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第4章 奈落の果て
第68話 変わってしまった世界
しおりを挟む数日後、家にこもって研究書を見直しているさ中、私は諦めてしまうにはまだ早いと思っていた。
向こうの世界で争いをしていても、争いとは関係のない場所で暮らせばいいと考え、魔女から身を隠すための術式と、魔族だということを隠すため翼を隠す術式を作り出した。
その間、私はしばしば向こうの世界と異界を行き来して調査を進めていた。
むこうの世界で歴史の本を手に入れてきて異界に戻り読みふけったり、人間として向こうの世界で人間に聞き込みをしたり。
「私が研究をしていた長い間……こんなに歴史は変わってしまっていたのか……」
本を読んでで分かったことは、イヴリーンは人間の為に命を捧げて人間を守る魔術を作ったという事、そして人間の支配がはじまった。
その後イヴリーンが魔女に課した魔術を破ると同時に人間の支配から逃れ、今度は魔女が人間を支配しようとしているまさにその最中のようだった。
争いの火種として隔離された魔族の立場がないと私は思った。
結局争いが始める。
「うまく隠れたか……?」
私は自分の翼を魔術で自分の身体に模様として翼を隠し、以前調達した向こうの世界の服を着た。それは人間が着る正装の服。
手早く準備をして、向こうの世界の扉を自分の家の中に描いたものに血液を垂らし、術式を発動させ、その中に私は踏み出した。
異界の扉をくぐるのは相変わらず体に負担がかかって体力を消耗する。
出た位置は、まだ緑が残っていて美しい森の中だった。
土の香りや木々の香りがする。空を見上げると深い群青色の空があるはずが、厚い雲に覆われていて灰色に濁っていた。
いつものように扉を閉め、自分が住めそうな場所を本格的に探そうとこちらの世界に来たところだ。静かな、誰もいないところで独りで暮らしたい。
「ふぅ……この辺りなら……――――」
「あなたは……?」
私は驚いた。
ふり返ると赤い髪をしている美しい女性が立っていた。
もちろん突然声をかけられたこと自体に驚いたが、更に私を驚かせたのは彼女が魔女だったということと、その姿だ。
短い髪は泥に汚れ、身体は傷だらけになっている。
――扉を見られたか?
「あぁ……私は――――」
「話を聞いて! 私は争いに来たんじゃないの!」
何の話か解らなかった私は呆気に取られていたが、遠くから何か別の人間の声が聞こえた。
「こっちに逃げたぞ!」
「魔女だ! 気をつけろ!」
その人間の声を聞いた彼女は焦ったようにおどおどと周りを見渡す。
「お願い、見逃して。私は争いなんてしたくないの」
その言葉を聞いて、自分の想いと重なった瞬間何が正しい行動なのか理解する。
どういう状況なのか察した私は、彼女の腕をとり木の陰に隠れて人間たちをやり過ごした。
数人は手に刃物や鈍器を持って血眼になって探している様だった。
先ほどまでの反応からして、どうやら異界との扉は彼女は見ていないらしい。私が魔族だということもおそらくは解っていない。
「何があった?」
人間が走って行くのを見送りながら、私はその赤い髪の魔女に尋ねた。
「あなたは私を……殺そうとしないんですか?」
「私はこのあたりの者ではないし、争いは嫌いな性分でね」
改めて彼女を見ると、おびえた様子で震えている。
何故人間にこんなに怯えているのだろうか。魔女であるなら人間など、恐れるほどのことはないはずだ。
「魔女なんだろう? どうなっているんだ?」
「あぁ……えっと……他の魔女が殺しに来るから、逃げてくださいって言っている最中に魔女がきて……私も魔女だってばれてしまって説得しようとしたんですけど……あははは」
苦笑いをしているが、彼女は服も破けそこら中傷だらけでとても笑えるような状況ではなかった。
行っている内容も全く笑えない。
「そんなことをして、君が魔女に追われることになるんじゃないのか?」
「自分のことは自分で守れますけど、人間は魔女相手ではなす術がありません……私たちは争う必要なんてないんです。でもみんなわかってくれなくて……」
私は信じられない気持ちでいっぱいだった。
自分以外の者は魔族だろうが人間だろうが、他のなんであろうが争うことしか考えていないのだとすら思っていたからだ。
身を縮めて小さくなっている彼女を見て、尚も哀れに思った。
――正しい者は、どうして救われないのか……
「この辺りで安全な場所は解るか?」
「森の奥なら獣を恐れて人間は来ないはずですが……」
「手当するから、肩に捕まりなさい」
そうして私は赤い髪の魔女に肩を貸し、森の奥へと入る。
森の中は少し暗く、人気はなかった。小さな動物たちや鳥が我々の気配に気づき、隠れたり逃げていったりする姿が見えた。
私は木の根の部分に彼女を座らせ、身体の状態を確認した。太陽光が丁度差し込み、彼女の傷の状態がよく分かった。異界の暗さに目が慣れている私には眩しすぎるほどだ。
左腕が青く腫れあがっていて、折れているような印象を受ける。身体中刃物で切り付けられたような傷があちこちについていた。
「酷いな……」
応急処置しかできなかったが、折れているであろう腕をまっすぐな枝で挟み、植物の蔦を巻き付けて固定した。彼女は痛がるそぶりを見せたが音を上げることはなかった。
「こんなにされても、まだ説得しようとするのか?」
「説得……できませんかね……魔女も、人間も」
「私はできるとは思わないが」
傷口につけると治癒を促進してくれる薬草が運よく近くに生えていたので、それを彼女の傷口に貼った。
「あなたは……何者なんですか?」
「私は……その……」
魔族だという訳にもいかないし、かといって咄嗟に人間だと言うのに躊躇いを感じる。
「セージだ」
「自己紹介もまだでしたね。私はルナと言います」
笑った顔が美しく、まるで太陽のように眩しかった。異界にはこんな美しい者はいない。
いや、こっちの世界にもこんなに美しい女性はそういないだろう。
「あの、良かったらまたお話相手になってもらえませんか?」
「あ……まぁ、たまにならいいだろう」
「本当ですか!? 優しい人間の方と会えて嬉しいです」
ルナが真っすぐな目で私を見つめてくると、その輝いて美しい赤い瞳を正視できずに目を逸らした。
自分と同じ考えの者がいたということで私は嬉しくなり、ついそう答えてしまった。
「この辺りの森は平和そうだ。この辺りにいるから、いつでも来なさい」
「はい、セージ」
これが私とルナとの出会いだ。
私は出来るだけ向こうの世界で生活することにし、家を建て、生活を始めた。
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