ファントムガール ~白銀の守護女神~

草宗

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「第十二話 東京黙示録 ~疵面の凶獣~」

36章

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 菱形の頭部がグラリと揺れる。漆黒の縄で編んだような肉体を白のプロテクターで包んだ凶魔・ゲドゥー。
 銀と紫の女神、ファントムガール・サトミの一撃を受けた最凶の悪魔が、九段下のビル群に倒れていく。ナナを圧倒し、サクラを処刑したかつてない強大な侵略者は、地響きとともに立ち昇る土塵のなかに沈んでいった。
 やむなき状況とはいえ、戦闘に巻き込み建造物を破壊してしまうのは、心痛めるのが常だ。だが今のサトミにはそんなわずかな悔やみすら、思い浮かべる隙はなかった。胸いっぱいに広がる感情は、怒り。ただ一色。無法とも言えるやり方で、“一般人”の工藤吼介を排除した二匹の凶魔を前に、抑え込んできた紅蓮の炎はもはや静まることがなかった。
 
 相楽魅紀を、ファントムガール・サクラを、ファントムガール・アリスを惨殺された。
 そして今また、美女神の生涯に深く関わってきた男が、瓦礫の山のなかへ消息を絶った。
 許せない。もう、感情を抑えられない。
 憎しみと怒り。正義のヒロインに似つかわしくない激情を全開にして、銀と紫の女神が昏倒したひとつ眼の凶魔に襲い掛かる。
 
「ああッッ!!・・・あああァッッ!!・・・ウアアアアッッ―――ッッ!!!」

 ドゴッッ!! ゴスッッ!! ドゴゴゴゴゴッッッ!!!
 
 連打。菱形の頭に次々と打ち込まれるファントム・クラブ。洗練された打撃とは程遠い、幼児がダダをこねるような遮二無二の殴打。
 悪魔そのもののような白と黒の凶魔に馬乗りになった女神が、光の棍棒で滅多打ちにする光景。明らかな違和を覚える情景ではあっても、正義の使者が優勢である事実に嘘はない。次々に光の守護天使たちを圧倒的な実力で葬ってきたゲドゥーが一方的に攻められる姿など、誰が予見し得ただろうか。
 
 スッ・・・
 
 影が寄る。サトミの背後に。
 茶褐色の肉体に疵だらけの凶相。殺しを快楽とする暗殺者は、巨躯に似合わぬスピードと気配を根絶した移動術の持ち主であった。一切の音をたてずにくノ一戦士の背中を取ったギャンジョーが、象牙を思わす腕槍をサトミの心臓に狙いを定めて突き出す。
 
 ガキィイッッ・・・ンンッッ!! 硬質の音を放ち、凶器の腕は聖なるクラブに受け止められていた。
 後ろ向きのまま、両腕を背中に回したサトミのクラブが、十字になって極太槍の突撃を防いでいる。見えていたのか?! 予想していたのか?! 無謀に見える一方で、冷静な判断を欠かしていない守護女神の底力を、スカーフェイスの凶獣は思い知った。
 
 跳ぶ。スレンダーな紫の女神が。ギャンジョーの放った凶槍を支えにして。
 一瞬、槍腕の上に交差したクラブを使って逆立ちしたようなサトミは、すぐに落下の勢いを利して、直下降の膝蹴りを凶獣の疵面に叩き込む。
 
 グシャリッッ!!! 確かに顔面に膝がめり込む感触が、怒れる天使に伝わってくる。
 サトミの全体重が真上から顔面に落とされたのだ。首や脳にダメージの残らぬわけがない。少なくとも数秒は脳震盪を起こして満足に動けぬはず――
 そんな都合のいい予想を、サトミはしなかった。
 膝を引き抜き、背後へと跳ぶ。忍びならではの、俊敏な動き。
 ゴオオッッ!!と風を引き裂いて、銀色の美貌の鼻先を尖った腕がかすめ過ぎる。数瞬でも退却が遅れていたら、女神の肢体は串刺しにされていただろう。
 
「調子にッ・・・乗んじゃねえッッ!! クソアマがァッッ!!」

 連続のバク転で距離を取るサトミ。だが仕切りなおしの猶予を、ギャンジョーは与えなかった。
 追う。回転する女神を。
 一気に間を詰めた疵面の凶獣は、回転を止め、構えを取ったサトミの鼻先にまで迫っていた。
 
「くッッ!!」

 視界の隅で、玲瓏たる切れ長の瞳はギャンジョーの左腕がゴワゴワと変形するのを捉えていた。知っている。あの二本の腕が、様々な凶器に変形することを。象牙にも似た極太の槍腕は、スカーフェイス愛用の匕首が巨大変形化したものであり、他の武器にも取って代わることができる。ファントムガール・アリスが散々苦しめられた、ギャンジョーの異能力。腕の変化は危険の合図だ。
 先手必勝。右腕のクラブを美麗の女神が振る。左腕の変形が完成するより前に――。
 間に合わなかった。凶腕の変形はサトミの予想を遥かに上回る速度で進んだ。いや、なによりも、クラブを打たせること自体が、ギャンジョーの誘いであったと美天使は悟る。
 
 凶獣の左腕は極太の槍から、栗やウニを連想させる、尖った突起だらけの鉄球へと変わっていた。
 一目で判断できる、粉砕専用の凶器。
 ファントム・クラブを正面から迎撃した棘付き鉄球は、聖なる棍棒をガラスのように微塵に砕いていた。
 
 ボッッッ!!
 砲撃を放ったような擦過音は、クラブの破砕音に混ざってごく至近距離から届いてきた。
 必殺の腕槍の一撃。パワー、スピード、殺意。全てが最大ランクの、戦慄の凶撃。
 ギャンジョーが全力で放つ刺突は、ファントムガール・アリスが『臨死眼』を得て初めて避けることができたシロモノであった。
 
 ガッキィィィ・・・・・・ンンンンッッッ!!!
 
 最凶を冠する殺し屋ヤクザの疵面が、刹那の瞬間引き攣った。
 受け止めていた。必殺の腕槍が防がれていた。フォース・シールド。ファントムガールが操る光の盾。守護天使が発揮する持ち技のなかでは、ごくごく基本となっているもの。サトミが発動したところで、もちろんなんら驚くことはない。
 驚愕すべきは、その形状。
 小さい。ギャンジョーが知っているフォース・シールドと比べて、今サトミが造り出した聖なる盾は、掌サイズの小ささであり、その分厚みが何倍もあった。
 凶撃の威力に備えて、瞬時に改良バージョンを生み出したというのか。
 その格闘センス。アリスが死と引き換えにしか見切れなかった超速の突きを、極小の盾で受ける戦闘能力。己の武器を破砕された動揺を引きずらぬ精神力。
 
 これが、麗しき守護天使のリーダー。ファントムガール・サトミか。
 
「ハアッ! ハアッ! ハアッ! ハアッ!!」

 喘ぐような美女神の荒れた息遣いが、凶獣の耳朶を叩き、意識を現実へと連れ戻す。
 奇跡と言ってよかった。幼少より忍びの修練に明け暮れた五十嵐里美にしたところで、ギャンジョー渾身の一撃を完全に見切れたわけではない。ただ直感めいたものが、半ば無意識に身を動かし惨撃から守ってくれたのだ。同じような成功が何度も重なる自信などなかった。
 だが、動揺を見せた疵面の凶獣が、わずかといえども動きを硬直させた僥倖が、先の展開を左右した。
 
 ガバリッッとスカーフェイスが牙の揃った口を開く。
 この小娘はッ・・・サトミは疲弊し切っている。攻撃を避けつつも、無形のギャンジョーの圧力に逼迫している。だからこその荒い息。激しく上下する丸い肩。
 “弩轟”ッッッ・・・・・・この距離で放てば、守護天使は終わる。
 状況の正確な把握から、確実に死に至らしめる手段まで。
 知能において愚鈍に映るギャンジョーだが、戦地における思考は明らかに秀英であった。己が成すべき行動を導き出すまでの時間は、まばたき数回するまでもないごくわずかな間。
 
 それでも。
 金色のストレートをなびかせる戦女神は、凶獣の上を行っていた。
 疵面獣の白濁した眼に映るもの。それは、己の口先に当てられた、紫のグローブに包まれた掌であった。
 
「ハンド・スラッシュ!!」

 光の手裏剣がスカーフェイスに打ち込まれる。連続の射出で。火花。煙。爆音。飛び散る鮮血。
 絶叫とともにグラグラと後退する凶獣。効いたか?! いや、着弾の間際に口が閉じられるのをサトミは認めていた。耐える。きっと耐え切る。この怪獣にはこの程度では通用しない。一気に追撃を。勝負手を打つのは今この時ッ!!
 
「ファントム・リボンッッ!!」

 銀の女神の右手から、光の奔流が輝き溢れたと見えた瞬間、白い帯は生きた蛇神のごとく褐色の凶獣に絡みついた。
 邪悪を滅ぼす聖なる光で編まれたファントム・リボン。締め付けられた闇の肉塊が、帯に触れた部分からシュウシュウと黒煙をあげて焼け爛れる。頭部から足首まで、白光の渦は幾重にも幾重にも、隙間なく凶獣の巨躯に巻きついていく。
 
「ウゴォッッ!!・・・グウッッ・・・ウグググオオオッッ―――ッッッ!!!」

「ハアッッ!! ハアッッ!! ハアッッ!! ギャンジョーッッ!!! 過去の全ての罪を償う時よッッ!!」

 右手から伸びた聖なる帯を、幽玄なる美麗天使が強く握る。白い光が輝きを増す。
 闇の眷属に全身から光のエネルギーを注ぎ込む、サトミ最大の必殺技のひとつ“キャプチャー・エンド”。令嬢戦士に残った全ての破邪の光を捧げば、頑強を誇るギャンジョーといえど、無事で済むはずはない。
 
 イケる。勝てる。
 魅紀の仇を。
 アリスの仇を。
 無惨に散った友の命に、今こそ報いてみせる―――。
 
「勝ったつもりか? ファントムガール・サトミ」

 全身の血が、凍結したかのようだった。
 周囲の闇が震えている。怯えの感情。真の闇が、本当の恐怖が夜の世界すら呑み込もうとしているのか。
 悪意が迫る。足元から這い上がり、脊髄に絡みついていく。駆け登る戦慄に、聖女神は思わず歯を鳴らしそうになった。ズブズブと憎悪の念が肉体を侵食していくのを、サトミは自覚した。なんという、圧倒的恐怖。突如現れた一匹の悪魔が、勝利を目前に控えたはずの守護天使に凍えるような死の息吹を吹きかけてくる。
 
 立っていた。白き亡霊のごとく。
 ゲドゥー。“最凶の右手”を持つ凶魔。
 菱形の尖った顎先から、ボトボトと鮮血が垂れ落ちている。クラブでの連続殴打によるダメージであるのは確かだった。凶魔の血も赤いことが、やけに不自然なものに見える。
 
「やってみろ」

 無表情なひとつ眼のマスクが低く呟く。
 荒い呼吸を吐き出し続けるサトミは、ただ両肩を上下させるのみであった。
 
「やってみるがいい、サトミ。お前はもう、終わりだ」

「うッ・・・・・・うあァッ・・・うああああァァァッッ―――ッッッ!!!」

 弾かれたように銀と紫の肢体が動く。両手で光の帯を強く握り締める。
 恐怖に衝き動かされたのか。抑え切れぬ怒りが暴発したのか。わからない。サトミ自身にもわからない。ただ必殺の意志を込めて、全身から掻き集めた聖なるエナジーを光のリボンに注ぎ込む。
 
「キャプチャー・エンドッッ!!!」

 ボッッ!!
 発光したリボンが、炎をあげたかのようだった。
 流れる。紫のグローブから、リボンを伝って褐色の凶獣へと。闇を滅ぼす光の凝縮体が、輝く奔流となって押し寄せていく。
 
「グオオオオオオッッッ―――ッッッ!!!!」

 咆哮。疵面獣の、大地を震わす絶叫。
 次の瞬間、暗黒を封じる女神のリボンは、内側から膨れ上がった爆発的な負のパワーによって、ビリビリに千切れて弾け飛んだ。
 
「なッッ?!」

 そんな・・・バカなッッ?!!
 
 幾重にも巻きついたファントム・リボンを内側から破るなんて。いや、だが、光のエナジーが届く前に、ギャンジョーは持てる暗黒エネルギーを開放していた。キャプチャー・エンドが完成する前に、力技でファントム・リボンを破ったのだ。なんという桁外れのパワー!!
 
 ・・・・・・くるッッ!!!
 
 戦士としての直感がサトミを動かしていた。大きく振り上げる右腕。出現する光のリング。
 くる。この機を逃さずに、ゲドゥーがきっと襲撃を仕掛けてくる。技を破られたショックで、さすがのファントムガールのリーダーも動きに翳りが生まれる。その隙を、ゲドゥーは必ず襲ってくる。絶対ともいえる確信に衝かれて、サトミは反射的に迎撃の態勢を整えていた。
 隙を襲うゲドゥーに生まれる隙。その隙に乗じて、逆にカウンターを浴びせる―――!!
 
「ファントム・リングッッ!!」

 突っ込んでくるひとつ眼凶魔に投げつけられる、光のスライサー。
 細い首に回転カッターが唸り飛ぶ。これまで何匹ものミュータントを葬ってきた正義の光輪。紺色のひとつ眼に眩い光が映りこむ。
 サトミにはわかっていた。きっとゲドゥーはリングをかわす。それだけの反射神経を、この凶魔は十分に持っている。だがそれこそが戦女神の思惑。かわしたはずのリングは、Uターンして背後から白い悪魔の首を狩る。新体操の名手の技巧が、驕れる凶魔にトドメを刺す、はずであった。
 
 パシッッ!! という乾いた音色を残して、光のリングは“最凶の右手”に容易く受け止められていた。
 闇を裁断する、正義のカッターが。まるでフリスビーでも扱うような軽々しさで。
 ガラスの砕けるにも似た音が大音声で響き、ファントム・リングは粉々に壊れて飛散した。
 
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