 カミラの瞳から涙が溢れてきた。
「もっと抱きしめておけば良かった・・・」
 
 愛を諦めるしかなかったカミラの悲しみを、息子の無垢むくな愛が癒した。あたたかい涙を思い出した瞬間ときだった。自らの裁きと救いの狭間はざまで、償いの一縷いちるの望みを託すかのように、カミラは震えるその手で、カイトの手をとった。

 書斎の扉が静かに開く――

「リリアーナ!!」
「カイト!!」
 はやる気持ちで駆け寄る時間さえもどかしく、すぐに二人は抱きしめあった。
リリアーナの顔を仰向かせ、愛おしそうに見入るカイト。すぐに顔を近づけてその唇にくちづける。

「お楽しみのところ悪いけど、すぐに逃げたほうがいいわ。ベイジルの言った通り火の周りが早いし、この状況をどこからか見ていて、リリアーナの魂を手に入れられないと知ったサタンが、きっと攻撃をしかけてくるから」

 炎が矢へと姿を変え、リリアーナに向かって飛んできたのを、カミラが叩き落した。


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