文系男子と理系女子の恋愛事情

桐生彩音

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第一巻

010 理系女子の引越日和

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 そしてつつがなく期末試験も終わり、後は夏休みまでゆったりと学園生活を楽しめばいい時に、稲穂は住んでいたボロアパートを後にしていた。穂積の車で引っ越し業者と共に、引っ越し先のマンションへと向かっている。
 理由は単純で、七、八月の引越を申し込もうとした際、夏休み前しか業者の予定が空いていなかったからだ。すでに荷物はまとめ終えているので、仕方なく業者に合わせて、引っ越しの予定を前倒しする羽目に。
「はい、ご苦労様です」
 そして荷物の運び込みを終え、稲穂は穂積と共に引っ越し業者が去った部屋の中央に座り込んでいた。
 今回稲穂が引っ越して来たマンションは五階建てで一フロアに七部屋ずつ。一階はエントランスと駐車場等で部屋は用意されていない。周辺にスーパーやコンビニ等商業施設はあり、交番も近くにあるので治安的にも不安はないが、すぐ裏手が車道なので騒音が少し気になるところだろう。
 しかし幸いにも、稲穂の部屋は最上階の一番端だから騒音も下の階の住人よりかはましだ。おまけにエレベーターの反対側なので、高層階の非常階段近くだと人通りはほぼゼロと言ってもいい。ついでに言えば真下の部屋は空室、引っ越しの挨拶も隣だけで済む。
「インフラ関係はすでに連絡済み。後は隣に挨拶してから、荷物を広げるだけだな」
「それはいいんだけど……これは何?」
 薄手の長袖パーカーとジーンズという作業着然とした稲穂は、昔バイトで使っていたらしい、作業着を着た穂積にある物を指差して問いかけた。
 しかし穂積は何を言っている、とばかりに堂々と答えた。
「ボックスティッシュだろう? 引っ越しの挨拶にはわりと定番だぞ」
「思いっきり会社の粗品じゃないの!」
 そう、穂積が持ち込んだのは、会社の粗品として配っているボックスティッシュだった。その手の粗品を用意するのは銀行の方だと思うだろうが、返済プランに応じて粗品を用意してみれば、意外と利用者が増えたのだ。どうやら訪れる人の大半は、金を借りる身分とはいえ、自分を『お客様』だと思い込んでいる傾向があるらしい。実際は『債務者』なのに。
 とはいいつつも、用意されたボックスティッシュは会社のロゴや返済プランが印字されている宣伝用だ。こんなものを手土産に持っていけば変な誤解を与えることは間違いない。後ろ指を差されるご近所付き合いになること請け合いだ。
「もっとまともなもの用意してきてよ。お願いだから……」
「いや、デザイン変更の関係でちょうど古いやつが余っていてな。せっかくだから持ってきた」
「もういいわよ……こっちは私が使うから」
 仕方ないとばかりに、稲穂は荷物の中から真新しいボックスティッシュ(ドラックストアにて購入、わりと高めのブランド)を取り出し、粗品が入っている紙袋に手をつっこんで中身を入れ替えた。
 後は隣の部屋の住人に挨拶に行くだけなのだ、が。
「……まさか留守とはな」
「というか、下手したらこのフロア一帯が、でしょう。事前に引っ越し通知を管理人通して配ってたんだから」
 近年では引っ越しの挨拶自体がなくなっていく傾向にあるみたいだが、近所付き合いや周辺への配慮はいりょのため、なるべく行う方が良い。ましてや、引っ越し自体荷物を大量に出し入れするのだ。周りの迷惑を考えれば、妥当だとうな処置である。
「とりあえず、少し待ってみるか。別に置いといてもいいんだが、一応防犯のためにな」
「分かってるわよ……ああ、面倒臭めんどい」
 華の女子高生が一人暮らしをしているのだ、よこしまな感情を持つやからが近付いてきてもおかしくない。だから引っ越しの挨拶の際は必ず、穂積が付き添っているのだ。そうすれば良くて二人暮らし、少なくとも通いで父親が眼を光らせていると思わせることができる。
 面倒ではあるが、稲穂の今後の安全を考えると、果たさなければならない処置だ。『You can't buy a second with money.』と言っている場合ではない。
「……と、来たみたいだな」
 どうやら階段側から登ってきたらしい。(微妙に薄い)扉の向こう側から、人の足音が聞こえてくる。部屋と玄関の間にダイニングがあるが、今は仕切り戸を開けているので音が届いてきたのだろう。
 何はともあれ、人通りを察した穂積は膝に手をつき、立ち上がった。
「じゃあ、挨拶に行くか」
「はあ……ちゃんと帰って来ているんでしょうね」
 稲穂も穂積に続き、二人は外へ出て隣の部屋の前に立つ。そして、おもむろにインターフォンを押した。
 ピンポーン。
『……ぃ』
 扉越しで多少声は削れているが、部屋の中から返事が聞こえてくる。そしてインターフォンを操作したのだろう、機械越しに声が出てきた。
『……はい?』
「突然の訪問恐れ入ります。隣に越してきた者で、引っ越しの挨拶にうかがいました」
『あ、はい、そうですか。すみません……ちょっと待っててください』
 そして中から金属がこすれる音がした。おそらくチェーンロックを外したのだろう。次に鍵を外して、お隣さんが扉を開けて出てきた。
「どうもご丁寧に、私は…………何やってんの?」
「いや…………あんたこそ、」
 目の前にいたのは、稲穂の良く知る人物だった。同じ学校な上に同じクラス、おまけに告白すらしたことがあるのだ。
 要するに…………黒桐蒼葉その人だった。
「いや、俺ここで一人暮らししているんだけど……言ってなかったっけ?」
「聞いてないわよ」
「稲穂、知っている子?」
 最初は敬語を使っていた穂積だったが、稲穂の知り合いかつ同年代らしき雰囲気を見てやめたらしい。
「ああ、親父……こいつなんだわ。私が告ったの」
「だから、好きな奴に対してこいつ・・・とか言う? 普通」
「今のところ『友達以上恋人未満』でしょうが。こいつで十分よ」
 呆れてツッコむも、このままでは話が進まないと蒼葉は玄関から一歩出て穂積の前に立った。
「えっと初めまして。一応、彼女とは『友達以上恋人未満』という関係をやっています、黒桐蒼葉といいます」
「ああ、どうも、初めまして。金子穂積といいます。娘がいつもお世話に……黒桐・・?」
 穂積の視線が、蒼葉に注がれていく。稲穂が不思議そうに眺める中、その視線の主はおもむろに口を開いた。
「もしかして……君のお父さんって、蛯名トレードセンターで働いてる?」
「あ、はい。経営戦略室の黒桐蒼士そうしでしたら私の父ですが……」
「親父、まさか……」
 稲穂の脳裏に、先日の穂積との会話がぎった。
『会社員時代に世話になった人から紹介されてな。息子さんもそこで一人暮らしをしているらしくて、部屋自体は悪くないと聞いているぞ』
「つまり、親父が世話になっていた人って……黒桐の親父?」
「世間って……狭いんだな」
 蒼葉も初耳だったらしい。
「いや、知り合いのお子さんが一人暮らししていて、『今度引っ越すらしいから、部屋の感想聞かせろ』ってこの前親父から電話貰ったんだが……てっきり大学生かと思ってた」
「まあ親無しでもないのに、高校で一人暮らし、ってのも珍しいしね……」
「というか、偶然とはいえ隣同士って……」
 どこのラブコメだよ、と蒼葉と稲穂の心は一つになった。
「……まあ、その、なんだ。蒼葉君、だったね? とりあえず娘に不埒ふらちな真似をしたら許さない、と言いたいところだけど……」
「ええ、そんなことしたら、親父が何をしでかすか……」
『……………………はぁ』
 共通の知り合いがいるというのは、初対面でも考えを共有できるものらしい。
「一体どんな人なのよ。あんたの親父って」
「そうだな……実は、俺には二個上の姉貴がいるんだが」
 金子親子の視線が、蒼葉に集まっている。
「昔、姉ちゃんに手を出そうとしたチンピラ相手に、親父が大根とおろしがねを持ち出して……悪い、これ以上は言えない」
「何やったのっ!?」
「先輩、そんなことまでやってたのか……」
 穂積を見ると、どうやら他にも武勇伝があるらしい。
 しかし一つでもまともに聞くのはまずいかと、稲穂は蒼葉の話を止めさせた。
「まあ、そんなことで引っ越してきたから、これからもよろしく」
「うん、よろしく。ゴミ出しの曜日や場所とかは、分からなかったら聞いてくれ。教えるから」
 一応挨拶も終わり、蒼葉は扉の中へと戻り、稲穂達も自室へと引き上げていった。
「とりあえずは大丈夫そう、か。それでも何かあれば電話するように」
「その前にぶっ飛ばしそうな気もするけど……まあ、大丈夫でしょう。そこまで馬鹿じゃないわよ、あいつ」
「ならいいけれど……さて、」
 部屋の中に積まれた段ボールを見て、穂積は一つ、気合を入れることに。
「挨拶も済んだし……ちゃっちゃと片付けるか」
「そうね……って、あ」
「ん? どうした?」
 穂積の眼前に、稲穂は自らの手を上げてある物を掲げて見せた。



「手土産渡すの忘れてた……」
「ああ…………まあ、あれは仕方がない」



 ツッコミどころが多すぎて、挨拶もそこそこになってしまったことに、いまさら気付いた二人であった。
 そして手土産のボックスティッシュは、結局当初の粗品に入れ替えられ、翌日無事蒼葉の手に渡りました。そして微妙な顔をされましたとさ。
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