好きになれない

木原あざみ

文字の大きさ
25 / 52
好きになれない2

26

しおりを挟む
 キラキラと輝いていた夏は終わり、街ではクリスマスソングが響き始めていた。

 ――寒い。

 自宅から最寄り駅までは歩いて十分というところだが、この時期になると、駅が見えるころには鼻の頭が冷たくなっている。コートのポケットに突っ込んだ指先はかろうじて熱を持っているが、顔面はこれ以上、庇いようがない。駅に入る前にコンビニで温かいものでも買おうかなぁ、と自然と思って、目と鼻の先に近付いてきたコンビニエンスストアに視線をやって、――日和は足元に視線を戻した。

 ――いいや、駅の自販で買おう。

 前期のカリキュラムのころは、むやみに寄っていたのに、最近はめっきりなくなった。

 ――でも、無駄遣いしなくなったって意味では有りなんじゃないかな。

 そんなふうに言い聞かせて、コンビニエンスストアの前を俯きがちに通り過ぎる。中にいるかもしれない人に気が付かれると、己惚れていたわけではないけれど。

 ――なにをやってんだろ、俺。

 そんなもやもやとした感情が、ずっと胸の内を渦巻いていた。
 冬の電車は、あまり好きではない。コートを着たままだと蒸し暑いと感じる温度が気持ち悪いし、そうかと言って、身に付けているものをわざわざ脱ぐのもまた面倒だ。
 大学の最寄り駅まで快速急行で十五分。大学に受かって独り暮らしを決めたにしては、距離のある通学時間だが、大学入試の後期日程でギリギリに決まった大学だったので仕方がない。目ぼしい学生用アパートは軒並み契約済みだったのだ。価格と土地柄を考慮して選んだ場所が、良いのか悪いのか、つぼみの最寄り駅だったのだけれど。

 それも本当に良いのか悪いのかわかったものじゃないと思いながら、構内をひとりで歩く。今日はゼミの日だ。クリスマスが近付いているからか、構内も心なしかいちゃつく男女の姿が増えたような気がする。
 いつもなら気にもならない光景が苛立ちを生み出すのも、心の持ちようの所為なのかもしれないと思えば思うほど、なんだかなぁな気分でいっぱいだった。
 溜息を吐きながら、目的の建物に入った日和の肩を誰かが叩く。

「おはよう、日和くん」

「塩見さん」

 教育実習を終え採用試験にも既に受かっている彼女の髪は、最後の学生期間を満喫しますと言わんばかりの華やかなものになっている。シックなダークグレーのコートに身を包んだ彼女は、文句なしに美人だった。

 ――でも、苦手なんだよなぁ、俺。

 水原は、塩見は日和に気があるのだというが、そんなことは絶対にないと日和は思っている。彼女のようなタイプは、もっと自立した向上心のある男性が好きだろう。気の弱く頼りない年下を選ぶ必要性は微塵も感じない。

「なんか久しぶりだね。といっても、もうすぐ卒業だもんねぇ、あたしも。会えなくなっちゃうね」
「えぇ、と……。塩見さんは地元に帰られるんでしたっけ」
「そう、そう。あたしが受かったのは地元だからさ。とは言え、どこに配属されるかわからないけどね」

 県で採用されている高校教諭は、県内のどこに配属されるかはわからない。つまり、自分の地元とは遠く離れたところになる可能性もゼロではないのだ。

「大変ですね、それも」

 同県内と一言で言っても広いだろうからなぁ、と日和はおざなりに相槌を打った。来年は我が身ではある。無論、受かれば、だが。

「日和くんと会えなくなるのは、ちょっと寂しいかもなぁ」
「はは、まぁ、塩見さんと会えなくなって寂しがる連中は、ゼミの中でも多いでしょうけど」
「日和くんは?」

 上目遣いに見上げられて、相変わらず自意識過剰な人だなとの言葉を日和は呑み込んだ。
 自分は愛されてしかるべきだと思っている、幸せな人。あの人と、全く違う。

「そりゃ、寂しいですよ、俺も」

 当たり障りのない言葉で交わして、エレベーターのボタンを押す。三階の表示が下がってくる。背後から誰かがやってくる気配はない。エレベーターで二人きりになる前に、誰かきてくれねぇかなぁと願うが、そううまくはいかなかった。到着したエレベーターに塩見を先に乗せて日和も続く。五階までの時間が、めったやたらに長く感じる。溜息を呑み込んで、階数が表示される電光板ばかりを見ていると、不意に袖を引かれた。手袋を外した白い指先は綺麗にネイルが施されている。

「ねぇ、日和くんさ」
「はい?」
「今、付き合ってる人とかっていないよね」
「え……」
「というか、この一年か二年くらいいないよね。日和くん、モテるのに。あ、でも、モテるからなのかな。一緒にしたらあれかもしれないけど、あたしも相手に困るようなことはないから、あんまりがっつかないし」

 また答えづらいことをと思いながら、日和は曖昧に頷く。あともう少しで、この密室からおさらばできる。

「でも、日和くんは有りかなと思ってて」
「……は?」
「は? ってひどくない?」
「あ、すみません」

 非難を受けて反射的に謝ってしまったが、塩見の言っている話の内容が、いまひとつ頭に入ってこなかった。有り、ってなにがだ。困惑する日和を他所に塩見は「もぉ」と頬を膨らませて、小さく首を傾げた。自分が異性の眼にどう映るか承知でやっている仕草。

 ――末期だ、と日和は思った。末期だ。あの人の、自分より年上の同性の、なんの気もないだろう仕草にはあれほど心が揺れたのに、魅惑的だろうはずの異性の仕草に、全く感慨が抱けない。

「だから。付き合ってみないってこと。あたしがこの街を出るまででいいからさ。楽しもうよ」

 するりと塩見の指先が手の甲を撫ぜる。思わず振り払いかけたのと同時に、エレベーターが五階に着いた。日和の返事を聞かずに、塩見がにこりと微笑んだ。

「残り、三ヶ月。あたしに恥をかかせないでよね、日和くん」

 颯爽と日和を置いて彼女は出ていく。綺麗に巻かれた毛先がリズミカルに揺れていた。その背を呆然と見送っていた日和は、閉まりかけていたエレベーターの開閉ボタンに慌てて手を伸ばした。
 断りそびれた、と気が付いたのは、遅れてゼミの教室に入った日和に、思わせぶりに塩見が笑顔で手を振ったときだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結|好きから一番遠いはずだった

七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

【完結】取り柄は顔が良い事だけです

pino
BL
昔から顔だけは良い夏川伊吹は、高級デートクラブでバイトをするフリーター。25歳で美しい顔だけを頼りに様々な女性と仕事でデートを繰り返して何とか生計を立てている伊吹はたまに同性からもデートを申し込まれていた。お小遣い欲しさにいつも年上だけを相手にしていたけど、たまには若い子と触れ合って、ターゲット層を広げようと20歳の大学生とデートをする事に。 そこで出会った男に気に入られ、高額なプレゼントをされていい気になる伊吹だったが、相手は年下だしまだ学生だしと罪悪感を抱く。 そんな中もう一人の20歳の大学生の男からもデートを申し込まれ、更に同業でただの同僚だと思っていた23歳の男からも言い寄られて? ノンケの伊吹と伊吹を落とそうと奮闘する三人の若者が巻き起こすラブコメディ! BLです。 性的表現有り。 伊吹視点のお話になります。 題名に※が付いてるお話は他の登場人物の視点になります。 表紙は伊吹です。

【完結】※セーブポイントに入って一汁三菜の夕飯を頂いた勇者くんは体力が全回復します。

きのこいもむし
BL
ある日突然セーブポイントになってしまった自宅のクローゼットからダンジョン攻略中の勇者くんが出てきたので、一汁三菜の夕飯を作って一緒に食べようねみたいなお料理BLです。 自炊に目覚めた独身フリーターのアラサー男子(27)が、セーブポイントの中に入ると体力が全回復するタイプの勇者くん(19)を餌付けしてそれを肴に旨い酒を飲むだけの逆異世界転移もの。 食いしん坊わんこのローグライク系勇者×料理好きのセーブポイント系平凡受けの超ほんわかした感じの話です。

兄貴同士でキスしたら、何か問題でも?

perari
BL
挑戦として、イヤホンをつけたまま、相手の口の動きだけで会話を理解し、電話に答える――そんな遊びをしていた時のことだ。 その最中、俺の親友である理光が、なぜか俺の彼女に電話をかけた。 彼は俺のすぐそばに身を寄せ、薄い唇をわずかに結び、ひと言つぶやいた。 ……その瞬間、俺の頭は真っ白になった。 口の動きで読み取った言葉は、間違いなくこうだった。 ――「光希、俺はお前が好きだ。」 次の瞬間、電話の向こう側で彼女の怒りが炸裂したのだ。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
「普通を探した彼の二年間の物語」 幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

僕の恋人は、超イケメン!!

BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?

【完結】君を上手に振る方法

社菘
BL
「んー、じゃあ俺と付き合う?」 「………はいっ?」 ひょんなことから、入学して早々距離感バグな見知らぬ先輩にそう言われた。 スクールカーストの上位というより、もはや王座にいるような学園のアイドルは『告白を断る理由が面倒だから、付き合っている人がほしい』のだそう。 お互いに利害が一致していたので、付き合ってみたのだが―― 「……だめだ。僕、先輩のことを本気で……」 偽物の恋人から始まった不思議な関係。 デートはしたことないのに、キスだけが上手くなる。 この関係って、一体なに? 「……宇佐美くん。俺のこと、上手に振ってね」 年下うさぎ顔純粋男子(高1)×精神的優位美人男子(高3)の甘酸っぱくじれったい、少しだけ切ない恋の話。 ✧毎日2回更新中!ボーナスタイムに更新予定✧ ✧お気に入り登録・各話♡・エール📣作者大歓喜します✧

すみっこぼっちとお日さま後輩のベタ褒め愛

虎ノ威きよひ
BL
「満点とっても、どうせ誰も褒めてくれない」 高校2年生の杉菜幸哉《すぎなゆきや》は、いつも一人で黙々と勉強している。 友だちゼロのすみっこぼっちだ。 どうせ自分なんて、と諦めて、鬱々とした日々を送っていた。 そんなある日、イケメンの後輩・椿海斗《つばきかいと》がいきなり声をかけてくる。 「幸哉先輩、いつも満点ですごいです!」 「努力してる幸哉先輩、かっこいいです!」 「俺、頑張りました! 褒めてください!」 笑顔で名前を呼ばれ、思いっきり抱きつかれ、褒められ、褒めさせられ。 最初は「何だこいつ……」としか思ってなかった幸哉だったが。 「頑張ってるね」「えらいね」と真正面から言われるたびに、心の奥がじんわり熱くなっていく。 ――椿は、太陽みたいなやつだ。 お日さま後輩×すみっこぼっち先輩 褒め合いながら、恋をしていくお話です。

処理中です...