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第三部
パーフェクト・ワールド・エンドⅢ 0 ⑤
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「水城、自分の家には帰らないんだな」
ひとりごちた台詞が、ぽつりと校舎裏に響く。漏れ聞こえてきた会話の内容からの判断ではあるものの、どうも一度も帰宅しないまま同級生の家に向かう様子だった。
他人ごとながら良いのだろうかと心配になったのは、自分の帰宅を喜んでくれる家族の顔が頭に浮かんだからだ。母も兄も、口には出さないかもしれないが父も、長期休暇中に自分が一度も家に戻らなかったら寂しがるだろう。
鬱陶しく感じることもあるが、かわいがってもらっている自覚はあるのだ。とは言え、どこの家も似たようなものだろうと思っていたのだが。
――そういや、水城の家のことってなんにも知らないかも。
その事実に、はじめて行人は気がついた。オメガで、首席入学の編入生。そのくらいのことしか自分は知らない。
噂話に疎い自分であっても、中等部で三年間を過ごせば、同級生や目立つ上級生の家のことは嫌でも耳に入ってきていた。
親同士が仕事の関係でつながっていることもあるし、入学前から見知った顔もある。苗字だけでなんとなく察せるような人もいる。けれど、水城にはそれがない。
興味がなかったから、と言われてしまえば、それまでで、知っている人は知っているのかもしれないけれど。
そこまで考えたところで、まぁ、いいか、と行人は追及をやめた。帰らないというのなら、それなりの事情があるのだろう。「こんなに夏休みが楽しみなのは云々」は水城の世辞のような気はするが。べつにそれも相手の同級生が喜んでいるのなら、自分がどうのこうのと考えを巡らすことではない。
「あっ、やば」
遠くで自分を探す声が聞こえた気がして、行人ははたと我に返った。電話が終わったころに戻ればいいとの判断で、離れたところまで移動していたのだった。おまけに今は隠れているのだから、見つかるはずがない。
「オメガってのは、そんなにアルファを誑かしたいものなのか?」
その声が背にかかったのは、慌てて出て行こうとしたタイミングだった。ぴたりと足が止まる。
苦笑まじりの揶揄からは、呆れと、そうしてかすかな軽蔑のにおいがした。振り返らずに逃げ出す真似もできず、ぎこちなく振り返る。鞄を持つ手には暑さのせいだけではない汗がにじんでいた。
「……本尾先輩」
この人と顔を合わせるのも、言葉を交わすのも、あの日――はじめてヒートを起こした日以来だった。条件反射のように、心臓が大きな音を立てる。
強いアルファという生き物は、そこに在るだけで行人にとって脅威なのだ。認めたくは、なかったけれど。
「水城といい、おまえといい、――あの会長様もそうか」
最後に出てきた名前に、小さく息を呑む。目を逸らすこともできず、じっと凝視していると、ふっと呆れた顔で向こうが笑った。
「だからどうだとは言わないけどな。あと半年なんだ。これ以上、妙な問題は起こすなよ」
「っ、……問題なんて」
まったく起こしていないとは、言えないとわかっている。でも、起こしたいと思ったことはないし、だから気をつけてきたつもりだ。
自分を気にかけてくれている人たちに、これ以上、迷惑も心配もかけたくなかったから。
「おまえらの存在だけで火種になってるって、そう言ってるんだよ」
振り絞ろうとした反論を、本尾は嫌そうに一蹴した。
「オメガに振り回されて、喜んでるやつの気がしれねぇ」
そう吐き捨てた声は、心底うんざりとしたものに行人の耳には響いた。
なにも言い返せなくて、ただぎゅっと手に力を込める。べつの足音が近づいてきたのは、そのときだった。
「なんだ、榛名。こんなところにいたのか」
飄々とした、いつもどおりの声。となりに並んだ茅野が、安心させるように、ぽんと軽く行人の背を叩く。
「茅野さん」
応じた声が、思っていた以上にほっとしていたことに気がついて、ほんの少し恥ずかしくなる。話していただけなのに、過緊張の状態だったと自覚せざるを得なかったからだ。
「なんで、おまえが、こんなところぶらついてんだよ。寮のほうはどうした」
「それはこっちの台詞だ。おまえこそ、ただでさえ威圧的ななりをしてるんだ。うちのかわいい一年生をいじめてくれるなよ」
「過保護だな。なにもしてねぇよ」
呆れ切った返答に、茅野が小さく溜息を吐いた。
「それはわかるが、おまえが話しかけるだけで怖がる生徒は怖がるんだ。とくに下級生にはな。声をかけるときは、そのあたりをきちんと自覚して、配慮しろ。そのくらいしてやったっていいだろう」
ひとりごちた台詞が、ぽつりと校舎裏に響く。漏れ聞こえてきた会話の内容からの判断ではあるものの、どうも一度も帰宅しないまま同級生の家に向かう様子だった。
他人ごとながら良いのだろうかと心配になったのは、自分の帰宅を喜んでくれる家族の顔が頭に浮かんだからだ。母も兄も、口には出さないかもしれないが父も、長期休暇中に自分が一度も家に戻らなかったら寂しがるだろう。
鬱陶しく感じることもあるが、かわいがってもらっている自覚はあるのだ。とは言え、どこの家も似たようなものだろうと思っていたのだが。
――そういや、水城の家のことってなんにも知らないかも。
その事実に、はじめて行人は気がついた。オメガで、首席入学の編入生。そのくらいのことしか自分は知らない。
噂話に疎い自分であっても、中等部で三年間を過ごせば、同級生や目立つ上級生の家のことは嫌でも耳に入ってきていた。
親同士が仕事の関係でつながっていることもあるし、入学前から見知った顔もある。苗字だけでなんとなく察せるような人もいる。けれど、水城にはそれがない。
興味がなかったから、と言われてしまえば、それまでで、知っている人は知っているのかもしれないけれど。
そこまで考えたところで、まぁ、いいか、と行人は追及をやめた。帰らないというのなら、それなりの事情があるのだろう。「こんなに夏休みが楽しみなのは云々」は水城の世辞のような気はするが。べつにそれも相手の同級生が喜んでいるのなら、自分がどうのこうのと考えを巡らすことではない。
「あっ、やば」
遠くで自分を探す声が聞こえた気がして、行人ははたと我に返った。電話が終わったころに戻ればいいとの判断で、離れたところまで移動していたのだった。おまけに今は隠れているのだから、見つかるはずがない。
「オメガってのは、そんなにアルファを誑かしたいものなのか?」
その声が背にかかったのは、慌てて出て行こうとしたタイミングだった。ぴたりと足が止まる。
苦笑まじりの揶揄からは、呆れと、そうしてかすかな軽蔑のにおいがした。振り返らずに逃げ出す真似もできず、ぎこちなく振り返る。鞄を持つ手には暑さのせいだけではない汗がにじんでいた。
「……本尾先輩」
この人と顔を合わせるのも、言葉を交わすのも、あの日――はじめてヒートを起こした日以来だった。条件反射のように、心臓が大きな音を立てる。
強いアルファという生き物は、そこに在るだけで行人にとって脅威なのだ。認めたくは、なかったけれど。
「水城といい、おまえといい、――あの会長様もそうか」
最後に出てきた名前に、小さく息を呑む。目を逸らすこともできず、じっと凝視していると、ふっと呆れた顔で向こうが笑った。
「だからどうだとは言わないけどな。あと半年なんだ。これ以上、妙な問題は起こすなよ」
「っ、……問題なんて」
まったく起こしていないとは、言えないとわかっている。でも、起こしたいと思ったことはないし、だから気をつけてきたつもりだ。
自分を気にかけてくれている人たちに、これ以上、迷惑も心配もかけたくなかったから。
「おまえらの存在だけで火種になってるって、そう言ってるんだよ」
振り絞ろうとした反論を、本尾は嫌そうに一蹴した。
「オメガに振り回されて、喜んでるやつの気がしれねぇ」
そう吐き捨てた声は、心底うんざりとしたものに行人の耳には響いた。
なにも言い返せなくて、ただぎゅっと手に力を込める。べつの足音が近づいてきたのは、そのときだった。
「なんだ、榛名。こんなところにいたのか」
飄々とした、いつもどおりの声。となりに並んだ茅野が、安心させるように、ぽんと軽く行人の背を叩く。
「茅野さん」
応じた声が、思っていた以上にほっとしていたことに気がついて、ほんの少し恥ずかしくなる。話していただけなのに、過緊張の状態だったと自覚せざるを得なかったからだ。
「なんで、おまえが、こんなところぶらついてんだよ。寮のほうはどうした」
「それはこっちの台詞だ。おまえこそ、ただでさえ威圧的ななりをしてるんだ。うちのかわいい一年生をいじめてくれるなよ」
「過保護だな。なにもしてねぇよ」
呆れ切った返答に、茅野が小さく溜息を吐いた。
「それはわかるが、おまえが話しかけるだけで怖がる生徒は怖がるんだ。とくに下級生にはな。声をかけるときは、そのあたりをきちんと自覚して、配慮しろ。そのくらいしてやったっていいだろう」
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