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第4章 奈落の果て
第70話 別々の世界
しおりを挟む【5年前 ノエル】
僕はセージの話を聞いていて、僕自身の知ってる母さんと随分違う印象を受けた。
僕の知っている母さんはもっと落ち着いていて、大人っぽい女性だったはずだ。そんなふうに無鉄砲で子供のような姿は想像ができない。
「母さん、全然違う感じがする……本当にそんなだったの?」
「ほっほっほ、そうだな。ルナが無鉄砲なのは変わらなかったが、ノエルを産んで、母としての自覚が芽生えたからだろうな」
「僕を産んでから……?」
「あぁ、そうだ。女は弱いが母は強いもんだ」
自分の非力な手と、まだ発展途上の自分の三枚の翼を見て弱い自分を感じた。
両親を守れた程の力が僕には潜在的に備わっているとセージに言われたけれど、でも僕はそんなの実感できなかった。
確かに魔術の使い方を教わらなくても知っていた。呼吸をする方法を生まれながらに知っているように。
「僕もお母さんになったら強くなるかな?」
そう言うと、セージは難しい顔をして僕を覗き込んだ。膝の上の僕は覗き込んできたセージの顔を見つめる。
「どうしたの? セージ」
「お前を簡単に男にくれてやるわけにはいかない。悪い虫がついたら困る」
「それ、父さんも言ってたけど悪い虫ってなに? 虫さん悪くないよ?」
「ほっほっほっほっほ、確かに虫さんは悪くないな。悪い虫というのは悪い男のことだ。可愛い娘を悪い男に渡したくないのが父親の心情なんだ」
そう言われて、父さんのことを思い出す。
父さんのときと全く同じ返事をした僕は恥ずかしくなった。
――悪い虫ってそういう意味だったのか……
しかし、悪い男がつくというのはいったいどういうことなのだろうか?
その具体的な意味が分からなくとも、セージに馬鹿にされていることだけは解った。
「もう、セージ! 笑わないでよ!」
「ほっほっほ、その威勢の良さなら悪い虫はつかなそうだな」
むくれている僕の頭をセージは撫でてくれた。軽くあしらわれ、子ども扱いされて僕はセージの膝の上で暴れる。
「すまない。そう暴れるなノエル」
「僕は子供じゃない!」
「あぁ、そうだな。だからいつか好きな男の人ができたら、私に報告しなさい。ろくでもない男だったら私が叩き直してやろう」
僕にはどうにも解らないことがあった。
その『好き』という感情がよく解らないということだ。
だから僕にはイヴリーンが人間にそこまで熱心だった気持ちが解らなかった。やっぱりどう考えても不合理なことばかりで僕には理解できなかった。
「好きってどういうこと? 僕がセージのこと好きなのと違うの?」
「あぁ、そうだな……それとは違う。もっと……こう……正気を失うような狂気と紛うようなものというか……」
「えっ……それって、いいことなの?」
「ほっほっほ、ノエルにはまだ早いな」
「子ども扱いしないでよ!」
また僕がセージの上でひとしきり暴れた後に、セージは話の続きを話し始めた。
◆◆◆
【セージの回想】
私は瞬時に沢山のことが脳裏に駆け巡った。
魔女が異界にいるとなれば、八つ裂きにされてしまうということ。
タージェンに見られてしまったということ。
異界の扉を早く閉めなければならなかったということ。
ルナに私が人間ではないということがばれてしまったということ。
両者になんと説明したらいいか解らないこと。
「お、おい……セージ……どういうことだ……」
「あぁ、これはその……」
タージェンはルナが魔女だということは解っているはずだ。当然、魔女が魔族にした仕打ちもよく知っている。
そして、成長に連れて魔女への怨恨を周りから吸収して募らせていた。
「魔女……!」
素早く近場にあった木材を乱暴に掴み、タージェンは腰を低く落として構えた。すかさずルナに向かって飛びかかった。
「タージェン! よせ!」
私がそう言ったときにはもう既に遅かった。その木片はルナの頭に直撃した――――かと思われたが、その木片は一瞬で灰になり、2人の間を舞った。
魔術式を構築するのも見えないほどの速さで、一瞬何が起きたのか解らなかったほどだ。
「なっ……」
「あ、争う気はありません! お、お……落ち着いてくださ――――」
タージェンはルナの話を聞こうとしなかった。タージェンとルナは別々の言語で話していたが、タージェンはむこうの世界の言葉は解ったはずだ。
全く聞く気がないタージェンはルナの首に手をかけようとした。
しかし、ルナはタージェンの手を空中に浮いている無数の水で軌道をそらし逃れる。
目にも留まらない速度でタージェンの手は水に弾かれ、ルナに到達できない。
「よせと言っているだろう!」
私は実験用に部屋に置いていた植物を成長させ、タージェンの身体に巻き付けて動きを封じた。それだけでは力の強い彼は植物を破壊してしまうだろう。
だから炭素を多く含むその植物の炭素の結合を強固で安定したものにし、硬化させた。
植物はその硬化した美しい結晶だけを残し、タージェンの身体をしっかりと固定している。
不格好なオブジェのように固定された彼は抜けだそうともがくが、それは能わない。
「馬鹿者。私がよせと言ったらよせ」
私は足早にルナの後ろの魔術式を解除し、扉を閉めた。
ふり返って2人を見ると、これを説明するには物凄く時間がかかることを察する。
――さて、何から話すべきか……
ルナはタージェンを拘束している物質を興味深そうに見ている。
緊張感のない魔女だ。しかし、あの一瞬でわかったが、相当な魔術の潜在的な素質がなければあれは成しえない。
魔女の女王候補というからにはやはり実力のある魔女だ。あれだけ人間相手に傷だらけになってるのがまるで嘘のようだった。
「これ、ダイヤモンドですよね? ダイヤモンドもそうですけど、私はこっちの翼の方が気になります」
翼をばたつかせている彼は穏やかではない。
そんな様子は他所に、ルナはタージェンの翼に興味津々の様子で手を顎に当てながら観察している。
「ルナ、何から話していいか解らないが……私たちは昔、イヴリーンからあちらの世界から隔離された魔族なんだ」
「まぞく……魔族って……ことは、じゃあここは異界ですか?」
「あぁ、そうだ。そこまで解っているなら、他のことも解るか?」
「えーと……詳しいことは知らないです。異界なんておとぎ話か何かかと思っていましたし……でも、さっきから魔族の言葉で話しているので、なんとなくは」
「なに? 魔族の言葉が解るのか?」
「ええ……そのおとぎ話のような本に載っていた程度の言葉しかわかりませんが……」
驚いた。向こうの世界でも魔族の言葉が残っていて、それを知っている魔女がいるなんて思いもしなかった。
率直に言って嬉しかった。
私たちが向こうの世界を忘れていなかったように、向こうの世界も私たちを忘れていなかった。
「では……むこうの言葉で話そう」
私はタージェンを見つめながら、まだ暴れそうな様子だったのでそのまま話を聞かせることにした。
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