71 / 484
第二部
パーフェクト・ワールド・レインⅡ ④
しおりを挟む
「おまえ、あれがアルファに見えんの?」
同じ小学校の出身ということもあって、篠原は幾分か気心の知れた存在だった。頭の回転の速い男だし、なにより距離感の取り方がうまいので、一緒にいて気が楽だったのだ。
その篠原が、答えにくそうに眉を下げる。
「まぁ、アルファかベータかって聞かれたら、アルファに見えるって俺は答えるけど。でも」
「でも、なんだよ」
「あんまりその手の話、成瀬にしないほうがいいぞ。あいつ、ガチガチの……。なんていうのかな、よくわかんねぇけど、とりあえず第二の性の話はすげぇ嫌がる。それは事実」
「すげぇ嫌がるって。なんだ、それ」
血液型を尋ねるのと変わらないレベルの話題だろ。なんの確証もないまま「おまえオメガだろ」なんて言うのは差別的だと思うが。
鼻白んだ向原に、篠原は苦笑いで言い足した。
「平和主義者っていうか、レイシストの真逆っつうか。そういう話はするものじゃないだろって真顔で淡々と。正論ではあるんだけど、ちょっとガッチガチな感じもするかな。おまえとはいろんな意味で合わなさそう」
「……」
「だから、まぁ、なんだ。わざわざ聞いて喧嘩すんなよ」
――オメガだから、か。
だから、そういった話を持ち出されることを嫌がるのか。腑に落ちて追及をやめる。その沈黙をどう取ったのか、篠原が「でも」とおもねるように話しかけてきた。
「珍しいよな、おまえがそういうこと言うの。アルファとかオメガとか、おまえあんまり言わないのに」
「そうか?」
「うん。まぁ、興味ないってだけだろうけど」
おまえそういうところあるよな、と訳知り顔で旧友が笑う。
「やっぱり、あれ? 同じアルファの上位種ってやつだから気になんの?」
「上位種?」
「謙遜すんなって。おまえも成瀬もそうだって、みんなわかってんだし」
「おまえ、あれが上位種に見えるのか」
つい、また疑問を呈してしまった。篠原は先ほどと同じ曖昧な笑みを浮かべたまま、「まぁなぁ」と頷く。
「そう思うけど。あ、でも言うなよ、成瀬に」
入試トップの時点でなぁ、と続いた台詞に、完全に白けた気分で「へぇ」と相槌を打つ。
目立つ真似をする馬鹿だとしか思わなかったが、それなりの目くらまし効果はあったらしい。けれど、それにしても。
――こいつもアルファのくせに、気がつかないものなんだな。
オメガがアルファの顔をして紛れ込んでいる、ということに。その鈍さに半ば呆れたが、わざわざ言うようなことではないと向原は思い直した。
あの同級生がオメガだろうが、自分には関係のないことだ。なぜほかのやつらが気づかないのかと不思議に思いはしたが、それだけのこと。
同じ寮で、同じクラス。かかわる機会はこれからもままあるだろうが、距離が縮まることはないだろう。
篠原が言ったとおりで、きっと「合わない」。成瀬も成瀬で、近づいてくる人間には愛想良くふるまっていたが、積極的に声をかけるようなタイプではなかった。現に、向原は成瀬と話をしたことすらなかったのだ。
そんなふうだった関係に変化が生じるのは、この日からまた一月が経過した、雨の夜のことだ。
消灯時間を過ぎた薄暗い廊下で、向原は足を止めた。
当時の陵学園は荒れていて、夜遊びに興じる生徒も多かった。その例に漏れず、向原もよく寮を抜け出していて、この日も遅くに戻ってきたところだったのだ。
自分のように外に出る生徒もいたが、寮の一角を占有して悪さをしている連中もいた。消灯時間なんてあってないようなもので、いつの夜も騒がしい。
そうであったのに、今夜はいやに静かだ。この階の突き当たりにある空き部屋が、性質の悪い上級生のたまり場であったはずなのだが、どうかしたのだろうか。
そちらに意識を向けたところで、立ち止まったときに覚えた違和感の正体を向原は知った。雨の中にかすかに混ざる、甘い匂い。
それは、たしかに入学式の日に感じた香りだった。
「おまえ……」
廊下の奥から姿を現した男が、ぎくりと顔を強張らせる。こちらの存在にまったく気がついていなかったらしい。それほど余裕がなかったということか。じっと見つめてから、向原は切り出した。
「すげぇ匂いだな、それ」
「匂い?」
なんのことかわからないというように、強張っていた顔に笑みが乗った。いつもの似非くさいそれだ。改めて目の当たりにするとどうにも気に食わなくて、顔をしかめる。
「その顔。見てて気持ち悪い」
「気持ち悪いって……」
「その申し訳なそうなツラも。思ってないならやめろよ。中身と一致してなさすぎて気持ち悪い。あと、その甘ったるい匂いとも」
オメガの匂いとアルファのような外面が釣り合っていないとした言外に、張り付いていた笑みがすっと消える。普段の人当たりの良さが嘘のような無機質な顔。誤魔化しても無意味だと悟ってからの反応は早かった。
「悪かったな、気持ち悪くて。できる限りかかわらないようにするから忘れてくれ」
ぶっきらぼうに吐き捨てられて、小さな笑みがこぼれる。黙っていてくれと泣きつかれたかったわけではないが、あまりにも投げやりな対応だったからだ。
アルファに知られた、だなんてオメガにとっては死活問題だろうに。
「それだけかよ」
「それだけって、悪趣味だな。なんでわかったとでも聞いてほしいのか? なんでわかった? 今まで誰にもバレたことなかったんだけどな」
溜息ひとつで、成瀬はちらりと背後に視線を向けた。
「あいつらは最後まで気づきもしなかったしな。一応アルファだろうに」
「それだけ甘い匂いさせてたら馬鹿でも気づくだろ」
なぜほかのやつらが気がつかないのか、ずっと疑問だったのだ。成瀬の言う「あいつら」もアルファだったのだろうが、本当にどうしてわからないのだろう。これだけの甘い匂いを漂わせているのに。
同じ小学校の出身ということもあって、篠原は幾分か気心の知れた存在だった。頭の回転の速い男だし、なにより距離感の取り方がうまいので、一緒にいて気が楽だったのだ。
その篠原が、答えにくそうに眉を下げる。
「まぁ、アルファかベータかって聞かれたら、アルファに見えるって俺は答えるけど。でも」
「でも、なんだよ」
「あんまりその手の話、成瀬にしないほうがいいぞ。あいつ、ガチガチの……。なんていうのかな、よくわかんねぇけど、とりあえず第二の性の話はすげぇ嫌がる。それは事実」
「すげぇ嫌がるって。なんだ、それ」
血液型を尋ねるのと変わらないレベルの話題だろ。なんの確証もないまま「おまえオメガだろ」なんて言うのは差別的だと思うが。
鼻白んだ向原に、篠原は苦笑いで言い足した。
「平和主義者っていうか、レイシストの真逆っつうか。そういう話はするものじゃないだろって真顔で淡々と。正論ではあるんだけど、ちょっとガッチガチな感じもするかな。おまえとはいろんな意味で合わなさそう」
「……」
「だから、まぁ、なんだ。わざわざ聞いて喧嘩すんなよ」
――オメガだから、か。
だから、そういった話を持ち出されることを嫌がるのか。腑に落ちて追及をやめる。その沈黙をどう取ったのか、篠原が「でも」とおもねるように話しかけてきた。
「珍しいよな、おまえがそういうこと言うの。アルファとかオメガとか、おまえあんまり言わないのに」
「そうか?」
「うん。まぁ、興味ないってだけだろうけど」
おまえそういうところあるよな、と訳知り顔で旧友が笑う。
「やっぱり、あれ? 同じアルファの上位種ってやつだから気になんの?」
「上位種?」
「謙遜すんなって。おまえも成瀬もそうだって、みんなわかってんだし」
「おまえ、あれが上位種に見えるのか」
つい、また疑問を呈してしまった。篠原は先ほどと同じ曖昧な笑みを浮かべたまま、「まぁなぁ」と頷く。
「そう思うけど。あ、でも言うなよ、成瀬に」
入試トップの時点でなぁ、と続いた台詞に、完全に白けた気分で「へぇ」と相槌を打つ。
目立つ真似をする馬鹿だとしか思わなかったが、それなりの目くらまし効果はあったらしい。けれど、それにしても。
――こいつもアルファのくせに、気がつかないものなんだな。
オメガがアルファの顔をして紛れ込んでいる、ということに。その鈍さに半ば呆れたが、わざわざ言うようなことではないと向原は思い直した。
あの同級生がオメガだろうが、自分には関係のないことだ。なぜほかのやつらが気づかないのかと不思議に思いはしたが、それだけのこと。
同じ寮で、同じクラス。かかわる機会はこれからもままあるだろうが、距離が縮まることはないだろう。
篠原が言ったとおりで、きっと「合わない」。成瀬も成瀬で、近づいてくる人間には愛想良くふるまっていたが、積極的に声をかけるようなタイプではなかった。現に、向原は成瀬と話をしたことすらなかったのだ。
そんなふうだった関係に変化が生じるのは、この日からまた一月が経過した、雨の夜のことだ。
消灯時間を過ぎた薄暗い廊下で、向原は足を止めた。
当時の陵学園は荒れていて、夜遊びに興じる生徒も多かった。その例に漏れず、向原もよく寮を抜け出していて、この日も遅くに戻ってきたところだったのだ。
自分のように外に出る生徒もいたが、寮の一角を占有して悪さをしている連中もいた。消灯時間なんてあってないようなもので、いつの夜も騒がしい。
そうであったのに、今夜はいやに静かだ。この階の突き当たりにある空き部屋が、性質の悪い上級生のたまり場であったはずなのだが、どうかしたのだろうか。
そちらに意識を向けたところで、立ち止まったときに覚えた違和感の正体を向原は知った。雨の中にかすかに混ざる、甘い匂い。
それは、たしかに入学式の日に感じた香りだった。
「おまえ……」
廊下の奥から姿を現した男が、ぎくりと顔を強張らせる。こちらの存在にまったく気がついていなかったらしい。それほど余裕がなかったということか。じっと見つめてから、向原は切り出した。
「すげぇ匂いだな、それ」
「匂い?」
なんのことかわからないというように、強張っていた顔に笑みが乗った。いつもの似非くさいそれだ。改めて目の当たりにするとどうにも気に食わなくて、顔をしかめる。
「その顔。見てて気持ち悪い」
「気持ち悪いって……」
「その申し訳なそうなツラも。思ってないならやめろよ。中身と一致してなさすぎて気持ち悪い。あと、その甘ったるい匂いとも」
オメガの匂いとアルファのような外面が釣り合っていないとした言外に、張り付いていた笑みがすっと消える。普段の人当たりの良さが嘘のような無機質な顔。誤魔化しても無意味だと悟ってからの反応は早かった。
「悪かったな、気持ち悪くて。できる限りかかわらないようにするから忘れてくれ」
ぶっきらぼうに吐き捨てられて、小さな笑みがこぼれる。黙っていてくれと泣きつかれたかったわけではないが、あまりにも投げやりな対応だったからだ。
アルファに知られた、だなんてオメガにとっては死活問題だろうに。
「それだけかよ」
「それだけって、悪趣味だな。なんでわかったとでも聞いてほしいのか? なんでわかった? 今まで誰にもバレたことなかったんだけどな」
溜息ひとつで、成瀬はちらりと背後に視線を向けた。
「あいつらは最後まで気づきもしなかったしな。一応アルファだろうに」
「それだけ甘い匂いさせてたら馬鹿でも気づくだろ」
なぜほかのやつらが気がつかないのか、ずっと疑問だったのだ。成瀬の言う「あいつら」もアルファだったのだろうが、本当にどうしてわからないのだろう。これだけの甘い匂いを漂わせているのに。
12
あなたにおすすめの小説
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
【完結】それ以上近づかないでください。
ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」
地味で冴えない小鳥遊凪は、ずっと憧れていた蓮見馨に勢いで告白してしまう。
するとまさかのOK。夢みたいな日々が始まった……はずだった。
だけど、ある出来事をきっかけに二人の関係はあっけなく終わる。
過去を忘れるために転校した凪は、もう二度と馨と会うことはないと思っていた。
ところが、ひょんなことから再会してしまう。
しかも、久しぶりに会った馨はどこか様子が違っていた。
「今度は、もう離さないから」
「お願いだから、僕にもう近づかないで…」
いい加減観念して結婚してください
彩根梨愛
BL
平凡なオメガが成り行きで決まった婚約解消予定のアルファに結婚を迫られる話
元々ショートショートでしたが、続編を書きましたので短編になりました。
2025/05/05時点でBL18位ありがとうございます。
作者自身驚いていますが、お楽しみ頂き光栄です。
もう殺されるのはゴメンなので婚約破棄します!
めがねあざらし
BL
婚約者に見向きもされないまま誘拐され、殺されたΩ・イライアス。
目覚めた彼は、侯爵家と婚約する“あの”直前に戻っていた。
二度と同じ運命はたどりたくない。
家族のために婚約は受け入れるが、なんとか相手に嫌われて破談を狙うことに決める。
だが目の前に現れた侯爵・アルバートは、前世とはまるで別人のように優しく、異様に距離が近くて――。
流れる星、どうかお願い
ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる)
オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年
高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼
そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ
”要が幸せになりますように”
オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ
王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに!
一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので
ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが
お付き合いください!
番解除した僕等の末路【完結済・短編】
藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。
番になって数日後、「番解除」された事を悟った。
「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。
けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。
2026/02/14 累計30万P突破御礼バレンタインSS追加しました
2026/02/15 累計いいね♡7777突破御礼SS 19時に公開します。
様々な形での応援ありがとうございます!
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。
普通のβだった俺は
りん
BL
普通の大学生として過ごす白瀬凪が、αの先輩に絡まれる話
凪は普通の大学生だ。βで、容姿も中身も平均値ぐらいだと認識している。ある日、大学でもよく噂されている先輩に声をかけられる。先輩の独特の雰囲気と空気に、次第に巻き込まれていく凪。
書き殴り状態なので少しずつ修正するつもりですです…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる