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1巻
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「着替えられたか。……まあいいだろう。頭からこれを被っていろ」
外に出ると、ユージンが布を渡してきた。赤と青と緑と黄色の……カラフルな色使いで幾何学模様が刺繍された大判の布だ。模様の基本は三角形で、ひっくり返ったり横線で分割されていたりする。
「なんで被るの?」
「なんでって……精霊に守ってもらうためだ」
これを被っているとご利益があるらしい。気の持ちようなのか、本当に守られるのか気になるところだ。
「セイレイ? 精霊?」
「おい、嘘だろ……そんなことまで忘れてるのか?」
「ちなみにユージンが昨日言ってた、魔族とかいうのもわかりません! 魔族って何?」
この際だから聞いてみたら、ユージンが頭を抱えて首を横に振った。
「重症だな……とりあえずこの『精霊の御守』を被っていろ」
頭を布で覆われた。私は大人しくユージンの言う通りにする。
「ま、いいや。細かいことはおいといて……まずは私にも食べられそうなものを見つけないと!」
「大事なことなんだが、仕方がないな。確かに食い物以上に重要なことはない。おいおい教えてやる」
布を被った頭を撫でられた。
ちょっと驚きつつ、もしかしたらユージンって年上かもしれないとふと思う。
「ユージンっていくつ?」
「オレか? 二十六歳だが。おまえは? 十六歳ぐらいか?」
「わあ……若く見えるって意味なら嬉しいけど、幼いって意味なら足踏むよ。正解は二十二歳」
「はあ!?」
その態度は幼く見えているという反応にしか見えなかった。私はユージンの足を踏みつける。しかしビクともしない。ムッとして見上げたら戸惑いに満ちた目を向けられた。
ユージンは四歳年上らしい。見た目だけならもっと上に見えるけれど、言葉を交わした感覚だと同年代だ。
「おまえ……その言動で二十二歳というのは……たぶん記憶が混乱しているぞ」
「そんなことないよ! 私は立派な大人の女性だから!」
「いやだから、見えないと言ってるだろうが。妄想だな。まあ、大人だと思いたきゃそうしろ」
「妄想じゃないよ、現実だよ! 現実を見ようよ!」
「おまえがな」
私は異世界に来てしまったという現実を重く受け止めている。これ以上の現実は正直いらない。
「オレがいるから心配するな、ナノハ」
深刻な顔をしていると、初めてユージンに名前を呼ばれる。驚いて、言おうとした言葉を忘れてしまったが、まあいいか。
そのまま二人で外に出る。早朝だからか難民は宿舎を囲む塀の外側に追い出されていて、力なくうずくまっていた。
きっと、食糧配給の時間が来たら、彼らは塀の中に招き入れられるんだろう。
そして、私がまずいと言って残したごはんよりもずっとまずいごはんを喜んで食べるに違いない。
「……ユージン、私が昨日、その、アレしたごはん、どうした?」
「隊の者が毒見をした。……特に問題はないようだったので誰かが食べたと思うぞ」
「そっか……捨てられたんじゃなくてよかった」
ホッと息を吐いて言ったら、ユージンに頭をぐりぐりと撫でられた。
「痛い、痛いってば!」
「気にすることはない、ナノハ。おまえだって、頑張って食べようとしたんだろ?」
「……うん」
「バカ貴族なら、そうだな、皿をひっくり返して偉そうに喚きちらした挙句、料理を作った人間を打ち首にすることもある」
「そんなことしないよ!?」
「ああ。だから、ナノハは偉いぞ」
子どものように扱われ、悔しいような、嬉しいような不思議な気分になった私はちょっと泣いた。
でも頭から大判の布を被っていたから、ユージンにはバレずに済んだと思う。
町に出て、一番初めに思ったのは高い建物がないということだった。高層マンションレベルのものは皆無だ。
七階建てか、八階建てくらいの建物はあるが、手作り感満載ですごく恐ろしいものになっていた。震度三ぐらいの地震一発でさよなら感がある。
私がそれらを見ていると、ユージンが渋い顔で「違法建築だな」と呟いた。
「あまりよくないんだが、最近はそうも言ってられなくなってきている」
「人が多すぎるから?」
「そういうことだ。この町は魔物除けの塀で囲われているんだが、その内側に家を作ろうとしても、もう場所がない」
「塀の外だと危ないの?」
「前は村をつくって細々と暮らしているヤツもいた。難民たちの大抵がそういう輩だ。だが、今はもう神族の守りのない場所はすべてダメだ。魔物の動きが活発になりすぎている。魔族どもが仕掛けてきているんだろう」
魔物というのは、なんとなくわかる。あの大きくて凶暴な鳥みたいなモノのことだ。けれど魔族は見たことがない。
「魔族って、悪者なの?」
「ああ……魔物を操りオレたちを着実に狩りにくる。神族の怨敵だ」
「神族?」
「――間違っても神族を知らないなんて、どこかで言うんじゃないぞ?」
怖い顔でユージンが言うので、私はすぐに頷いた。
「神族というのは……人間の上に立つ方々のことだな。神々の末裔のことを言う。アリを踏み潰す子どものような無邪気さで無茶ぶりしてくるヤツがいたら、大抵は神族だ」
ユージンは結構辛辣に言う。
「ヤツらは見た目でもわかる。肌の色がやたらと白くて、銀髪が多い。目の色も銀か白だ。耳は大体尖っているな。やたらと色が薄いのがいたら、あまり関わらないようにしとけよ」
私は大きく頷いた。宗教的な事柄には触れたくない。
もしかしたら、神様の末裔と称する人から見たら、異世界人は討伐対象かもしれないのだ。
「魔族っていうのは、どんな見た目なの?」
「……黒髪のことが多い」
「え!?」
サッと私が頭を押さえると、「人間で黒髪のヤツも普通にいるから安心しろ」と宥められた。
「金の瞳で、瞳孔が縦に割れていることが多い。肌は浅黒く……多くは耳が尖っている」
「えっと、それって」
「神族と似ているだとか、間違っても言うなよ」
言わない言わない。こくこくと頷いておく。
「今神族の方々は町を不在にしているが、そのうち戻られるだろう。魔族については……隷属者を見られる機会があれば教えてやる」
「レイゾクシャ?」
「神族との戦いに敗れ、命乞いをしてきた魔族には慈悲を与えることがある。隷属者として人と神族に仕えてまで生き永らえたいのであれば、そうしてやるんだ」
ユージンは酷薄な表情でそう言う。それ以上聞くと怖くて夜に眠れなくなりそうだったから、私は話を逸らした。
「えーと、それより、お店とかあったら、見たいなーなんて」
「まずは神殿へ行き、おまえが魔族やその眷属ではないことを、証明する」
「ま、まぞくやけんぞく……?」
「おまえを見る限りとてもそうは思えないし、疑ってはいないが、まあ、一応な?」
ユージンは私を安心させるように微笑み、頭を撫でてきた。私は大人しく頭を撫でられつつ、ドキドキする胸を押さえる。ときめきではなく恐怖だ。
「ど、どうやって見分けるのかな?」
私は別に耳が尖っていたりはしないし、瞳孔が縦に割れていたりするわけでもなかった。けれど、魔族の祖先が実は異世界人でした~みたいな展開があったら、大変な目に遭うかもしれない。
「闇に穢れた生き物は、神殿に近づくほど苦しむんだ」
何それ怖い。
私はビクビクしながらも、ユージンから逃げるわけにもいかず、後をついて歩いた。逃げたところで、私に行くあてはない。
でも、当の神殿とやらにたどり着いても、恐れていたことは何も起こらなかった。
「わあ、きれい……この中に入ってもいいの?」
「ああ。神族の聖気に耐えられるのであれば、いくらでも奥に入ってかまわないとされている」
「公園みたい!」
大理石か何かでできた白い円柱状の塔が中心にある。その周りは広い公園のようになっていて、町の道の汚さが嘘みたいに白い道は美しく掃き清められ、花壇は彩豊かで木々は整然と並んでいた。
「こんなにきれいなのに、なんで人が少ないの?」
町の中には人がたくさん歩いていた。忙しそうにせかせか歩いている人が大勢だったけれど、暇そうにブラブラしている人だっていた。暇ならこのきれいな公園を散歩したっていいだろうに。
「……中央へ行くほど、聖なる気配が濃いからな。穢れた人間には息苦しく、居心地が悪い」
「え? ユージン、顔色が……」
「オレは穢れているから……外庭の時点でもう苦しい」
ユージンは敷地内には入ったものの、すぐに近くにあったベンチに座り、首を絞めつけるマントの留め金を外して深呼吸していた。その額には汗が浮かんでいる。
本当に息苦しそうで、ピンピンしている私は驚いた。
「えええ、大丈夫? もう外に出ようよ!」
「ナノハがもし平気なら、正面の道を行き……あの二本の円柱の間を通って神像のもとへ」
荒い呼吸を繰り返しつつ、ユージンは神殿の正面らしき開け放たれた入り口を指さす。
「神像を詣でることができれば、その裏の水槽の中にある清められた銅貨をもらってこい……」
「銅貨ってお金? もらってくればいいの?」
「ああ、この銅貨を、代わりに神像の足元に置いていけ」
たぶんそれがこの世界のお参りとお賽銭のやり方なのだろう。
ユージンはこんなに苦しそうなのに私がお金をもらってくるまで、帰ろうとしない。
「急いでもらってくるから、待っててね!」
「無理なら……いいから戻ってこい」
無理だったってことにしてすぐに戻ってこようかと一瞬思ったけれど、この世界に神様がいるのなら、便宜を図ってくださいってお願いしておいたほうがいい気がした。ユージンがここまでしてお参りさせたがっているし、何しろ今の私の状況は神頼みでもしないとどうにもなりそうにないのだ。
結局、私は真面目にお参りすることにした。
どんどん神殿に近づいて行くけれど、苦しくなかったし、そもそも何も感じなかった。なんとなく、空気がきれいな気がした程度だ。町に漂っていた異臭がしない分、楽だと感じる。
途中、行き倒れているおじさんを見つけた。神殿の神像らしきものまで五メートルぐらいというところで、膝をついて泣いている。それ以上近づけないらしい。
「だ、大丈夫ですか?」
「お気になさらず……うう、日課ですので……」
太ったおじさんは毎日あと少しというところまで来ているけれど、そのあと少しの距離をなかなか縮められずにいると言う。
私は先を急いだ。神殿までたどり着いても、人気はない。
入り口の階段を上りきったところに、神像は立っていた。あまりはっきりしない顔立ちの大理石の白い像だけれど、髪の毛が長いこととずるずるの服を着ていること、両耳が尖っていることはわかる。腰までありそうな髪の毛の長さから察するに、女神なのかもしれない。
「女神様……私が末永く美味しいごはんを食べられるよう、お助けください!」
神社をお参りする時と同じ作法で柏手を打つ。元の世界への帰還を願うか迷ったものの、ここで願ってすぐ帰れるなら世話はない。それより緊急で重要なことにご利益があるよう祈った。
その後、私はユージンに指示された通り、もらった硬貨を神像の裸足の親指のあたりに置いた。それから裏に回ると、ユージンが水槽だと言っていたものがすぐに見つかる。水槽の上の天井は開いていて、そこから雨水を落として溜めているらしい。壁には騎士団の応接間と同じように四色の服を着た人たちが追いかけっこをしている絵が描かれていた。床は色とりどりのガラスや陶器で作られたモザイクで、天井の開いた部分から日の光が差し込みカラフルな色が浮かび上がる様はとても可愛い。
「この硬貨は、勝手にもらっていいのかな?」
誰もいなかったので、水槽に溜められた透明な水の中に沈んでいる硬貨を、袖を濡らさないようにたくし上げて自分で拾い上げた。神様の横顔が描かれたそれは、なぜか淡い白色に光っている。
「ファンタジーだなあ……」
ここまで一切辛くなることも苦しくなることもなし。心配することなんてなかったみたいだ。
私が神殿から出ると、泣いていたおじさんはいなくなっていた。神殿に入るのは諦めたらしい。
……穢れるって、一体なんなんだろう。
首を傾げながら戻ると、ユージンはぐったりとベンチに座ったままでいる。彼を急かして、さっさと神殿の敷地の外へ出た。
町に戻ると汚物のようなにおいがするのだけれど、ユージンは明らかに呼吸がしやすくなったようで、ホッとした様子で深呼吸をする。
「それじゃ、次は食べ物のお店に行くってことで!」
私がビシッと神殿からもらってきた硬貨を見せつけると、ユージンは微笑んで頷いた。
「ああ。……少し歩くがかまわないか?」
「大丈夫! 靴も貸してもらったし!」
ユージンの微笑みが先ほどよりも優しくなっていて、内心ちょっと驚きながら答えた。
たぶん、私が魔族やら眷属やらと無関係だと証明されたからに違いない。さっきまでだって随分優しかったのに、さらに甘くなっている。
「その銅貨を貸してくれるか?」
「うん? はい」
ユージンに渡すと、彼はその硬貨をどこからか取り出した鎖の付いた台座にパチリと嵌めた。そして、私の首にかけてくれる。
「神殿に入ることのできた証は、おまえの身を守ってくれるだろう……聖なる光の加護があらんことを」
前髪を優しい手つきで撫でられて、ビクリとしてしまう。恋愛偏差値四十程度の私には難易度の高い気障さだ。
この世界はみんなこんな感じなのかな? それともユージンだけなのだろうか。今こそ盛大に私のお腹の虫が鳴いて、この変な雰囲気をぶち壊してくれればいいのに。
妙に緊張して鳴らないお腹を抱えつつ、ユージンに連れられてたどり着いたのは市場だった。
なんとなく、テレビで見た蚤の市の、ものすごく寂しいバージョンのような雰囲気だ。
まばらに商品が並んでいるけれど、食べられそうなものは見当たらない。
「普通に並んでいるものでおまえに食えそうなものはないぞ。……見るならこちらだ」
そう言って、外に並んでいるお店を通り過ぎ、ユージンは大きな建物に向かった。
「このあたり一帯はすべて商人の倉庫だが……オレたち黒魔騎士団が相手でも、ごく普通に取引をしてくれる商人は一握りだ。そのうちの一人を訪ねるぞ」
「……ユージンたちの騎士団って、あまり偉くないの?」
服装を見る限り、明らかに難民の人や町の人より上のランクに属しているみたいなのに、商人がユージンたちに対して隔意ある態度を取るというのが、どういう状況なのかわからなかった。難民がアルバイトだとして、町の人が平社員だとすると、ユージンたちは部長とか課長クラスじゃないんだろうか? それとも、商人はもっと上だったりするのかな?
「オレたちは身の上が特殊だからな……商人より身分は上でも立場が危うい」
……部長だけど、何か事情があって肩身が狭いということなのかもしれない。平社員なのに強権を振るうお局様は私の会社にもいたし、ありえないことじゃないね。
私はそれ以上追及しないことにする。
しばらくして、ユージンが立ち止まった建物の入り口前には兵士のような人が立っていた。私たちをジロリと見たけれど、入って行っても何も言わない。
中に入ると太ったおじさんが出てきて、私はすごく驚いた。
先ほど神殿に入れずに泣いていたおじさんだ。
「これはユージン様! このようなところにお出ましとは珍しい……それにあなたは、先ほどの!」
おじさんも私が神殿で会った人間だと気付いたらしい。私が首からかけている硬貨を見て、羨ましそうに目を潤ませた。
「この穢れきった辺境で、聖なる気に満ちた神殿を参詣できる清らかな方がいらっしゃるとは……お会いできて光栄です」
光る硬貨は、出会った人の態度を軟化させるらしい。おじさんに大歓迎されて、私とユージンは応接間に招かれた。
「私はトッポと申します。ドローラズ州にて商いをさせていただいております、しがない商人でございまして……」
「商品を見せてくれ」
右手を左肩に近い胸に当ててお辞儀しようとするも、大きなお腹が邪魔してできないでいるおじさんを、ユージンが促した。おじさんはポンと手を打って言った。
「ユージン様、お嬢様、ご案内いたします、商品はこちらにございます」
「どうも……私はナノハです」
お嬢様って呼ぶのはやめてくれ、と念じながら自己紹介をすると、「ナノハ様ですね」とトッポさんは頷いてくれた。察しのいい商人さんだ。
部屋の奥にある扉から廊下へ出ると、その奥に別の部屋がいくつかある。
そこにも兵士が立っていて、トッポさんが頷くと私たちを通した。
その部屋には壁が見えなくなるほど大量の食糧品が積み上げられている。私はポカンとした。
「え? これ……全部食べ物? どうしてこんなにたくさんあるの?」
「それは私がドローラズ領主様に許されて、商売をさせていただいているからですね。ドローラズ州に広く食糧がいきわたるように管理させていただいているのです」
「ああ……なるほどです」
それなら、今目の前にいる人に端から配っていくわけにはいかないだろう。ここにはいない別の人の手に渡らなくなってしまうから。
けれど、すぐ外に飢えている人がいるのに、こんなにもたくさんの食糧品が置かれていると思うと――
お腹が鳴り、ものすごい音で部屋に響き渡った。私はお腹を押さえて布を深く被り顔を隠す。
「ナ、ナノハ様は空腹なのですか?」
聞いてよいものだろうか、しかし無視できない大音量だ――そんな戸惑い顔でトッポさんが言う。
「うちで出す食事が舌に合わないようなんだ」
溜息交じりに説明するユージンの隣で、私は小さくなって謝った。
「……申し訳ない限りです」
ボソボソと言うと、トッポさんがフォローするように大声を出した。
「わかりますわかります! ユージン様の前で言うのもなんですが、辺境のメシは都市の豚の餌より悲惨ですからね! 土地も人も穢れきり、何もかもが酷いものです!」
トッポさんの言葉にユージンは渋い顔をしたけれど、特に何も言わなかった。
土地も人も穢れきり……かあ。
ユージンもクリスチャンさんも自分は穢れていると言っていた。この世界の常識では人間は大なり小なり穢れているものなのかもしれない。トッポさんも神殿の像があるところまで入れなかった。
その穢れが一体なんなのか、未だによくわからない私は曖昧な表情を浮かべる。
「ナノハ様……よろしければ、こちらなどはいかがでしょう?」
そう言ってトッポさんが壁際の箱から一つ取り上げ差し出したのは、白くて玉ねぎみたいな形のつやつやとした食材だった。それを掌に乗せ、指で押すと少しへこんだ。
「おい、ナノハ、買う金はないぞ」
「よろしいのですよ、ユージン様。スワモはそう長くは持ちませんので、お試しで一つ提供いたします」
「ありがとうございます……これは果物ですか?」
お礼を言いつつ、スワモという何かの匂いをかいでみる。すると、ほんのりと甘い香りがした。
「ご存じありませんで? 確かに果物です。甘くて果汁たっぷりで、領主弟のエスキリ様の奥様も好物でいらっしゃるのですよ」
この町の偉い人も食べている果物ならば、きっと私だって食べられるに違いない。
試食としてただでくれるというので遠慮なくいただくことにした。
「いただきます。あむ……んん?」
「どうだ? ナノハ? 吐くか?」
ユージンの言葉に、私は首を傾げる。
「んんー。吐かないけど」
「吐くんですか!?」とびっくり顔をしているトッポさんの手前、とりあえずそれだけは断言しておく。けれど、私は微妙な顔をせずにはいられなかった。
「果汁はたくさんだけど……思ってたより甘くないかも」
「へ!? そうでしょうか。不良品だったのかもしれません、申し訳ございません!」
「いえ……私、普通のスワモ? っていう果物の味を知らないので、なんとも」
果汁十パーセントのミカンジュースから砂糖を抜いて水と一対一で割ったような味がした。食感はプラムに似ている。
「……まあ、食べられないほどまずいとは言わないけど」
正直な感想を言ったら、ユージンがドン引きしたような顔をした。
もしかしなくても、スワモは高級品なのかもしれない。けれど、品種改良されて甘いのが普通の地球のフルーツと比べると、味劣りすること甚だしい。
つまり、この世界の食べ物はどうやら気軽に買えない高級な果物でやっと、まあ食べられなくもないかなレベルの代物だということがわかった。
幸先がよくない。お腹が減りすぎたことと相まって眩暈がする。
「私、贅沢でわがままなのかな……」
「そうだな」
ユージンにはっきりと肯定されて涙目になりつつ、私はトッポさんの倉庫を後にした。
建物から出て、数歩歩いたところで、ドンッと誰かにぶつかられる。
よろめいて「あわわ」とか言ってるうちに、被っていた精霊の御守り布をはぎ取られた。
「え? あれ?」
ポカンと呆けている私を尻目に、犯人は布をマントのようにはためかせ、すごい勢いで通りを走り抜けていく。
「オレの目の前でスリとはいい度胸だ!!」
ユージンは叫ぶと、これまたものすごい速度でスリを追っていった。
あっという間に見えなくなる。
見知らぬ世界の見知らぬ町の見知らぬ場所に、おいていくのはやめてほしい!
護衛とは一体なんだったのか……町の人にユージンの行き先を聞きまくり、探すこと数分。
息を切らしつつ、私がたどり着いたのは、町を囲う塀のすぐ側だった。
煙が上がっていて、何かを燃やしているみたいだ。何を燃やしているのかは、においからは判別できない。ただ、モワモワモワと煙くさかった。
建物の陰から覗くと、塀の内側にさらに木の柵で囲われた広場があり、中央には何かの死骸が積まれている。それを順に燃やしているようだ。
そこに暴れる子どもをつまみ上げているユージンがいる。私はそろりそろりと忍び足で近づいた。
「うっわ」
柵の中に入り、中央に並べられた死骸が、動物とは呼びにくい異形の生き物であることに私は気が付いた。
「こ、これ……魔物?」
「ああ。よかった、ついてきたのか、ナノハ」
「いやだって……あんなところに放置されたら困るもん!」
何しろここは私にとって右も左もわからない異国の土地だ。
大使館にでも連れていってもらえるかもしれない外国とは違い、故郷すらない異世界である。ユージンと離れるだなんてありえない。
ユージンは魔物の死骸の上にスリの子どもを放り捨てた。そして、私にその子どもから取り上げた布を渡してくれる。
「ったく、おまえらの身の上に同情しているから見逃してやるが、次やったらただじゃ済まさないぞ!」
怒鳴られた子どもは死骸の上で起き上がり、ユージンを睨みつけた。反省している様子はカケラもない。ユージンが口を開きかけると、器用に死骸の上を飛び移って子どもは逃げていった。
あたりを改めて見まわしてみる。柵は長方形に延びていた。隅っこには掘っ建て小屋がある。
魔物の死骸は広場の中央にまとめられ、その側に大きな火が焚かれていた。制帽のようなものを被った男が死骸を燃やしては、骨をトングで引っ張り出して、次の魔物を燃やす。
その炎を子どもが取り囲んでうずくまり、何やら作業をしていた。
「ユージン、どうしてこんなところで魔物を燃やしてるの?」
「塀の中で湧いたからな。いちいち外に運びだして燃やすのは面倒だろう?」
ユージンは身体についた何かを振り払うような仕草をしながら、柵の外へ出ようと歩いていく。
それについていきつつ、私は疑問点を尋ねた。
「埋めたりはしないの?」
外に出ると、ユージンが布を渡してきた。赤と青と緑と黄色の……カラフルな色使いで幾何学模様が刺繍された大判の布だ。模様の基本は三角形で、ひっくり返ったり横線で分割されていたりする。
「なんで被るの?」
「なんでって……精霊に守ってもらうためだ」
これを被っているとご利益があるらしい。気の持ちようなのか、本当に守られるのか気になるところだ。
「セイレイ? 精霊?」
「おい、嘘だろ……そんなことまで忘れてるのか?」
「ちなみにユージンが昨日言ってた、魔族とかいうのもわかりません! 魔族って何?」
この際だから聞いてみたら、ユージンが頭を抱えて首を横に振った。
「重症だな……とりあえずこの『精霊の御守』を被っていろ」
頭を布で覆われた。私は大人しくユージンの言う通りにする。
「ま、いいや。細かいことはおいといて……まずは私にも食べられそうなものを見つけないと!」
「大事なことなんだが、仕方がないな。確かに食い物以上に重要なことはない。おいおい教えてやる」
布を被った頭を撫でられた。
ちょっと驚きつつ、もしかしたらユージンって年上かもしれないとふと思う。
「ユージンっていくつ?」
「オレか? 二十六歳だが。おまえは? 十六歳ぐらいか?」
「わあ……若く見えるって意味なら嬉しいけど、幼いって意味なら足踏むよ。正解は二十二歳」
「はあ!?」
その態度は幼く見えているという反応にしか見えなかった。私はユージンの足を踏みつける。しかしビクともしない。ムッとして見上げたら戸惑いに満ちた目を向けられた。
ユージンは四歳年上らしい。見た目だけならもっと上に見えるけれど、言葉を交わした感覚だと同年代だ。
「おまえ……その言動で二十二歳というのは……たぶん記憶が混乱しているぞ」
「そんなことないよ! 私は立派な大人の女性だから!」
「いやだから、見えないと言ってるだろうが。妄想だな。まあ、大人だと思いたきゃそうしろ」
「妄想じゃないよ、現実だよ! 現実を見ようよ!」
「おまえがな」
私は異世界に来てしまったという現実を重く受け止めている。これ以上の現実は正直いらない。
「オレがいるから心配するな、ナノハ」
深刻な顔をしていると、初めてユージンに名前を呼ばれる。驚いて、言おうとした言葉を忘れてしまったが、まあいいか。
そのまま二人で外に出る。早朝だからか難民は宿舎を囲む塀の外側に追い出されていて、力なくうずくまっていた。
きっと、食糧配給の時間が来たら、彼らは塀の中に招き入れられるんだろう。
そして、私がまずいと言って残したごはんよりもずっとまずいごはんを喜んで食べるに違いない。
「……ユージン、私が昨日、その、アレしたごはん、どうした?」
「隊の者が毒見をした。……特に問題はないようだったので誰かが食べたと思うぞ」
「そっか……捨てられたんじゃなくてよかった」
ホッと息を吐いて言ったら、ユージンに頭をぐりぐりと撫でられた。
「痛い、痛いってば!」
「気にすることはない、ナノハ。おまえだって、頑張って食べようとしたんだろ?」
「……うん」
「バカ貴族なら、そうだな、皿をひっくり返して偉そうに喚きちらした挙句、料理を作った人間を打ち首にすることもある」
「そんなことしないよ!?」
「ああ。だから、ナノハは偉いぞ」
子どものように扱われ、悔しいような、嬉しいような不思議な気分になった私はちょっと泣いた。
でも頭から大判の布を被っていたから、ユージンにはバレずに済んだと思う。
町に出て、一番初めに思ったのは高い建物がないということだった。高層マンションレベルのものは皆無だ。
七階建てか、八階建てくらいの建物はあるが、手作り感満載ですごく恐ろしいものになっていた。震度三ぐらいの地震一発でさよなら感がある。
私がそれらを見ていると、ユージンが渋い顔で「違法建築だな」と呟いた。
「あまりよくないんだが、最近はそうも言ってられなくなってきている」
「人が多すぎるから?」
「そういうことだ。この町は魔物除けの塀で囲われているんだが、その内側に家を作ろうとしても、もう場所がない」
「塀の外だと危ないの?」
「前は村をつくって細々と暮らしているヤツもいた。難民たちの大抵がそういう輩だ。だが、今はもう神族の守りのない場所はすべてダメだ。魔物の動きが活発になりすぎている。魔族どもが仕掛けてきているんだろう」
魔物というのは、なんとなくわかる。あの大きくて凶暴な鳥みたいなモノのことだ。けれど魔族は見たことがない。
「魔族って、悪者なの?」
「ああ……魔物を操りオレたちを着実に狩りにくる。神族の怨敵だ」
「神族?」
「――間違っても神族を知らないなんて、どこかで言うんじゃないぞ?」
怖い顔でユージンが言うので、私はすぐに頷いた。
「神族というのは……人間の上に立つ方々のことだな。神々の末裔のことを言う。アリを踏み潰す子どものような無邪気さで無茶ぶりしてくるヤツがいたら、大抵は神族だ」
ユージンは結構辛辣に言う。
「ヤツらは見た目でもわかる。肌の色がやたらと白くて、銀髪が多い。目の色も銀か白だ。耳は大体尖っているな。やたらと色が薄いのがいたら、あまり関わらないようにしとけよ」
私は大きく頷いた。宗教的な事柄には触れたくない。
もしかしたら、神様の末裔と称する人から見たら、異世界人は討伐対象かもしれないのだ。
「魔族っていうのは、どんな見た目なの?」
「……黒髪のことが多い」
「え!?」
サッと私が頭を押さえると、「人間で黒髪のヤツも普通にいるから安心しろ」と宥められた。
「金の瞳で、瞳孔が縦に割れていることが多い。肌は浅黒く……多くは耳が尖っている」
「えっと、それって」
「神族と似ているだとか、間違っても言うなよ」
言わない言わない。こくこくと頷いておく。
「今神族の方々は町を不在にしているが、そのうち戻られるだろう。魔族については……隷属者を見られる機会があれば教えてやる」
「レイゾクシャ?」
「神族との戦いに敗れ、命乞いをしてきた魔族には慈悲を与えることがある。隷属者として人と神族に仕えてまで生き永らえたいのであれば、そうしてやるんだ」
ユージンは酷薄な表情でそう言う。それ以上聞くと怖くて夜に眠れなくなりそうだったから、私は話を逸らした。
「えーと、それより、お店とかあったら、見たいなーなんて」
「まずは神殿へ行き、おまえが魔族やその眷属ではないことを、証明する」
「ま、まぞくやけんぞく……?」
「おまえを見る限りとてもそうは思えないし、疑ってはいないが、まあ、一応な?」
ユージンは私を安心させるように微笑み、頭を撫でてきた。私は大人しく頭を撫でられつつ、ドキドキする胸を押さえる。ときめきではなく恐怖だ。
「ど、どうやって見分けるのかな?」
私は別に耳が尖っていたりはしないし、瞳孔が縦に割れていたりするわけでもなかった。けれど、魔族の祖先が実は異世界人でした~みたいな展開があったら、大変な目に遭うかもしれない。
「闇に穢れた生き物は、神殿に近づくほど苦しむんだ」
何それ怖い。
私はビクビクしながらも、ユージンから逃げるわけにもいかず、後をついて歩いた。逃げたところで、私に行くあてはない。
でも、当の神殿とやらにたどり着いても、恐れていたことは何も起こらなかった。
「わあ、きれい……この中に入ってもいいの?」
「ああ。神族の聖気に耐えられるのであれば、いくらでも奥に入ってかまわないとされている」
「公園みたい!」
大理石か何かでできた白い円柱状の塔が中心にある。その周りは広い公園のようになっていて、町の道の汚さが嘘みたいに白い道は美しく掃き清められ、花壇は彩豊かで木々は整然と並んでいた。
「こんなにきれいなのに、なんで人が少ないの?」
町の中には人がたくさん歩いていた。忙しそうにせかせか歩いている人が大勢だったけれど、暇そうにブラブラしている人だっていた。暇ならこのきれいな公園を散歩したっていいだろうに。
「……中央へ行くほど、聖なる気配が濃いからな。穢れた人間には息苦しく、居心地が悪い」
「え? ユージン、顔色が……」
「オレは穢れているから……外庭の時点でもう苦しい」
ユージンは敷地内には入ったものの、すぐに近くにあったベンチに座り、首を絞めつけるマントの留め金を外して深呼吸していた。その額には汗が浮かんでいる。
本当に息苦しそうで、ピンピンしている私は驚いた。
「えええ、大丈夫? もう外に出ようよ!」
「ナノハがもし平気なら、正面の道を行き……あの二本の円柱の間を通って神像のもとへ」
荒い呼吸を繰り返しつつ、ユージンは神殿の正面らしき開け放たれた入り口を指さす。
「神像を詣でることができれば、その裏の水槽の中にある清められた銅貨をもらってこい……」
「銅貨ってお金? もらってくればいいの?」
「ああ、この銅貨を、代わりに神像の足元に置いていけ」
たぶんそれがこの世界のお参りとお賽銭のやり方なのだろう。
ユージンはこんなに苦しそうなのに私がお金をもらってくるまで、帰ろうとしない。
「急いでもらってくるから、待っててね!」
「無理なら……いいから戻ってこい」
無理だったってことにしてすぐに戻ってこようかと一瞬思ったけれど、この世界に神様がいるのなら、便宜を図ってくださいってお願いしておいたほうがいい気がした。ユージンがここまでしてお参りさせたがっているし、何しろ今の私の状況は神頼みでもしないとどうにもなりそうにないのだ。
結局、私は真面目にお参りすることにした。
どんどん神殿に近づいて行くけれど、苦しくなかったし、そもそも何も感じなかった。なんとなく、空気がきれいな気がした程度だ。町に漂っていた異臭がしない分、楽だと感じる。
途中、行き倒れているおじさんを見つけた。神殿の神像らしきものまで五メートルぐらいというところで、膝をついて泣いている。それ以上近づけないらしい。
「だ、大丈夫ですか?」
「お気になさらず……うう、日課ですので……」
太ったおじさんは毎日あと少しというところまで来ているけれど、そのあと少しの距離をなかなか縮められずにいると言う。
私は先を急いだ。神殿までたどり着いても、人気はない。
入り口の階段を上りきったところに、神像は立っていた。あまりはっきりしない顔立ちの大理石の白い像だけれど、髪の毛が長いこととずるずるの服を着ていること、両耳が尖っていることはわかる。腰までありそうな髪の毛の長さから察するに、女神なのかもしれない。
「女神様……私が末永く美味しいごはんを食べられるよう、お助けください!」
神社をお参りする時と同じ作法で柏手を打つ。元の世界への帰還を願うか迷ったものの、ここで願ってすぐ帰れるなら世話はない。それより緊急で重要なことにご利益があるよう祈った。
その後、私はユージンに指示された通り、もらった硬貨を神像の裸足の親指のあたりに置いた。それから裏に回ると、ユージンが水槽だと言っていたものがすぐに見つかる。水槽の上の天井は開いていて、そこから雨水を落として溜めているらしい。壁には騎士団の応接間と同じように四色の服を着た人たちが追いかけっこをしている絵が描かれていた。床は色とりどりのガラスや陶器で作られたモザイクで、天井の開いた部分から日の光が差し込みカラフルな色が浮かび上がる様はとても可愛い。
「この硬貨は、勝手にもらっていいのかな?」
誰もいなかったので、水槽に溜められた透明な水の中に沈んでいる硬貨を、袖を濡らさないようにたくし上げて自分で拾い上げた。神様の横顔が描かれたそれは、なぜか淡い白色に光っている。
「ファンタジーだなあ……」
ここまで一切辛くなることも苦しくなることもなし。心配することなんてなかったみたいだ。
私が神殿から出ると、泣いていたおじさんはいなくなっていた。神殿に入るのは諦めたらしい。
……穢れるって、一体なんなんだろう。
首を傾げながら戻ると、ユージンはぐったりとベンチに座ったままでいる。彼を急かして、さっさと神殿の敷地の外へ出た。
町に戻ると汚物のようなにおいがするのだけれど、ユージンは明らかに呼吸がしやすくなったようで、ホッとした様子で深呼吸をする。
「それじゃ、次は食べ物のお店に行くってことで!」
私がビシッと神殿からもらってきた硬貨を見せつけると、ユージンは微笑んで頷いた。
「ああ。……少し歩くがかまわないか?」
「大丈夫! 靴も貸してもらったし!」
ユージンの微笑みが先ほどよりも優しくなっていて、内心ちょっと驚きながら答えた。
たぶん、私が魔族やら眷属やらと無関係だと証明されたからに違いない。さっきまでだって随分優しかったのに、さらに甘くなっている。
「その銅貨を貸してくれるか?」
「うん? はい」
ユージンに渡すと、彼はその硬貨をどこからか取り出した鎖の付いた台座にパチリと嵌めた。そして、私の首にかけてくれる。
「神殿に入ることのできた証は、おまえの身を守ってくれるだろう……聖なる光の加護があらんことを」
前髪を優しい手つきで撫でられて、ビクリとしてしまう。恋愛偏差値四十程度の私には難易度の高い気障さだ。
この世界はみんなこんな感じなのかな? それともユージンだけなのだろうか。今こそ盛大に私のお腹の虫が鳴いて、この変な雰囲気をぶち壊してくれればいいのに。
妙に緊張して鳴らないお腹を抱えつつ、ユージンに連れられてたどり着いたのは市場だった。
なんとなく、テレビで見た蚤の市の、ものすごく寂しいバージョンのような雰囲気だ。
まばらに商品が並んでいるけれど、食べられそうなものは見当たらない。
「普通に並んでいるものでおまえに食えそうなものはないぞ。……見るならこちらだ」
そう言って、外に並んでいるお店を通り過ぎ、ユージンは大きな建物に向かった。
「このあたり一帯はすべて商人の倉庫だが……オレたち黒魔騎士団が相手でも、ごく普通に取引をしてくれる商人は一握りだ。そのうちの一人を訪ねるぞ」
「……ユージンたちの騎士団って、あまり偉くないの?」
服装を見る限り、明らかに難民の人や町の人より上のランクに属しているみたいなのに、商人がユージンたちに対して隔意ある態度を取るというのが、どういう状況なのかわからなかった。難民がアルバイトだとして、町の人が平社員だとすると、ユージンたちは部長とか課長クラスじゃないんだろうか? それとも、商人はもっと上だったりするのかな?
「オレたちは身の上が特殊だからな……商人より身分は上でも立場が危うい」
……部長だけど、何か事情があって肩身が狭いということなのかもしれない。平社員なのに強権を振るうお局様は私の会社にもいたし、ありえないことじゃないね。
私はそれ以上追及しないことにする。
しばらくして、ユージンが立ち止まった建物の入り口前には兵士のような人が立っていた。私たちをジロリと見たけれど、入って行っても何も言わない。
中に入ると太ったおじさんが出てきて、私はすごく驚いた。
先ほど神殿に入れずに泣いていたおじさんだ。
「これはユージン様! このようなところにお出ましとは珍しい……それにあなたは、先ほどの!」
おじさんも私が神殿で会った人間だと気付いたらしい。私が首からかけている硬貨を見て、羨ましそうに目を潤ませた。
「この穢れきった辺境で、聖なる気に満ちた神殿を参詣できる清らかな方がいらっしゃるとは……お会いできて光栄です」
光る硬貨は、出会った人の態度を軟化させるらしい。おじさんに大歓迎されて、私とユージンは応接間に招かれた。
「私はトッポと申します。ドローラズ州にて商いをさせていただいております、しがない商人でございまして……」
「商品を見せてくれ」
右手を左肩に近い胸に当ててお辞儀しようとするも、大きなお腹が邪魔してできないでいるおじさんを、ユージンが促した。おじさんはポンと手を打って言った。
「ユージン様、お嬢様、ご案内いたします、商品はこちらにございます」
「どうも……私はナノハです」
お嬢様って呼ぶのはやめてくれ、と念じながら自己紹介をすると、「ナノハ様ですね」とトッポさんは頷いてくれた。察しのいい商人さんだ。
部屋の奥にある扉から廊下へ出ると、その奥に別の部屋がいくつかある。
そこにも兵士が立っていて、トッポさんが頷くと私たちを通した。
その部屋には壁が見えなくなるほど大量の食糧品が積み上げられている。私はポカンとした。
「え? これ……全部食べ物? どうしてこんなにたくさんあるの?」
「それは私がドローラズ領主様に許されて、商売をさせていただいているからですね。ドローラズ州に広く食糧がいきわたるように管理させていただいているのです」
「ああ……なるほどです」
それなら、今目の前にいる人に端から配っていくわけにはいかないだろう。ここにはいない別の人の手に渡らなくなってしまうから。
けれど、すぐ外に飢えている人がいるのに、こんなにもたくさんの食糧品が置かれていると思うと――
お腹が鳴り、ものすごい音で部屋に響き渡った。私はお腹を押さえて布を深く被り顔を隠す。
「ナ、ナノハ様は空腹なのですか?」
聞いてよいものだろうか、しかし無視できない大音量だ――そんな戸惑い顔でトッポさんが言う。
「うちで出す食事が舌に合わないようなんだ」
溜息交じりに説明するユージンの隣で、私は小さくなって謝った。
「……申し訳ない限りです」
ボソボソと言うと、トッポさんがフォローするように大声を出した。
「わかりますわかります! ユージン様の前で言うのもなんですが、辺境のメシは都市の豚の餌より悲惨ですからね! 土地も人も穢れきり、何もかもが酷いものです!」
トッポさんの言葉にユージンは渋い顔をしたけれど、特に何も言わなかった。
土地も人も穢れきり……かあ。
ユージンもクリスチャンさんも自分は穢れていると言っていた。この世界の常識では人間は大なり小なり穢れているものなのかもしれない。トッポさんも神殿の像があるところまで入れなかった。
その穢れが一体なんなのか、未だによくわからない私は曖昧な表情を浮かべる。
「ナノハ様……よろしければ、こちらなどはいかがでしょう?」
そう言ってトッポさんが壁際の箱から一つ取り上げ差し出したのは、白くて玉ねぎみたいな形のつやつやとした食材だった。それを掌に乗せ、指で押すと少しへこんだ。
「おい、ナノハ、買う金はないぞ」
「よろしいのですよ、ユージン様。スワモはそう長くは持ちませんので、お試しで一つ提供いたします」
「ありがとうございます……これは果物ですか?」
お礼を言いつつ、スワモという何かの匂いをかいでみる。すると、ほんのりと甘い香りがした。
「ご存じありませんで? 確かに果物です。甘くて果汁たっぷりで、領主弟のエスキリ様の奥様も好物でいらっしゃるのですよ」
この町の偉い人も食べている果物ならば、きっと私だって食べられるに違いない。
試食としてただでくれるというので遠慮なくいただくことにした。
「いただきます。あむ……んん?」
「どうだ? ナノハ? 吐くか?」
ユージンの言葉に、私は首を傾げる。
「んんー。吐かないけど」
「吐くんですか!?」とびっくり顔をしているトッポさんの手前、とりあえずそれだけは断言しておく。けれど、私は微妙な顔をせずにはいられなかった。
「果汁はたくさんだけど……思ってたより甘くないかも」
「へ!? そうでしょうか。不良品だったのかもしれません、申し訳ございません!」
「いえ……私、普通のスワモ? っていう果物の味を知らないので、なんとも」
果汁十パーセントのミカンジュースから砂糖を抜いて水と一対一で割ったような味がした。食感はプラムに似ている。
「……まあ、食べられないほどまずいとは言わないけど」
正直な感想を言ったら、ユージンがドン引きしたような顔をした。
もしかしなくても、スワモは高級品なのかもしれない。けれど、品種改良されて甘いのが普通の地球のフルーツと比べると、味劣りすること甚だしい。
つまり、この世界の食べ物はどうやら気軽に買えない高級な果物でやっと、まあ食べられなくもないかなレベルの代物だということがわかった。
幸先がよくない。お腹が減りすぎたことと相まって眩暈がする。
「私、贅沢でわがままなのかな……」
「そうだな」
ユージンにはっきりと肯定されて涙目になりつつ、私はトッポさんの倉庫を後にした。
建物から出て、数歩歩いたところで、ドンッと誰かにぶつかられる。
よろめいて「あわわ」とか言ってるうちに、被っていた精霊の御守り布をはぎ取られた。
「え? あれ?」
ポカンと呆けている私を尻目に、犯人は布をマントのようにはためかせ、すごい勢いで通りを走り抜けていく。
「オレの目の前でスリとはいい度胸だ!!」
ユージンは叫ぶと、これまたものすごい速度でスリを追っていった。
あっという間に見えなくなる。
見知らぬ世界の見知らぬ町の見知らぬ場所に、おいていくのはやめてほしい!
護衛とは一体なんだったのか……町の人にユージンの行き先を聞きまくり、探すこと数分。
息を切らしつつ、私がたどり着いたのは、町を囲う塀のすぐ側だった。
煙が上がっていて、何かを燃やしているみたいだ。何を燃やしているのかは、においからは判別できない。ただ、モワモワモワと煙くさかった。
建物の陰から覗くと、塀の内側にさらに木の柵で囲われた広場があり、中央には何かの死骸が積まれている。それを順に燃やしているようだ。
そこに暴れる子どもをつまみ上げているユージンがいる。私はそろりそろりと忍び足で近づいた。
「うっわ」
柵の中に入り、中央に並べられた死骸が、動物とは呼びにくい異形の生き物であることに私は気が付いた。
「こ、これ……魔物?」
「ああ。よかった、ついてきたのか、ナノハ」
「いやだって……あんなところに放置されたら困るもん!」
何しろここは私にとって右も左もわからない異国の土地だ。
大使館にでも連れていってもらえるかもしれない外国とは違い、故郷すらない異世界である。ユージンと離れるだなんてありえない。
ユージンは魔物の死骸の上にスリの子どもを放り捨てた。そして、私にその子どもから取り上げた布を渡してくれる。
「ったく、おまえらの身の上に同情しているから見逃してやるが、次やったらただじゃ済まさないぞ!」
怒鳴られた子どもは死骸の上で起き上がり、ユージンを睨みつけた。反省している様子はカケラもない。ユージンが口を開きかけると、器用に死骸の上を飛び移って子どもは逃げていった。
あたりを改めて見まわしてみる。柵は長方形に延びていた。隅っこには掘っ建て小屋がある。
魔物の死骸は広場の中央にまとめられ、その側に大きな火が焚かれていた。制帽のようなものを被った男が死骸を燃やしては、骨をトングで引っ張り出して、次の魔物を燃やす。
その炎を子どもが取り囲んでうずくまり、何やら作業をしていた。
「ユージン、どうしてこんなところで魔物を燃やしてるの?」
「塀の中で湧いたからな。いちいち外に運びだして燃やすのは面倒だろう?」
ユージンは身体についた何かを振り払うような仕草をしながら、柵の外へ出ようと歩いていく。
それについていきつつ、私は疑問点を尋ねた。
「埋めたりはしないの?」
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