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海に行くつもりじゃなかった
しおりを挟む海に行こう。そう思ったのは何でだったかな。
夏休みは既に中盤に差し掛かってる今日この頃、僕は気の置けない友人と旅行に出たり買うだけ買って棚の肥やしにしていたゲームをやりつくしたり女の子と遊んだり免許の合宿に行ったりとまあ慌ただしい毎日を送っていた。
下手すりゃ学校があるときよりも忙しい。そうなると不思議ちゃんとこに行く頻度も減ってて週に二、三回だったのが今じゃ二週に一回程度になっている。こりゃいかんとも思うんだけどよくよく考えたら僕ら、別に恋人じゃないから義務でも無いし義理もない。きっとあの子も頻度が減った事何とも思ってないだろうしね。
結局あれから今日までの間にあの子と言葉を交わすというミッションは達成できていない。それどころか最近の不思議ちゃんはなんだか様子がおかしい。
ある時から上の空でいる事が増えたんだよね。なんかずっとぼんやりしててさ、声掛けても無反応。いやね、無視とかじゃ無いんだと思うよ。だって、声掛けなおすとちゃんと応えてくれるし。まぁ、それはいいんだけどセックス中に上の空でいられるのは頂けないなぁとは思う。そりゃそうでしょ?こんなのラブドール抱くのと何ひとつ変わらないしそれなら断然僕好みのラブドール買って抱く方が良いよね。
今だってそうだ。僕に組み敷かれた君のこの黒い目に僕は映っていない。僕のその先にある何かをじっと見つめている。
その白い骨張った体にキスを落としても、いたずらに睦言を囁いてみても無反応。その目は僕を映さない。ただただ遠くを見つめるその様は迷子になった子供が泣き疲れてただただ呆然としているようなそんな感じだった。その様子に僕はだんだんイライラし初めておもむろにその首筋に噛みついた。君を抱いているのは僕だ!僕を見ろ!
ぷつりと皮膚が破れる音が聞こえた気がした。君は小さく声を上げ僕を見る。驚いたようなそんな顔で。小さく出血したその跡を労わるように舐めてやり、ごめんね、痛かった?なんて訊くと君は少し悩んで首を縦に振る。ここで文句の一つでも言ってくれたなら良かったのに。
あぁ、今君の細っこくて頼りない首を絞めたなら君はどんな顔をするのかな。そんなことしたら僕にどんな言葉を投げつけるんだろう。今の僕は君からの言葉ならどんな切り付けるような言葉だって甘んじて受け入れてあげられるような、そんな気がした。
あれからまた何日も過ぎた。夏休みも残り数日を残すところになってきて暑さも大分和らいできたそんな頃。そうそう、最近車を譲ってもらったんだよね。ワーゲンのビートル。青緑の丸い愛嬌のあるフォルムに早くも愛着が湧いてたりする。
そんで今、ビートルはボロアパートの前に停まってる。
「ドライブ、行かない?」
朝の八時半、眠そうな目を擦る不思議ちゃんは最後に会った時よりも少し痩せた様にも見える。寝起きなかな?
「車、貰ったからさ。どっかいかないかなってさ」
不思議ちゃんは胡乱な目を向けるけど気にしない。
「日曜ってなんも無いでしょ?」
おずおずと頷く。
「海でも山でもどこでも連れてったげるからさ、行かない?」
僕をじっと見つめる真黒の瞳。この子は何も語らないがその眼は雄弁。
「君と、どっか行きたいなって思ったからさ」
不思議ちゃんは驚いたみたいに僕の顔を見た。どうかな?なんて訊くと顔を逸らして部屋に戻って行った。
鍵は閉められていない。取り敢えず拒まれてはいないってことかなと自分に良いように解釈をしてまんまと玄関に上がり込むことに成功した。
身支度を済ませた不思議ちゃんが出てきたのは数分後の事だった。いつもの見慣れたワイシャツと黒いパンツに薄手のカーディガンを羽織っているいつもの不思議ちゃんだ。
海岸沿いを走る僕のビートル。
開いた窓から入る風には海の匂いに秋の匂いが混ざって僕の鼻腔を擽る。運転する僕の隣にいる君はずっと黙ってただぼんやり一点水平線の向こうを眺めてる。相変わらずの無表情で。
どれだけ走らせただろう。随分と遠くへ来たもんだ。朝食には遅すぎる時間。何なら昼食の時間だってとうに過ぎている。
そろそろお腹もすいたしと休憩も兼ねて、いかにも高度成長期に作りましたよ感溢れる寂れたドライブインに入ることにした。
見た目通り薄暗くてだだっ広い店内には僕ら以外の客はいない。低い天井に一面に張られた窓は映画のスクリーンみたいだ。
ただただ静寂だけが僕らを包む。穏やかな時間。今、この世界には僕ら二人しかいないようなそんな錯覚。
お待たせしましたと不愛想な老婆が運んできたのはホットサンドやフィッシュアンドチップス。僕がさっき注文しておいたものだ。
料理自体は普通だった。対して美味しい訳じゃないし冷めてるし、チップスに至っては油でべちゃべちゃ。
元より食の細い不思議ちゃんはかろうじてホットサンドを一つ完食しただけだった。僕としては心もとない細さだしこれ以上瘦せられると抱き心地も悪くなるからもっと食べて欲しいんだけど。
食後のコーヒーを済ませた後、僕らは浜辺に出た。波打ち際を肩並べて歩くだけ。ただそれだけ。交わす言葉は何一つない。それでも構わないと思えたのは僕自身自分で思っていたよりもずっと不思議ちゃんの事が好きだったからかもしれない。
冷たい風が吹く。気づけば日は傾き幾分か影が伸びていた。朱に染まる世界を形作るのは切り付けるような風の音と忍び寄っては離れる波の音だけ。
人気の無いこの秋の渚は今、この時だけは僕らのものだった。そう、信じていたくて僕はそっと、不思議ちゃんの手を握った。ああ、このまま世界が溶け出してしまえばいいのにとそんな柄にもないことを思ったのはここだけのナイショね。無い反応を期待してあの子の横顔を盗み見る。水面に沈む夕日を浴びるあの子の遠い目にはこの世界は一体どう映っていたんだろう。それを知ることが出来ていたなら僕らは何か変わったのかな。
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