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第3章 渇き
第28話 人形
しおりを挟む息を切らして僕は懸命に走った。
ご主人様の家について慌てて入ろうとしたが、鍵がかかっていた。僕はなりふり構わず扉を叩く。
「ご主人様! ご主人様いらっしゃいますか!!?」
ドンドンドン!
ガチャガチャガチャ!
駄目だ、返事がない。
僕はわき目もふらずにカギを小規模な魔術で壊して中に入った。
しかし家のどこを探してもご主人様はいない。
――どうしよう、町の方中心の方に……?
僕はほぼ錯乱していた。
更に爆発音が響き渡り、今度は煙が立ち上り始めた。
右往左往と僕はおろおろとしていると僕を呼ぶ声が聞こえてくる。
「ノエルー!」
呼ぶ声のする方を見るとレインが飛んできているのが見えた。
「捜したよ。ぼくのこと置いていくなんて酷い!」
「ごめん。でも危ないから隠れていてレイン」
「ぼくもノエルの手伝いする!」
レインが僕の肩に降り立った。
レインを説得している時間がない。このまま連れていこうと僕は諦めた。
僕はガーネットと共に町の中心へと走り始める。
ひたすら走った。
僕の長い赤い髪が乱れる。
――ご主人様、ご主人様はどこへ……? ご主人様、ご主人様……!!
先ほどまでの落ち込み様など嘘かのように感じた。脇目も振らないとはまさにこのことなのかもしれない。
町の中心部へ行くと、燃え盛る炎と崩壊している家屋、そして法衣を着ている魔女の姿が見えた。
それも数人ではない、大人数だ。
町の人たちが何人か倒れている。
その中にご主人様がいないかどうか、酷く動揺しながらも確かめた。
僕が走って近寄ったのを察知すると、ひとりの魔女が僕の方を振り返る。
顔に爛れのある、そちら側の顔を髪の毛で必死に隠そうとしている魔女だ。
「あーら、ノエル……会いたかったわよぉ?」
彼女は憎愛に満ちた表情でを僕をねっとりと見つめる。
それは笑顔とも怒りともとれない感情であったが、僕はその顔に見覚えがった。
「お前は……」
◆◆◆
【3年前】
「早くこの化け物を元の檻に戻しなさい!」
ゲルダの甲高い声が響くと、他の魔女はゲルダに頭を下げた。
永遠に続くと思われるほどの拷問が終わると、白い髪の魔女が僕の怪我を治し、沢山の魔女たちは僕を厳重に拘束し、まるで荷物を運ぶかのように雑に扱い、いつもの厳重な檻に戻そうとする。
僕は別に逃げたりしない。
逃げようとすら思わない。
逃げてもどこに行ったらいいか解らないし、逃げたところでそこで生き続ける理由も僕はない。
このままここで殺されるのだろう。
それも僕は甘んじて受け入れていた。考えることすら煩わしいことだ。
「本当に気持ち悪い」
「魔族との穢れた血」
「こいつのせいでゲルダ様はおかしくなった」
そんな罵倒の声も、もう聞き飽きるほど聞いてきた。
もうただの雑音と同じだ。意味なんて大して理解できない。
心が死んでいても実験の疲労感はすさまじく、身体がボロボロになっているのは理解していた。
――そんなこと、どうでもいい
僕は何重にも巻かれた魔術式の組まれた鎖や、魔術のかけられた血まみれの拘束衣、重く冷たい床も、何もかも感じなくなってしまえばいいと思っていた。
そんなことを感じる身体なんて捨ててしまいたい。
死んだらどこへゆくのだろう。
人間が考えた地獄や天国があるのだろうか。だとしたら、僕はきっと地獄にいくのかもしれない。
そう考えている中、僕は牢屋に乱暴に入れられ、部屋にある鎖につながれた。
「…………」
黙って抵抗しない僕を見下して、何人かの魔女は話しながら出て行った。
「ねぇ、結構きれいな顔してるわよね? 壊れちゃったらあたしがもらってもいいかしら?」
「あんたも悪食ね。ゲルダ様に殺されるわよ」
「本当。クロエ様のほうがいいわ」
「あたしはクロエよりほかの魔女の方がいいわ」
遠くなっていく声が聞こえなくなったころ、静寂が訪れた。
僕が腕を動かすたびにジャラ、ジャラと鎖が重く冷たい音を奏でる。
僕は意識を早々に手放して、冷たい床に身体を委ねた。
どれほどの時間が経ったのだろう。
気が付くと僕は顔に強い衝撃を受けて目を覚ました。
「起きなさい」
蹴られたのか殴られたのか解らないが、そうされたのは解った。
ここには随分長いこといるが、そのどの魔女の顔も覚えられない。同じような恰好をしているし、同じような顔をしているように見えた。
唯一判別ができるのは、白い髪と白い法衣の治癒魔術を使う魔女。
いつも僕の酷い傷をたちどころに治してしまう。
しかし、その能力よりも目につくのが彼女が酷く怯えている様子だ。他の魔女に虐げられているのは容易に見て取れた。
時折泣きそうな顔をして僕の方を見つめてくる。
少なくともその魔女ではない魔女が、僕を強引に連れて足早に歩く。間もなくして鎖を引っ張られて僕は連れて行かれた。
その先で会話する二人の魔女が目に入る。
「ねぇ、ロゼッタ? あんまり顔は傷つけないでよ」
「うるさいわよ。どうせこの化け物は傷痕すら残らないんだからいいでしょ。リサ」
二人の魔女が連れてこられた僕を見て、リサと呼ばれた魔女は飛び切りの笑顔を見せ、ロゼッタと呼ばれた魔女は嫌悪感を露わにした。
リサは法衣を着ておらず、フリルを多くあしらったピンク色のドレスを纏っている。
金の髪を縦に巻き、頭には小さな帽子を飾りでつけている。睫毛は大きく反っており、目元に派手な化粧をしているのが目につく。
リサは僕にかけより、強く抱き着いた。
わざとらしいキツイ匂いがした。花のような、蜜のような香りだ。
「あたしが連れて行くからいいわ。あんたは下がりなさい」
「はい」
リサが僕にべったりとはりついて離れる様子はない。しきりに僕の髪を撫でたり、匂いをかいだりしている。
その行為に酷い嫌悪感を僕は感じていた。
「もう……ちゃんとお風呂に入れないと。せっかく綺麗な赤い髪なのに血でべったり。あたしが今度お風呂に入れてあげるわ」
「リサ、趣味が悪いわ。人形遊びは部屋でやりなさいよ」
「これはあたしの人形よ」
ロゼッタはやれやれといった様子で額を軽く押さえ、髪をかき上げた。その顔は美しく、白い肌が煌めている。
「今日は吸血鬼族との実験をするの。離れなさい」
吸血鬼と呼ばれたその魔族はまだ若そうな男性の吸血鬼だった。
気絶しているのか、死んでいるのか解らない。しかし、かすかに胸部が上下している様子から呼吸を感じる。
金色の髪と、白い肌にいくつか深い傷が見受けられる。
「吸血鬼ぃ? それと何をするって?」
「吸血鬼族との交配をするのよ。翼人と魔女、吸血鬼の血が混じった子供がどうなるのか調べるの。魔術で成長過程を調整しながらなら理論上可能なはずよ」
ぼんやりと聞こえてくる言葉の意味を、僕は理解していなかった。
コウハイとは一体何をするのだろうか。しかし、血を混ぜるという言葉から、また僕の血を使った実験をするのだろうと考えていた。
「服を脱ぎなさい」
ロゼッタは僕の拘束衣や鎖を乱暴に脱がそうと力ずくて引っ張った。
「ちょっと……交配ですって? それに拘束衣をほどいたら……」
「大丈夫よ。全然抵抗しないし、あたしは拍子抜けしてるくらいなの。もっと凶悪で酷い魔女だと思ってたのに」
鎖の鍵の施錠をロゼッタが外し始めようとすると、リサはロゼッタを強引に引きはがした。
「駄目よ。させないわ」
先ほどまでの猫なで声とは全く違う鋭い声で僕の前にリサは立ちはだかった。
それを見てロゼッタがいらだった顔でリサを睨みつけた。
「どういうつもり? これはゲルダ様にも許可をもらっているわ」
「ノエルとこんなどこのなにとも解らない低俗な吸血鬼と交配実験するなんて、許さないわ」
「なに? リサ。こいつを庇ってるの? あんたおかしいわよ?」
「言ったでしょ。コレはあたしのものなの」
そう言い合いをしている魔女を他所に、僕はぼんやりと吸血鬼の方を見ていた。
綺麗な顔をしているのが見えた。
僕がその吸血鬼の方をぼんやりと見ている内に二人の魔女はどんどん激しくなっていく。
「コレはゲルダ様の実験動物よ!? いい加減にして!」
「そっちこそコレの価値を解っていないわ!」
ロゼッタが魔術式を構築して水を操り始めた。
対抗してリサも魔術式を組む。途端に過激に争いだした二人を僕は生気のない目で見ていた。
吸血鬼族が巻き込まれてしまうかもしれないと僕はそのとき考えた。しかし思考がまとまらない。度重なる実験の影響か、どうしても思考がまとまらなかった。
僕のことをコレとか、ソレとか呼ぶ彼女たちに苛立つことすらない。
「なにをしているの」
今にも魔術のぶつけ合いを始めそうな二人の間に割って入ったのは、頭に大きなリボンをつけている魔女だった。
冷たいまなざしでいがみ合う二人の魔女と僕を順番に見る。
僕を拘束する鎖や拘束衣に魔術をかけた張本人、拘束魔術を得意とするフルーレティだ。
「フルーレティ! 吸血鬼との交配をさせるなんて、本当にやるつもり!?」
「交配? 私はそんなこと聞いてないわ。ゲルダ様に許可は取っているの? そんな大々的な実験聞いていない」
「もらっているわ。あとはもう残りの翼を引きちぎって殺すだけなのでしょう?」
そうか。やっと僕は殺されるのか。
それは安堵の気持ちに似ていた。
やっとこの地獄から解放される。
その気持ちは僕にとっては安堵だった。
リサとロゼッタは魔術式を消す。一先ずは僕も吸血鬼も巻き込まれずに済みそうだ。
「それはゲルダ様が決めるわ。しかし……交配実験なんて……危険よ。確認してくるから一先ずは檻に戻しておきなさい」
「……解ったわ」
ロゼッタは渋い顔をしながら僕の首輪の鎖を乱暴に掴み、檻の方へと戻して再び壁の鎖と繋げた。
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