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第二部
パーフェクト・ワールド・レインⅡ ⑤
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「アルファの上位種様ってやつは、鼻も特別に利くんだな。そんなこと言われたのははじめてだ」
「はじめてって。よっぽど今まで運が良かったんだな」
「おまえが変なんだよ」
うんざりとした色を隠さないまま吐き捨てる。匂いがすると言われたのが気に食わなかったのか、人形のようだった顔には苛立ちがにじみ始めていた。
「本当に、おまえのせいで散々だ」
「俺のせい?」
本意を掴みかねて繰り返すと、はっとしたように成瀬は口を噤んだ。窓を叩く雨音だけが廊下に響いていた。沈黙を破ったのは、感情を抑え直した静かな声だった。
「オメガみたいなやつと一緒にいたら、仮に甘い匂いがしても、誰もそれが俺からのものだとは思わない」
だから気がつくおまえが特異なのだとした主張に、苦笑がもれる。論点が外された弁明もそうだが、もうひとつ引っかかるものがあったのだ。
――オメガの番人って言ってたよな、たしか。
いつだったか篠原が言っていた。自分に纏わりつく線の細い同級生を邪険にすることなく、さも当然と庇ってやっている姿を、そう揶揄している層がいるのだ、と。
同じ性の者に対する同情心からかと判じていたのだが、違ったらしい。
「匂いが移るようなことをしたのかって邪推するやつはいるかもしれねぇけどな。べつに、それだけだ」
「それだけ、か」
「それだけだろ。なにかあれば助けてやってる。向こうにも、それで損はない」
完全に割り切ったふうに言い切ってから、成瀬は笑みを浮かべてみせた。優等生然としたものではない、強者のアルファのような嫣然とした微笑。
「先に言っておくけどな、言いたかったら好きにしろよ」
言葉よりも雄弁に、その瞳はアルファには屈しないと告げていた。本当に変な男だ。
「とってやろうか、責任」
オメガのくせに、とは微塵も思わなかった。ただ興味は増した。今まで見たことがなかった奇妙な相手に対する、純然とした興味。
「責任?」
「俺のせいだって言ってただろ。だから、とってやろうか? つがいの契約。悪い話じゃないだろ。そうしたら、おまえは面倒ごとから解放される」
思いつきだったが、言葉にしていくうちに悪くないと思うようになった。少なくとも、言いふらしたりするよりずっとおもしろそうだ。
アルファやオメガの中には「運命のつがい」というシステムに夢を見ている者もいるらしいが、向原はまったくと言っていいほど興味がなかった。つがいの契約なんて、項を噛めば成立するというだけの、ただの儀式だ。そこに愛がある必要はない。
黙って提案に耳を傾けていた成瀬が、理解できないという顔のまま口を開いた。
「おまえになんの得があるんだ?」
「ないな」
善意とは露ほども思っていない調子に笑みを深くする。成瀬が一言で切り捨てなかった時点で、勝ったようなものだったからだ。
「でも、おまえにはあるよな」
つがいを得れば、フェロモンを無差別に発することはなくなる。それは、オメガにとって大きな利点だ。だからオメガはつがいを欲する。
「どんな上目線だよ。だからアルファは嫌なんだ。おまえらは、いつも自分が一番上だと思ってる」
それはおまえがそう思ってるからだろう、と揶揄する代わりに、向原は違う言葉を選んだ。
この世界に蔓延る第二の性が構築するピラミッドを、――自身のオメガという性を心の底から嫌っているらしいとも思いながら。
「上からの提案が気に食わないなら、約束にでもするか? 対等そうだろ」
「約束?」
「そう、約束」
怪訝な態度を気にも留めず囁いた。まるで、本当の秘密の約束を交わすかのように。
「あと六年。高等部を卒業するまでのあいだ、おまえが隠しきれるなら」
はじめて見たときから、オメガだと知っていた。黙ってやっていたのは、どうでもよかったからだ。
それだけのはずだったのに、それだけではない理由が胸に巣くい始めている。知っているのは自分だけでいいという、独占欲にも似た感情。
そんな感情を覚えたのは、はじめてだった。
「俺も秘密にしておいてやるよ」
ふたりだけの秘密であり続けるあいだは、そうしてやってもいい。そう思ったのだ。少なくとも、この瞬間。
そうして、その秘密の約束は、丸五年が経った今もこうして守られ続けている。
「はじめてって。よっぽど今まで運が良かったんだな」
「おまえが変なんだよ」
うんざりとした色を隠さないまま吐き捨てる。匂いがすると言われたのが気に食わなかったのか、人形のようだった顔には苛立ちがにじみ始めていた。
「本当に、おまえのせいで散々だ」
「俺のせい?」
本意を掴みかねて繰り返すと、はっとしたように成瀬は口を噤んだ。窓を叩く雨音だけが廊下に響いていた。沈黙を破ったのは、感情を抑え直した静かな声だった。
「オメガみたいなやつと一緒にいたら、仮に甘い匂いがしても、誰もそれが俺からのものだとは思わない」
だから気がつくおまえが特異なのだとした主張に、苦笑がもれる。論点が外された弁明もそうだが、もうひとつ引っかかるものがあったのだ。
――オメガの番人って言ってたよな、たしか。
いつだったか篠原が言っていた。自分に纏わりつく線の細い同級生を邪険にすることなく、さも当然と庇ってやっている姿を、そう揶揄している層がいるのだ、と。
同じ性の者に対する同情心からかと判じていたのだが、違ったらしい。
「匂いが移るようなことをしたのかって邪推するやつはいるかもしれねぇけどな。べつに、それだけだ」
「それだけ、か」
「それだけだろ。なにかあれば助けてやってる。向こうにも、それで損はない」
完全に割り切ったふうに言い切ってから、成瀬は笑みを浮かべてみせた。優等生然としたものではない、強者のアルファのような嫣然とした微笑。
「先に言っておくけどな、言いたかったら好きにしろよ」
言葉よりも雄弁に、その瞳はアルファには屈しないと告げていた。本当に変な男だ。
「とってやろうか、責任」
オメガのくせに、とは微塵も思わなかった。ただ興味は増した。今まで見たことがなかった奇妙な相手に対する、純然とした興味。
「責任?」
「俺のせいだって言ってただろ。だから、とってやろうか? つがいの契約。悪い話じゃないだろ。そうしたら、おまえは面倒ごとから解放される」
思いつきだったが、言葉にしていくうちに悪くないと思うようになった。少なくとも、言いふらしたりするよりずっとおもしろそうだ。
アルファやオメガの中には「運命のつがい」というシステムに夢を見ている者もいるらしいが、向原はまったくと言っていいほど興味がなかった。つがいの契約なんて、項を噛めば成立するというだけの、ただの儀式だ。そこに愛がある必要はない。
黙って提案に耳を傾けていた成瀬が、理解できないという顔のまま口を開いた。
「おまえになんの得があるんだ?」
「ないな」
善意とは露ほども思っていない調子に笑みを深くする。成瀬が一言で切り捨てなかった時点で、勝ったようなものだったからだ。
「でも、おまえにはあるよな」
つがいを得れば、フェロモンを無差別に発することはなくなる。それは、オメガにとって大きな利点だ。だからオメガはつがいを欲する。
「どんな上目線だよ。だからアルファは嫌なんだ。おまえらは、いつも自分が一番上だと思ってる」
それはおまえがそう思ってるからだろう、と揶揄する代わりに、向原は違う言葉を選んだ。
この世界に蔓延る第二の性が構築するピラミッドを、――自身のオメガという性を心の底から嫌っているらしいとも思いながら。
「上からの提案が気に食わないなら、約束にでもするか? 対等そうだろ」
「約束?」
「そう、約束」
怪訝な態度を気にも留めず囁いた。まるで、本当の秘密の約束を交わすかのように。
「あと六年。高等部を卒業するまでのあいだ、おまえが隠しきれるなら」
はじめて見たときから、オメガだと知っていた。黙ってやっていたのは、どうでもよかったからだ。
それだけのはずだったのに、それだけではない理由が胸に巣くい始めている。知っているのは自分だけでいいという、独占欲にも似た感情。
そんな感情を覚えたのは、はじめてだった。
「俺も秘密にしておいてやるよ」
ふたりだけの秘密であり続けるあいだは、そうしてやってもいい。そう思ったのだ。少なくとも、この瞬間。
そうして、その秘密の約束は、丸五年が経った今もこうして守られ続けている。
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