71 / 82
笑う門には福来る
22:時東悠 1月26日12時25分 ③
しおりを挟む
「なんて書くの?」
「え?」
「漢字」
予想外に興味を示され、時東は瞳を瞬かせた。
「えーと、悠久の歴史とかの悠で『はるか』。小さいころは女の子みたいとか言われたけど」
「きれいな名前なのにな」
話の流れで褒められただけだというのに、なんだか妙に落ち着かない。誤魔化すように「そうかな」と笑ったタイミングで、春風が立ち上がった。
「じゃ、俺、帰るわ」
「あれ。もう帰られるんですか」
「時東くんもいるし、問題ないでしょ。とりあえず、今日一日くらい大人しくしときな。榊のばあちゃん、こともあろうか俺の家に血相変えて飛び込んできたんだから」
あぁ、それで。一緒に戻ってきた理由に時東は納得した。たまたま場所が近かっただけかもしれないけれど、いいな、と思う。ほんの少し、羨ましい。
「いくつになってもセット扱いが抜けないから嫌なんだ、ばあちゃんたちの認識は」
「そんなこと言って。遠い孫よりなんとやらでかわいがってもらってるくせに」
呆れたふうに言うくせに、春風の声は優しかった。幼馴染みねぇ。今日だけで幾度になるのか知れないことを、また考えてしまった。
幼馴染みというものは、そんなに特別に大事で、優しくしたい存在なのだろうか。
時東にはわからない。先ほど羨ましく感じたのは、あくまで物理的な距離の近さに関してだ。この場所で南になにかあれば春風に連絡が行き、春風になにかあれば南もあたりまえに知ることになる。
時東になにかあったとしても、南が知るのはテレビを通してになるだろうし、南になにかあったとして、時東が知ることはない。あるいは、知るころにはすべて終わっている。あの一件が良い例だった。
――でも、変わる気がないなら、それで納得しなきゃ。
内心で言い聞かせ、愛想笑いを張り付ける。
「じゃあ、安心して、南さん。いつもやってもらってるけど、こう見えて、俺もひとり暮らし長いから。家事全般一応できるし」
「それだったら、ここにいる意味ないだろ、おまえ」
「え?」
呆れたように言われてしまい、時東は間の抜けた声を出した。その反応をどう取ったのか、言い聞かせる調子で、南が続ける。
「むしろ東京戻っても大丈夫というか。町道のほうも除雪終わってたから。変な裏道選ばなかったら、道路も問題ないだろ」
「俺、要らない?」
悶々としそうになった感情を呑み込んで、笑いかける。この手の年下の子どもらしい言動に、南が甘いと知っていたからだ。案の定、少しひるんだような顔になる。
「そういう問題じゃ」
「こら、凜」
渋る言葉尻に被せて、春風の声が割り込んだ。苦笑としか言いようのない表情で、南の肩にぽんと手を置く。
「かわいげのないことばっかり言ってないで。普段面倒見てあげてるんだから、こういうときくらい返してもらいな」
「返してもらうもなにも、誰もそういうつもりで見てねぇよ」
「凜がそうなのは知ってるけど、してもらってばっかりっていうのも案外落ち着かないもんだよ。ねぇ、時東くん」
「それはそうですね。――だから、お願い。面倒見させて」
茶化すように手を合わせると、諦めたふうに南が息を吐いた。
「まぁ、おまえがいいなら、それはいいけど」
物言いたげな雰囲気は残っていたものの、気にしないことにして、うん、と頷く。
それに、どうせ、ひとりで籠ろうが、家事をしようが、曲作りが進まないことに変わりはないのだ。ある意味で、ちょうどいい気分転換かもしれない。
「おまえがいいならって、助かるでしょ、実際ちょっとは。まぁ、本当は、俺が頼まれたんだけどね、拓海くんから。時東くん代わりにお願いね」
「はぁ」
「あぁ、拓海くんって、このあたりのお医者さんなんだけどね。俺らより五才上の昔なじみでもあるんだけど。捻挫の程度がどうのこうの以前に、この人、じっとできないからさ、悪化させないように見張っとけって仰せつかっちゃって」
「だから。子どもじゃないんだから、大丈夫って言ってるだろうが」
いかにもうんざりといった調子で切り捨てて、「時東」と南が言う。その呼びかけに、時東は慌てて笑顔をつくった。
「こいつの言うことは話半分で流しといてくれていいからな。本当に大丈夫だし」
大丈夫なことはわかってるけど、それでも、こんなときくらい役に立ちたいものなの。それに、べつに、俺、南さんにお世話してもらいたくて、ここに来てるわけじゃないんだしさ。
と、言うことができたら、よかったのだろうか。それとも言わないでいる今が正解なのだろか。わからない。わからないまま、うん、と時東はもう一度頷いた。
きっとこのふたりは、こんなふうに正解不正解を考えながらの会話なんてしないのだろう。
けれど、ずっと昔は、自分もそうだったのだ。まっすぐに感情をぶつければ、同じだけの感情が返ってくると信じていた。愚鈍なまでに、素直に。傍迷惑にそう思い込んでいた。親友だから大丈夫なのだと、そんなふうに。
その親友は、自分のそばにはもういない。
「え?」
「漢字」
予想外に興味を示され、時東は瞳を瞬かせた。
「えーと、悠久の歴史とかの悠で『はるか』。小さいころは女の子みたいとか言われたけど」
「きれいな名前なのにな」
話の流れで褒められただけだというのに、なんだか妙に落ち着かない。誤魔化すように「そうかな」と笑ったタイミングで、春風が立ち上がった。
「じゃ、俺、帰るわ」
「あれ。もう帰られるんですか」
「時東くんもいるし、問題ないでしょ。とりあえず、今日一日くらい大人しくしときな。榊のばあちゃん、こともあろうか俺の家に血相変えて飛び込んできたんだから」
あぁ、それで。一緒に戻ってきた理由に時東は納得した。たまたま場所が近かっただけかもしれないけれど、いいな、と思う。ほんの少し、羨ましい。
「いくつになってもセット扱いが抜けないから嫌なんだ、ばあちゃんたちの認識は」
「そんなこと言って。遠い孫よりなんとやらでかわいがってもらってるくせに」
呆れたふうに言うくせに、春風の声は優しかった。幼馴染みねぇ。今日だけで幾度になるのか知れないことを、また考えてしまった。
幼馴染みというものは、そんなに特別に大事で、優しくしたい存在なのだろうか。
時東にはわからない。先ほど羨ましく感じたのは、あくまで物理的な距離の近さに関してだ。この場所で南になにかあれば春風に連絡が行き、春風になにかあれば南もあたりまえに知ることになる。
時東になにかあったとしても、南が知るのはテレビを通してになるだろうし、南になにかあったとして、時東が知ることはない。あるいは、知るころにはすべて終わっている。あの一件が良い例だった。
――でも、変わる気がないなら、それで納得しなきゃ。
内心で言い聞かせ、愛想笑いを張り付ける。
「じゃあ、安心して、南さん。いつもやってもらってるけど、こう見えて、俺もひとり暮らし長いから。家事全般一応できるし」
「それだったら、ここにいる意味ないだろ、おまえ」
「え?」
呆れたように言われてしまい、時東は間の抜けた声を出した。その反応をどう取ったのか、言い聞かせる調子で、南が続ける。
「むしろ東京戻っても大丈夫というか。町道のほうも除雪終わってたから。変な裏道選ばなかったら、道路も問題ないだろ」
「俺、要らない?」
悶々としそうになった感情を呑み込んで、笑いかける。この手の年下の子どもらしい言動に、南が甘いと知っていたからだ。案の定、少しひるんだような顔になる。
「そういう問題じゃ」
「こら、凜」
渋る言葉尻に被せて、春風の声が割り込んだ。苦笑としか言いようのない表情で、南の肩にぽんと手を置く。
「かわいげのないことばっかり言ってないで。普段面倒見てあげてるんだから、こういうときくらい返してもらいな」
「返してもらうもなにも、誰もそういうつもりで見てねぇよ」
「凜がそうなのは知ってるけど、してもらってばっかりっていうのも案外落ち着かないもんだよ。ねぇ、時東くん」
「それはそうですね。――だから、お願い。面倒見させて」
茶化すように手を合わせると、諦めたふうに南が息を吐いた。
「まぁ、おまえがいいなら、それはいいけど」
物言いたげな雰囲気は残っていたものの、気にしないことにして、うん、と頷く。
それに、どうせ、ひとりで籠ろうが、家事をしようが、曲作りが進まないことに変わりはないのだ。ある意味で、ちょうどいい気分転換かもしれない。
「おまえがいいならって、助かるでしょ、実際ちょっとは。まぁ、本当は、俺が頼まれたんだけどね、拓海くんから。時東くん代わりにお願いね」
「はぁ」
「あぁ、拓海くんって、このあたりのお医者さんなんだけどね。俺らより五才上の昔なじみでもあるんだけど。捻挫の程度がどうのこうの以前に、この人、じっとできないからさ、悪化させないように見張っとけって仰せつかっちゃって」
「だから。子どもじゃないんだから、大丈夫って言ってるだろうが」
いかにもうんざりといった調子で切り捨てて、「時東」と南が言う。その呼びかけに、時東は慌てて笑顔をつくった。
「こいつの言うことは話半分で流しといてくれていいからな。本当に大丈夫だし」
大丈夫なことはわかってるけど、それでも、こんなときくらい役に立ちたいものなの。それに、べつに、俺、南さんにお世話してもらいたくて、ここに来てるわけじゃないんだしさ。
と、言うことができたら、よかったのだろうか。それとも言わないでいる今が正解なのだろか。わからない。わからないまま、うん、と時東はもう一度頷いた。
きっとこのふたりは、こんなふうに正解不正解を考えながらの会話なんてしないのだろう。
けれど、ずっと昔は、自分もそうだったのだ。まっすぐに感情をぶつければ、同じだけの感情が返ってくると信じていた。愚鈍なまでに、素直に。傍迷惑にそう思い込んでいた。親友だから大丈夫なのだと、そんなふうに。
その親友は、自分のそばにはもういない。
23
あなたにおすすめの小説
七日後に神罰が落ちる。上層部は「下を切り捨てろ」と言った——私は全員を逃がす
蒼月よる
ファンタジー
七日後、この港に神罰が落ちる。
追放された元観測士イオナだけが、その事実を知っていた。
しかも災害は自然現象ではない——誰かが、意図的に引き起こそうとしている。
港の上層部はすでに手を打っていた。「下層区画を緩衝被害区として切り捨てる」秘密契約。被害を最小限に見せかけ、体制を守る冷徹な計画だ。
イオナは元護送隊長ガルム、荷運び組合長メラとともに動き出す。
犯人を暴き、証拠を公開し、住民を逃がし、工廠を止める——すべてを七日で。
被害を「選ぶ」管理か、全員を「残す」運用か。
追放観測士の、七日間の港湾カウントダウン・サスペンス。
この作品は以下の箇所にAI(Claude Code)を利用しています。
・世界観・設定の管理補助
・プロット段階の壁打ち
・作者による執筆後の校正
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
砕けた愛
篠月珪霞
恋愛
新婚初夜に男に襲われた公爵令嬢エヴリーヌは、不義密通の罪を被せられた。反逆罪に問われた彼女の一族は処刑されるが、気付くと時間が巻き戻っていた。
あなたへの愛? そんなものとうに、砕け散ってしまいました。
私は私で幸せになりますので
あんど もあ
ファンタジー
子爵家令嬢オーレリーの両親は、六歳年下の可憐で病弱なクラリスにかかりっきりだった。
ある日、クラリスが「オーレリーが池に落ちる夢を見た」と予言をした。
それから三年。今日オーレリーは、クラリスの予言に従い、北の果ての領地に住む伯爵令息と結婚する。
最後にオーレリーが皆に告げた真実とは。
おばさんは、ひっそり暮らしたい
蝋梅
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる