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番外編2
噓と建前(4)
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「お願いって言ったら、こっちが折れるって思ってるだろ、おまえ」
ベッドの上で上の衣服を脱ぎながらそう言った先輩の顔には、思いきり不服だと書かれていた。押しつけられたティーシャツと自分のものとを軽く畳みつつ、「そんなことないですよ」と否定する。
信じないだろうなと半ば確信していたので、まぁ、いいのだが、案の定「嘘くさい」と言われてしまった。
「嘘じゃないですって。二割くらいは」
「八割思ってんのかよ」
でも、だって、実際そうだし。大昔の、ただの後輩だったころに遡ってみても、たぶん。曖昧にほほえんで誤魔化したのが気に食わなかったのか、今度は溜息が返ってきた。
「ちょっと溜息」
舌打ちされないだけマシなのかな、という気が一瞬したものの、さすがにこの年でそれはしないだろうと思い直す。溜息の時点でどうかとは思うが、それはそれだ。
膝からベッドに上がって、すぐそばにまで近づく。
「こういうときに吐きます、ふつう」
「おまえがめちゃくちゃかわいくないこと考えてそうだったから、つい」
「素直に言えばいいっていう話じゃないんですけど。それか、もっと違うこと素直に言ってくださいよ」
どうせなら、と呆れ半分で苦笑して、正面から一度口づけた。
「違うこと?」
「そう、そう。俺とのキスも好き、とか。ないんですか、そういうの」
決まってること教えて、の延長線上の言葉遊びでしかなかったわけだが、妙なところで律義にできている先輩は、案外ちゃんと付き合ってくれると知っている。
たとえ、それが他愛のない口約束であったとしても。ほほえむと、先輩が苦い顔になった。そうしてまたひとつ溜息。
「はいはい、好き好き」
「言い方」
べつにいいけど、照れ隠しにしても雑すぎる。
「甘やかしてやってもいいって言ってたの誰なんですか、本当」
とは言え、調子に乗ってからかって拗ねられたくもない。それ以上の言及はひとまず置いておいて、改めてキスをしかけた。
「……ん」
何度か軽く唇を合わせて、開いた咥内に舌を這わせる。首に回ってきた腕に引き寄せられると、ぐっとキスが深くなった。むき出しの肌が重なって、心臓の音が混ざっていく。
絡めて、吸って、角度を変えながら繰り返した長いキスの最後に、唾液で濡れた唇に小さく音を立てて吸いついた。
常夜灯の薄明りの中でもわかる程度には、目じりが赤く染まっている。色が白いからわかりやすく目立つだけだとわかっていても、かわいく思うし、自分がそうさせているのだと思えば優越感のようなものも覚えてしまう。
もう少しだけからかってみたくなって、それで、と囁くような声を落とした。
「好きでした?」
「……おまえ、これで嫌いって言われたらどうすんの。逆に聞きたいんだけど」
「え、言うんですか?」
そう言うと、嫌そうに視線を外されてしまった。
「言わないけど。なんか腹立つな」
らしい言いように笑って「俺は好きですけど」と告げれば、「知ってる」とさも当然と返される。まぁ、だろうな。
機嫌を取るように触れるだけのキスをして、そのままシーツに背を押し倒した。
痕を残さない程度に鎖骨を吸って、首筋をなぞる。耳のつけねに押し当てて、匂いを確認するように鼻を鳴らすと、ふっと空気が震えた。機嫌の戻ったらしい、ちょっと楽しそうな声。
「おまえ、本当、そういうとこ犬」
「犬って。でも、まぁ、そうかな。先輩の匂い好きだし」
匂い、とかすかに呆れたふうに呟くのを笑って、もう一度、唇を押し当てる。事実だ。
「好きですよ。きつくはないけど。夏とか、……体温上がると、ちゃんとわかるし」
本当に昔の、同じ空間でサッカーをしていたころからそうだと告げれば一段と嫌がられてしまいそうなので、やらないけど。あの当時の自分がかわいかったとは思えないので、先輩の記憶は、たぶんすごく都合よく改変されてるんだと思う。そのまま耳朶に唇で触れて軽く歯を立てようとした瞬間、目の前にばっと手の甲が割り込んできた。
情緒もへったくれもない勢いで耳を覆い隠されてしまったので、さすがに顔を離して、軽く上体を起こす。おまけに、見上げてくる瞳が、ものすごくもの言いたげだ。
「あの……」
「やめろって、言ったよな」
念を押してくる声まで、若干恨みがましそうですらある。そのせいで、取り成す調子でほほえむことしかできなかった。
「言ってましたねぇ」
昨年末に言われた記憶も、まぁ、あったはあったので。半年経ったし時効だろうと勝手に踏んでいたのだが、違ったらしい。
掘り起こすと余計に怒られるなという判断の下、アプローチの方向性を変えてみることにする。
「なんというか、好きですよね、俺の声」
「違う」
即座に否定されたものの、そんなことはないと知っていた。自意識過剰でもなんでもなく、長年の経験則として。お願い、なんていう言葉ひとつで折れてくれるのだって、多少はそれが影響しているのだろうと思う。
でも、その上で聞いてみたくて、この人の言うところの、年下らしい顔で問い直す。先輩がどう思ってくれているかなんていうことは、行動を見ていたらわかるけど。聞けるのなら、いくらだって聞きたい。
「違う?」
「……やめろ、違わないから」
もろもろ呑み込んで諦めたみたいな言い方のくせに、手が離れる気配はないままだ。
――根に持たれてんな、これ、けっこう。
時効どころの話ではなく。
遡ること半年前。がんばったら耳だけでもいけそうな雰囲気あるんだけどな、という魂胆でしつこく舐め回したことは事実だし、その結果として「人に変な性癖をつけようとするな」とわりと本気で怒られたことも事実だ。
やめろと言われた以上もうしないつもりだったのに、これでもかと警戒されている。そういう反応をされると、したくなるんだけどな、という本音は隠したまま、「わかりました」と苦笑する。
「そんな警戒しなくても。するなって言われたこと、しませんって」
というか、そういうことしたことないと思うんだけどな、俺。仮に犬だとしても、ものすごくしっかりとした待てのできる犬だと自認している。
仕切り直しで、もう一度唇へとキスを落とした。軽いキスを繰り返すうちに、不満を示すように引き結ばれていた唇がほどけていく。いかにもしかたない、というふうではあったけれど。
笑ったらまた機嫌を損ねられそうだったので、そのまま舌を絡めて口づけを深くする。守るように耳を覆っていた手のひらをやんわり引きはがして、シーツに押しつけた。弱いところを擽って口の粘膜を舐めると、吐息にも瞳にも甘ったるいものが混ざり始める。
好きだなと思うし、この人もちゃんと俺のこと好きなんだなとわかるから、なんというかほっとする。
「っ……ん」
キス好きですよね、とは言ったものの、たぶん、真っ向からの愛情表現みたいなものに弱いんだろうなと思う。押しに弱いというのと同じで、情に厚い。だから、ずっと甘くいてくれている。
唇に続いて、首筋に、鎖骨、胸へと触れていく。そのたびに、きゅっと力が入るのが重ねた手のひら越しに伝わってきて、苦笑がこぼれた。
たぶん、というか、間違いなく無意識だろうし、なんならただの反射だともわかっているけど。
「先輩、先輩」
それ、と示すように握り返した。
「うれしいんだけど、なんかちょっと変な扉開きそう」
やたらかわいげがあるように見えるというか、ちょっとくるものがある。そう告げると、怪訝そうだった顔が、一拍遅れてじんわり赤くなっていく。
――あ、かわいい。
なんというか、珍しいから、よけいに。
理性がとけて、べたべたと触ってくれるようになるのもうれしいけど、しっかりあるタイミングで恥ずかしそうにしてるのを見るのも好きとか、なんか本当に歪まされたな、と思う。
振り払われそうになった手を掴み直すと、先輩が指先から力を抜いた。無理に押し返したくなかっただけに違いない。その証拠に、ふいと横を向いた顔も、ぽそりと呟かれた声もぶっきらぼう極まりなかった。
あらわになった耳がまだほんのりと赤い時点で、照れ隠しだと丸わかりではあるのだが。
ベッドの上で上の衣服を脱ぎながらそう言った先輩の顔には、思いきり不服だと書かれていた。押しつけられたティーシャツと自分のものとを軽く畳みつつ、「そんなことないですよ」と否定する。
信じないだろうなと半ば確信していたので、まぁ、いいのだが、案の定「嘘くさい」と言われてしまった。
「嘘じゃないですって。二割くらいは」
「八割思ってんのかよ」
でも、だって、実際そうだし。大昔の、ただの後輩だったころに遡ってみても、たぶん。曖昧にほほえんで誤魔化したのが気に食わなかったのか、今度は溜息が返ってきた。
「ちょっと溜息」
舌打ちされないだけマシなのかな、という気が一瞬したものの、さすがにこの年でそれはしないだろうと思い直す。溜息の時点でどうかとは思うが、それはそれだ。
膝からベッドに上がって、すぐそばにまで近づく。
「こういうときに吐きます、ふつう」
「おまえがめちゃくちゃかわいくないこと考えてそうだったから、つい」
「素直に言えばいいっていう話じゃないんですけど。それか、もっと違うこと素直に言ってくださいよ」
どうせなら、と呆れ半分で苦笑して、正面から一度口づけた。
「違うこと?」
「そう、そう。俺とのキスも好き、とか。ないんですか、そういうの」
決まってること教えて、の延長線上の言葉遊びでしかなかったわけだが、妙なところで律義にできている先輩は、案外ちゃんと付き合ってくれると知っている。
たとえ、それが他愛のない口約束であったとしても。ほほえむと、先輩が苦い顔になった。そうしてまたひとつ溜息。
「はいはい、好き好き」
「言い方」
べつにいいけど、照れ隠しにしても雑すぎる。
「甘やかしてやってもいいって言ってたの誰なんですか、本当」
とは言え、調子に乗ってからかって拗ねられたくもない。それ以上の言及はひとまず置いておいて、改めてキスをしかけた。
「……ん」
何度か軽く唇を合わせて、開いた咥内に舌を這わせる。首に回ってきた腕に引き寄せられると、ぐっとキスが深くなった。むき出しの肌が重なって、心臓の音が混ざっていく。
絡めて、吸って、角度を変えながら繰り返した長いキスの最後に、唾液で濡れた唇に小さく音を立てて吸いついた。
常夜灯の薄明りの中でもわかる程度には、目じりが赤く染まっている。色が白いからわかりやすく目立つだけだとわかっていても、かわいく思うし、自分がそうさせているのだと思えば優越感のようなものも覚えてしまう。
もう少しだけからかってみたくなって、それで、と囁くような声を落とした。
「好きでした?」
「……おまえ、これで嫌いって言われたらどうすんの。逆に聞きたいんだけど」
「え、言うんですか?」
そう言うと、嫌そうに視線を外されてしまった。
「言わないけど。なんか腹立つな」
らしい言いように笑って「俺は好きですけど」と告げれば、「知ってる」とさも当然と返される。まぁ、だろうな。
機嫌を取るように触れるだけのキスをして、そのままシーツに背を押し倒した。
痕を残さない程度に鎖骨を吸って、首筋をなぞる。耳のつけねに押し当てて、匂いを確認するように鼻を鳴らすと、ふっと空気が震えた。機嫌の戻ったらしい、ちょっと楽しそうな声。
「おまえ、本当、そういうとこ犬」
「犬って。でも、まぁ、そうかな。先輩の匂い好きだし」
匂い、とかすかに呆れたふうに呟くのを笑って、もう一度、唇を押し当てる。事実だ。
「好きですよ。きつくはないけど。夏とか、……体温上がると、ちゃんとわかるし」
本当に昔の、同じ空間でサッカーをしていたころからそうだと告げれば一段と嫌がられてしまいそうなので、やらないけど。あの当時の自分がかわいかったとは思えないので、先輩の記憶は、たぶんすごく都合よく改変されてるんだと思う。そのまま耳朶に唇で触れて軽く歯を立てようとした瞬間、目の前にばっと手の甲が割り込んできた。
情緒もへったくれもない勢いで耳を覆い隠されてしまったので、さすがに顔を離して、軽く上体を起こす。おまけに、見上げてくる瞳が、ものすごくもの言いたげだ。
「あの……」
「やめろって、言ったよな」
念を押してくる声まで、若干恨みがましそうですらある。そのせいで、取り成す調子でほほえむことしかできなかった。
「言ってましたねぇ」
昨年末に言われた記憶も、まぁ、あったはあったので。半年経ったし時効だろうと勝手に踏んでいたのだが、違ったらしい。
掘り起こすと余計に怒られるなという判断の下、アプローチの方向性を変えてみることにする。
「なんというか、好きですよね、俺の声」
「違う」
即座に否定されたものの、そんなことはないと知っていた。自意識過剰でもなんでもなく、長年の経験則として。お願い、なんていう言葉ひとつで折れてくれるのだって、多少はそれが影響しているのだろうと思う。
でも、その上で聞いてみたくて、この人の言うところの、年下らしい顔で問い直す。先輩がどう思ってくれているかなんていうことは、行動を見ていたらわかるけど。聞けるのなら、いくらだって聞きたい。
「違う?」
「……やめろ、違わないから」
もろもろ呑み込んで諦めたみたいな言い方のくせに、手が離れる気配はないままだ。
――根に持たれてんな、これ、けっこう。
時効どころの話ではなく。
遡ること半年前。がんばったら耳だけでもいけそうな雰囲気あるんだけどな、という魂胆でしつこく舐め回したことは事実だし、その結果として「人に変な性癖をつけようとするな」とわりと本気で怒られたことも事実だ。
やめろと言われた以上もうしないつもりだったのに、これでもかと警戒されている。そういう反応をされると、したくなるんだけどな、という本音は隠したまま、「わかりました」と苦笑する。
「そんな警戒しなくても。するなって言われたこと、しませんって」
というか、そういうことしたことないと思うんだけどな、俺。仮に犬だとしても、ものすごくしっかりとした待てのできる犬だと自認している。
仕切り直しで、もう一度唇へとキスを落とした。軽いキスを繰り返すうちに、不満を示すように引き結ばれていた唇がほどけていく。いかにもしかたない、というふうではあったけれど。
笑ったらまた機嫌を損ねられそうだったので、そのまま舌を絡めて口づけを深くする。守るように耳を覆っていた手のひらをやんわり引きはがして、シーツに押しつけた。弱いところを擽って口の粘膜を舐めると、吐息にも瞳にも甘ったるいものが混ざり始める。
好きだなと思うし、この人もちゃんと俺のこと好きなんだなとわかるから、なんというかほっとする。
「っ……ん」
キス好きですよね、とは言ったものの、たぶん、真っ向からの愛情表現みたいなものに弱いんだろうなと思う。押しに弱いというのと同じで、情に厚い。だから、ずっと甘くいてくれている。
唇に続いて、首筋に、鎖骨、胸へと触れていく。そのたびに、きゅっと力が入るのが重ねた手のひら越しに伝わってきて、苦笑がこぼれた。
たぶん、というか、間違いなく無意識だろうし、なんならただの反射だともわかっているけど。
「先輩、先輩」
それ、と示すように握り返した。
「うれしいんだけど、なんかちょっと変な扉開きそう」
やたらかわいげがあるように見えるというか、ちょっとくるものがある。そう告げると、怪訝そうだった顔が、一拍遅れてじんわり赤くなっていく。
――あ、かわいい。
なんというか、珍しいから、よけいに。
理性がとけて、べたべたと触ってくれるようになるのもうれしいけど、しっかりあるタイミングで恥ずかしそうにしてるのを見るのも好きとか、なんか本当に歪まされたな、と思う。
振り払われそうになった手を掴み直すと、先輩が指先から力を抜いた。無理に押し返したくなかっただけに違いない。その証拠に、ふいと横を向いた顔も、ぽそりと呟かれた声もぶっきらぼう極まりなかった。
あらわになった耳がまだほんのりと赤い時点で、照れ隠しだと丸わかりではあるのだが。
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