文系男子と理系女子の恋愛事情

桐生彩音

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第一巻

017 文系男子と理系女子の決裂

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 蒼葉自身、喧嘩をしたことがなかった。
 というよりも、喧嘩をせずに逃げ回っていたという方が近い。過去に喧嘩に巻き込まれた回数こそ多いが、実際に拳を握ったことはなかった。大抵は逃げ回ってことなきを得ていたし、逃げきれなかった時は船本に助けてもらったこともある。
「らぁっ!」
「ゃぅあっ!?」
 だから、蒼葉自身喧嘩になったとしても、逃げるか避けるくらいしかできない。上段回し蹴りを回避しても、次につなげることはできなかった。稲穂が女である以前に、元々人に手を上げる性分ではないのだ。
「せめてもう一度パンチラおがみたかったっ!」
「まだほざくかっ!?」
 連続して放たれる蹴撃を回避するも、蒼葉は稲穂から距離を置くことはなかった。
 実際、逃げようと思えば逃げられるのだ。蒼葉が本気を出しさえすれば、稲穂から逃げ切ることはたやすい。このまま身をひるがえしてこの場から去り、家にある貴重品片手に父親の家に転がり込む。夏休みの間に家庭の事情が解決すればそれでよし。無理なら『将来の予定を前倒し』にすれば、彼女から逃げ切れる。
 そう……目の前にいる少女を見捨て・・・さえ・・すれば・・・
「無駄にすばしっこいわね……」
「……そういうお前は、殺意きだしぎて空振からぶってるぞ」
 いつも振るわれる暴力はまだ、加減がされていた。威力こそ本物だが、致命打クリティカルけて放たれていたのだ。だから今まで、少し身体を動かすだけで命の危険はなかったのだが……
「……逃げないの?」
「逆に聞くが……俺が金子の母親が誰か、あっさり言うと思うか?」
「思わない。じゃなきゃ、遠回しに親父に言うわけないわよね……」
 少しは冷静になったかと思い、近づいてみた蒼葉だが、即座に手刀が飛んできたので慌てて飛び退いた。
「……だから無理矢理聞き出す」
「聞いてどうするよ?」
「決まって、る……っ!」
 いまだに攻撃がうも、この状況はハッキリ言ってジリ貧だ。
 攻撃の当たらない稲穂に、回避するしかない蒼葉。最後には体力がものを言うかもしれないが、どちらかが体勢を崩せばすぐに終わるかもしれない。
「なんでっ、いちいちっ! 私に干渉するのよっ!?」
「いいだろ別に……これでもお前の彼氏候補だぞ?」
 繰り出される蹴りを半身になるだけでけた蒼葉は、ただ真っすぐに稲穂の目を見た。その動きを阻害されることなく、互いに見つめ合う時間が生まれた。
「自分の女が手を汚そうとするのを、止める甲斐性くらいはあるさ。それともお前の『男を見る目』は腐ってるのか?」
「……だったら、最初から黙っててよ」
 攻撃はみこそしたが、いつ再開されるかは誰にも分からない。
「あんたが一生口閉ざしていれば、済む問題でしょう。半端な気持ちで関わらないでよ……」
「……半端じゃないからだよ」
 まだだ、と蒼葉は手を伸ばさない。
 今手を伸ばしても、稲穂に払われるだろうから。だから待った、手を伸ばせる瞬間を。



「これでも結構、かたむいてんだよ……お前が好きだって気持ちに」



 一瞬、沈黙が流れた。そして稲穂の返事は、



「……それが次の劇の台詞セリフ? 駄作なんて書いてんじゃないわよ似非脚本家っ!」



 …………罵倒と正拳突きだった。
「割りと正直な気持ちだったのに……これだから似合わない下着の趣味してる奴はっ!」
「いいかげん黙れっ!」
 中段回し蹴りが蒼葉の身体をかすった。
 どうやら稲穂の方は、蒼葉の動きに慣れてきたらしい。戦略的撤退でもしない限り、決着が着くのも時間の問題だ。
「もう逃げられなくなってきたんじゃないの? ……今すぐ楽になる方法を教えてあげる。阿婆擦あばずれが誰か教えろ」
「……無理だ」
 恐らくは、技術的な問題なのだろう。
 空手に局地的な移動方法があるかは知らないが、これで短距離での優位な立場アドバンテージは稲穂に移ったと言える。最高速度なら蒼葉の方が上だろうが、瞬間的な加速度が負ける可能性があるのだ。これ以上の喧嘩は危険だろう。
 それでも蒼葉は、逃げなかった。
「多分、何言っても信じられないだろうから……これだけ言っとく」
 逃げるという選択肢はなかった。
「俺は、相手の現在いましか見ていない。お前も、あの人・・・もな」
「そう……じゃあ、私も言っておくわ」
 ジリ、と靴底が地面をこする音が響く。
「…………私はそいつの過去・・を見て判断する」
 稲穂の身体が前傾ぜんけいした。
 そう蒼葉が認識した瞬間、稲穂が距離を詰めてきた。両手を後ろに回しつつひじと指を曲げ、手首の先にてのひらを突き出してくる。
(押し出し? いや、違う……っ!?)
 素人である蒼葉には分からない。だがいつもとは違う稲穂の気配に、一瞬だが出遅れてしまった。
「し……っ!?」



「いや待てって!?」



 しかしそこに、割り込む者が現れた。
「ったく……痴話喧嘩にしちゃ、過激すぎないか。お前ら」
 稲穂の肩にぶつかり、体勢を崩させた船本は、蒼葉を背にかばう様に割り込む。
「……ぁあっ!」
 ……しかし、船本の不意打ちもこうそうさなかった。
 一度地面に手をついた稲穂は突き飛ばされた勢いを殺さずに反転、身を低くしたまま蒼葉を、それをかばっている船本をにらけている。
「……おい黒桐。お前何やったら、金子あいつここまで怒らせられるんだよ?」
「ああ……金子の精神的外傷トラウマれてしまった。多分逆鱗レベルのやつ」
「うわぁ……割り込んだのちょっと後悔してきた」
 稲穂が体勢を立て直す間、船本も構えを取ってみたが、向こうは意にもかいしていない。
「ド素人が……」
「……そうなのか?」
「ただの喧嘩屋が、まともに稽古していると思うか?」
 その証拠かは分からないが、肩越しに見える腕は確かに震えていた。
「……きたえてるわけじゃないから、構えてもしっかり固定できなくて振るえるんだよ。ちなみにビビっているわけじゃないのでしからず」
 背後から聞こえた蒼葉の疑問に答えるものの、船本に精神的な余裕はない。
 このままでは負けるだろう。稲穂と船本には、それだけの決定的な差があるのだ。
 そう、このままならば、
「あっ、手が滑ったぁ!?」
 事前の打ち合わせ通り、駆け出そうとする稲穂に向けて、あくつが水場から持ってきたバケツになみなみと入れた水をぶっかけた。
 一瞬ほうける稲穂を置いて、蒼葉の肩を抱いた船本は即座に駆け出していく。
「圷後は任せたっ!?」
「お前水ぶっかけるとか夏場でも問題行動じゃねえのかっ!? しかも後輩女子に押しつけるとかっ!」
 しかし生徒会長は後ろを振り返らなかった!
「おい生徒会長っ!?」
「殺されかけてて文句言うなっ! お前ら一回仕切り直せっ!」
 蒼葉と同じくパルクール活動をしていたのは伊達ではなかった。
 蒼葉の速度に合わせて駆け去る船本。今の二人には簡単に追いつけないだろう。



 ただ、稲穂の方は追いかける素振そぶりすらしなかったが。
「……圷、タオル貸して?」
「頭冷えましたか?」
「これで着替えがなかったら、また沸騰ふっとうしそうだけどね……」
 しかし用意周到にも、圷の手には長袖のジャージが握られていた。サイズが彼女よりも大きく見えるので、おそらくは学校の備品だろう。
「……何があったんですか?」
 差し出されたタオルで身体をく間、稲穂は口を閉ざしていた。
「まあ、別に言わなくてもいいですけど……このまま別れてもいいんじゃないですか?」
「だから付き合ってないっての……どいつもこいつも」
 濡れてしまったブラウスの上にジャージを羽織はおり、ファスナーを締めた稲穂はそのまま地面に座り込んだ。スカートも濡れてしまったが、今日は終業式だ。汚れてもそうでなくても、クリーニングに出してしまえばいい。
「……結局、あいつが好きかどうかは分からなかったわね」
「あの、先輩。そのことなんですけど……」
 しゃがんでしまった稲穂を見下ろしながら、圷はどう言ったものかと迷いながらも、それでも口を開いた。
「前に、船本先輩から聞いたことなんですけど……怒らないで聞いてくれますか?」
「それは保証できないけど……黒桐がほじくり返した件が私にとって一番ブチ切れる内容だったから、多分大丈夫じゃない?」
「ならいいですけど……本当に怒らないで下さいね?」
「しつこいっ!」
 相手は極道の娘だが、一応は先輩後輩の間柄だ。顔面にタオルをぶつけても怒らないくらいの関係はきずけている。
「私も怒りませんから先輩も怒りません。それでいきましょう」
 ……多分、メイビー、プロバブリー。
「……もう、それでいいわよ。面倒臭めんどい」
「じゃあ言います。多分私も同意見ですけど…………」



「先輩は多分、黒桐先輩のこと…………好きじゃないですよ」
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