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案件3.天狗の遠吠え
03:兄と妹
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「お兄ちゃんはここに住んでるの?」
事務所と扉ひとつで繋がる自室に足を踏み入れた途端、このみは物珍しそうに視線を巡らせた。きょろきょろと瞳を輝かせる様子がなんとも微笑ましい。
これほどの身長差で見下ろすことになるとは、思っていなかったけれど。自分の腰ほどしかない背丈。昔は頭半分ほどの差しかなかったというのに。
感慨を押し込め、行平は柔らかく問いかけた。
「あぁ。なにか珍しいものでもあったか?」
あの当時の家にあったテレビは、古いブラウン管型のものだった。それほど最新のものを揃えているわけではないが、記憶とは異なっているのではないだろうか。行平の実家は古いものが多かったのでなおさらだ。
このみが笑顔で振り仰ぐ。
「ううん。大丈夫だよ」
「暑くないか? ジュースなくてごめんな。お茶でも飲むか?」
「ありがとう、お兄ちゃん。でも大丈夫だよ」
「じゃあ、なにか食べるか? それとも、このみの好きなお菓子、今から一緒に買いに行こうか」
呪殺屋あたりが聞けば、「気持ち悪い」と顔をしかめること請け合いの甘い声。けれど、そうだったと懐かしく思い出す。昔の自分は、少なくとも妹には優しかった。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
行平に甘やかされ、このみは嬉しそうだった。浮かんだ満面の笑みを見つめ、慎重に口を開く。あの当時ともうひとつ決定的に違うもの。
「あのな、このみ。母さんは」
「いいよ、べつに。お兄ちゃんがいるから」
思い切った行平の台詞を、このみはけろりと遮った。「でもな」と続けようとした台詞も同様に遮られてしまう。
「お兄ちゃんをいじめるお母さんは、このみ嫌い」
幼い瞳には、はっきりとした意思が灯っていた。継ぐ言葉に悩んだ行平に、言い聞かせる調子で妹が言う。
「お兄ちゃんが一緒にいてくれたら、それでいいよ」
――あれは本当に、おまえの妹なのか。
脳裏に過った問いを行平は黙殺した。妹は笑う。幸せそうに。
「それだけでいいよ、本当だよ」
母は妹を愛していた。今も帰りを待っている。間違いなく待ち続けている。八歳の娘を。
そして、このみも母が好きだったはずだ。当たり前だ。母はこのみに優しかったのだから。「母さんに逢いたくないのか」と改めて聞くことはできなかった。「なぜ、その姿か」ということも。聞けるはずがない。
悶々を仕舞い込み、行平はほほえんだ。
「そうか、このみ」
「うん。お兄ちゃん、大好き」
自分の願望が具現化したみたいだということは、相沢に言われなくともわかっている。「大好き」と免罪符のように、あるいは呪文のように。このみが繰り返す。
このみの視線に合わせ、行平はしゃがみこんだ。ためらいなく抱き着いた妹が頬を摺り寄せる。柔い感触に、たまらず目を閉じた。
わかって、いる。
行平は妹からそっと僅かな距離をとった。
「ちょっと待ってな、このみ。実はお兄ちゃん、犬を飼ってるんだ」
「犬?」
丸い目を瞬かせた妹の頭を優しく撫でる。
「今、連れてくるから。ここで待っていてくれるか」
このみをこの場所に一人残し、戻ってきた折に居なくなっていたら、立ち直れないかもしれない。
けれど、あの男にこのみを紛い物だと断じられたら、もう立ち上がれない。
「このみ、犬も好きだろう?」
「うん」
「このみの知ってる家じゃないから、勝手に出て行ったりしたら駄目だからな」
「わかってるよ」
「出て行って帰ってこれなくなったら、逢えなくなっちゃうからな」
あどけない顔で、妹は「うん」と頷いた。わかってる。だから大丈夫だよ、と。
曖昧に笑んで、自室のドアを閉める。ちょこんとベッドの端に腰かけた妹の姿が、行平の視界の端に映り込んだ。その仕草も、恐ろしいくらいに記憶のままのものだった。
事務所と扉ひとつで繋がる自室に足を踏み入れた途端、このみは物珍しそうに視線を巡らせた。きょろきょろと瞳を輝かせる様子がなんとも微笑ましい。
これほどの身長差で見下ろすことになるとは、思っていなかったけれど。自分の腰ほどしかない背丈。昔は頭半分ほどの差しかなかったというのに。
感慨を押し込め、行平は柔らかく問いかけた。
「あぁ。なにか珍しいものでもあったか?」
あの当時の家にあったテレビは、古いブラウン管型のものだった。それほど最新のものを揃えているわけではないが、記憶とは異なっているのではないだろうか。行平の実家は古いものが多かったのでなおさらだ。
このみが笑顔で振り仰ぐ。
「ううん。大丈夫だよ」
「暑くないか? ジュースなくてごめんな。お茶でも飲むか?」
「ありがとう、お兄ちゃん。でも大丈夫だよ」
「じゃあ、なにか食べるか? それとも、このみの好きなお菓子、今から一緒に買いに行こうか」
呪殺屋あたりが聞けば、「気持ち悪い」と顔をしかめること請け合いの甘い声。けれど、そうだったと懐かしく思い出す。昔の自分は、少なくとも妹には優しかった。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
行平に甘やかされ、このみは嬉しそうだった。浮かんだ満面の笑みを見つめ、慎重に口を開く。あの当時ともうひとつ決定的に違うもの。
「あのな、このみ。母さんは」
「いいよ、べつに。お兄ちゃんがいるから」
思い切った行平の台詞を、このみはけろりと遮った。「でもな」と続けようとした台詞も同様に遮られてしまう。
「お兄ちゃんをいじめるお母さんは、このみ嫌い」
幼い瞳には、はっきりとした意思が灯っていた。継ぐ言葉に悩んだ行平に、言い聞かせる調子で妹が言う。
「お兄ちゃんが一緒にいてくれたら、それでいいよ」
――あれは本当に、おまえの妹なのか。
脳裏に過った問いを行平は黙殺した。妹は笑う。幸せそうに。
「それだけでいいよ、本当だよ」
母は妹を愛していた。今も帰りを待っている。間違いなく待ち続けている。八歳の娘を。
そして、このみも母が好きだったはずだ。当たり前だ。母はこのみに優しかったのだから。「母さんに逢いたくないのか」と改めて聞くことはできなかった。「なぜ、その姿か」ということも。聞けるはずがない。
悶々を仕舞い込み、行平はほほえんだ。
「そうか、このみ」
「うん。お兄ちゃん、大好き」
自分の願望が具現化したみたいだということは、相沢に言われなくともわかっている。「大好き」と免罪符のように、あるいは呪文のように。このみが繰り返す。
このみの視線に合わせ、行平はしゃがみこんだ。ためらいなく抱き着いた妹が頬を摺り寄せる。柔い感触に、たまらず目を閉じた。
わかって、いる。
行平は妹からそっと僅かな距離をとった。
「ちょっと待ってな、このみ。実はお兄ちゃん、犬を飼ってるんだ」
「犬?」
丸い目を瞬かせた妹の頭を優しく撫でる。
「今、連れてくるから。ここで待っていてくれるか」
このみをこの場所に一人残し、戻ってきた折に居なくなっていたら、立ち直れないかもしれない。
けれど、あの男にこのみを紛い物だと断じられたら、もう立ち上がれない。
「このみ、犬も好きだろう?」
「うん」
「このみの知ってる家じゃないから、勝手に出て行ったりしたら駄目だからな」
「わかってるよ」
「出て行って帰ってこれなくなったら、逢えなくなっちゃうからな」
あどけない顔で、妹は「うん」と頷いた。わかってる。だから大丈夫だよ、と。
曖昧に笑んで、自室のドアを閉める。ちょこんとベッドの端に腰かけた妹の姿が、行平の視界の端に映り込んだ。その仕草も、恐ろしいくらいに記憶のままのものだった。
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