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「おまえが……、はるが、しんどかったときに、ここが浮かんだんやったら。もう、それでええわ」
小さく息を呑む気配がした。言葉にしてはじめて、こんなにも簡単で、あたりまえだったはずのことを伝えることができていなかったのだと気づく。次いで、この一言を伝えたかったのかもしれない、とも思った。
腹が立った、だとか、話したい、だとか、聞きたいことがある、だとか、そういうことではない、もっと根本的で、大事なこと。暎は静かに繰り返した。
「それでええよ、もう」
春海の隣で自分が安心をしていたように、春海にとって、ここが安心できる場所だというのなら、それで。雨の音の中に堪え損ねたような失笑が混ざる。
「あきちゃんやなぁ、なんか、ほんま」
「あたりまえやろ」
春海に視線を戻し、暎は言い放った。この一ヶ月、言われるたびに胸に過って、けれど、言葉にすることのできなかった感情が、堰を切ってあふれ出していく。
「多少変わっても俺は俺やし、おまえはおまえやろ。なんも変わらんわ」
「うん」
衒いのない、妙に幼い調子だった。春海に向かい、一心に言葉を重ねる。できれば、知ってほしかった。自分が寂しいから、ではなく、春海のために。
「どこ行っても、離れても、なんも変わらんやろ。帰りたかったら、いつでも帰ってきたらええんやし」
「うん」
「昔も、今も、一番大事やし。それは絶対、変わらんし」
「……うん」
最後にひとつ照れくさそうに頷いて、春海が噛み締めるように呟く。
「あきちゃんやった」
そら、俺やよ。そう応じる前に、身を乗り出した春海に強く抱きしめられた。
「あきちゃん」
囁くような大きさの声が、耳に満ちる。
「あきちゃんおらんと、あかんわ。俺」
その言葉を反芻し、うん、と暎は認めた。自分だって、同じだ。意味合いが違うと春海は言うかもしれない。それでも、同じと思いたかった。
だって、この体温に触れる瞬間が、この声を聞く時間が、自分は世界で一番安心するし、顔も知らない誰かはもちろん、妹のような幼馴染みにも譲りたくないと思っている。
この気持ちを恋だと評しても、なにもおかしくはないだろう。
所在のなかった手を動かし、春海の背中に触れる。そっと抱きしめれば、びっくりするくらいしっくりと嵌る感覚があったので、やはり、ここは自分の場所なのだと知った。
勢いの弱まり始めた雨音に、震える吐息が溶ける。深く息を吐いて、春海が顔を上げた。なにも言わないまま、額が触れそうな距離で見つめ合う。
そういや車やったな。現実的な懸念が浮かんだものの、まぁ、いいか、と暎は思い直した。ほとんど人のいない場所だし、この雨だ。それに、関係のない誰かに見られたとしても、困るわけではない。
だから、さらに瞳が近づいても、逸らすことを選ばなかった。今度こそ唇が重なる。いつかの想像どおり、駄目だとも、嫌だとも、少しも感じることはなくて。むしろ、どこかほっとする思いだった。
「……避けてぇや、ちょっと」
ほんまにしてもうたやん、と。ここまで来て困ったように笑うので、暎は笑った。
「はるやったら、それでええよ」
扱い切れなかったふうに、春海が目を伏せる。けれど、事実だった。はる、と幼いころの愛称を呼ぶ。
「かなわんなぁ、ほんま」
小さな声で言い、春海はゆっくりと窓に目を向けた。
「雨まで止んできてしもたやん」
春海の台詞で、雨の音がほとんど消えていたことに気づく。暎はぱちりと目を瞬かせた。
「ほんまや」
「なんか、持ってるよなぁ、あきちゃん」
こぼれた呟きに反応して、春海がそんなことを言う。真意を掴み損ねて眉を上げると、春海はなぜか眩しそうな顔をした。
「俺にとってのあきちゃんって、そんな感じなんよね、なんか」
なんや、それ。ほんのわずか呆れたものの、注ぎ始めた光に照らされた春海の表情が、とんでもなく優しかったので。疑問はすべて抜け落ちて。
この夏が終わらなかったらいいのに、と。感傷的な願いを唱えたくなってしまった。
小さく息を呑む気配がした。言葉にしてはじめて、こんなにも簡単で、あたりまえだったはずのことを伝えることができていなかったのだと気づく。次いで、この一言を伝えたかったのかもしれない、とも思った。
腹が立った、だとか、話したい、だとか、聞きたいことがある、だとか、そういうことではない、もっと根本的で、大事なこと。暎は静かに繰り返した。
「それでええよ、もう」
春海の隣で自分が安心をしていたように、春海にとって、ここが安心できる場所だというのなら、それで。雨の音の中に堪え損ねたような失笑が混ざる。
「あきちゃんやなぁ、なんか、ほんま」
「あたりまえやろ」
春海に視線を戻し、暎は言い放った。この一ヶ月、言われるたびに胸に過って、けれど、言葉にすることのできなかった感情が、堰を切ってあふれ出していく。
「多少変わっても俺は俺やし、おまえはおまえやろ。なんも変わらんわ」
「うん」
衒いのない、妙に幼い調子だった。春海に向かい、一心に言葉を重ねる。できれば、知ってほしかった。自分が寂しいから、ではなく、春海のために。
「どこ行っても、離れても、なんも変わらんやろ。帰りたかったら、いつでも帰ってきたらええんやし」
「うん」
「昔も、今も、一番大事やし。それは絶対、変わらんし」
「……うん」
最後にひとつ照れくさそうに頷いて、春海が噛み締めるように呟く。
「あきちゃんやった」
そら、俺やよ。そう応じる前に、身を乗り出した春海に強く抱きしめられた。
「あきちゃん」
囁くような大きさの声が、耳に満ちる。
「あきちゃんおらんと、あかんわ。俺」
その言葉を反芻し、うん、と暎は認めた。自分だって、同じだ。意味合いが違うと春海は言うかもしれない。それでも、同じと思いたかった。
だって、この体温に触れる瞬間が、この声を聞く時間が、自分は世界で一番安心するし、顔も知らない誰かはもちろん、妹のような幼馴染みにも譲りたくないと思っている。
この気持ちを恋だと評しても、なにもおかしくはないだろう。
所在のなかった手を動かし、春海の背中に触れる。そっと抱きしめれば、びっくりするくらいしっくりと嵌る感覚があったので、やはり、ここは自分の場所なのだと知った。
勢いの弱まり始めた雨音に、震える吐息が溶ける。深く息を吐いて、春海が顔を上げた。なにも言わないまま、額が触れそうな距離で見つめ合う。
そういや車やったな。現実的な懸念が浮かんだものの、まぁ、いいか、と暎は思い直した。ほとんど人のいない場所だし、この雨だ。それに、関係のない誰かに見られたとしても、困るわけではない。
だから、さらに瞳が近づいても、逸らすことを選ばなかった。今度こそ唇が重なる。いつかの想像どおり、駄目だとも、嫌だとも、少しも感じることはなくて。むしろ、どこかほっとする思いだった。
「……避けてぇや、ちょっと」
ほんまにしてもうたやん、と。ここまで来て困ったように笑うので、暎は笑った。
「はるやったら、それでええよ」
扱い切れなかったふうに、春海が目を伏せる。けれど、事実だった。はる、と幼いころの愛称を呼ぶ。
「かなわんなぁ、ほんま」
小さな声で言い、春海はゆっくりと窓に目を向けた。
「雨まで止んできてしもたやん」
春海の台詞で、雨の音がほとんど消えていたことに気づく。暎はぱちりと目を瞬かせた。
「ほんまや」
「なんか、持ってるよなぁ、あきちゃん」
こぼれた呟きに反応して、春海がそんなことを言う。真意を掴み損ねて眉を上げると、春海はなぜか眩しそうな顔をした。
「俺にとってのあきちゃんって、そんな感じなんよね、なんか」
なんや、それ。ほんのわずか呆れたものの、注ぎ始めた光に照らされた春海の表情が、とんでもなく優しかったので。疑問はすべて抜け落ちて。
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