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第二部
パーフェクト・ワールド・レインⅥ ⑥
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「そうだな」
なんでもないことのように、向原はその言葉を選んだ。今まで一度も言ったことはなかった言葉を。
「おまえはオメガだからな。俺とは違う」
区別はしてきた。あたりまえだ。けれど、それだけだったつもりだ。
本心からどうでもよかったからだ。オメガだろうが、アルファだろうがベータだろうが、関係がなかった。向原が興味を持ったのは成瀬というひとりの人間で、オメガだったからではない。
それも、アルファの詭弁としか、この男は思わないだろうが。
そんなことを言われるとは思ってもいなかったのか、成瀬は驚いたような顔をしていた。めったとない変化を見つめながら、そうか、とただ思った。
篠原にも、茅野にも何度も心配そうに問われた。おまえたちは喧嘩でもしているのか、と。
この男にしても、自分たちの関係が良好だとは思っていなかっただろうし、原因もわかっていたはずだ。
その上でなにも行動を起こさなかったくせに、なにも変わらないと思っていたのだ。
本当に馬鹿にしている。
「どう言い繕っても、取り繕っても、それが事実だろ」
「向原、俺は……」
俺は、なんだよ。今度はどう言い訳してくるだろうかと思ったのに、それ以上の言葉は返ってこなかった。その代わりのように、仮面のような「いつも」が顔を覆い始める。
「成瀬。おまえ、俺はずっと味方だって思ってただろ。なぁ、なんでそう思ってた?」
白けた気分で、向原は笑った。なんだか本当にすべてが馬鹿馬鹿しかった。
「俺が、おまえを好きだから?」
思い浮かんだのは、友達だからと笑って受け流したときの顔だった。いつもそうやって、なかったことになっていた。それももう、いいかげん終わりにしたかった。
今ここで、すべてを。
「あんまり、俺を舐めるなよ」
そこまで言っても、誤魔化すような笑みを浮かべることも、泰然としたアルファとしての表情を取り繕うことも、成瀬はしなかった。
「なぁ、成瀬」
いつも建前ばかりを語ってみせる唇も、固く閉ざされたまま。なにも言わない。反論も、言い訳も、なにも。それが最後の誠意だとでも言うつもりなのだろうか。
そうだとするのなら、本当に勘弁してほしいと思った。だから嫌なんだ。
――おまえは、そうやって成瀬のこと大事にしてるよな。
いつだったか、篠原がそんなふうに言っていたことがあった。呆れたようでいて、少しほっとしたような声で。
――昔のおまえからしたら、考えられないくらい。
おまえにも人間味があって安心もしたのだと言って笑っていた。
その指摘を否定するつもりはない。たぶん、大切にしてみたかったのだと思う。
そうしたら、なにかが変わるかもしれないと思ったから。
そうしたら、自分が求めていたなにかが、自分の中にある空虚を埋めてくれるかもしれないと思ったから。
けれど、なにも変わらなかった。
自分もなにも変わらないし、成瀬もなにも変わらない。どこまで行っても、なにもかもが平行線のままだった。
なにも言わない人形のような顔を見下ろして、向原はもう一度笑った。なんでも手に入るはずの、アルファの顔で。
「安心しろよ。俺はおまえを好きだから、あいつらに売ったりしねぇよ。俺が、落とす。俺が潰す、ぜんぶ残らず」
俺が潰す。
そう言い切っても、成瀬はなにも答えなかった。残ったのは、沈黙とむせ返るような甘い香りだけだった。
あの夜と同じだとふと思った。約束をした、雨の夜。あの日も廊下は静かで、世界にふたりしかいないようで、今と同じ甘い香りが夜に混ざっていた。
約束を、した。
秘密を守ることができるあいだは、自分も内密にしておいてやってもいい、と。けれど秘密が秘密でなくなるのであれば、それは――。
自分以外の誰かが、オメガだと知るくらいなら、そんな目で誰かが見ることがあるくらいなら、俺はすべてを潰す。そう思った。
なにもかも、すべてを。そうして。
すべてを変える。
窓の外では、フェロモンの甘い香りを打ち消すような雨が降り始めていた。この学園の今までを洗い流すような、雨。
なんでもないことのように、向原はその言葉を選んだ。今まで一度も言ったことはなかった言葉を。
「おまえはオメガだからな。俺とは違う」
区別はしてきた。あたりまえだ。けれど、それだけだったつもりだ。
本心からどうでもよかったからだ。オメガだろうが、アルファだろうがベータだろうが、関係がなかった。向原が興味を持ったのは成瀬というひとりの人間で、オメガだったからではない。
それも、アルファの詭弁としか、この男は思わないだろうが。
そんなことを言われるとは思ってもいなかったのか、成瀬は驚いたような顔をしていた。めったとない変化を見つめながら、そうか、とただ思った。
篠原にも、茅野にも何度も心配そうに問われた。おまえたちは喧嘩でもしているのか、と。
この男にしても、自分たちの関係が良好だとは思っていなかっただろうし、原因もわかっていたはずだ。
その上でなにも行動を起こさなかったくせに、なにも変わらないと思っていたのだ。
本当に馬鹿にしている。
「どう言い繕っても、取り繕っても、それが事実だろ」
「向原、俺は……」
俺は、なんだよ。今度はどう言い訳してくるだろうかと思ったのに、それ以上の言葉は返ってこなかった。その代わりのように、仮面のような「いつも」が顔を覆い始める。
「成瀬。おまえ、俺はずっと味方だって思ってただろ。なぁ、なんでそう思ってた?」
白けた気分で、向原は笑った。なんだか本当にすべてが馬鹿馬鹿しかった。
「俺が、おまえを好きだから?」
思い浮かんだのは、友達だからと笑って受け流したときの顔だった。いつもそうやって、なかったことになっていた。それももう、いいかげん終わりにしたかった。
今ここで、すべてを。
「あんまり、俺を舐めるなよ」
そこまで言っても、誤魔化すような笑みを浮かべることも、泰然としたアルファとしての表情を取り繕うことも、成瀬はしなかった。
「なぁ、成瀬」
いつも建前ばかりを語ってみせる唇も、固く閉ざされたまま。なにも言わない。反論も、言い訳も、なにも。それが最後の誠意だとでも言うつもりなのだろうか。
そうだとするのなら、本当に勘弁してほしいと思った。だから嫌なんだ。
――おまえは、そうやって成瀬のこと大事にしてるよな。
いつだったか、篠原がそんなふうに言っていたことがあった。呆れたようでいて、少しほっとしたような声で。
――昔のおまえからしたら、考えられないくらい。
おまえにも人間味があって安心もしたのだと言って笑っていた。
その指摘を否定するつもりはない。たぶん、大切にしてみたかったのだと思う。
そうしたら、なにかが変わるかもしれないと思ったから。
そうしたら、自分が求めていたなにかが、自分の中にある空虚を埋めてくれるかもしれないと思ったから。
けれど、なにも変わらなかった。
自分もなにも変わらないし、成瀬もなにも変わらない。どこまで行っても、なにもかもが平行線のままだった。
なにも言わない人形のような顔を見下ろして、向原はもう一度笑った。なんでも手に入るはずの、アルファの顔で。
「安心しろよ。俺はおまえを好きだから、あいつらに売ったりしねぇよ。俺が、落とす。俺が潰す、ぜんぶ残らず」
俺が潰す。
そう言い切っても、成瀬はなにも答えなかった。残ったのは、沈黙とむせ返るような甘い香りだけだった。
あの夜と同じだとふと思った。約束をした、雨の夜。あの日も廊下は静かで、世界にふたりしかいないようで、今と同じ甘い香りが夜に混ざっていた。
約束を、した。
秘密を守ることができるあいだは、自分も内密にしておいてやってもいい、と。けれど秘密が秘密でなくなるのであれば、それは――。
自分以外の誰かが、オメガだと知るくらいなら、そんな目で誰かが見ることがあるくらいなら、俺はすべてを潰す。そう思った。
なにもかも、すべてを。そうして。
すべてを変える。
窓の外では、フェロモンの甘い香りを打ち消すような雨が降り始めていた。この学園の今までを洗い流すような、雨。
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