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「第七話 七菜江死闘 ~重爆の肉弾~」
26章
しおりを挟む「やはり、来ていたのね」
海岸での死闘を、十分な距離を置いた山の中腹から観戦していた男に、ジーンズ姿の妖艶な美女は声をかける。
振り返る顔を見るまでもなく、Tシャツに包まれた逆三角形の筋肉を持つ男の正体は、工藤吼介であった。
「よく見つけたな」
格闘獣の視線の先には、キャリアウーマンの香りを漂わせる白シャツに、デニムを合わせた格好の片倉響子。
山道を歩くために、随分とラフな衣装に身を固めた美女の足元は、いつもの赤いハイヒールではなく、ナイキのスニーカーに変わっている。それでも、緑の周囲をバックにして立つ西洋風の美女からは、毒気を帯びた色香が甘酸っぱく放出されているのはさすがだった。
「探し回ったのよ。この周辺一帯をね。必ず来ていると確信してたから」
「ご苦労なことだ」
「最強と呼ばれている男が、ひとりの少女を心配して、こっそり見守っている姿なんて、なかなか見られないものね」
愉快そうに真っ赤なルージュを吊り上げる響子に、筋肉で構成された男は、口をへの字に曲げてみせる。
「フン。なんとでも言え」
「フフ・・・けれど、残念だわ。本当をいうと、これをあなたに渡そうと思って、探してたのよ。まさか、あのコが勝つなんて思ってなかったから。あそこまで嫉妬と憎悪を燃やしていた柴崎香を、倒してしまうとはね」
背負っていたリュックから、水筒状の物体を取り出した響子を尻目に、くるりと反転した吼介は歩き始めた。筒の中身は、見るまでもなく予想がついていた。今の彼にとって、これ以上この場にいる必要はなかった。
「どうやら、今回の私の本当の目的は、果たせなかったようね」
去りゆく巨大な背中に、艶やかな声を投げかける。足を止めた格闘士は、ゆっくりと振り返って、最後のことばを残した。
「前に、女の最大の感情は嫉妬だって言ってたな? 嫉妬に狂った柴崎香に、七菜江は勝てない、と」
「ええ、そのはずだったんだけどね」
「嫉妬より、もっと強い感情を教えてやろうか?」
再び反転した吼介は、顔色を見せないまま、背中で言った。
「愛だ」
生い茂る緑の奥に、首筋まで赤く染まった究極の肉体は、二度と振り返ることなく消えていった。
漣の音色が、静まり返った砂浜に響いている。
ところどころに血溜まりが、小さな池を作っている死闘の跡地。
そのほとんどを作った青い守護天使が、己の血がこびりつき、あちこちに焼け焦げた痕を残した、黒ずんだ姿でひとり立ち尽くしている。
右肘を押さえていた。
プシュ――ッ、という音とともに、鮮血が押さえた指の間から噴き出している。
ソニック・シェイキングの衝撃に、負傷したままの右肘は耐えきれなかった。刻まれたダメージを具現化するように、必殺ブローを放った瞬間、肘は破裂していた。
だが、いまとなっては、どうでもいいことだった。
よろよろとズタボロの聖少女は歩いていく。
全身に亀裂が入り、血を噴き出しながらビクビクと断末魔に震える、双子の巨岩獣の元へと。
「え゛え゛え゛・・・・・・ぐお・・・ぐぶぶ・・・」
「ハア・・・ハア・・・・・・・お前たちは・・・・・・殺さない・・・よ・・・」
ナナは、全力でソニック・シェイキングを放ってはいなかった。それは右腕を庇ったからではない。
「・・・ぐぶ・・・・・・・な・・・なぜ・・・・・・?・・・」
「お前たちは・・・・・・ハア・・・ハア・・・悪い・・・奴じゃない・・・・・・ハア・・・ハア・・・・・さっき・・・わかった・・・から・・・・・・」
ふたりがかりで捕らえられたナナが、脱出できた理由。それは、ただナナの爆発的な底力にだけよるものではなかった。
さんざん暗黒エネルギーを、過去の闘いを通じて幾度も食らい続けてきた、ファントムガール・ナナだからこそわかった真実。
サリエルとビキエルが放射してくる負のパワーは、決して強力なものではなかったのだ。
だからこそ、ナナは脱出不可能と思われた、闇の緊縛から逃れ反撃に転じることができたのだ。もし、巨岩姉妹がクインビー並の憎悪の持ち主であったなら・・・恐らく、アスリート少女はこの世にいまい。
「・・・ッ!!」
細胞の崩れる激痛にうめくサリエルの赤い瞳が見開かれたのは、その時だった。
反射的に背後を振り返る、青き肉感的少女。
ズブッッ・・・
瓢箪の形をした腕から先に生えた毒針が、くびれた腹部に根元まで埋まる。
「ナああァァナあああァァッッ~~~ッッッ!!! 死ぬええええェェッッ――ッッッ!!!!」
踏み潰されたような、崩れかけた巨大蜂がそこにはいた。
巨岩姉妹同様、クインビーも死んではいなかった。血に染まった復讐の昆虫が、突き刺した毒針から、緑色の毒液を注射する。
不屈の闘志も、桁外れのタフネスも通用しない、確実なショック死をもたらす、蜂の毒液。
ベッキイイイイッッッ!!
折った。
スーパーアスリート・藤木七菜江の運動能力が、怨念鬼が毒を打つより速く、左のフックパンチで右腕を外側から砕け折る。
「ウギャアアアアアアアッッッ~~~ッッッ!!!」
たまらず肘を押さえて後退する復讐蜂。耳を塞ぎたくなる狂気の絶叫が、夏の海を渡っていく。
「死ィィィねええええェェェッッッ―――ッッッ!!!」
狂っていた。
嫉妬に駆られた美しき女子高生は、その本来の姿とはかけ離れた醜い昆虫に変わり果て、ただ理不尽な復讐に燃えるだけの、悪魔に堕ちていた。
「エデン」により増幅された憎悪に、人間としての心を失い、七菜江を殺すことだけに執着する姿は、戦慄を通り越して哀れですらあった。
漆黒の弾丸が、三度復讐昆虫の右手に完成する。
全ての憎悪を凝縮した、巨大な暗黒球。
無言のナナの右手にも、白い光が収斂していく。
聖なる白球。正義の光球。
合わせ鏡のように、クインビーの動きに合わせて、青い女神は右腕を振りかざし、シュート態勢に入る。
光のスラム・ショットvs闇のスラム・ショット。
利き腕を負傷した同条件で、ハンド部の先輩後輩が、己のもっとも得意とする必殺技で、真正面からぶつかりあう。
その勝敗を分けるのは、七菜江の正義の心vs柴崎香の暗黒の憎悪。
そして、ハンド部員としての、正当な実力。
ドオオオンンンンンッッッ!!!!
同じタイミングで、白と黒の光球は、発射された。
砂を舞いあがらせ、夏の熱気を歪ませ突き進む、ふたつの砲弾。
正面から、光と闇の塊は衝突した。
「ッッッ!!!!」
轟音が響き、暗黒の弾丸は、木っ端微塵に霧散した。
絶句する復讐蜂の目前に、全く勢いの衰えない聖なる白球が、唸りをあげて殺到する。
己を滅ぼす光の剛球を複眼に映しながら、柴崎香は悟った。
「エデン」のせいと思っていた、藤木七菜江と自分とのハンドの実力差が、実は正当な運動能力の差であったことを。
そして己の復讐心が、単なる逆恨みであったことを。
ドゴオオオオオオンンンンッッッ!!!・・・・・
鳴り響く破壊音の中、光のスラム・ショットに包まれた黄色と黒の悪魔は、霧となって消滅した。
憎悪に狂った復讐鬼の最期。
消え入りそうなクリスタルの点滅音を残して、倒れこんでいく青い天使が消えていったのは、そのすぐあとのことだった。
押し寄せる波の音だけが、血風漂う死闘の跡地に、静かにそして悠然と、いつまでも永遠を刻むように続いていた。
山間の海岸に、ヘリコプターの爆音が響き渡る。
プロペラが創り出す突風が焼けた砂を巻き上げ、青波を渡っていく。人気のない夏の海岸は、血の香と肉の焦げる悪臭とが充満し、点在する池のような血溜まりが、つい先程まで壮絶な闘いが繰り広げられていたことを教える。
「・・・・・・・・・あ・・・」
ボロボロに破れたセーラー服に身を包んだ少女が、ゆっくりと瞳をあける。
半袖の制服から見える素肌のところどころには、血と火傷の跡が覗いていた。ダラリと垂れ下がった右手は、応急処置によって包帯でグルグル巻きにされている。傷だらけの少女は、しかし、確かに生きていた。
夏の陽射しのもと、ぼんやりと霞む視界のなかで、藤木七菜エが見たのは、同じ聖愛学院のセーラーを着た、赤髪の少女であった。
死闘を生き延びた少女は、己の身体がツインテールの少女の腕のなかにあることを知る。
「・・・・・・ゆ・・・う・・・・・・」
「喋らないで。あんたは怪我人なのよ」
機械の身体を持つ少女・霧澤夕子は、両腕で親友を抱きかかえ、政府の用意した緊急ヘリコプターへと連れ込むところだった。同乗した隊員は渋い顔をしたが、どうしても七菜江の身体は、彼女自らが運んでやりたかった。
「文句はいっぱい言いたいけど・・・元気になってから、たっぷり説教してあげる。今は・・・よくがんばったわ」
ツンと澄ました表情を取り繕うシャイな少女に、猫顔の美少女は柔らかな微笑を浮かべる。
「敵意を剥き出しにしたあの女に、よく勝つことができたわ」
「・・・うん・・・・・・」
「あの敵は・・・柴崎香ね」
七菜江の桃色の唇がつぐむ。
「私は、あなたは勝てないと思っていた。敵があなたへの憎しみを動機にしてミュータントになっているというのが、一番大きい理由だけど・・・あなたにはハンド部の先輩である柴崎香を倒せないと思っていた」
「・・・夕・・・子・・・・・・教えて・・・・・・」
胸の中で、ショートカットの少女の声は震える。
「悪いのは・・・あたし、だよね・・・・・・あたしがハンドやめれば・・・『エデン』と融合した時に、やめてれば・・・香先輩はあんなふうにならなかったのに・・・あたしが・・・悪いんだよね、夕子? ・・・ねェ、教えてよ・・・頭のいい夕子なら、わかるでしょ・・・?」
グシャグシャに顔を歪ませ、七菜江は泣いた。
とめどなく溢れる涙が、夕子の制服を濡らすのも構わず、ボロボロ泣いた。
「・・・・・・そう・・・ね。だからこそ、もう憎悪に満ちた復讐鬼から戻れなくなった彼女を、責任を持って七菜江が倒したんでしょ」
真っ直ぐ前方を向いたまま、クールな少女は純粋な少女の問いに答える。腕のなかで、ヒックヒックという激しい嗚咽だけが、夕子の心にまで響いてくる。
「七菜江、あなたは・・・正しいわ」
ヘリの爆音が、友の胸で号泣する少女の慟哭を掻き消す。
その場所に、赤髪の少女はいつまでも立ち続けていた。
「そして、彼女のために泣くことも」
お互いを支え合うように、ボーリング玉のような巨体を背負った姉妹が、険しい山道を引き摺り歩いている。
あの死闘から、どれぐらいの時間が経ったのだろうか。
変身が解け、眠りに落ちていたカズマイヤー姉妹が、雑草の茂みの中で目覚めた時、周囲は暗闇に閉ざされていた。住民からの巨大生物出現の報を聞き、駆けつけた政府の秘密組織が、傷だらけの姿で眠りこける藤木七菜江を回収し、すでに去ったあとであることなど知るわけもない。巨漢の双子は肩を貸し合って、山を降りる最中だった。柴崎香の姿は見当たらなかったが・・・どこかでホッとしているのを、ふたりは自覚していた。
「クソ・・・フジキナナエめ・・・なんて奴だ・・・」
妹のビッキーが呟く。それは怒りや恨みというより、感嘆の響きに似ていた。
「この借りは・・・返さないとな、サリー」
足がふらつく。巨大化時のダメージは、何十分の一かに軽減されるとはいえ、ファントムガール・ナナのソニック・シェイキングの威力は、凄まじい爪跡をふたりに残していた。電気ショックを与えられたようでもあり、何倍もの重力をかけられたようでもあり、ビルの屋上から叩きつけられたようでもある。超震動で細胞全てを破壊される威力に、姉妹の体力は根こそぎ奪われていた。
「ああ、必ず返すよ。来年の夏に」
「そうだな。今度は正々堂々と・・・コートのうえで決着をつけよう。東亜大の代表として」
「なんだか・・・あいつと試合できるのが、少し楽しみになってきたよ」
常勝を義務付けられたチームに立ちはだかった、ズバ抜けた運動能力の少女。
勝つために、なんでもやるのが当たり前と教えられてきた彼女たちにとって、藤木七菜江はどうしても倒さなくてはならない相手だった。その気持ちはいまでもある。だが、超少女の不屈の精神力を見せつけられた姉妹には、以前とは違う感情が生まれていた。敵としての七菜江は、ライバルとしての七菜江に生まれ変わっていた。
「残念ながら、来年の夏には闘えないわ」
ゾクリ
不意に木陰から現れた妖艶な美女の声が、巨大な姉妹を戦慄させた。
腰までの長い黒髪。氷のような美貌と、薔薇の芳香。
待ち伏せをしていた女教師の登場に、姉のサリーの声が上擦る。
「か、片倉・・・響子・・・」
「我々の存在を知る者は、ひとりでも少ない方が好都合なのよね。用無しの『エデン』寄生者に、来年など、ないわ」
闇夜に、妖糸の煌きが、踊る。
軽やかな切断音が、人里離れた森林に流れ、丸い首がふたつ、宙を舞った。
激しく噴き出す血の音をバックに、冷酷な魔女は何事もなかったように、処刑の林を後にした。
100kgを越える巨体が倒れる響きがふたつ、その妖艶な背中を追った。
あとには、夏の虫の鳴き声だけが、静かな世界を覆うのみであった。
五十嵐家の2階、8畳の部屋。
居候として居ついた桜宮桃子の部屋に、モデル顔負けの現代的美少女と、活発そうなショートが似合う猫顔の美少女が揃っていた。
桜宮桃子と、藤木七菜江。
ベッドに腰を降ろした桃子と、傍らの木椅子に座って、組んだ両肘に顔を乗せている七菜江は、とりとめもない会話に夢中になっていた。ランチの後に互いの部屋でお喋りを楽しむのは、いつのまにか、ふたりの日課になっている。
「あれだけの怪我したのに、もう元気になってるなんて・・・ナナってやっぱ凄いね」
驚嘆を漏らす桃子の台詞は、心底からのものだった。
Tシャツにホットパンツといった夏らしい格好の七菜江であるが、その下は包帯でグルグルに巻かれている。あの死闘の後、変身解除後も傷だらけになっていた少女の身体は、文字通りボロボロであったのだが、3日も経てば、普段と同じような元気を取り戻していた。
「あたしは完全に治るまで、けっこうかかったんだけどな。ナナの生命力って、あたしたちの中でも人間離れしてるよねェ」
「・・・それって、褒めてないよね?」
無邪気にじゃれあうふたりの美少女。死線を突破した喜びが、そこには溢れていた。
「でもさ、ひとりで3人相手に勝つナナはカッコ良かったよ」
フルフルと首を横に振るショートカットの少女。
単純な少女は嬉しさをこらえきれずに白い歯を見せながらも、心底困ったように、細い眉を曇らせている。
「ん~ん。もう二度とあんな闘いはイヤだよ。夕子には、めちゃめちゃ怒られるしさ」
思わずクスクスと桃子は笑う。
危険な状態を脱し、元気を取り戻した七菜江を待っていたのは、さんざん心配させられた、霧澤夕子のお叱りだった。宿題を忘れた小学生のように、小さくなって夕子から叱られる七菜江を、桃子は笑いをこらえきれずに、後方から眺めていたのだった。
「ムッカ。なに笑ってんのよ~。モモ、助けてくんないんだもん」
「だってさ、あれはナナが悪いよ。夕子が怒るのは当然」
「あ~あ・・・ねえ、ねえ。里美さんには、今回のこと、内緒にしててね」
「なんで?」
「心配させたくないじゃん。それに、また怒られそうだし・・・」
「アハハ。ナナらしいなぁ」
秘密の約束を交わすふたりが、窓の外にスーツケースを片手にした純白のワンピース姿を見つけたのは、その時だった。
「あッッ?!!」
優雅とさえ言うべき立ち姿を確認した元気少女は、弾丸のように部屋を飛び出していく。待ち望んでいた、その麗しき存在。あまりの速度に呆気に取られた桃子が、おっとり刀で七菜江のあとを追いかける。
「おかえりィ~~ッ、里美さん!」
桜宮桃子が五十嵐家の門前で見た光景は、夏の陽射しの下、純白のワンピースに包んだ五十嵐里美の胸に飛び込む、藤木七菜江の姿であった。
輝くような満面の笑みが、超少女の気持ちを雄弁に物語っていた。
《 ファントムガール 第七話 -完-》
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