愚者の園

木原あざみ

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案件3.天狗の遠吠え

02:探偵と大家

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 一週間後の八月一四日、妹は二十四歳になる。

 警察署に駆け込むやいなや、行平は待ち構えていた相沢に腕を掴まれた。いつもであれば、汗臭いだのなんだのと軽口を飛ばしただろうに、彼の口は真一文字に結ばれている。
 効きすぎているきらいのある空調に、行平は眼を眇めた。

「妹は、靴を履いていましたか」
「あ? あぁ、履いていたぞ、両方とも」

 会う前から『妹』と断定している行平に、か。あるいは、不可思議な質問に、か。相沢が怪訝な視線を寄こす。

「そうですか」

 応じたきり黙り込んだ行平に、「保護室だ」と相沢は行先を告げた。この人に限って自分に根負けしたわけではないだろうが、今はなにを言っても無駄と判断した可能性は高い。
 連れられて歩きながら、行平はそっと一度息を吐いた。
 妹の靴の片方は、十五年前に見つかっている。どうしたって人間には登れないような天狗岩の上で。その靴は、今も警察署内に資料として保管されているはずである。
 保護室からは、相手をしているらしい婦警の声が漏れ聞こえていた。このドアの奥に妹がいる。力の入った行平の肩を相沢が叩いた。

「滝川このみと名乗ったのは本人だ。姿かたちも行方不明当時のおまえの妹によく似ている。八歳だと申告しているのに、今が令和だと知っている」
「開けてもいいですか」
「おまえの妹だとは限らない」
「開けてもいいですか」

 繰り返した行平に、相沢はそれ以上を説かずドアを叩いた。中から顔を出した婦警が、行平を見止めて僅かに驚いた色を見せる。
 行平の記憶にはないが、もしかすると同じ署内で働いていたのかもしれない。けれど、そんなことはどうでもよかった。

「ちょっと席を外してくれるかな。親戚の方がみえたから」

 なぜ、兄と言わないのか。些細な言葉尻に苛立つ心を自覚しながらも、婦警と入れ違いに中に入る。

「このみ」

 認識するよりも早く、その呼び名が口をついていた。

「このみ!」

 長い髪をふたつに結んだ少女は、長椅子に腰かけて紙パックのジュースを握りしめていた。色あせていないジャンバーもスカートも、靴も、すべて妹のものだった。見間違えるはずがない。見間違えるはずがないのだ。
 少女の丸い瞳が一段と丸くなり行平を見た。そうして、笑む。心底嬉しそうに。

「お兄ちゃん!」

 少女が立ち上がる。ぴょこんとリズムをつけて椅子から下りる仕草に、あぁ、と胸がいっぱいになった。妹だ。妹だった。
 入口で固まっていた脚がようやく動き出す。小さな身体を力いっぱい抱きしめる。温かかった。

「痛いよ、お兄ちゃん」

 くすぐったそうに妹が笑う。甘えた調子の高い声も、ずっとずっと耳の奥に残っていたものだった。
 顔が見たくて、そっと腕の力を緩める。自然と顔を上げた妹と、息が触れそうな近距離で向かい合う。子ども特有の白い瞳が行平を見上げていた。

「このみ」

 今までどこにいたのだ、とか。大丈夫だったのか、だとか、なにがあったのか、だとか。
 訊くべき言葉のすべてを呑み込む。なにを言えばいいのか、言うべきでないのか。なにひとつわからないまま、行平はただ呻いた。

「おかえり、このみ」

 ずっとずっと言いたかった台詞だった。十五年間、待っていた。
 妹が小さく目を瞬かせて破顔する。顔をくしゃくしゃにした、幼い笑顔。

「ただいま、お兄ちゃん」

 ずっと、待っていた。妹の帰りを。ただひたすら、待っていた。たまらなくなって行平はもう一度、妹を抱き込んだ。ほのかな温もりに、目の奥が熱くなる。
 母が好きだと言っていた太陽の匂いは、なぜかしなかった。それでも愛おしさが変わることはない。

「おまえの妹だって言うのか」

 保護室のドアを閉めて、外に出る。妹を置いて出たのは、相沢にそう問われるとわかっていたからだ。けれど、ドアの前から離れるつもりもない。
 深く息を吐いて、行平は顔を上げた。

「俺の妹だと思ったから、相沢さんは俺に連絡をくれたんじゃないんですか」
「仕方ないだろう」

 相沢が眉を上げた。

「俺が見つけたんじゃないんだ。保護者が現れない限り、迷子のままになっちまうだろうが」
「理由になってないですよ」

 苦笑しようとして失敗した。代わりに断言する。

「妹です。滝川このみです。間違いない」
「だったら、おまえの母親にも逢わせられるのか」

 相沢の見据える瞳に、行平は視線を足元に落とした。

「なぁ、滝川。おまえの妹の件は十五年前のヤマだろう。本来だったら、もう二十歳を超えているはずだ。その子どもが八歳のままの姿で現れて、二十六のおまえを一目で兄と視認した」
「それはっ……!」

 昔、縋るようにひたすらに眼を通した神隠しの伝承譚。行方知らずだった子どもが数年経って、行方不明になった当時と同じ姿で戻ってくる。いなくなっていたあいだの記憶はない。そんな記述を何度も読んだ。
 そうであってくれたらと、願っていた。

「おまえに都合がよすぎるんだ」

 溜息じみた声だった。行平は応えない。応えることができなかった。

「俺がおまえを呼んだのは、本物か、そうでないのかを判断してほしかったからだ」
「だから、本物の……本当の、妹です」
「本当に?」

 探るように相沢が目を細める。負けないように行平は目に力を込めた。だって、妹だと思ったのだ。信じることができたのだ。

「ただ、母に逢わせるのは、様子を見てからにしようと思います」
「それがいい」

 行平をじっくりと眺めたあと、相沢は言った。

「ついでに、呪殺屋に見てもらえばいい。おまえの『妹』が、本物なのか、そうでないのか」
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