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第三部
パーフェクト・ワールド・エンドⅧ ⑥
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「どうした? もう消灯時間過ぎてるぞ」
「……成瀬さん」
いったい、いつから気がつかれていたのだろう。ノックをすることなく、開いてしまった。表情を取り繕う暇もなかった。半ば呆然と見上げる。
半月前となにも変わらない表情で、彼がほほえむ。しかたないなというようでもあったけれど、やはりどうしようもなく優しくて。
その顔に入ることを許されてしまったら、断ることはできなかった。
「寮生委員になったら、怒られるよ。茅野に」
「すみません、時間外に」
この部屋に入ったのは、あの日以来だった。あの日、この人の秘密を教えてもらった日。促されるまま腰かけて、行人は遅い時間の来訪を詫びた。完全に衝動的な行動だった。
「俺はいいけど。皓太は? あいつ、一応まだフロア長でしょ、名目上は。なにも言わなかった?」
あたりまえのように出てきた名前に、ぴくりと小さく肩が揺れた。気がついていないはずはないのに、成瀬の声は変わらなかった。
「それとも、なにか言えないようなことでもあった?」
「そういうわけじゃない、ですけど」
「それはそうか。皓太だもんな」
あっさりと成瀬は頷いた。
「あいつ、優しいだろ。真面目で、俺が言うのもなんだけど、アルファにしてはどうなんだっていうくらいまっすぐで。自分よりも誰かを自然と優先できる」
だから、高藤を選べと言っているのだろうか。疑いながらも、行人は違う言葉を選んだ。
「だから、あいつを選んだんですか。生徒会に」
「俺だけじゃないよ。篠原も皓太がいいって推してた」
「……」
「茅野も、寮生委員会から手放すのは惜しがってたけど。皓太がやる気があるならって了承してくれた。適正だって思ったんだろ」
「成瀬さんは?」
はぐらかされるだろうかと思ったけれど、そうはならなかった。
「そうだな。皓太だったら、今を維持してくれるだろうから、ありがたいなとは思ったよ。俺にも今をつくった多少の責任はあるし。それに」
「それに?」
「行人がいるから、皓太は断らないと思った。だから、推した」
淡々と静かな声が告げる。どうにか噛み砕こうと思って、けれど、できなかった。ぎゅっと膝の上で手を握りしめる。そんなこと、ちっともうれしくない。うれしく、ない。
「成瀬さん」
「なに?」
「……成瀬さん」
縋るような声になった自覚はあった。甘えてしまった自覚も。この部屋にやってきてしまった時点で、甘えてはいたのだろうけれど。
「俺は、ここにいてもよかったんですか」
この人は、ひとりで生きていくことのできる人だ。俺とは、違う。俺はできなかった。でも、だからと言って、その俺の尻ぬぐいに、あいつの優しさを利用していいわけがない。
ずっと堪えていた感情が決壊したように渦巻いている。苦しかったのは、きっとそれだった。
高藤の負担になりたいわけじゃない。なれるわけはなかったのかもしれないけれど、それでも、できることなら対等な関係でいたかった。
少し前まではできていたのに。少なくとも、自分たちのあいだではそうだったはずだった。
つがいなんてまやかしで、守られる必要なんてなかった。
「行人」
優しい声だった。
「おまえは、ここにいていい」
ほしい言葉をいつでも与えてくれる、優しい声。それに、ずっと甘えてきた。
「ここは、誰も弾き出さないよ」
誰も。アルファも、オメガも、ベータも、誰も。それはたしかに、行人がこの学園に入ったときに見た夢だった。
この人のもとでなら、そうなのではないかと思えたのだ。
「俺が、そうした」
でも、それに甘えても本当にいいのだろうか。水城が編入してきたとき、「かき乱すな」と思ったことを覚えている。どうしてオメガだなんて公言するのだと。この学園の平和を壊すなと。なんでおまえがここに入ってきたのだと、そう思った。
その言葉が、今、すべて自分に突き刺さっている。自分は、まちがいなくここをかき乱している。
「行人がいなくなったら、皓太が泣く。だから、いなくなったら困るな」
「泣かないでしょ」
無理やり笑ったような声になった。だって、想像できなかったのだ。あの男が泣くはずがない。
「いや、泣くよ。表面上は泣かなかったとしても、きっと。だから、俺も困るな。もちろん、俺も寂しくなるし」
沈黙のあとで、行人と彼が呼んだ。この人しかしない呼び方で。
「なんでもひとりでやろうとなんて、しなくていいんだ。そんなことができる人間はいないんだから」
言い聞かせるような言葉に、どうにか頷く。これ以上の迷惑はかけられないと思ったからだ。
「アルファでも、きっと」
やっぱり自分は小さい人間で、このときも、自分のことしか考えられていなかった。慰めてもらっているのだから、せめてこれ以上暗い顔を引きずらないようにしようと、そればかりで。
だから、彼自身に言い聞かせていた言葉でもあったのかもしれないと気がついたのは、もっとあとになってからだった。
この夜を、冷静に思い返せるようになってからのこと。
うつむいていた顔を上げて、もう一度頷く。はじめて会ったころから変わらない優しい瞳がにこりとほほえんだ。
「だから、頼ったらいい。行人が信じる誰かを」
「……成瀬さん」
いったい、いつから気がつかれていたのだろう。ノックをすることなく、開いてしまった。表情を取り繕う暇もなかった。半ば呆然と見上げる。
半月前となにも変わらない表情で、彼がほほえむ。しかたないなというようでもあったけれど、やはりどうしようもなく優しくて。
その顔に入ることを許されてしまったら、断ることはできなかった。
「寮生委員になったら、怒られるよ。茅野に」
「すみません、時間外に」
この部屋に入ったのは、あの日以来だった。あの日、この人の秘密を教えてもらった日。促されるまま腰かけて、行人は遅い時間の来訪を詫びた。完全に衝動的な行動だった。
「俺はいいけど。皓太は? あいつ、一応まだフロア長でしょ、名目上は。なにも言わなかった?」
あたりまえのように出てきた名前に、ぴくりと小さく肩が揺れた。気がついていないはずはないのに、成瀬の声は変わらなかった。
「それとも、なにか言えないようなことでもあった?」
「そういうわけじゃない、ですけど」
「それはそうか。皓太だもんな」
あっさりと成瀬は頷いた。
「あいつ、優しいだろ。真面目で、俺が言うのもなんだけど、アルファにしてはどうなんだっていうくらいまっすぐで。自分よりも誰かを自然と優先できる」
だから、高藤を選べと言っているのだろうか。疑いながらも、行人は違う言葉を選んだ。
「だから、あいつを選んだんですか。生徒会に」
「俺だけじゃないよ。篠原も皓太がいいって推してた」
「……」
「茅野も、寮生委員会から手放すのは惜しがってたけど。皓太がやる気があるならって了承してくれた。適正だって思ったんだろ」
「成瀬さんは?」
はぐらかされるだろうかと思ったけれど、そうはならなかった。
「そうだな。皓太だったら、今を維持してくれるだろうから、ありがたいなとは思ったよ。俺にも今をつくった多少の責任はあるし。それに」
「それに?」
「行人がいるから、皓太は断らないと思った。だから、推した」
淡々と静かな声が告げる。どうにか噛み砕こうと思って、けれど、できなかった。ぎゅっと膝の上で手を握りしめる。そんなこと、ちっともうれしくない。うれしく、ない。
「成瀬さん」
「なに?」
「……成瀬さん」
縋るような声になった自覚はあった。甘えてしまった自覚も。この部屋にやってきてしまった時点で、甘えてはいたのだろうけれど。
「俺は、ここにいてもよかったんですか」
この人は、ひとりで生きていくことのできる人だ。俺とは、違う。俺はできなかった。でも、だからと言って、その俺の尻ぬぐいに、あいつの優しさを利用していいわけがない。
ずっと堪えていた感情が決壊したように渦巻いている。苦しかったのは、きっとそれだった。
高藤の負担になりたいわけじゃない。なれるわけはなかったのかもしれないけれど、それでも、できることなら対等な関係でいたかった。
少し前まではできていたのに。少なくとも、自分たちのあいだではそうだったはずだった。
つがいなんてまやかしで、守られる必要なんてなかった。
「行人」
優しい声だった。
「おまえは、ここにいていい」
ほしい言葉をいつでも与えてくれる、優しい声。それに、ずっと甘えてきた。
「ここは、誰も弾き出さないよ」
誰も。アルファも、オメガも、ベータも、誰も。それはたしかに、行人がこの学園に入ったときに見た夢だった。
この人のもとでなら、そうなのではないかと思えたのだ。
「俺が、そうした」
でも、それに甘えても本当にいいのだろうか。水城が編入してきたとき、「かき乱すな」と思ったことを覚えている。どうしてオメガだなんて公言するのだと。この学園の平和を壊すなと。なんでおまえがここに入ってきたのだと、そう思った。
その言葉が、今、すべて自分に突き刺さっている。自分は、まちがいなくここをかき乱している。
「行人がいなくなったら、皓太が泣く。だから、いなくなったら困るな」
「泣かないでしょ」
無理やり笑ったような声になった。だって、想像できなかったのだ。あの男が泣くはずがない。
「いや、泣くよ。表面上は泣かなかったとしても、きっと。だから、俺も困るな。もちろん、俺も寂しくなるし」
沈黙のあとで、行人と彼が呼んだ。この人しかしない呼び方で。
「なんでもひとりでやろうとなんて、しなくていいんだ。そんなことができる人間はいないんだから」
言い聞かせるような言葉に、どうにか頷く。これ以上の迷惑はかけられないと思ったからだ。
「アルファでも、きっと」
やっぱり自分は小さい人間で、このときも、自分のことしか考えられていなかった。慰めてもらっているのだから、せめてこれ以上暗い顔を引きずらないようにしようと、そればかりで。
だから、彼自身に言い聞かせていた言葉でもあったのかもしれないと気がついたのは、もっとあとになってからだった。
この夜を、冷静に思い返せるようになってからのこと。
うつむいていた顔を上げて、もう一度頷く。はじめて会ったころから変わらない優しい瞳がにこりとほほえんだ。
「だから、頼ったらいい。行人が信じる誰かを」
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