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第三部
パーフェクト・ワールド・ゼロⅢ ②
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人のことを言えた義理はないけど、ひどい顔だな。早朝の寮の洗面所の入り口で、荻原はひとり佇む同級生を眺めていた。
優等生然とした静かな横顔には、今朝はぴんとした空気が張りつめているように見える。
そのうつむいていた顔がゆっくりと持ち上がる。あ、と思ったときには鏡の中で目が合っていた。驚きを隠せていない様子のまま、高藤が振り返る。
「荻原……」
「うわ、ひどい顔」
観察していたことを誤魔化すような軽口を選んで、荻原は隣の洗面台に立った。
「なかなかすごい顔してるよ、高藤。寝れなかった? あんまり神妙だったからさ、ちょっと入りづらくて」
「おまえに言われたくないんだけど」
応じる苦笑まじりの声には疲れがにじんでいた。けれど、それでもいつもどおりと評して差し支えのないもので、そのことに少しほっとした。
「俺に関して言えば正当な理由だよ。朝方まで起きてはいたけど、それは寮生委員会の仕事だったし」
櫻寮の寮生委員でシフトを組んで出入り口を見張っていたのだ。
茅野は念のためだと強調していたが、侵入してくる生徒を警戒していたにちがいない。発情期のオメガのフェロモンには、それだけの力があるのだ。間違いは、誰のためにもならない。
「あぁ、……そうだったね。お疲れさま」
「ま、ほかならぬ榛名ちゃんのためだし、ぜんぜんいいよ」
反応を窺おうと、敢えてその名前を出したのは事実だが、ここまであからさまな顔をされるとは思わなかった。
いつも冷静な顔をしてるくせに。そんな顔もできるんだな。そう内心で驚きながらも、荻原はできるだけ軽い調子で笑った。
「そんなこわい顔しないでよ。っていうか、しかたないでしょ。ここで俺が誰がオメガが知りませんって言うほうが嘘くさいじゃん」
そう、もう、みんな知ってしまっていることだ。あまり重い雰囲気にしたくなかったのだが、高藤は小さく溜息を吐いただけだった。調子を合わせてくれる気配はない。
――そういや、前もここで榛名ちゃんとふたりになったことあったなぁ。
高等部に進学して、すぐくらいのころだ。早朝の洗面所で、あの子と一緒になることが多かった。ひとりがいいらしいと気づいてからは、自主的に時間をずらすようにしていたのだけれど。
だから、ふたりの時間を持てたのは、そう長い期間ではない。
――でも、好きだったんだよな。
榛名は気まずく感じていたのかもしれないが、荻原にとっては楽しみな時間だった。
かわいい顔をしているくせに、難しい表情を崩さない彼にちょっかいをかけることが好きだった。たまに笑う顔をかわいいとも思っていた。
「俺さぁ」
なんだか懺悔みたいだ。そんなふうなことを思いながら、続きを吐き出す。胸の奥に巣くった罪悪感が消えなかったのだ。昨日の夜から、ずっと。
「知らなかったとは言えさ、けっこう榛名ちゃんにひどいこと言ってたんじゃないかなぁ、とか。傷つけてたんじゃないかなぁ、とか。いろいろ考えちゃったな」
水城のことだとか、アルファとオメガの話だとか。そういった話題を、なんの疑問もなくあの子に提供していた。
榛名は、どんな思いでその話を聞いていたのだろうか。
「高藤は、知ってたの。榛名ちゃんのこと」
榛名の口から第二の性の話を聞くこともなかったけれど、高藤からも聞いたことはあまりなかった。
教室でどれだけ「ハルちゃん」を中心に盛り上がっていても、頑ななまでに乗ってこなかった。知っていたから、なのかもしれない。
また小さく溜息を吐いて、高藤が顔を洗い始めた。聞くなと言わんばかりだ。
まぁ答えづらいよな。そう思いながらもぼんやりと見守っていると、水の音が止まった。
「知らない、でいたかった、かな」
濡れた前髪をうしろに撫でつけながら、高藤はそう言った。あらわになった横顔は、やはり整っていると思ってしまった。同じアルファであるはずなのに、どこか格が違うと感じてしまうような。それと似た感情を、荻原は向原に対して抱いたことがある。
だから、きっと、あの子は絶対的なアルファと同室でよかったのだと思う。本人は認めないかもしれないが、間違いなく守られていた。
「そっか」
「いまさらだけどな」
自嘲する調子に、荻原は慌てて明るく笑った。
「そうかもしれないけどさ。それでも、榛名ちゃんは高藤が同室でよかったんじゃないかな」
そうでなければ、ここまで平穏が続くことはなかったはずだ。今後は一緒に過ごせないかも知れないけれど、それでも。
「それに、ひとり部屋になる期間が、ほんのちょっと早まるだけだよ」
「……まぁ、だな」
「よかったじゃん。ひとりだったらゆっくりできるし」
隔離策が最善なのかどうかはわからない。けれど、楓寮は水城に例外的に個室を与えているようだし、茅野もその選択をするのではないかと思う。
気のない顔で「そうだな」と頷いた高藤の肩を、しかたないと告げるようにして荻原はぽんと叩いた。
世の中のアルファがすべからく高藤のように紳士であれば、問題はないのかもしれないが、そうはいかない。
――そういう意味では、高藤と一緒のほうが安全な気もするんだけどなぁ。
とはいえ、さすがに口を出す無遠慮さは持ち合わせていなかった。背中を見送ってひとりになると、勝手に溜息がこぼれてしまった。こんなふうなのは、自分らしくないはずなのだけど。
春、水城春弥が壇上に立ったとき、この学園は変わるかもしれないとたしかに思った。でも。
「こんなふうに変わらなくても、いいと思うんだけどな」
ひとりごとの調子で呟く。鏡に映った自分の顔は、なんとはなしに不安そうだった。
優等生然とした静かな横顔には、今朝はぴんとした空気が張りつめているように見える。
そのうつむいていた顔がゆっくりと持ち上がる。あ、と思ったときには鏡の中で目が合っていた。驚きを隠せていない様子のまま、高藤が振り返る。
「荻原……」
「うわ、ひどい顔」
観察していたことを誤魔化すような軽口を選んで、荻原は隣の洗面台に立った。
「なかなかすごい顔してるよ、高藤。寝れなかった? あんまり神妙だったからさ、ちょっと入りづらくて」
「おまえに言われたくないんだけど」
応じる苦笑まじりの声には疲れがにじんでいた。けれど、それでもいつもどおりと評して差し支えのないもので、そのことに少しほっとした。
「俺に関して言えば正当な理由だよ。朝方まで起きてはいたけど、それは寮生委員会の仕事だったし」
櫻寮の寮生委員でシフトを組んで出入り口を見張っていたのだ。
茅野は念のためだと強調していたが、侵入してくる生徒を警戒していたにちがいない。発情期のオメガのフェロモンには、それだけの力があるのだ。間違いは、誰のためにもならない。
「あぁ、……そうだったね。お疲れさま」
「ま、ほかならぬ榛名ちゃんのためだし、ぜんぜんいいよ」
反応を窺おうと、敢えてその名前を出したのは事実だが、ここまであからさまな顔をされるとは思わなかった。
いつも冷静な顔をしてるくせに。そんな顔もできるんだな。そう内心で驚きながらも、荻原はできるだけ軽い調子で笑った。
「そんなこわい顔しないでよ。っていうか、しかたないでしょ。ここで俺が誰がオメガが知りませんって言うほうが嘘くさいじゃん」
そう、もう、みんな知ってしまっていることだ。あまり重い雰囲気にしたくなかったのだが、高藤は小さく溜息を吐いただけだった。調子を合わせてくれる気配はない。
――そういや、前もここで榛名ちゃんとふたりになったことあったなぁ。
高等部に進学して、すぐくらいのころだ。早朝の洗面所で、あの子と一緒になることが多かった。ひとりがいいらしいと気づいてからは、自主的に時間をずらすようにしていたのだけれど。
だから、ふたりの時間を持てたのは、そう長い期間ではない。
――でも、好きだったんだよな。
榛名は気まずく感じていたのかもしれないが、荻原にとっては楽しみな時間だった。
かわいい顔をしているくせに、難しい表情を崩さない彼にちょっかいをかけることが好きだった。たまに笑う顔をかわいいとも思っていた。
「俺さぁ」
なんだか懺悔みたいだ。そんなふうなことを思いながら、続きを吐き出す。胸の奥に巣くった罪悪感が消えなかったのだ。昨日の夜から、ずっと。
「知らなかったとは言えさ、けっこう榛名ちゃんにひどいこと言ってたんじゃないかなぁ、とか。傷つけてたんじゃないかなぁ、とか。いろいろ考えちゃったな」
水城のことだとか、アルファとオメガの話だとか。そういった話題を、なんの疑問もなくあの子に提供していた。
榛名は、どんな思いでその話を聞いていたのだろうか。
「高藤は、知ってたの。榛名ちゃんのこと」
榛名の口から第二の性の話を聞くこともなかったけれど、高藤からも聞いたことはあまりなかった。
教室でどれだけ「ハルちゃん」を中心に盛り上がっていても、頑ななまでに乗ってこなかった。知っていたから、なのかもしれない。
また小さく溜息を吐いて、高藤が顔を洗い始めた。聞くなと言わんばかりだ。
まぁ答えづらいよな。そう思いながらもぼんやりと見守っていると、水の音が止まった。
「知らない、でいたかった、かな」
濡れた前髪をうしろに撫でつけながら、高藤はそう言った。あらわになった横顔は、やはり整っていると思ってしまった。同じアルファであるはずなのに、どこか格が違うと感じてしまうような。それと似た感情を、荻原は向原に対して抱いたことがある。
だから、きっと、あの子は絶対的なアルファと同室でよかったのだと思う。本人は認めないかもしれないが、間違いなく守られていた。
「そっか」
「いまさらだけどな」
自嘲する調子に、荻原は慌てて明るく笑った。
「そうかもしれないけどさ。それでも、榛名ちゃんは高藤が同室でよかったんじゃないかな」
そうでなければ、ここまで平穏が続くことはなかったはずだ。今後は一緒に過ごせないかも知れないけれど、それでも。
「それに、ひとり部屋になる期間が、ほんのちょっと早まるだけだよ」
「……まぁ、だな」
「よかったじゃん。ひとりだったらゆっくりできるし」
隔離策が最善なのかどうかはわからない。けれど、楓寮は水城に例外的に個室を与えているようだし、茅野もその選択をするのではないかと思う。
気のない顔で「そうだな」と頷いた高藤の肩を、しかたないと告げるようにして荻原はぽんと叩いた。
世の中のアルファがすべからく高藤のように紳士であれば、問題はないのかもしれないが、そうはいかない。
――そういう意味では、高藤と一緒のほうが安全な気もするんだけどなぁ。
とはいえ、さすがに口を出す無遠慮さは持ち合わせていなかった。背中を見送ってひとりになると、勝手に溜息がこぼれてしまった。こんなふうなのは、自分らしくないはずなのだけど。
春、水城春弥が壇上に立ったとき、この学園は変わるかもしれないとたしかに思った。でも。
「こんなふうに変わらなくても、いいと思うんだけどな」
ひとりごとの調子で呟く。鏡に映った自分の顔は、なんとはなしに不安そうだった。
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