ブアメードの血

ハイポクリエーターキャーリー

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 佐藤累は苛ついていた。

最愛の恋人と息子、二人を奪った零に対して。


画面の向こうで息子に向かって、えらそうに講釈を垂れているのが我慢ならず、ついに声を上げた。

「何をバカなことを言っているのかしら!トーギンズを知らぬはずがあるまいし!」

「落ち着きなさい。彼女はあえて、トーギンズを語らぬようにしているんだろう。

あれだけ、信仰心がないと毛嫌いしていたんだから。

つまり、彼女はキリスト教への信仰は捨てたとしても、結局、違う意味の神へ乗り換えただけ…」

「そんなことはわかってるわ!

トーギンズの説を置いておいて、他の都合のいいだけの解釈に一志が晒されていることに我慢できないのよ!」

「ヒステリックになるな。

だから、アメリカでは進化論は受け入れられていないのはお前も知っているだろう。

一志だって、トーギンズを知らぬはずがない。わかっているよ。

私たちは一志がどうなったかを見ておかねば…」

勝は累を諌めるが、池田と越智はトーギンズを知らず、今一、意味がわからない。

「トーギンズってなんだ?」

後ろで見ていた池田は堪らず隣の中津に顔を寄せて訊いた。

「私もよく知りませんが、クリントン・トーギンズっていう、イギリスの学者のことでは?

『我儘な遺伝子』って著書くらい、所長だって聞いたことあるでしょ?」

「ああ、我儘な遺伝子ね、聞いたことくらいは、な…」

池田は知らなかった。

さっきから、零の解説していることのどうにか半分くらいしか理解できていない。

<越智警部もわかった風をしているが、俺と同じ穴のなんとかだな…>


「お父さんもお母さんもいい加減にして!」

父母に挟まれて黙って聞いていた静が、急に声を上げ、自分の膝を叩いた。

マウスに手を伸ばして動画の再生を止めると、後ろの探偵と刑事の方に振り向き、

「あの、これ以上見ても、お兄ちゃんは映っていないし、母の言うように都合のいい解説だけのようで、あまり意味がないように思います。

うちの両親も頭を冷やした方が良さそうなんで、とりあえず、この辺で見るのをやめてもいいかと」

と急に冷静な口調となって、二人を交互に見た。

「ああ、まあ、そちらがよろしければ、まあ、こちらはいつでも…」

これまでとは違った鋭い静の表情に、越智はしどろもどろになりながら、佐藤夫妻の様子を窺う。

「私は頭を冷やしてくるわ」

黙っている勝を余所に、累は立ち上がると、廊下に向かって歩き出した。


<静の言う通りね、駄目だわ、私ったら、一志のことを思うと…

どうして一志がこんな目に、まだ、静の方だったら…

駄目、そんな風に考えては…

でも、どうせなら…

いえ…静は私の娘も同然…

そうよ、私が捕まればまだ良かったのよ…>

累は心の中で葛藤しながら、廊下に出たとたん、

「大丈夫ですか?」

と待機していた松谷に声をかけられた。

「なんでもありません!」

累は大きな声を出した。

「あ、すみません。取り乱して、息子のことを考えるとつい…

あの、私、お手洗いに行きますので」


小さな目を見開いている松谷を見て、累は我に返って取り繕うと、そそくさと廊下を進み、広いトイレに入って鍵をかける。

それから、洋式の便器に腰をかけて用を足そうとした時、鼻に痒みを感じた。

トイレットペーパーを切って鼻に当てると赤い液体が滲んだ。

<あら、鼻血?嫌だわ、頭に血が上って、こんな時に、興奮したせいかしら…>

累は少し下を向いて左手で小鼻をつまむと、右手で鼻の周りを拭いたトイレットペーパーを便器に落とした。

鼻血はすぐに止まった。


 用をし終えた累は、トイレの洗面台に向かう。

鏡を見ながら、手を水道水で濡らして血で少し汚れた鼻を拭く。

<ああ、一志…一志、無事でいてちょうだい…

あんなひどい目に合って…本当に大丈夫だといいけど…

それにしても、零さんはわかっているのかしら。

自分が誘拐した相手が恒の息子だっていうことを。

こんなことなら、教えておけば良かった。

そうしたら、きっと逡巡して、一志は誘拐されなかったのかもしれないのに。

一志は私に似たけど、あの人の面影だってあるじゃない。

それに気付いてもいいものを、どうして…絶対に許せない…>


「お母さん!次の動画がアップされたの!早く出て!」
急にトイレのドアの向こうから、静の大きな声がした。

「え?!わかったわ、もう出るから」

累は慌てて備付のタオルで手を拭くと、正面の鏡をもう一度見つめた。

前髪の下の額に、太い静脈が浮かんでいることに気付かず。
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