ファントムガール ~白銀の守護女神~

草宗

文字の大きさ
306 / 398
「第十二話 東京黙示録 ~疵面の凶獣~」

30章

しおりを挟む

 なぜ、自分は生まれてきたのか?
 恐らくは、人生で一度は誰もが考える疑問。自分が何者であるかを知るために、きっと答えなど出ないとわかりつつも、ひとはこの難問に頭悩ませてきた。
 オレは運が良かった。すぐに答えがみつかったのだから。
 
 里美がそばにいてくれたから。
 彼女を一生守り続けると決めた。そのために生きていくと誓った。恋人だとか、結婚だとか、そんな形式にこだわったことはない。ただ、近くにいられれば、良かった。里美を支えていけるのならば、それだけでオレが生まれた意味はあると、ずっと信じて生きてきた。
 里美さえ守れれば、良かった。
 強くなったのは、里美を守るためだった。里美を守ることさえできれば、それ以上の強さなんて必要なかった。
 
 同じ父親の血を引き継いだ姉弟と知った日から、全てが変わった。
 すぐ見つかったはずのオレの生きていく意味は、幻のように消え去った。
 里美のそばでずっと支えていくはずだったオレは、実は五十嵐家の嫡子たる彼女にとって、もっとも邪魔な存在だったのだ。
 なんという、滑稽な話。
 五十嵐の家にとって汚点であるオレという存在は、里美のそばどころか、もっとも遠ざかるべき人間だった。執事の安藤さんが冷たい視線を向けるのも当然のことだ。あのひとの反応は、実に正しいものだった。
 
 全てを理解しながら、オレは里美から離れられなかった。
 距離を置くことはあっても、間を空ければ空けるほど、心が里美に絡まっていく。解けない、感情の鎖。
 愛していたから。里美のことを。
 どうしようもないほどの、恋慕。オレの心の一部は、すでに里美のものだった。胸の奥に棲みついた彼女は、表面上をなにで覆っても隠れることはなかった。
 新しい恋をしようとするたびに、胸の内でひょいと里美が顔を出す。
 カワイイと思える少女はいくらもいた。魅力を感じる女性にも何人も出会ってきた。その度に、心に棲みついた里美が笑う。「早く、私を諦めてね」と。
 
 できるわけねーよ。そんなもん。
 オレの心を奪っておきながら、そりゃねえぜ。わかってんだろ? オレがお前以外を、好きになれないってことは――
 
 男は何人もの相手を、同時に愛することができると聞いたことがある。そんなものかもしれん。頭ではそうした言葉も理解はできる。
 だけど、たったひとり、人生でたったひとりだけ、どうしようもなく愛してしまう女性が、この世には存在するような気もしている。
 それがお前なんだろ、里美。
 だから、何があろうと、きっとお前のことを諦めることなんてできない。他の誰かと将来結婚するようなことがあっても、心の鎖は一生お前から解けることはないだろう。
 
 そう、思っていた。
 だから、絶望していた。オレが生まれてきた意味は、もう二度と見つからないと。
 存在理由を奪われたまま、ただ流されて生きていく。心臓は動いていても、里美を守ることが許されなくなったときから、工藤吼介という男は死んだのも同然だったのだろう。
 
「七菜江」

 歩みを止めた吼介は、背中におんぶした少女に唐突に声を掛けた。
 
「・・・はい?」

「寒くないか?」

「大丈夫です。先輩の背中、あったかいから・・・」

「前にもこうして、傷ついたお前を背負って歩いたこと、あったな」

「憶えてます。あたしがまだ、ファントムガールになったばかりの頃で・・・あの時から、先輩の背中はちっとも変わってないです」

「・・・いや、変わったんだ」

「え?」

 お前のおかげで、オレは変われたんだ。
 
「七菜江、オレはお前を守るために生きていく」

 里美。
 ようやく、お前のことを諦められる日が来たよ。
 お前よりちょっとおマヌケで、不器用だけど、ビックリするほど純粋で、真っ直ぐなコなんだ。
 里美。
 オレは七菜江のために、生きていく。
 
「・・・立てるか?」

 頷く背中の少女を、そっと逆三角形の男は下ろす。
 拝借した白のTシャツと黒のホットパンツ。大きめのレザージャケットに身を包んだ藤木七菜江は、無言で吼介の顔を見上げていた。
 弓張りの月が照らす淡い光に、少女が流す涙の跡が、キラキラと頬を輝かせた。
 
「これから起こることを、お前は黙って見ているんだ。いいな?」

 ショートカットにポンと乗せた格闘家の掌が、グシャグシャと七菜江の頭を撫でる。
 ボロボロと真珠のような雫を瞳から溢れさせ、少女はただ愛する男の顔を見詰め続けた。
 
「・・・来たか」

 風が鳴る。
 雨上がりの九月の夜は、グンと秋らしい肌寒さに支配されていた。
 刻々と迫る、人類敗北のカウントダウン。無人と化した東京の街。
 千代田区北の丸公園の敷地内。靖国神社から眼と鼻の先にあるその場所に、巨大なたまねぎにも喩えられる、特徴的な擬宝珠を屋根に乗せた荘厳な建物があった。
 日本武道館。
 武道の聖地とされるだけでなくライブコンサートや格闘技の会場としても著名な威風漂う建築物を背後にして、今、セーラー服に身を包んだひとりの少女が立っている。
 
 美麗の化身とでも言うべき、美しさであった。
 冷たい風に茶色混じりのストレートが踊る。陶磁器の如き青白き面貌は、天空に輝く月にも勝る清廉に満ちていた。
 ゴクリと咽喉を鳴らしたのは、藤木七菜江であった。
 五十嵐里美は、これほどまでに美しい少女であったのか。圧倒される。いや、ただ外面だけではない。ある種の決意を思わせる情念が、スレンダーな令嬢の肢体から青き炎のように迸っている。
 ズイ、と一歩を吼介が前に踏み出す。
 見詰め合う。幽玄の美少女と獣臭漂う格闘者とが。まるで己が部外者であるかのような疎外感を七菜江は自覚した。
 
「久しぶりだな、里美。昨日会ったばかりだってのに」

「・・・そうね。いろいろなことが、起こりすぎたわ。あまりにも、多くのことが」

 10mの距離を置いて、里美と吼介、そして男の背後に控えた七菜江とが対峙する。
 対峙と呼ぶのに相応しい、距離であった。これまで常に隣にいた里美と向き合っていることの違和感が、七菜江の心を締め付ける。
 
「よく、抜け出せたな。こんな事態だってのに」

「あなた・・・いいえ、あなたたちに会うことは意味があると思ったからよ。でも、時間がないのは確かだわ」

「そうだな。じゃあ、単刀直入に言わせてもらうぜ」

 風が唸る。人影の絶えた首都を、走り抜ける風が。
 沈黙の後に、工藤吼介は静かに声を放った。
 
「里美・・・お前が持つ最後の『エデン』を、オレに譲ってくれ」

 初めて聞く吼介の言葉に、背後の七菜江が息を呑む。
 
「できないわ。それは」

「もうお前たちが傷つくのは見たくない。オレがやる。たとえこの身が朽ち果てようと、あの悪魔どもはオレが殲滅する」

「わかっているはずよ。あなたが『エデン』を得たところで、光の戦士になるとは限らない」

「そうだな。どうなるか、わからねえ。オレ自身、闇側のミュータントにならない確証はねえ。だから賭けだ。それでもこのまま破滅を迎えるよりは、ずっとマシなはずだ」

「破滅するとは決まっていないわ。まだ私は闘える。ユリちゃんも、それに御庭番衆にだって逆襲の秘策が・・・」

「無理だ。どんな策を練っていようが、あいつらには勝てねえ」

 まるで作戦の一部始終を予測しているかのように、吼介は言い切った。
 
「お前も本当は気付いているはずだ、里美。やつら・・・手を組んだ3匹の悪魔には、小細工なんか通用しないってことは。お前やユリ、それに七菜江を加えたところで、あいつらの相手にならねえ」

「・・・随分と、ハッキリ言うのね」

「ああ。お前は自分だけ死のうとしているからな」

 一切表情の変わらなかった里美の柳眉が、ピクリと反応する。
 
「だが、ダメなんだ」

 フルフルと男が、弱々しくかぶりを振る。太い眉毛が苦悩に歪む。
 
「わかってんだよ。お前がひとりで死んで、責任取ろうとしてんのは。でも、ダメだ。お前ひとりの命で事が済むほど、奴らは甘くねえ。七菜江もユリも、全員が殺されるだろう。奴ら3匹を滅ぼさねえ限り、お前たちに未来はないんだ」

「・・・やってみなければ、わからないわ」

「奴らはオレが消す」

 ゾクリとするような落ち着いた声で、吼介は言い放った。
 真っ直ぐに射抜いてくる格闘獣の眼光を、凛とした少女は正面から受け止めた。
 
「賭けなのはわかってる。だが『エデン』は寄生時の精神状態が、変身後の姿に大きく影響すると聞いた。オレが奴らを潰したい気持ちが確かな以上、きっと大丈夫なはずだ」

「・・・吼介」

「お前を死なせたくない」

 何かに心臓を貫かれたように、くノ一少女の美貌が瞬間歪む。
 
「オレが代わりに全ての決着をつける。お前はもう、闘わなくてもいいんだ。七菜江にも、もう闘わせるようなことはしない」

 言葉を返そうとして、里美の鈴のような声は詰まった。
 もしそれが許されるならば、どんなに嬉しいことか。
 愛する男が自分のために闘ってくれる。盾になってくれる。妹のように可愛がってきた、朋友のことさえ守ってくれる。
 有難かった。泣き崩れたいほどに。それが現実となるならば、全ての気を緩めて甘えてしまいたかった。
 
 でも。
 
「それは・・・できないの」

 胸に渦巻く熱い感情とは裏腹に、冷めた口調で少女は呟いた。
 
「使命だから。私の。吼介、あなたに『エデン』を与えてはならないのは、御庭番衆次期頭領として、私に課せられた使命。なにがあっても、たとえ世界が滅びようともあなたに『エデン』は与えられない」

「どうしても、か?」

「どうしても。あなたが『エデン』と融合したら、私は吼介を殺さなくてはならない」

 ブルッと震えが爪先から脳天まで、令嬢戦士の脊髄を駆け上がる。
 気を抜けば、涙が溢れそうだった。気力のみで、里美は込み上げる感情を力づくで抑え込む。
 
「そうか。やっぱりな」

 ガクリと吼介が首を垂れる。脱力に合わせたように、逆三角形の肉体を包んでいた濃密な“気”が、しぼむように縮んでいく。
 束の間、だった。
 
「わかっていたさ。こうなることは」

 世界が青から紅に、一気に塗り潰されるように。
 男の気配が変わる。急激に。噴火とも言うべき、劇的な変化。
 
 メキョ・・・メキメキ・・・ミシィッ・・・ビキビキビキッッ!!!
 
 虫の音のごとき、奇怪な響き。筋肉が、鳴いている。膨張し、研ぎ澄まされていく筋肉が。
 そのサインの意味するところを、里美も知っている。格闘獣の本気のサイン。真の武力を発動する時のみの、最強の男の警戒警報。
 
「どうしても拒否すると言うのなら・・・オレはお前から、力づくで『エデン』を奪わなければならない」

 五十嵐里美という少女を、誰よりも知るのは吼介であった。
 使命のためなら命も捨てる。愛した男を、手に掛けることすら。
 今、傷つけあうことがどんなに無益で、馬鹿げたこととわかっていても、里美は闘う。課せられた、使命のために。
 そんな少女とわかっていて、この場に赴くことを決意したのだ。
 
「ならば、私はあなたを倒すわ」

 美しき生徒会長は、純然たる戦士の顔つきで宣言した。
 空気も凍てつくようであった。月が死を司る星というのなら、きっと月の女神は彼女のことだ。
 
「お前に拳を向けた瞬間、オレは御庭番衆の敵ということになるな」

 下向いたまま、鋼のごとき筋肉の鎧を纏った獣が、静かに呟く。
 
「御庭番のことは、関係ない。これはあくまであなたと私の闘いよ」

「里美、悪いが、全力を出す」

「望むところよ」

「お前を倒し、『エデン』をもらう。そして、悪魔どもを蹴散らしたあと、オレは二度とお前の前には現れることはないだろう」

 ゆっくりと最終形態に変形した工藤吼介が、俯いていた顔をあげる。
 泣いていた。
 男臭い顔面をくしゃくしゃに歪ませ、最強と謳われる男は泣き崩れていた。
 
「サヨナラだな、里美」

「・・・ええ」

「オレ、七菜江と生きていくよ。全てが終わったら、七菜江とふたり、ひっそりと生きていく」

「・・・・・・ええ」

「ごめんな。お前のそばに、ずっと一緒にいるはずだったのに。でも、できねえから。オレたち、許されねえから。七菜江が、お前のこと諦めさせてくれた。オレはこいつのために、これから生きていくよ」

 秀麗な美貌が天を仰ぐ。
 頬をつたう一筋の涙に、里美は気付くこともなかった。
 
「もう、わかったから・・・・・・我が・・・・・・弟よ」

 キッと美少女の切れ長の瞳が、鋭い光を放つ。
 呼応するかのように、筋肉の集合体と化した格闘の化身が、戦意を一気に解放する。
 轟音と震動がふたつ。
 大地を蹴ったくノ一戦士と格闘獣が、一直線に同時に飛び込んでいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

男女比1:15の貞操逆転世界で高校生活(婚活)

大寒波
恋愛
日本で生活していた前世の記憶を持つ主人公、七瀬達也が日本によく似た貞操逆転世界に転生し、高校生活を楽しみながら婚活を頑張るお話。 この世界の法律では、男性は二十歳までに5人と結婚をしなければならない。(高校卒業時点は3人) そんな法律があるなら、もういっそのこと高校在学中に5人と結婚しよう!となるのが今作の主人公である達也だ! この世界の経済は基本的に女性のみで回っており、男性に求められることといえば子種、遺伝子だ。 前世の影響かはわからないが、日本屈指のHENTAIである達也は運よく遺伝子も最高ランクになった。 顔もイケメン!遺伝子も優秀!貴重な男!…と、驕らずに自分と関わった女性には少しでも幸せな気持ちを分かち合えるように努力しようと決意する。 どうせなら、WIN-WINの関係でありたいよね! そうして、別居婚が主流なこの世界では珍しいみんなと同居することを、いや。ハーレムを目標に個性豊かなヒロイン達と織り成す学園ラブコメディがいま始まる! 主人公の通う学校では、少し貞操逆転の要素薄いかもです。男女比に寄っています。 外はその限りではありません。 カクヨムでも投稿しております。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

雌蛇の罠『異性異種格闘技戦』男と女、宿命のシュートマッチ!

コバひろ
大衆娯楽
格闘技を通して、男と女がリングで戦うことの意味、ジェンダー論を描きたく思います。また、それによる両者の苦悩、家族愛、宿命。 性差とは何か?

処理中です...