夢の続きの話をしよう

木原あざみ

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第一話

2.

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 終電間際の乗り継ぎの悪さも相まって、一人暮らししているアパートに辿り着いたのは、日付が変わる頃になってだった。
 理由は考えたくないが、ひどく疲れたような気分だった。
 そのまま横になりたい衝動を堪えて、時間を確認しようと、ポケットから携帯電話を取り出した瞬間、着信を伝える振動が掌に広がった。
 庄司か、と一番頻度の高い友人の顔が浮かんだのも束の間、画面に表示された名前に、瞠目する。

 ――重なるときには、重なるんだな。

 それは深山学園の中等部に在籍していた当時、ずっと一緒だったチームメイトの富原の名前だった。
 少しの躊躇いの後、通話ボタンを押す。繋がった通話口で、ほっとした声が「佐野」と俺を呼んだ。

「電話珍しいな、どうした?」
「いや、久しぶりに。どうしてるかなって思って」

 そんな理由じゃ電話してこないだろうと分かっていながら、「おまえは俺の彼女か」と笑ってみせると、富原も小さく苦笑を返してきた。
 その声に、困ったように笑う顔まで誘発されてしまう。富原は根っからのキャプテン気質と言えばいいのか、要領が悪いと言えばいいのか人が良いのか、とかくよく貧乏くじを引かされていた。
 けれど結局、嫌な顔は見せないで「仕方ないな」という溜息ひとつで、元気なチームメイトをまとめていた。

 そんなことまで思い出してしまって、眉間に皺が寄った。駄目だ。
 今日は、思い返しても意味もない昔の記憶ばかりを、掘り返してしまっている。

「この間、メール回ってきてただろ? 飲み会しないかって」
「あぁ、そういや来てたな。悪い、返信忘れてた」
「それはいいんだけどな、……あのさ、おまえ、飲み会、来る気ないか?」

 問いかけに、少し息が詰まった。
 大学に入ってから何度か深山のメンバーから飲み会の開催メールは回ってきていた。けれど、俺はそれに一度も参加をしたことがなかった。今も連絡を取ってる当時の仲間は富原だけだけれど、その富原にも、今まで一度も、その事実に触れられたことはなかったのに。

「おまえがそれ、言うの」

 これを言うのはずるいと分かっていたけれど、気が付けばそう漏らしてしまっていた。
 富原が急に言いだした理由も、本当は分からなくもない。
 もう三年も前なんだと、さっき思っていたのは俺自身だ。
 あのころ俺と同学年だった奴らでプロに行った奴は少ない。富原みたいに推薦で大学サッカーをしているメンバーもいるけど、すっぱり辞めた奴だって相当数存在する。
 あのころみたいに、サッカーが全てでないことは、知っている。
 言い淀んだ気配の後、富原が「でもな」と言葉を継いだ。

「みんな、会いたがってる。山路も磯川も―――折原も」

 あのころと、違うのは分かっていた。
 当時のメンバーと会ったからと言って、何がどうなるわけでもないだろうとも。
 高校生だったころ、俺たちの世界は確かにサッカーだけで閉じていた。けれど、今はそうじゃない。
 でも、――富原がいて、あの当時の仲間がいて、折原がいる場所には、変わらずそれしかないような気がしている。

「俺は、おまえがフットサルのサークルに入ったって聞いて、本当に嬉しかったよ」
「ほぼ飲みサーだけどな」
「それでも、またサッカーに関わってくれるんじゃないのかって、それが」

 あの広いフィールドとは全然違うけれど。やっている人間も、全然違うけれど。

「なぁ、佐野」
「なんだよ」
「いいかげん、俺は折原に恨まれてると思うんだが」
「なんでだよ」

 分かっているくせにと言いたげに、電話先で富原が苦笑したのが分かった。

「おまえの話ばっかりだよ、酒が入ると。佐野先輩、佐野先輩って。富原先輩は佐野先輩と連絡取ってるんでしょって」
「……しょうがねぇな、あいつ」

 さっき見てしまった折原の笑顔が簡単に脳裏に浮かんだ。返答もおざなりにしてしまいたかったのに、それは叶わなくて。
 ただ声が震えていないことだけを祈りたいような気持ちだった。

「でもあいつも、思うところがあるんだと思うぞ。あの折原が、酒入らなかったらおまえの話、一切しないんだ」

 あれだけおまえに懐いてたのに連絡先も教えるなっておまえが言うし、とほんの少しだけ責める響きのこもった声に、曖昧に濁すことしか出来なかった。
 けれど、俺が折原と連絡を取りたくないと思っている理由を、富原は気づいていると思う。
 俺の微妙に屈折したサッカーへの思いだとか、俺と折原のどうしようもないような感情の揺らぎだとかに。

「あー、でも悪い。20日の木曜だったよな。俺、その日バイト入ってるんだわ」
「……じゃあ次は、早めに日程決めるから、あけとけよ。おまえの都合で組んでやるから」

 言質を要求する富原の台詞から、笑うことで逃げて明言を避ける。


 流れる時間の中で、変わることが当たり前だと、変化していくことを望まれるのは分かっているし、それは当たり前なことなんだとも思う。
 折原は立ち止まってなんかいない。
 着実に進んでいる。
 富原も、他の奴らも、そうだ。
 自分で選んだ岐路の先を歩んでいる。
 俺だけが、いつまでもあのころに捕われたままなんだ。




「先輩」

 折原が俺を呼んでいるのだと、すぐに分かった。
 それこそ大所帯の体育会系だったのだ。「先輩」と呼びかける後輩は何人もいたし、先輩と呼称されるべき人間も何人もいた。
 けれど折原の声は、どこにいたって俺を掴んだ。
 それこそ、馬鹿みたいに。

 誰もいなくなった部室で、寮の非常階段で。何度かキスをした。
 一度だけ、互いの性器に触れたこともあったけれど、それも全部、男子寮での禁欲生活で溜まっていたせいだと思おうとしていた。
 その相手がなぜ俺だったのかは、知らないけど。

 先輩、と俺を呼ぶ折原の声に、いつしか甘いものが混じり始めたとき、まずいなと思った。
まずい。
 こいつは、こんな男だらけの中で、どうしようもない勘違いをし始めているんじゃないのか、と。
 ただの性欲処理じゃなくなってるんじゃないのかと。

 このままじゃ駄目だと、歯止めが利かなくなると分かっていた。それなのに俺はいつも折原の声で「先輩」と呼ばれるともう駄目だった。
 止められなくて、あとはもうなし崩しだ。

 でもやめないと駄目だと、分かってはいたんだ。
 けれどそれも、俺が卒業したらそのまま過去になって消えるのではないかと、そう言い聞かせて。ひどく他力本願のまま流されていた。

 それがまさかあんな時期に、全てが中途半端なまま断ち切られるとは思ってもいなかったけど。
 高校二年生の冬の、全国大会の決勝戦だった。
 雪上の決戦と言われたその年、グラウンドは真っ白で、細かく吹雪いていた。

 コンディションが悪かっただけのせいではないと思う。
 様々な要因が重なって、そしてひどく運が悪かった。

 あのころは当たりが悪かったなんて言葉に、どうしようもなく苛立ったけれど、でもそうなのかもしれないなと今なら思うこともできる。
 誰が悪かったわけでもない。
 強いて言うなら俺の未熟さかもしれないと思うくらいのレベルの話だ。

 けれどただ一つ、はっきりと言えることがあったとしたら、全国優勝の決まった国立のピッチで、俺のサッカーも終わったと言うことだけだった。

 もうやれないのに、深山にいることが苦しくて。
 言い訳みたいに繰り返しながら、転校した。
 これで終わりだと、何度も思いながら。
 サッカーからも。

 折原からも。


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