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「第六話 里美秘抄 ~野望の影~」
7章
しおりを挟む「やっぱりダメだ・・・携帯も普通の電話も通じない。どうやらこの辺りの電話線は、みんな切られちゃったようだね。完全に孤立しちゃったみたい」
クリーム色の受話器を、四方堂亜梨沙はそっと置く。五十嵐家の別荘内。すっかり夕闇に包まれた応接間で、ふたりの少女に緊張の色が翳る。
「あいつ、どうしても里美を倒したいみたいだね。そんなに忍者の頭領なんてなりたいのかな? そんな無茶苦茶なことしても、アリサたちが認めるわけないのに」
「けれど、実際に私が殺されたら、周囲は五十嵐の名についてこなくなるわ。掟は絶対とはいえ、忍びの世界も実力社会。伊達が頭領になるというのも、決して夢物語ではない。圧倒的な実力差を見せられたら・・・いくら気持ちで反感を抱いていても、従ってしまうものよ」
伊達宗元の野望を、里美はよく理解していた。
里美自身はほとんど感じないが、政・財・官界だけでなく、裏社会にも大きな影響をもつ御庭番の宗家になるということは、野心を持つ者にとって、実に魅力あるポストに違いなかった。だが、普通はそんな大それた考えは持たない。宗家に牙を向けることは、命を落とすリスクを伴うからだ。実際に伊達も、防衛庁を辞めたあと、野望を秘めながらも五十嵐に歯向かう発想は持っていなかったのだ。
だが、あの人物との出遭いが、あの生物との出遭いが、彼を凶行に駆り立てたのだ。
「『エデン』か・・・そんなにパワーアップするものなの? アリサ、勝てそうな気がするんだけど」
「ダメよ、伊達は危険な相手だわ」
琴を奏でるような里美の声は、落ちついていながら強く響いた。勝気な少女は、やや不満そうな表情を露にする。
「確かに武器を使った戦闘では、亜梨沙は十分渡り合えると思うわ。けれど、伊達の姿を消す技術、それに全くの別方向から攻撃してくる不思議な術は脅威だわ。しかも、奴の忍術にはまだ奥があるような気がするの」
「それは里美がヤラれそうになったからじゃないの? こう言っちゃなんだけどさぁ、アリサ、里美より強いと思うんだよね。ミュータントかなんか知らないけど、里美が勝ってきた奴らなら、アリサにも勝てると思うんだけど」
亜梨沙には、里美がファントムガールであることも、『エデン』のことについても、ほとんど全てのことが伝わっていた。
仮にも命を懸けて、強敵から人類を守ってきた里美だが、亜梨沙の発言を否定することはなかった。
「・・・亜梨沙は自分に自信があるのね」
「まあね♪ 一応これでも、大事な大事な宗家さまを守るよう、『長老』から直接使命を受けてるからね。里の中じゃあ、1、2を争う腕は持ってるつもりだよ。里美んとこの執事さんから、た~っぷりと頼まれちゃってるもん、『お嬢様をよろしく』ってね!」
里美が伊賀に向かう前から、五十嵐家の執事・安藤は、里美が現れた時に護衛をつけるよう、伊賀の里に連絡をいれていたのだった。長年里美の面倒を見てきた彼にすれば、里美の行く場所を予想するのは、さしたる困難ではなかっただろう。
忍者の故郷・伊賀といえど、その住民の多くは忍者とは関係ないものがほとんどである。祖先はともかく、今は単なる農家、という家も多い。しかし、脈々と血を受け継ぎ、草の者としての裏の顔を持ち続けている一族も存在しているのである。
亜梨沙の言う『長老』とは、そんな忍者の血を伝える者たちの、長というべき存在であった。現代忍者の頂点は五十嵐家とはいえ、通常時での関与はほとんどない。伊賀の里での実質的リーダーは、『長老』が代々務めてきたのだ。その『長老』に、安藤から里美を守るよう依頼があり、護衛役として四方堂亜梨沙が選ばれたのだった。役目を全うするために、彼女には里美の全てが語られていた。ファントムガールであることや、『エデン』のことも含めて。
影たる存在である伊賀の者たちが、表舞台に出ることはない。宗家に対しても正体を明かすことを嫌った彼らは、亜梨沙ひとりに任せる形で、他の者は影に徹することを決めていた。『長老』を始め、現在の窮地に誰も助けを名乗り出ないのは、そのためだ。里美もその真意は十分に理解している。恐らく、里美自身か、亜梨沙が救いを求めない限り、彼らが姿を見せることはないだろう。それは里美にとって、好都合なことであったが。
「じゃあ、これからどうすんの? アリサに闘うなっていうけどさ、仲間を呼ぼうにも、特別回線のケータイは壊されちゃったじゃん。普通の回線は伊達に切断されたみたいだし。ここを出て、家に帰る? そうすれば仲間のファントムガールに助けてもらえるもんね」
「いえ、伊達の狙いは御庭番宗家の血を引く私だけよ。私以外のファントムガールには興味はないはず。あのコたちを危険な目に遭わせないためには、伊達はここで倒さなければならない」
決意に満ちた瞳が揺れる。
伊賀を離れ、五十嵐の家に帰れば、当然伊達は追ってくるだろう。あの野心に燃える男が、どんな手段を取ってくるか。みすみす愛すべき仲間たちを危険に晒すようなものだ。
里美がひとりになることを選んだ理由、それは仲間に頼ることなく、独力で苦境を乗り切る力を養いたいためであった。ただでさえ、七菜江たちに頼りたくないのに、個人的な闘いで、迷惑をかけるわけにはどうしてもいかない。
絶対に、絶対に、伊達は私ひとりで倒してみせる。
強い気持ちが、月のような美少女に燃えあがっている。
「んなこと言ったってさぁ、里美の今の体力じゃあ、あいつには勝てないよ。意地張らないで、素直に助けに来てもらったら? 多分『長老』なら、秘密の回線とか知ってて、執事さんと連絡取れると思うよ。アリサが頼んできてあげよっか」
「いいわ。気持ちは嬉しいけど、仲間の力は借りたくないの。私ひとりで伊達は倒すわ」
「強情だなー。見掛けによらず、里美って結構わがままなんだね! わかった、助けは呼ばない。じゃあさ、その代わり、アリサが付き合ってあげるよ」
小柄な少女のことばには、熱がこもっている。だが、里美は冷淡といわれても仕方ないほどあっさりと、少女の申し出を断った。
「亜梨沙も私には構わないで。助けてもらったことは感謝してる。でも、これ以上、誰の手も借りたくないの」
「ちょっとオ!! あんた、いい加減にしなさいよ!!」
ついに“キレ”た亜梨沙が、整えた細い眉毛を吊り上げる。キツめの瞳には、怒りが炎となって渦巻いていた。
「さっきから、なにわがまま言ってんのよ!! あんた、自分の立場わかってんの?!! 宗家なのよ! あんたが忍者の頭領になるのよ! 簡単に死なれたりしたら困るのよ!! あたしだって、あんたを守るのが使命なのッ!! あんたがよくてもこっちが困るのッ!!」
「私だってわがまま言いたい時はあるわ! もう嫌なの、私のために誰かが傷ついたり、苦しむのは。自分のことくらい、自分で処理できるわ!」
「あんたねぇ、守ってる人間の気持ち、わかってんのッ?!!」
「わかるわよ! だから嫌なのよ! 皆、私のことを一生懸命守ってくれるわ。でも、だからこそ嫌なのよ! 私のことで傷ついて欲しくないの!」
乾いた音が応接間にこだまする。
小さな掌を思いっきり振った亜梨沙の平手打ちが、里美の白い頬を激しく叩いていた。
みるみる紅潮する頬に、里美はそっと指を添える。
「そういうのに耐えるのが、リーダーってもんでしょオがッッ!!
なに甘えてんのよッッ!!!」
激昂する亜梨沙の言葉に、麗しき少女は口を噤んだ。
「あんたのために死んでいったり、傷ついたりしていく人間たちの、想いを背負って生きていくのがあんたの使命でしょオがッッ!!! なに逃げてんのよッッ!!」
激しい口調で、小さな少女は己の主たる美少女を責めたてる。俯く里美は左頬に指を当てたまま、じっと動かない。じんじんと頬が痺れ、やけに熱く疼く。今までのどんな敵の攻撃より、亜梨沙の張り手は効いた。
「もういいッッ!! こんな情けないやつ、守るのバカらしくなったッ! 勝手にすればいいじゃん。そんな身体で勝てるわけないのにわがまま言って・・・ホント、バカみたい!! 皆の想い踏みにじって、ひとりでわがまま言って! 勝手にしろオッッ!!」
駆け出した亜梨沙が、応接間の扉を力一杯閉めて飛び出ていく。バタン! という大音響が、立ち尽くした令嬢の全身を叩く。
廊下をバタバタと駆ける音が遠ざかっていき、玄関の扉を閉める大きな音が、もう一度響き渡る。
「里美のバ~カッ!!」
わずかに届いた少女の叫びは、里美にはそう聞こえた。
飛び出ていく少女を止めることすら出来ず、ただ立ったまま動かない里美を、夜の帳が包んでいく。忍者の少女が遠く、別荘を離れたあとも、里美の身体は動かなかった。
完全に夜が世界を支配するころ、それでもまだ、赤くなった頬は、痺れたままだった。指先に触れる感覚が、里美にはいつまでもいつまでも熱く響いていた。
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