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第二部
パーフェクト・ワールド・レインⅡ ②
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「適当に終わらせとけよ」
「って、おまえ、もう戻ってこないつもりかよ」
薄情者という非難をものともせず、生徒会室を後にする。風紀委員会室に向かう道すがら、こぼれたのは小さな溜息だった。
篠原は笑っていたが、生徒会長を端的に表すにあたって、あれほど適した言葉はないだろうと思う。
誰よりも優れたアルファでありながら、アルファもベータもオメガも、誰もが幸せに過ごせる学園をつくりたいと言って憚らない、優しく公平な生徒会長。
それが、この学園における成瀬の姿だった。
――結局、オメガヘイトって評される言動をとりたくないってだけだろうけどな。
言わなかっただけで、そうに違いないと向原は踏んでいる。そういう男なのだ。意固地で面倒な、どうしようもない男。
それなのに、と覚えた忌々しさを打ち消せないまま、目的の部屋のドアを開ける。風紀委員会室である。生徒会室とさほど変わらない広さの室内には、風紀委員長のほかに数名の風紀委員が在室していた。
委員長の椅子に座っていた本尾が、小さな笑みを浮かべた。
「なんだ、珍しいな」
出迎える声に答えることなく机の前まで歩み寄って、向原は書類を放り置いた。そうして呆れた声で告げる。突如現れた副会長の姿に、室内の空気はにわかにざわめき始めていた。
「誰が好き好んで来るかよ。仕事に決まってるだろ」
「仕事か」
意味深に繰り返した本尾が、決裁書に手を伸ばした。
「そろそろおまえか成瀬が来ると思った。あの一年、えらくビビってたからな」
「意味のない威嚇して遊ぶなよ」
「そうでもないだろ、おまえが来た」
ぱらぱらと紙面を繰りながら嘯いてから、ふっと口元を歪める。
「つまんねぇな。また難癖つけてやがったら、生徒会まで乗り込んでやったのに」
「本当にあいかわらずだな、おまえは」
機嫌のよさそうな顔をとっくりと眺めて、向原は呟いた。
この男を蛇のようだと評するのは篠原だが、異論はない。陵学園に入る前から知っているが、昔からずっと「こう」なのだ。
目をつけたものを落とすまで諦めない粘着さは、蛇そのものと言っていい。
「あいかわらず、ね。まぁ、そうかもな」
そう言うなり、居残っていた風紀委員を手振りで追い払う。ドアの閉まる音を聞いてから、本尾は切り出した。
「なぁ、向原。おまえが来た本当の理由、当ててやろうか? あの噂だろ」
「だったら?」
「どうでもいいけどな。ご苦労なことだなと思っただけだ。俺が流したわけでもないしな」
知ってるだろ、とあっさりと言ってのけて、書面から顔を上げる。知っていたことは否定しないが、それだけではない。向原は溜息まじりに応酬した。
「流してなくても、広めただろうが」
「人聞きが悪いな。ちょっと手伝ってやっただけだろ。それに、俺らがなにをしなくても広がったと思うけどな。なにせ」
そこで一度、本尾は言葉を切った。
「会長様がオメガじゃないかっていう楽しい噂だ。誰が聞いても飛びつくに決まってる」
「あいつの噂なんて、それこそいまさらだろ」
信憑性のあるものから、失笑を免れないレベルのものまで。数え切れないほどの噂が学内には蔓延している。それが学内の有名人のものであれば、なおのことだ。
「突拍子のない噂だから、余計におもしろいんだろ。ま、あの顔だしな。想像するやつが出てもおかしくない。そう思ったから、おまえもここに来たわけだ」
トントンと紙面を指先で叩いてから、口元に笑みを浮かべる。挑発したくてたまらないといったふうに。
「嘘か本当か確かめるって息巻く馬鹿が出てきたら、大変だからなぁ?」
「本尾」
「なんだ?」
手のひらを机に叩きつける乾いた音が、ほかに誰もいない室内に響いた。本尾もなにも言わない。その目を見据えたまま、淡々と向原は言葉を音にした。
「殺すぞ」
「変わらねぇな、おまえこそ」
少しの間のあとで、当てこするようにして本尾が嘲う。
「いや、違うか。この数年は、だな。あいつのなにがそんなにいいのか、俺にはまったく理解できねぇ」
だろうな、と心のうちで応じて、ゆっくりと机から手を離す。また、ぎしりと鈍い音が生まれた。
本気でこの男がなにかしたと思っているわけでも、すると思っているわけでもない。ここに足を運んだ理由も、そろそろガスを抜いてやる時期だと判断したというだけだ。
そうやって適当に構ってさえやっていれば、大爆発は起こさない。そういう男なのだと知っている。
静かな視線でのせめぎあいを経て、本尾が小さく息を吐いた。
「理解はできねぇが、おまえらと揉める気もねぇよ。少なくとも、今はな」
「今は?」
「まぁ、なんだ。あのお姫様はミスコンの結果が気に入らなかったんだろ。おまえらも好き勝手したんだ。それくらい、かわいい仕返しだと思って許してやれよ」
「根も葉もない噂をばら撒くのが、かわいい仕返しか」
「言ったところで、誰も信じねぇだろうけどな。あの人畜無害な顔したお姫様が、天下の会長様を誹謗中傷してるなんて想像できるか? まだ逆のほうが想像できる」
そう言って、本尾はひとしきり笑った。
「って、おまえ、もう戻ってこないつもりかよ」
薄情者という非難をものともせず、生徒会室を後にする。風紀委員会室に向かう道すがら、こぼれたのは小さな溜息だった。
篠原は笑っていたが、生徒会長を端的に表すにあたって、あれほど適した言葉はないだろうと思う。
誰よりも優れたアルファでありながら、アルファもベータもオメガも、誰もが幸せに過ごせる学園をつくりたいと言って憚らない、優しく公平な生徒会長。
それが、この学園における成瀬の姿だった。
――結局、オメガヘイトって評される言動をとりたくないってだけだろうけどな。
言わなかっただけで、そうに違いないと向原は踏んでいる。そういう男なのだ。意固地で面倒な、どうしようもない男。
それなのに、と覚えた忌々しさを打ち消せないまま、目的の部屋のドアを開ける。風紀委員会室である。生徒会室とさほど変わらない広さの室内には、風紀委員長のほかに数名の風紀委員が在室していた。
委員長の椅子に座っていた本尾が、小さな笑みを浮かべた。
「なんだ、珍しいな」
出迎える声に答えることなく机の前まで歩み寄って、向原は書類を放り置いた。そうして呆れた声で告げる。突如現れた副会長の姿に、室内の空気はにわかにざわめき始めていた。
「誰が好き好んで来るかよ。仕事に決まってるだろ」
「仕事か」
意味深に繰り返した本尾が、決裁書に手を伸ばした。
「そろそろおまえか成瀬が来ると思った。あの一年、えらくビビってたからな」
「意味のない威嚇して遊ぶなよ」
「そうでもないだろ、おまえが来た」
ぱらぱらと紙面を繰りながら嘯いてから、ふっと口元を歪める。
「つまんねぇな。また難癖つけてやがったら、生徒会まで乗り込んでやったのに」
「本当にあいかわらずだな、おまえは」
機嫌のよさそうな顔をとっくりと眺めて、向原は呟いた。
この男を蛇のようだと評するのは篠原だが、異論はない。陵学園に入る前から知っているが、昔からずっと「こう」なのだ。
目をつけたものを落とすまで諦めない粘着さは、蛇そのものと言っていい。
「あいかわらず、ね。まぁ、そうかもな」
そう言うなり、居残っていた風紀委員を手振りで追い払う。ドアの閉まる音を聞いてから、本尾は切り出した。
「なぁ、向原。おまえが来た本当の理由、当ててやろうか? あの噂だろ」
「だったら?」
「どうでもいいけどな。ご苦労なことだなと思っただけだ。俺が流したわけでもないしな」
知ってるだろ、とあっさりと言ってのけて、書面から顔を上げる。知っていたことは否定しないが、それだけではない。向原は溜息まじりに応酬した。
「流してなくても、広めただろうが」
「人聞きが悪いな。ちょっと手伝ってやっただけだろ。それに、俺らがなにをしなくても広がったと思うけどな。なにせ」
そこで一度、本尾は言葉を切った。
「会長様がオメガじゃないかっていう楽しい噂だ。誰が聞いても飛びつくに決まってる」
「あいつの噂なんて、それこそいまさらだろ」
信憑性のあるものから、失笑を免れないレベルのものまで。数え切れないほどの噂が学内には蔓延している。それが学内の有名人のものであれば、なおのことだ。
「突拍子のない噂だから、余計におもしろいんだろ。ま、あの顔だしな。想像するやつが出てもおかしくない。そう思ったから、おまえもここに来たわけだ」
トントンと紙面を指先で叩いてから、口元に笑みを浮かべる。挑発したくてたまらないといったふうに。
「嘘か本当か確かめるって息巻く馬鹿が出てきたら、大変だからなぁ?」
「本尾」
「なんだ?」
手のひらを机に叩きつける乾いた音が、ほかに誰もいない室内に響いた。本尾もなにも言わない。その目を見据えたまま、淡々と向原は言葉を音にした。
「殺すぞ」
「変わらねぇな、おまえこそ」
少しの間のあとで、当てこするようにして本尾が嘲う。
「いや、違うか。この数年は、だな。あいつのなにがそんなにいいのか、俺にはまったく理解できねぇ」
だろうな、と心のうちで応じて、ゆっくりと机から手を離す。また、ぎしりと鈍い音が生まれた。
本気でこの男がなにかしたと思っているわけでも、すると思っているわけでもない。ここに足を運んだ理由も、そろそろガスを抜いてやる時期だと判断したというだけだ。
そうやって適当に構ってさえやっていれば、大爆発は起こさない。そういう男なのだと知っている。
静かな視線でのせめぎあいを経て、本尾が小さく息を吐いた。
「理解はできねぇが、おまえらと揉める気もねぇよ。少なくとも、今はな」
「今は?」
「まぁ、なんだ。あのお姫様はミスコンの結果が気に入らなかったんだろ。おまえらも好き勝手したんだ。それくらい、かわいい仕返しだと思って許してやれよ」
「根も葉もない噂をばら撒くのが、かわいい仕返しか」
「言ったところで、誰も信じねぇだろうけどな。あの人畜無害な顔したお姫様が、天下の会長様を誹謗中傷してるなんて想像できるか? まだ逆のほうが想像できる」
そう言って、本尾はひとしきり笑った。
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