文系男子と理系女子の恋愛事情

桐生彩音

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第一巻

009 理系女子の家庭事情

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 金子かねこ穂積ほづみとは、よくある中年太りとは無縁な人物だった。むしろひょろ長い、枯れ木の様な印象を持つ男といえる。しかし、初見で誰が見抜けるだろうか。
 彼が小規模とはいえ金融会社を経営し、成功を収めていることに。
「何が食べたい?」
「回らない寿司」
「停学喰らった身分で……ここぞとばかりに贅沢ぜいたくするな」
 穂積は稲穂を車の助手席に乗せると、通りに沿って運転し始めた。大まかな行先は決めていたのか、ハンドルを持つ手に迷いがない。
 そして向かった先は稲穂の希望とは真逆、しかしある意味高級店だった。
「……げ、フランス料理」
「料理自体に好き嫌いはなかっただろ? ただしここは高級店だ。代わりに嫌いな服装規定ドレスコード行儀作法テーブルマナーをじっくり味わわせてやる」
「うわぁ……制服のまま出歩くんじゃなかった」
 その言葉の通り、稲穂は別にフランス料理が嫌いというわけじゃない。クロックムッシュ(トーストの一種)等はむしろ好物に当たる。しかし、気楽に食べられないというのが、彼女に嫌悪感を与えてくるのだ。
「普段一人暮らしだろ、稲穂は。たまには行儀作法テーブルマナー意識して食事しないと、食べ方が汚くなるぞ」
「大丈夫よ。普段はサプリとバランス栄養食だからてっ!」
「……適当に食うな、って言ってるだろいつも」
 稲穂より高い身長を活かし、軽く頭頂部を引っ叩いてから肘掛け代わりにもたれかかった。
 嫌がる稲穂を尻目に、穂積は空いた手でアップルフォンを操作して店に電話を掛ける。この手の高級店はたとえ直前でも、予約を取らないと入れないことが多い。
 それも踏まえて、稲穂は(フランス料理程行儀作法テーブルマナーを意識しなくていい)寿司を提案したのだが、この金融会社社長には通用しない。
「じゃあ二人で……はい、これからうかがいます。では後程のちほど
「……車で待ってていい?」
「ちょうどキャンセルが二人入ったんだと。ほら行くぞ」
 仕事帰りなので、穂積もまたスーツだ。しかも社長である以上、相手に優位性をしめすために、海外ブランドの高級品を身に着けている。いくら制服姿の稲穂を連れて入店しても、高級性が際立きわだって援助交際だのを考えるやからはいないだろう。
「……親子にしては、あまり似てない・・・・けどね」
「それでもやましいことなんてないだろうが。いちいち気にするな」
 穂積と並んで店に入る稲穂。
 仕事かなにかで前にも来たことがあるのだろう。店員に案内されて中に入る時も、特に周囲を気にする様子はなかった。さすがは高級店とばかりに、美術品が数点展示されているにもかかわらず。
「親父、美術品とかこういうの好きじゃなかったっけ?」
「前に十分見せて貰ったよ。相手も興味があったからな」
 食事の後で見るか? という穂積からの眼差しに、稲穂は首を横に振る。たしかに美術品の類はすごいとは思うが、そこまで興味を持つたちではないからだ。
 そして案内されたのは、天幕のかかった半個室のブースだった。密談とまではいかなくとも、普通に会話する分には周囲に気兼ねする必要はないだろう。
 店員に引かれた椅子に腰掛けた稲穂は、向かいに座る穂積と共に食事を始めた。



「……今からでもまた、一緒に暮らさないか?」
「いやよ」
「性格の矯正が目的だ。拒否権はやらん」
「断固断る。『You can't buy a second with money.』よ」
「こいつは本当に……」
 食後のコーヒーを飲んでいる時だった。食事中に停学となった経緯を稲穂から聞いていた穂積だったが、何度食事用の刃物カトラリーを置いて頭を抱えたくなっただろうか。
 別に、稲穂に好きな男ができるのは構わない。思春期の女子高生だ。異性に興味を持つのは当然のことだろう。ただれた春さえ送らなければ、穂積に文句はない。
 しかし……問題なのは稲穂の言動全般だ。
 相手に非があるかどうかはともかく、人に手を上げた以上、謝罪位はしとかないと社会的信用をなくしていくのがこの社会だ。というか、威力が高すぎて普通に暴力沙汰である。
「頼むから、捕まらないでくれよ…………というかやっぱり謝罪訪問行くぞ。これ以上の面倒事はごめんだ」
「大丈夫よ。向こうも自分の非は認めているから」
「それは下着パンツの色聞いた子だけだろ。下着パンツ見てしまった子に関しては、聞いている限り不可抗力だろうが」
「まあ……今思えばそうだけど」
 稲穂は居心地悪く、ちびちびとコーヒーを飲んでいた。
「とにかく、向こう次第ではお前の立場も悪くなるんだ。改めて一回謝っておけ、いいな?」
「……はい」
 一見落ち込んでいるようだが、これでも赤ん坊の時からの付き合いだ。穂積には稲穂が反省している振りをしているのが、手に取るように分かってしまう。
「はあ……まあいい。とにかく、謝罪の意味も込めて、二人分の治療費はこちらで持つと学校に連絡を入れるから、稲穂もちゃんと謝っておくんだぞ」
「分かったわよ……チッ」
「返事に気をつけろ。仕送り減らすぞ」
「……分かりました。誠に申し訳ございませんでした」
 コーヒーも飲み終わったので、二人は席を立った。美術品の横を通り、会計を済ませてから二人は店外に出た。
 外に出ると、夏が近づいているにもかかわらず、涼しい風が稲穂達の火照ほてった身体を心地よく冷ましていく。
「そういえば……」
「ん?」
 稲穂が車の横で涼んでいると、スマートキーを操作していた穂積が、ふと思い出したかのように口を開いた。
「稲穂の好きになった子って、どんな奴なんだ?」
「まだ好き、って決まったわけじゃないけど……」
 稲穂は風で乱れた髪を指で掻き直し、どこか遠くを見つめながら、考えるように心中を吐露とろした。
「……少なくとも、他の男子よりかはかれる何かを持っている。そう感じているのは確か。向こうの家庭事情もあって、詳しくは言えないけどね」
「そうか……まあ、そんなものだ」
 稲穂を車に招き入れ、穂積はエンジンのスタートキーに触れる。
 エンジン音が響く中、穂積の口から放たれた発言は、しっかりと稲穂の耳に届いた。



「……俺にもまだ・・分からない・・・・・からな。恋愛なんてものは」



 車はゆっくりと走り出した。向かう先は稲穂が一人暮らしをしているアパートだ。しかし、そのアパートも近いうちに引き払わなければならない。
「引っ越しの準備は?」
「とっく。元々、荷物は少ないしね」
「よし。引っ越し先はもう、目星をつけている。いくつか空き部屋があるらしいから、期末試験明けに見に行くぞ」
 稲穂はうなづくと、両腕を持ち上げて頭とシートの間に差し込んだ。
「しっかし……まさか老朽化が予想以上にひどくて、予定より早く追い出されるとは思わなかったわ」
「稲穂にも非があるだろ。『安い物件でいい』とか言って、在学までもてばいいからと数年後に取り壊す予定のアパートに住み始めたんだから」
「その件に関しては、頭が痛くなるからやめて……」
 話している内に、穂積はハンドルを切り、車を停車させた。アパートに着いたのだ。
 稲穂は鞄を持って下車すると、そのまま運転席側に回り込む。
「じゃあ親父、引っ越しの件はよろしく」
「ああ、稲穂も試験勉強しっかりな」
 そのまま離れようとしたが、ふとあることが気になったので、稲穂は穂積に問いかけた。
「そう言えば、引っ越し先ってどんなところ?」
「1DKのマンションだ。会社員時代に世話になった人から紹介されてな。息子さんもそこで一人暮らしをしているらしくて、部屋自体は悪くないと聞いているぞ」
「ならいいけど……その息子さんとは関わらなくてもいいのよね?」
 穂積は稲穂の問いかけに、当たり前のように首肯しゅこうした。
「別にいいだろう。彼も面倒事を抱えているから、多分稲穂にかまう余裕もないだろうしな」
「つっても、私よりかは・・・・まし・・でしょう……」
 その言葉を聞き流して、穂積はパワーウィンドウを操作して、稲穂との間にガラスの壁を生み出した。会話は終わり、という合図である。
 くもりガラスしに『またな』とつぶやかれた気がしたが、稲穂は右手を挙げるだけだった。
「ん……」
 軽く手を振る稲穂に見送られながら、穂積の駆る車は走り去っていく。見えなくなってから、きびすを返してアパートの中に入り込んでいく。
「……ま、普通はないでしょうね」
 鍵を開け、部屋に入る稲穂のつぶやきが聞かれることはない。他の住人はすでに部屋を引き払っているからだ。
 だから、稲穂も気がゆるんでつぶやいたのだろう。



「あの親父が、本当は兄貴・・だってことは……」



 と。
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