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好きになれない2
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キラキラと輝いていた夏は終わり、街ではクリスマスソングが響き始めていた。
――寒い。
自宅から最寄り駅までは歩いて十分というところだが、この時期になると、駅が見えるころには鼻の頭が冷たくなっている。コートのポケットに突っ込んだ指先はかろうじて熱を持っているが、顔面はこれ以上、庇いようがない。駅に入る前にコンビニで温かいものでも買おうかなぁ、と自然と思って、目と鼻の先に近付いてきたコンビニエンスストアに視線をやって、――日和は足元に視線を戻した。
――いいや、駅の自販で買おう。
前期のカリキュラムのころは、むやみに寄っていたのに、最近はめっきりなくなった。
――でも、無駄遣いしなくなったって意味では有りなんじゃないかな。
そんなふうに言い聞かせて、コンビニエンスストアの前を俯きがちに通り過ぎる。中にいるかもしれない人に気が付かれると、己惚れていたわけではないけれど。
――なにをやってんだろ、俺。
そんなもやもやとした感情が、ずっと胸の内を渦巻いていた。
冬の電車は、あまり好きではない。コートを着たままだと蒸し暑いと感じる温度が気持ち悪いし、そうかと言って、身に付けているものをわざわざ脱ぐのもまた面倒だ。
大学の最寄り駅まで快速急行で十五分。大学に受かって独り暮らしを決めたにしては、距離のある通学時間だが、大学入試の後期日程でギリギリに決まった大学だったので仕方がない。目ぼしい学生用アパートは軒並み契約済みだったのだ。価格と土地柄を考慮して選んだ場所が、良いのか悪いのか、つぼみの最寄り駅だったのだけれど。
それも本当に良いのか悪いのかわかったものじゃないと思いながら、構内をひとりで歩く。今日はゼミの日だ。クリスマスが近付いているからか、構内も心なしかいちゃつく男女の姿が増えたような気がする。
いつもなら気にもならない光景が苛立ちを生み出すのも、心の持ちようの所為なのかもしれないと思えば思うほど、なんだかなぁな気分でいっぱいだった。
溜息を吐きながら、目的の建物に入った日和の肩を誰かが叩く。
「おはよう、日和くん」
「塩見さん」
教育実習を終え採用試験にも既に受かっている彼女の髪は、最後の学生期間を満喫しますと言わんばかりの華やかなものになっている。シックなダークグレーのコートに身を包んだ彼女は、文句なしに美人だった。
――でも、苦手なんだよなぁ、俺。
水原は、塩見は日和に気があるのだというが、そんなことは絶対にないと日和は思っている。彼女のようなタイプは、もっと自立した向上心のある男性が好きだろう。気の弱く頼りない年下を選ぶ必要性は微塵も感じない。
「なんか久しぶりだね。といっても、もうすぐ卒業だもんねぇ、あたしも。会えなくなっちゃうね」
「えぇ、と……。塩見さんは地元に帰られるんでしたっけ」
「そう、そう。あたしが受かったのは地元だからさ。とは言え、どこに配属されるかわからないけどね」
県で採用されている高校教諭は、県内のどこに配属されるかはわからない。つまり、自分の地元とは遠く離れたところになる可能性もゼロではないのだ。
「大変ですね、それも」
同県内と一言で言っても広いだろうからなぁ、と日和はおざなりに相槌を打った。来年は我が身ではある。無論、受かれば、だが。
「日和くんと会えなくなるのは、ちょっと寂しいかもなぁ」
「はは、まぁ、塩見さんと会えなくなって寂しがる連中は、ゼミの中でも多いでしょうけど」
「日和くんは?」
上目遣いに見上げられて、相変わらず自意識過剰な人だなとの言葉を日和は呑み込んだ。
自分は愛されてしかるべきだと思っている、幸せな人。あの人と、全く違う。
「そりゃ、寂しいですよ、俺も」
当たり障りのない言葉で交わして、エレベーターのボタンを押す。三階の表示が下がってくる。背後から誰かがやってくる気配はない。エレベーターで二人きりになる前に、誰かきてくれねぇかなぁと願うが、そううまくはいかなかった。到着したエレベーターに塩見を先に乗せて日和も続く。五階までの時間が、めったやたらに長く感じる。溜息を呑み込んで、階数が表示される電光板ばかりを見ていると、不意に袖を引かれた。手袋を外した白い指先は綺麗にネイルが施されている。
「ねぇ、日和くんさ」
「はい?」
「今、付き合ってる人とかっていないよね」
「え……」
「というか、この一年か二年くらいいないよね。日和くん、モテるのに。あ、でも、モテるからなのかな。一緒にしたらあれかもしれないけど、あたしも相手に困るようなことはないから、あんまりがっつかないし」
また答えづらいことをと思いながら、日和は曖昧に頷く。あともう少しで、この密室からおさらばできる。
「でも、日和くんは有りかなと思ってて」
「……は?」
「は? ってひどくない?」
「あ、すみません」
非難を受けて反射的に謝ってしまったが、塩見の言っている話の内容が、いまひとつ頭に入ってこなかった。有り、ってなにがだ。困惑する日和を他所に塩見は「もぉ」と頬を膨らませて、小さく首を傾げた。自分が異性の眼にどう映るか承知でやっている仕草。
――末期だ、と日和は思った。末期だ。あの人の、自分より年上の同性の、なんの気もないだろう仕草にはあれほど心が揺れたのに、魅惑的だろうはずの異性の仕草に、全く感慨が抱けない。
「だから。付き合ってみないってこと。あたしがこの街を出るまででいいからさ。楽しもうよ」
するりと塩見の指先が手の甲を撫ぜる。思わず振り払いかけたのと同時に、エレベーターが五階に着いた。日和の返事を聞かずに、塩見がにこりと微笑んだ。
「残り、三ヶ月。あたしに恥をかかせないでよね、日和くん」
颯爽と日和を置いて彼女は出ていく。綺麗に巻かれた毛先がリズミカルに揺れていた。その背を呆然と見送っていた日和は、閉まりかけていたエレベーターの開閉ボタンに慌てて手を伸ばした。
断りそびれた、と気が付いたのは、遅れてゼミの教室に入った日和に、思わせぶりに塩見が笑顔で手を振ったときだった。
――寒い。
自宅から最寄り駅までは歩いて十分というところだが、この時期になると、駅が見えるころには鼻の頭が冷たくなっている。コートのポケットに突っ込んだ指先はかろうじて熱を持っているが、顔面はこれ以上、庇いようがない。駅に入る前にコンビニで温かいものでも買おうかなぁ、と自然と思って、目と鼻の先に近付いてきたコンビニエンスストアに視線をやって、――日和は足元に視線を戻した。
――いいや、駅の自販で買おう。
前期のカリキュラムのころは、むやみに寄っていたのに、最近はめっきりなくなった。
――でも、無駄遣いしなくなったって意味では有りなんじゃないかな。
そんなふうに言い聞かせて、コンビニエンスストアの前を俯きがちに通り過ぎる。中にいるかもしれない人に気が付かれると、己惚れていたわけではないけれど。
――なにをやってんだろ、俺。
そんなもやもやとした感情が、ずっと胸の内を渦巻いていた。
冬の電車は、あまり好きではない。コートを着たままだと蒸し暑いと感じる温度が気持ち悪いし、そうかと言って、身に付けているものをわざわざ脱ぐのもまた面倒だ。
大学の最寄り駅まで快速急行で十五分。大学に受かって独り暮らしを決めたにしては、距離のある通学時間だが、大学入試の後期日程でギリギリに決まった大学だったので仕方がない。目ぼしい学生用アパートは軒並み契約済みだったのだ。価格と土地柄を考慮して選んだ場所が、良いのか悪いのか、つぼみの最寄り駅だったのだけれど。
それも本当に良いのか悪いのかわかったものじゃないと思いながら、構内をひとりで歩く。今日はゼミの日だ。クリスマスが近付いているからか、構内も心なしかいちゃつく男女の姿が増えたような気がする。
いつもなら気にもならない光景が苛立ちを生み出すのも、心の持ちようの所為なのかもしれないと思えば思うほど、なんだかなぁな気分でいっぱいだった。
溜息を吐きながら、目的の建物に入った日和の肩を誰かが叩く。
「おはよう、日和くん」
「塩見さん」
教育実習を終え採用試験にも既に受かっている彼女の髪は、最後の学生期間を満喫しますと言わんばかりの華やかなものになっている。シックなダークグレーのコートに身を包んだ彼女は、文句なしに美人だった。
――でも、苦手なんだよなぁ、俺。
水原は、塩見は日和に気があるのだというが、そんなことは絶対にないと日和は思っている。彼女のようなタイプは、もっと自立した向上心のある男性が好きだろう。気の弱く頼りない年下を選ぶ必要性は微塵も感じない。
「なんか久しぶりだね。といっても、もうすぐ卒業だもんねぇ、あたしも。会えなくなっちゃうね」
「えぇ、と……。塩見さんは地元に帰られるんでしたっけ」
「そう、そう。あたしが受かったのは地元だからさ。とは言え、どこに配属されるかわからないけどね」
県で採用されている高校教諭は、県内のどこに配属されるかはわからない。つまり、自分の地元とは遠く離れたところになる可能性もゼロではないのだ。
「大変ですね、それも」
同県内と一言で言っても広いだろうからなぁ、と日和はおざなりに相槌を打った。来年は我が身ではある。無論、受かれば、だが。
「日和くんと会えなくなるのは、ちょっと寂しいかもなぁ」
「はは、まぁ、塩見さんと会えなくなって寂しがる連中は、ゼミの中でも多いでしょうけど」
「日和くんは?」
上目遣いに見上げられて、相変わらず自意識過剰な人だなとの言葉を日和は呑み込んだ。
自分は愛されてしかるべきだと思っている、幸せな人。あの人と、全く違う。
「そりゃ、寂しいですよ、俺も」
当たり障りのない言葉で交わして、エレベーターのボタンを押す。三階の表示が下がってくる。背後から誰かがやってくる気配はない。エレベーターで二人きりになる前に、誰かきてくれねぇかなぁと願うが、そううまくはいかなかった。到着したエレベーターに塩見を先に乗せて日和も続く。五階までの時間が、めったやたらに長く感じる。溜息を呑み込んで、階数が表示される電光板ばかりを見ていると、不意に袖を引かれた。手袋を外した白い指先は綺麗にネイルが施されている。
「ねぇ、日和くんさ」
「はい?」
「今、付き合ってる人とかっていないよね」
「え……」
「というか、この一年か二年くらいいないよね。日和くん、モテるのに。あ、でも、モテるからなのかな。一緒にしたらあれかもしれないけど、あたしも相手に困るようなことはないから、あんまりがっつかないし」
また答えづらいことをと思いながら、日和は曖昧に頷く。あともう少しで、この密室からおさらばできる。
「でも、日和くんは有りかなと思ってて」
「……は?」
「は? ってひどくない?」
「あ、すみません」
非難を受けて反射的に謝ってしまったが、塩見の言っている話の内容が、いまひとつ頭に入ってこなかった。有り、ってなにがだ。困惑する日和を他所に塩見は「もぉ」と頬を膨らませて、小さく首を傾げた。自分が異性の眼にどう映るか承知でやっている仕草。
――末期だ、と日和は思った。末期だ。あの人の、自分より年上の同性の、なんの気もないだろう仕草にはあれほど心が揺れたのに、魅惑的だろうはずの異性の仕草に、全く感慨が抱けない。
「だから。付き合ってみないってこと。あたしがこの街を出るまででいいからさ。楽しもうよ」
するりと塩見の指先が手の甲を撫ぜる。思わず振り払いかけたのと同時に、エレベーターが五階に着いた。日和の返事を聞かずに、塩見がにこりと微笑んだ。
「残り、三ヶ月。あたしに恥をかかせないでよね、日和くん」
颯爽と日和を置いて彼女は出ていく。綺麗に巻かれた毛先がリズミカルに揺れていた。その背を呆然と見送っていた日和は、閉まりかけていたエレベーターの開閉ボタンに慌てて手を伸ばした。
断りそびれた、と気が付いたのは、遅れてゼミの教室に入った日和に、思わせぶりに塩見が笑顔で手を振ったときだった。
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