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第3章 渇き
第32話 取引
しおりを挟む「お前……?」
その声は、僕の脳を麻痺させるような気がした。
身体の奥から脳に突き抜けるような嫌な感じが込み上げてきて、僕の思考を奪う。
「……おい、連れてきたぞ」
ガーネットは何やら気まずそうな声で僕にそう告げてくる。
僕は振り返りたくなかったが、ゆっくりと振り返った。
ガーネットと一緒にいるご主人様が目に入る。解ってはいたが、その姿に言葉が出てこない。
動揺しているご主人様の顔を見ると、先ほど「顔も見たくない」と言われたことを鮮明に思い出す。
「お前…………魔女……なのか? その翼は……」
「…………………」
なんて答えていいか解らなかった。
ただ、言葉を探して口を開こうとすると目頭が熱くなって涙が溢れた。
僕はバケモノで穢れた血だから。
そう言葉にならない苦痛が涙として頬を伝っていく。
「……っ」
――あぁ、泣いている場合じゃない。まだ魔女がいる。全員始末しないと……
僕は向き直ってロゼッタの方を向いた。
思い出の何もかもが歪んでいく。楽しかった日々も、全てがにじむインクのように塗りつぶされて行く。
ロゼッタを見据えなければならないのに視界が涙で歪んでいて前が見えない。
「穢れた血の化け物が……やっぱりあんたは災厄よ。『始まりの魔女』のイヴリーンと同じ。タチの悪い最低最悪の魔女……!!」
「…………そんなこと解ってる」
僕はありとあらゆる魔術式を構築した。
「もう逃げられないよ。これでお前は死ぬ」
そして僕はそれをロゼッタに向けて放った。
ドォン!!!
ものすごい音と、砂煙が立ち上った。
ご主人様に言い逃れをするつもりはなかった。したところで弁解できるつもりもない。
僕が魔女ですらないこと、人間とは到底呼べないものであることを僕から説明することはしたくなかった。そんなのあまりにも残酷すぎる。
「おい……」
ご主人様が近づいてこようとする音が聞こえた。
信じられない気持ちに支配される。
僕が魔女だって解ったのに、それでも僕に近づこうとするなんて。まるでいつものように、僕のことを人間だと思っているかのように。
――なんで? なんで僕に近づこうとするんですか……?
咄嗟に出た言葉は、その不信感への恐怖がにじんでいた。
「……来ないでください」
僕の声は震えていた。
砂煙が辺り一面包み込む。
このまま消えてしまいたい。
ご主人様にこんな姿を見られて、僕はもうこれからどうやって生きていったらいいか解らなかった。
「気持ち悪いって……思っておいででしょう。僕は魔女でもない。でも魔族でもない。まして人間なんかじゃない」
そう告白する言葉が自分を深く傷つける。
震える声で懸命にそう伝えると、胸が潰れそうだった。
「ずっと……騙していて、ごめんなさい」
僕の眼から幾度も流れた涙は頬を伝って流れ落ちた。
今、ご主人様がどんな顔をしているのか恐ろしくて振り返れない。
僕は砂煙を風の魔術式で払った。
砂煙が去って視界が晴れたそこにあったのは見るも無惨なロゼッタの姿――――
ではなく、複数人の魔女。下位の魔女ではないことは見て分かる。
僕の魔術は相殺されてロゼッタは生きていた。
「あーら、ロゼッタ。随分酷いありさまじゃない?」
「うるさい……シャーロットのところに早く連れていきなさい……」
逃げようとしているロゼッタを僕は涙を拭って見据えた。
――逃がさない……ここで見せしめにしてやる。二度とこんなふざけた真似はさせない……
「ガーネット、そのまま彼から離れないで」
「ちっ……」
ガーネットは不服そうに舌打ちをする。
「おい、ふざけるな。話を聞け!」
僕はご主人様とガーネットを木の檻で覆った。
そしてその上から分厚い氷で覆い、さらに土でも覆う。
そうして大きな分厚い檻が出来上がった。生半可な魔術で吹き飛ぶようなものではない。
きっと中でご主人様は僕に対して暴言を吐いているということは容易に想像できたが、僕は聞きたくなかった。
どんな汚い言葉で、どんなに恐ろしく冷たい言葉で僕を咎めるのか想像するほど恐ろしく感じた。
僕は全員八つ裂きにして吹き飛ばしてしまおうと思い、魔術式を構築し始めた。
「……待ちなさいよ。取引する気はない?」
大きな水色のリボンを揺らしながら、フルーレティが僕にそう問いかける。
「…………取引って何?」
「あなた、シャーロットに用があるのでしょう?」
僕はただの時間稼ぎかと思い、より精密で巨大な魔術式を話の最中にも構築し続けた。
高エネルギーの一点集中の魔術式だ。これを放てば骨も残らない程の強力な破壊魔術式。
「それがなんなの……? くだらないことを言ったら即座に殺すよ」
「あなたが連れていた魔女のキャンゼルに聞いたのだけど、あなたのお気に入りの奴隷が病気なんですって?」
シュンッ
高エネルギーの光線がその魔女のリボンに穴をあける。しかしその魔女は顔色一つ変えずに淡々と僕に向かって話しかけてくる。
「図星なのね。シャーロットならどんな状態でも大体治せるから、その奴隷の病気も治せると思うわ。だからそれと引き換えにあなたがゲルダ様にその身を捧げるっていうのはどうかしら? 悪くないんじゃない? ずっと隠れていたあなたがわざわざ探しにくるなんて余程大切なのでしょう? 察するところ、あなたの後ろにいた人間がそうだと思ったけれど?」
僕はその取引に心揺らいだ。
――ご主人様のお身体が治るなら……もう僕は自分なんてどうなったって構わない……
「魔女は嘘つきだから……本当に治してくれるか解らない。信用できない」
「なら、あなたが大人しくしていれば目の前でシャーロットに治療させましょう。それならいいでしょう? どうせあなたなら簡単に他の魔女を殺せる程の実力があるのだから」
僕の構築している魔術式はどんどん複雑に、そして大きくなっていく。
もしかしたら山の一つや二つは簡単に消し飛ばせるほどかもしれない。
シャーロットの実力は解っている。
いかなる傷もたちどころに治す治癒魔術を扱っている。しかし、病理に対する治癒魔術の腕は解らない。
「シャーロットの実力がどれくらいなのか解らない。そんな危険な賭けはできない」
「じゃあ見せてあげるわ。それまでその巨大な魔術を暴発させないようにしておくことね」
リボンの魔女が他の魔女に目配せすると、後ろからシャーロットが現れた。
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