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「第七話 七菜江死闘 ~重爆の肉弾~」

21章

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 熱い。
 身体が燃えるように熱い。
 指先から足首まで、痺れるような熱い疼きが、全身を覆っている。天も地もわからない、浮遊する感覚の中、藤木七菜江の意識は現実と夢の狭間をさまよっていた。眼を開けているのかどうかすらわからない。真っ暗闇に塗りつぶされた少女の意識は、複雑に絡み合った激痛の渦に飲み込まれ、苦しみの海を漂流するのみだった。
 百本・・・いや、二百本もの針が体中に突き刺さっているのではないか。ズキズキと脈打つ激痛の隙間で、七菜江はそんな錯覚を起こしていた。右腕は溶岩にでも突っ込まれているように滾り、肋骨は巨大な手に潰されているように圧迫されている。どこが痛いということはなかった。どこもが痛かった。痛いという生易しい刺激ではない、悶痛と呼ぶに相応しい地獄の刃が、リンチに散った敗北少女に襲いかかっていた。傷だらけの肉体を眠らせる少女は、遠く聞こえる獣の唸り声が、己の苦悶の呻きであることに、ようやく気付き始めていた。
 
 苦し・・・い・・・・・・
 
 抉られた無数の傷により、七菜江の全身は熱を帯びていた。失神しそうな激痛の嵐に加えて、高熱の重荷が小さな少女にのしかかっている。死の影がチラチラとよぎるのを自覚しつつ、血に汚された天使は、苦痛の宇宙を漂っていく。
 100kgを越える肉弾姉妹の重爆により、肋骨と内臓が激しく損傷しているのはよくわかった。アバラの数本は確実にヒビが入り、重く響いてくる内臓の痛みは、腐食しているかの錯覚を起こす。呼吸のたびに激痛が走るのは、主にこれらのダメージのせいだ。
 集中的に攻撃された右腕は、まるで力が入らない。正確にいえば、間違いなく襲うであろう鋭痛が怖くて、力を入れることができない。半濁した意識の中、七菜江は肘から先が千切り取られた己の右腕を想像していた。
 無数の針に突き刺された地獄の苦痛は、変身が解けたあとでも少女の柔肌に刻み込まれていた。体内に直接注がれた、灼熱と電撃の責め苦が蘇る。隙間もないほど全身を覆った、発狂しそうな苦痛の嵐に、アスリート少女の精神は死の淵を彷徨する。
 
 あ・・・たし・・・・・・・・・ダ・・・メ・・・・・・
 
 あた・・・し・・・・・・・・も・・・う・・・・・・ダ・・・・・・メ・・・・・・・・
 
 ヒュウヒュウという悲痛な吐息。
 死者の産声が己の口から洩れ出ているのを自覚しつつ、純粋な少女戦士は、破壊され尽くした肉体に憐憫の想いを寄せる。
 
 ボロボロにされちゃったね、あたし・・・
 
 里美さん・・・みんな・・・あたし、ここで死ぬみたい・・・・・・
 
 「死なせないぞ」
 
 ドクンッッ!
 
 その声は、幻覚にしては鮮烈に七菜江の耳朶を打った。
 忘れられないその声は、暗黒に呑まれかけた少女の心に光明を突き刺す。淡々と、だけども力強いその声。有り得ない、いや、でもあたしの心に染み込んでくるこの声は。ああ、願わくば・・・願わくば神様、この声があたしの都合のいい願望が生み出した、幻聴でありませんように。死に逝くあたしへの、手向けの幻などでありませんように。
 
 「蘇れ、七菜江。蘇れ」
 
 ああ・・・この声は・・・・・・耳元で転がるこの低く、優しい呟きは・・・
 神様、確かですよね? 夢なんかじゃないですよね?
 
 この時、薄れゆく意識の中、手負いの少女は気がついた。
 身体の奥底に流れ込んでくるような、暖かく、激しい生命の濁流を。
 凍えきった肉体に注がれる、沸騰したエネルギーの放射を。
 以前、敗死したファントムガール・ユリアを救うため、聖なるエネルギーを与えたあの感覚。
 あの逆の立場、エネルギーを与えられる側に今なっているというのか。
 そんなわけはない、今は人間体だし、なによりあれは、ファントムガール同士だからこそできる芸当・・・
 疑問と不可思議に包まれた少女の意識は、刻まれたダメージにより、再び暗黒へと引き摺りこまれていった。
 その疑念を、深い闇の意識へ閉ざしながら。
 
 
 
 なんの障害もなく、目蓋は開いていた。
 投げられたボールを受け取る自然さで、苦痛と疲労のために縫いつけられたような瞳は、すうっと滑らかに開けられる。
 霞みがかった視界には、見慣れない白い天井。
 藤木七菜江の蘇生は、静かに、そしてゆったりと行われた。
 
 「こ・・・ここ・・・・・・は・・・?・・・」
 
 洩れる吐息が火照っている。
 一体どれくらいの間、眠っていたのだろう。全身にいまだ留まる痺れる疼きは、倦怠感のヴェールによって、若干その鋭さを抑えられているようだった。筋肉が固まってしまったかのように重い。完全には起きていない身体は、七菜江の意識とは隔離されて浮遊している。少女は、今自分がどういう態勢にあるかを理解できていなかった。
 
 「あ・・・たし・・・・・・」
 
 生きてたんだ。
 プールサイドで受けた恥辱と苦悶の数々。朦朧とした意識の中、七菜江は確実な死の覚悟をどこかで決めていた。柴崎香に水中へ沈められた後の記憶はまるでない。失神する最後の瞬間、少女は濃厚な死の臭いを嗅ぎ取っていた。
 
 助かったのだ。 
 なにがどうなったかはわからないが、神様はまだ、生かしておいてくれたらしい。
 本来なら感謝すべきところだが、生憎少女の脳は、まだウォームアップ中であった。ぼんやりと、ひとつづつ記憶と現状を整理していく。
 
 初めて七菜江は、奇妙なことに気が付いた。
 身体は毛布で包まれている。それは不思議ではない。
 おかしなのは、どうやら布団の上に寝ているわけではない、ということだった。
 微妙に身体全体が斜めに浮いている。
 かすかに感じる拘束感。そして温度。
 少女はもうひとつ、毛布の上から自分を包んでいるものを見た。
 
 抱き締められていた。
 大切なものを守るように、愛しげに、力強く。
 太く、頼もしい両腕の中に、復活の天使は包まれていた。
 抱いている人間の上半身が、崩れ落ちて前屈みになっているため、気付くのが遅れた。どうやら眠っているらしい。抱きかかえた七菜江のお腹に折り重なって、上半身を倒している。憔悴の影が濃い男臭い横顔からは、かすかな寝息すら届いてくるのに、七菜江を支えた両腕は手術台のごとく安定している。
 
 神様―――
 
 不意に襲った衝動に、少女のチャーミングなマスクがヒクヒクと引き攣る。次の瞬間、ふたつの瞳からは、熱い泉が噴水のように溢れ出した。
 
 あたし、一番じゃないかもしれない。でも・・・でも・・・
 
 たぶん、このひとに、すっごく愛されてます―――
 
 温かな波紋が、本調子でない全身に広がっていくのを少女は感じた。 
 沁みいる波動が、損壊した細胞を活性化させていく。
 完膚なきまでに破壊されたはずの天使は、驚くべきスピードで奇跡的な復活を完成させつつあった。
 
 
 
 「どう? ナナ、見つかった?」
 
 瀟洒な彫刻が施してあるベッドに寝る少女は、霧澤夕子が部屋に入ってくるのと同時に声をかけた。もう何度繰り返されたかわからない質問に、いままでと同じく首を横に振って赤髪の少女は答える。沈鬱な空気が室内を覆うのも、いつもと同じことだった。
 薄ピンクのパジャマ姿の桜宮桃子は、やや美貌をしかめながら上半身を起こす。いてもたってもいられない様子が、芯の強そうな黒い瞳に映る。
 
 「無理しちゃダメよ。毒は抜けたとはいえ、3日は安静にって安藤さんに言われたでしょ?」
 
 「それはそうだけど・・・やっぱじっとしてられないよ」
 
 ファントムガール・ナナが3体のミュータントに敗れてから4日が経っていた。行方不明になった藤木七菜江の消息はいまだに掴めてはいない。政府の特別部隊が、捜索を続けてくれてはいるが、以前里美が敵側に捕らえられた折、回収保護担当の数人の隊員たちが悲惨な死を遂げた教訓から、捜索はより慎重に進められていた。基本的には、「エデン」寄生者相手には「エデン」寄生者が当たるのがベストなのだ。しかし、肝心の寄生者である自分たちが、ほとんど捜索に協力できていない現実が、夕子、桃子ともに歯痒かった。
 リーダーであり、窮地にもっとも頼りとなる里美は静養のため、完全に連絡が途絶えてしまっている。道場の合宿に行った西条ユリを、合宿地の伊豆から呼び出すわけにはいかない。残ったふたりで頑張らねばいけないのだが、桃子は片倉響子に注入された毒の影響で、一命は取りとめたものの闘えるわけがなく、結局は夕子ひとりに任せざるを得なかった。
 その夕子とて決して万全な状態ではない。東亜大附属高校のプールで襲撃された彼女は、その後路上で昏倒していたところを、銀の首輪からの情報で救出に向かった隊員たちに助け出されていた。彼女が嫌う忌々しい首枷が、夕子の危機を救ったのだ。父親の元に運ばれ、緊急メンテを受けたサイボーグ少女だが、その途中で脱け出してひとり七菜江探しを続けていた。しかし、黒幕の正体は依然掴めず、捜索は困難を極めていた。
 
 「あたしがこんなことにならなければ、ナナを助けにいけたんだもん・・・あたしのせいだよ。あたしが響子さんと闘ってたら・・・」
 
 「自分を責めるのはやめて。桃子のせいじゃないわ。敵は七菜江を倒すために綿密に計画を練ってきたんだから」
 
 重苦しい空気がふたりの美少女の間に流れる。どちらの美貌にも焦燥と不安が色濃く張りついていた。七菜江への敵愾心を剥き出しにした敵は、すでに処刑を済ませている可能性もあった。壊滅的ともいえる状況のさなか、里美の代役を務めざるを得なくなった夕子は、さすがに強気も天才的頭脳も影を潜め、状況打開に苦慮していた。
 
 「幸い毒は大したことがなかったといっても、どれだけの血を失ったと思ってるの? とにかく桃子はしっかり休んで。それがいまのあなたに一番必要なことよ」
 
 「けど、今あいつらが街を襲ってきたら、どうするの? 夕子ひとりで守るつもり?」
 
 「私しかいない以上、私ひとりで闘うわ」
 
 「ダメだよ、そんなの。ナナの二の舞になっちゃうよ」
 
 「大丈夫、恐らくやつらは現れないわ」
 
 「どうして?」
 
 「あいつらは七菜江を倒すことが目的だったのよ。試合中から七菜江を狙い、痛めつけ、孤立させて倒した。目的を達成した以上、もう現れることはない。ファントムガール・ナナが再び現れない限り」
 
 「そんなのわからないじゃん。気が変わるかもしれないし・・・」
 
 男ならドキリとせずにはいられない綺麗な瞳を桃子は向ける。政府の組織が残した、闘いの記録映像。後半わずかしか映せなかった、ナナと3匹のミュータントの闘いは、蜂女とふたつの巨岩ハリネズミが、青い天使を無惨に蹂躙するシーンに終始していた。3つの暗黒スラム・ショットに、鮮血を飛び散らせてトドメを刺される守護天使。その血祭りにあげられた悲惨な姿が、桃子の脳裏から離れない。
 
 「あんな奴らと1vs3で闘ったら・・・勝てるわけないよ。いくら怪我してたからって、ナナがあれだけ一方的に負けるなんて・・・」
 
 「違うわ、桃子。七菜江だから負けたのよ」
 
 毅然として言い放つ夕子に、桃子は驚きを隠せない口調で訊く。
 
 「どういうこと? だってナナ、強いよ。普通に闘ったら、もしかしてファントムガールのなかでも一番強いかもしれない」
 
 「それは私もわかってるわ。けれど、今度の敵は七菜江にとって、最悪の敵なのよ」
 
 夕子の言葉の真意を量りかねて、思わず病床の美少女は首を傾げていた。
 
 「あいつらをミュータントたらしめている負のエネルギーは、七菜江への憎しみがほとんどなのよ。『エデン』と融合する者は、その時の精神が融合した後に増幅されるのを思い出して。正義の心を持つ人間はその想いが強まるけど、破壊欲に溢れた人間は、破壊のみに魅入られた悪魔になるということを」
 
 「あ・・・そっか・・・ってことは・・・!!」
 
 「そう、あいつらはもう、七菜江を倒すことしか興味のない復讐鬼。そしてその負の感情が強いほど、闇のパワーはあがるわ。あいつらが強力な暗黒の力を発揮できるのは、七菜江を相手にしたときだけなのよ。いってみれば、対七菜江専用の悪魔・・・たとえば私が闘うことになっても、あそこまで苦戦することはないはず」
 
 「ナナを倒すためだけのミュータント・・・」
 
 「そう。だから、あまり恐れる必要はないわ。ただ、逆にいえば」
 
 脳裏に蘇る先の戦闘の映像が、一旦クールな少女の口を閉じさせる。一瞬の躊躇のあと、夕子はできれば断言したくはなかった己の分析結果を言葉に乗せた。
 
 「七菜江にとっては最強の敵よ。たとえ万全な体調で闘ったとしても、絶対に勝つことのできない・・・」
 
 
 
 眠りこむ獅子の目蓋がピクピクと震える。
 あ、起きる・・・
 もう何分か、じっと男の横顔を眺めていた七菜江の胸に、急激に照れ臭さが沸きあがる。
 起きたらなんて言えばいいんだろう? 適切な言葉が見つからず、ますます少女は恥らった。男の部屋にふたりっきり、しかも抱き締められた姿勢でいる・・・男女の仲については、純情を通り越して愚直なまでに鈍感な七菜江であるが、このシチュエーションが意味する事態は理解していた。しかも、とても日常生活には有り得ないレベルの、ボロボロの身体を見られているのだ。嘘の苦手な少女にとって、秘密を守るという意味でもうまい台詞は思い浮かばない。
 感謝の言葉? 傷だらけの身体の言い訳? それとも、なぜここにいるのかの疑問? 初めに口にすべき内容がわからず、羞恥に頬を赤く染めた少女は、小動物のように動揺する。
 
 男の眼が開く。
 ゆっくりと首が動く。正面から、慌てる少女と男臭い顔が向き合う。
 
 「おはよう」
 
 工藤吼介の口からでた言葉、それはあまりに当たり前な挨拶だった。
 
 「・・・おはよう・・・ございます、先輩」
 
 抱きかかえられたままの姿勢で、少女は挨拶を返す。自分でも驚くくらいの弾んだ声で。
 ひまわりの少女に、陽光が射し込むように笑顔が広がり、この地上で他に見ることのできないチャーミングな表情は、殺風景なひとり暮しの部屋に、眩いばかりに輝きを放った。
 最強と畏怖される格闘獣と、天性の運動神経を誇るアスリート少女。自然に沸き上がる衝動に、互いにしか見せぬ微笑を向け合って、ふたりだけの時間は、そのまま悠然と時を重ねていった。
 
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