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「第六話 里美秘抄 ~野望の影~」

2章

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 女が、いる。
 伊達の声に答えるように現れた、派手な化粧をした少女は、長い爪に気遣いながら音のほとんどでない拍手をしていた。彼女にとっては、それは褒め称えている、という意味になるらしい。大きなサングラスにその奥の濃いマスカラ。茶髪は気分転換で金色に変わっており、ソバージュがかけられている。マイクロミニのスカートと、何故かこの暑さのなか羽織ったコートは、どちらも鮮やかな豹柄だ。
 『谷宿の歌姫』であり、裏世界の支配者である「闇豹」神崎ちゆりは、そのあだ名に恥じぬ毒々しい姿で、自ら雇った兵隊たちが転がる死地に登場した。
 
 「さっすがぁ~~、元なんとか特殊部隊ねぇ~♪ そいつら、組の中じゃあけっこう恐れられてる存在なのに、あっという間に全滅なんてぇ~!」
 
 「フン。防衛庁にいるころは神崎ちゆりの名は幾度か聞いたことがあったが・・・こんな小娘だとはな。この界隈の暴力団員で、お前の名を知らぬ者はいないそうだな」
 
 40を過ぎたと思しき伊達から見れば、いかに闇世界に染まっていようが、ちゆりもワルぶった女子高生に過ぎないのだろう。ダンディズム薫るその眼には、明らかな見下した態度が窺える。
 
 「まあいい。少し権力を手に入れたからといって、己の天下のように自惚れた小娘だろうが、客は客だ。今のオレが、暗殺を生業にしていることを知って、呼びつけたのだろう?」
 
 「そうそう♪ 実はあんたに殺って欲しいヤツがいるのよォ~」
 
 言うなりちゆりの指は、ゴージャスな豹柄のコートの胸元へと伸びる。
 バッという音も豪快に、コートは真ん中から開帳される。
 伊達の目に飛び込んできた光景、それはグルグルと包帯で巻きつかれた、痛々しく未発達な肉体であった。
 
 「ちりの身体をこんなにしやがった、メスブタどもを~~、ぐちゃぐちゃに屠殺して欲しいの♪」
 
 神崎ちゆりの本性を知らぬ者が見たら、誰もが同情を禁じえないであろう。ミイラと見紛うほどに包帯で包まれたコギャルの権化は、鮮やかな装飾品が色褪せるまでに惨めな姿を晒していた。
 
 ファントムガールとの闘いで負ったダメージは、「闇豹」が想像していなかった深さにまで達していた。
 おおよその悪と呼ばれる組織と接触しつつも、大きな危険に晒されることなく生き抜いてきた悪女にとって、虐待はするものであって、断じてされるものではない。痛みを与えられる屈辱は、ちゆりが持つ残虐性を最大限に膨らませていた。
 まして、自称ファッションリーダーたる己を傷つけるとは・・・
 銀の皮膚を持った、あの憎き女たちは、死程度の生ぬるさでは到底許すことはできない。
 特に。
 リーダーであり、とことん歯向かってくる長い髪の令嬢。
 超震動による技で、肉体をボロボロにさせたスポーツ女。
 顔を殴られ、命乞いまでさせられた、機械人間。
 この3人への怒りは、内臓を引きずりだして食らうぐらいでは、済まないレベルに達している。
 
 怨念とすら呼べる憎悪の炎を瞳に宿す女豹に対して、黒ずくめの暗殺者は冷ややかな視線をあからさまに向ける。
 
 「くだらんな。女の争いごときに、オレを使おうとは・・・」
 
 「あは、そういうと思ったぁ~~♪ でもねぇ、ちりの話を聞いたら、あんた、ワクワクしてくると思うよォ~~?」
 
 趣味の悪い金のルージュが歪む。その笑顔には、伊達を憎き小娘たちを抹殺する役に選んだ理由が、絶対的な勝算とともに滲んでいた。
 
 「あんたが前いた特殊部隊って、相当変わったとこだったみたいねぇ~?」
 
 突然ちゆりは、一見なんの関係もなさそうな話題に転換した。
 
 「・・・なにが言いたい?」
 
 「なんかさ~、普通の警察とか自衛隊じゃ手に負えないような仕事してたんだってぇ? えらいひと守ったりィ~、スパイみたいなことしたりィ~・・・巨大生物の謎を探ったりィ?」
 
 「確かにその通りだが、オレは完全に足を洗っている。興味あるようだが、今は単なる殺し屋だ。昔話には付き合わんぞ」
 
 「ファントムガールの正体なんか、知ってたぁ?」
 
 アイラインの濃い瞳が、強い光を放つ。
 ちゆりと正義の守護天使の関係など知るわけもない伊達は、その意味もわからずに淡々と答える。
 
 「バカな。上の連中とファントムガールが繋がっているという噂は聞いたことがあるが、オレたち兵隊には関係ない話だ。寧ろあいつらに関する話題は、防衛庁のなかではタブー視されているような雰囲気もあった」
 
 「ちりが殺して欲しいってのはぁ~、そのファントムガールなのよねぇ~」
 
 一瞬沈黙した黒い男が、やがて引き締まった肉体を震わせるや、堪らんとばかりに大口を開けて笑い出す。
 
 「ウワハハハハ! 面白い小娘だ! いくらこのオレでも、ファントムガールを仕留めるのは、少々難しいかもしれんな!」
 
 「あらぁ~~? ちりは真剣なんだけどォ~?」
 
 「ふざけるな。冗談なら、他をあたるんだな」
 
 死者の肉体から己の武器を引き抜きながら、伊達の灰色の瞳が鋭い光を射る。静かな口調には、貴様を相手に暗殺術を見せてもいいぞ、という怒気が、敢えてちゆりにわかるように篭められている。
 暗殺を職業とする男の殺気は、どんな修羅場をくぐり抜けてきた傭兵だろうと、緊張させずにいられぬはずだったが、このコギャルは動揺の影すら見せずに言った。
 
 「そりゃあ、巨大になったファントムガールを殺すのはムリだろうけどォ~。変身前だったらぁ~?」
 
 「変身前、だと」
 
 伊達の眼が細まる。口髭がピクリと反応するのを、ちゆりは見逃さなかった。
 
 「ファントムガールの正体は、五十嵐里美っていうクソ女。他はいいわぁ、あんたには、こいつをブチ殺して欲しいのよねぇ~~」
 
 「五十嵐・・・」
 
 「そ~う、五十嵐ィ~。あんたが考えてるとおりの五十嵐よォ~♪」
 
 死体から抜いた武器を、伊達はカチャリと掌の中で鳴らす。
 十字型に鈍く光る銀の刃物。それは手裏剣だった。
 
 「御庭番衆の血を引き継ぐあんたにとっちゃあ、頭領の五十嵐家は目の上のタンコブでしょォ? 知ってるわよォ~、あんたが特殊部隊辞めたのは、お上に仕えるのが嫌になったってハ・ナ・シ♪ 忍者仕込みの暗殺術でぇ~、成り上がりたいんでしょォ~? だったらぁ、五十嵐の当主を殺っちゃって、あんたが代わりに頭領になるってのはど~う?」
 
 「・・・その里美というのは?」
 
 「あはは、やっぱねぇ~。現代の忍者さんは、自分たちのリーダーの姿さえしらずに、ただ掟ってやつに縛られて生きてんだ~? そりゃあ~、いやになるわよね~。実質の五十嵐家の当主よォ。ちりと同じ18の小娘。ファントムガールを殺す勲章と一緒に、忍者のリーダーの立場まで手に入るのよォ。いい話だと思うけどォ~?」
 
 目尻の下がった二重目蓋が、歓喜に歪む。
 ニヤリという擬音が、これほどまでに似合う笑いもなかった。
 
 「どうやら決まりねぇ~! じゃあ、ちりからプレゼントよォ」
 
 豹柄のコートに隠された右手に、濃いブルーの液体で浸された円筒が握られている。
 中には鶏の卵大の白い球形が、ふわふわと漂いながら蠢いていた――
 

 
 真夏の陽射しが容赦なく土色の大地に突き刺さる。
 空を埋め尽したセミの大合唱が、途切れることなく降り注いでいる。季節は8月を迎えようというところ。身体は暑さに慣れ始めたとはいえ、照りつける太陽にジリジリと肌を焼かれるのは、女のコにとっては辛い。ソフトクリームみたいな入道雲を恨めしそうににらみながら、少女は誰憚ることなく制服の胸元を大きくはだけ、手団扇で空気を送る。
 周囲は鮮やかな緑で彩られた山々。
 田と畑で区切られたアスファルトの道路を、3人の少女はスポーツ鞄片手に歩いている。青い匂いが、時々かすかに吹く風とともに鼻腔を漂う。
 コンクリートに囲まれた都会に比べれば、山地であるこの町は、随分涼しいはずであったが、生まれた時からこの町に住む少女らにとって、その恩恵を自覚できるわけはなかった。
 夏休みといえど、部活の練習で毎日のように高校に行く3人の少女たちは、帰りには暑さへの恨み言と、気になる男子生徒の話題で盛り上がるのが日課となっていた。
 
 「ねえねえ、亜梨沙。あのひと・・・」
 
 ポニーテールの少女が、真ん中で歩いている、一番よく喋っている少女の名を呼ぶ。
 やや右側から分けた黒髪を肩付近まで垂らした小柄な少女は、促されるままに、親友が指差した方向へと目を向ける。
 
 河岸に女が立っている。
 紫色のサマードレスが、川に流れる風に舞って揺れている。ノースリーブから覗く肩は艶やかに輝き、膝下まで伸びたドレスは、上品さを自然に醸し出している。肩甲骨にまで伸びた茶の入った髪には、白いリボンがちょこんとつけられているが、幼さよりも優雅さが強い。胸元に輝く十字架を模したペンダントが、女の美しさとよくマッチしていた。
 
 「この辺じゃ見ないよね。観光かなぁ・・・凄いキレイなひとじゃない?」
 
 「ふーん・・・ちょっと見てこっか?」
 
 「え?! ちょ・・・ちょっと亜梨沙!」
 
 二人の友人が止めるのも構わず、小柄な少女は河へと続く山道を、慣れた足取りで駆け下りた。
 気配に驚いたサマードレスの女が、素早い動きで振り返る。
 他のふたりを置き去りにして、50mほどあった距離を一足に縮めて河岸に辿りついた少女は、額に珠の汗を浮かべて声を掛けた。
 
 「わあ~・・・近くで見ると、ホントにキレイだ・・・」
 
 挨拶もなしにいきなり呟いたのは、少女が行儀知らずというより、女の並外れた美貌に責任がありそうだった。
 美しい。
 少女はその言葉の意味を、初めて知った気がした。
 田舎といえど、テレビも雑誌もある今は、アイドルや女優など、美人と呼ばれる人間は何人も見てきた。かくいう少女自身、最近人気の元レースクイーンというグラビア系アイドルにそっくりと言われ、近辺では美少女で通っている。容姿にはちょっとした自信もあった。
 
 だが、目の前の美貌の持ち主は、明らかにレベルが違った。
 遅れて到着した友人たちの、思わず息を呑む音が背後から聞こえてくる。
 切れ長の瞳、すっと通った形のいい鼻梁、花びらに似た、潤んだような唇。
 造形からして完璧なのに、憂いを含んだ儚さと、炎のような芯の強さが、湖の水を湛えたような瞳から同時に感じられる。魔力がかった神秘的な美しさが、女の奥底にある生命の泉からコンコンと湧きあがっている。単に外見の問題ではなく、存在自体の高貴さに圧倒されるのを、少女は自覚した。
 
 「かわ・・・いい・・・・・」
 
 熱病にうなされてでもいるのか、茫然と嘆息を漏らすポニーテールの少女の声に、紫の妖精はニッコリと微笑んだ。
 
 「こんにちは」
 
 纏っている落ち着いた雰囲気に騙されていたことを、3人の少女は悟る。余程年上かと思っていたが、女は実は自分たちとほとんど変わらない少女であった。
 
 「えっと・・・あの・・・こんにちは」
 
 なにか言おうとして、うまく言葉を探せなかった小柄な少女は、結局普通に挨拶を交わした。
 
 「カワイイ制服ね。この近くの学校なの?」
 
 白いカッターにグリーンの格子柄のミニスカート。赤いリボンがアクセントをつけた制服は、少女たちの密かな自慢であった。硬い表情が自然とほころぶ。コクリと頷くと、緊張から解放されて話し始める。
 
 「旅行者のひとですか? この辺じゃみないもんね」
 
 「ええ、ちょっと静養に。いいところね、ここは。水も空気もおいしくて、心も身体も休まるのがわかるわ」
 
 「もしかして、もしかして! 山の中腹にある豪邸のひと? ほら、壁が白くて屋根が茶色の・・・」
 
 「豪邸かどうかはわからないけれど、確かに家は山の中にあるかな」
 
 「あ~やっぱり! アリサ、昔からあの別荘に住むひと、気になってたんだよね! すごいすごい、やっぱお嬢様って感じするもん!」
 
 やたらと感心しながらはしゃぎまくる少女の勢いに、サマードレスの少女は戸惑いを見せる。3人いる少女たちの中でも、この最も小柄な少女は飛び抜けて明るく元気がよかった。
 
 「アリサはね、四方堂亜梨沙っていうの。今高2で、バレー部ではセッターやってる。けっこううまいんだよ! ね、ね、なんていう名前? あの家って表札あったっけ? アリサより年上だよね?!」
 
 矢継ぎ早に繰り出される質問に、気品溢れる美少女は、圧倒されつつも答える。
 
 「五十嵐里美よ。18なんで、1コ上になるのかな」
 
 「イガラシサトミか・・・けっこう普通の名なんだね。アリサの方がカッコイイじゃん。年上でも、里美って呼んでいい?」
 
 「もちろん」
 
 落ち着いた物腰がオトナの雰囲気を醸しているが、微笑む里美には年相応の少女らしさが滲み出ていた。月のように玲瓏たる美しさで、満天の星空の下に飛び抜けた気品を輝かせるかと見えた少女は、ややはにかんだように微笑むだけで、春の風吹く草原へと誘う、可愛らしさも併せ持っていたのだ。
 
 「里美はひとりで来たの? 家族とかは?」
 
 「今回はひとりにさせてもらったの。家族というか・・・親しいひとたちからは、少し反対されたんだけどね」
 
 里美の脳裏に、蝶ネクタイをした老紳士や、個性豊かな4人の美少女の顔が蘇る。そしてあとひとり、角張った顔に短髪が似合う、男臭い顔が。
 哀愁を帯びた視線が、やや遠くを見つめるのも気付かずに、3人の地元女子高生は、ひとりでなんて凄いね、などと呑気に会話を弾ませていた。
 
 「でもさ、なんでこんなところに来たの? 静養なら軽井沢とか、もっといっぱい、いいところがありそうじゃん。ここはなにもないとこだよ。ま、確かにそこそこは有名だけどさ」
 
 金持ちの別荘といえば軽井沢、というのは女子高生らしい発想といえた。化粧はしていないが、くっきりとした二重と、澄んだ吊り気味の瞳が可愛らしい亜梨沙を見ながら、里美は再び微笑んだ。
 
 「少しこの土地に興味があってね。せっかくだからいろいろ見て回るのもいいかと思って」
 
 三重県阿山郡伊賀町。
 言わずと知れた伊賀忍者の故郷。
 滋賀県との県境に位置する、この忍者の里として有名な町で、末裔たる少女はしばしのバカンスを楽しむ予定であった。
 時間さえも悠然と過ぎる、緑溢れる大地の中で、里美は己に流れる血のルーツを、再度噛み締めているのだった。
 
 そして、遠く霞む山中の林から、食い入るように突き刺さる灰色の視線。
 
 「くくく・・・あれが五十嵐里美か」
 
 迫り来る黒い野望の姦計に、心身ともに休息が必要な少女戦士が勘付くことは、この時点であろうわけがなかった。
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