文系男子と理系女子の恋愛事情

桐生彩音

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第一巻

019 文系男子の因縁

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「黒桐おはよう。どうだった?」
「おう、おはよう。今のところは何とも……」
 翌朝、商店街から少し離れたビルの屋上。一般にも開放されたこの場所からは、蒼葉達がパルクールの活動で世話になっている喫茶店『珈琲こぉひぃ手製めぇかぁ』がよく見えた。
 昨晩、施錠される前に屋上に昇り、警備員に見つからないように隠れた蒼葉は、暗視機能のある双眼鏡片手に隠れていた。同じく侵入していた船本と共に、交替で睡眠をとりながら。
「というか暗視機能付双眼鏡こんなもの、どこで手に入れたんだよ?」
「軍事オタクの仲間から借りた。覚えてるか? 不良時代の俺の連れの一人だけど」
「お前以外は顔しか知らねえからわかんねえよ。……しかし、面倒臭いことになったな」
「まったく……少しはりてて欲しかったよ」
 陽も昇り、夜闇が明けてきたので、船本はもう一つある通常用の双眼鏡を覗いて喫茶店の周辺を探ってみた。しかし早朝のためか、店の周りには誰も歩いていない。
 いや、少し離れた物陰に誰か隠れているみたいだが、くたびれた背広に包まれた筋肉質の身体を見て、蒼葉達はその正体に勘付いていた。
「店長には連絡入れたのか?」
「入れたというか、当時担当していた警察の人間が注意喚起の連絡を入れていてな。で、その電話をたまたま警察署に来ていた俺の知り合いが聞いてた、ってところだ。その証拠に刑事が張り込んでるだろ?」
「……その知り合い、なんかやらかしたのか?」
「ただの免許更新」
 本当だろうな、という蒼葉の視線が船本に刺さる。しかし意に介していないのか、そのまま説明を続けた。
「しばらく顔を合わせてなかったんだが、暴走族の抗争で死んだと勘違いした彼女に血迷われて勝手に手続きされたから、それ取り消すのにえらい苦労しているってさ」
 船本は他人事みたいに肩をすくめているが、蒼葉にとっては簡単に割り切れない話題だった。
『彼女』という単語だけで、思い出してしまうからだ。
 ……稲穂のことを。
「彼女、って赤の他人だろ? 法的手続き取れるの?」
「いや、籍は入れていたんだよ。はらませた責任取って。……そういや、金子とは話したのか?」
 家庭事情までは知らないだろうから、単に昨日の一件を思い出して気になったのだろう。船本が蒼葉にその話題を振ってきたのは。
 蒼葉は意識して気を静め、ただ静かに返した。
「振られた。『あんたに憧れてただけだった』ってさ」
「だろうな。あいつ、俺と同じ目で黒桐のこと見てたからな。……だから分かったんだよ」
「……なんですぐに、金子に言わなかったんだよ?」
「言ってどうなる?」
 船本は蒼葉と見つめ合った。にらみ合った、というのに近いかもしれないが。
「結局は自覚しないと意味がない問題だ。だったら、それとなく悟らせるしかないだろ?」
「……それもそうか」
 それこそ、言うだけ『You can't buy a second with money.』なのかもしれない。気持ちが迷っている時に、他者が気安く否定してもこじれるだけなのは、蒼葉も何となくだが、理解できるからだ。
「そうか、てっきり『ぶっ殺されるかもしれない』とか考えていると思ってたわ」
「安心しろ、それもある」
「おい」
 蒼葉からのツッコミから目をらし、再び双眼鏡を覗き込む船本。
「覚えているか? 昔ここから指原の家を覗こうとしたことあったろ」
「話題を変えようとするなと言いたいが、ここは乗ってやろう」
 蒼葉も双眼鏡を片手に、暗視機能を切ってから同じく覗き込んでいる。日中で使うと故障する恐れがあるからだ。
「と言っても、八角やすみがそれとなく指摘して窓をくもりガラスに変えてるから、覗けないだろうけどな」
「この場所を見つけた覗き魔、今何しているかな?」
 指原自身は知らないことだが、以前彼女をつけ狙っていたストーカーがいたことがあった。犯人は彼女に気づかれない内に警察に引き渡しているが、相手は初犯未遂で未成年、指導だけですでに釈放されている。
「ああ……噂じゃあ適当に理由をつけて、実家に引っ込んだらしいぞ」
世知せちからいな……やっぱり覗けないか」
「諦めろよ……飽きたら朝飯買ってきてくれ。俺は見張りに戻る」
 二人が屋上にいる理由も、一応は善行のはずだ。しかし、彼らは別に善人というわけではない。だからせこい犯罪もわりとこなしているのが、蒼葉とその仲間達だ。
 それこそ覗きもあれば…………過剰防衛・・・・も。
「来ないな。このまま忘れてくれればいいんだが……」
「じゃなきゃ脱獄するかよ。というか朝飯は?」
 いまだに覗きを止めない蒼葉にあきれつつ、船本は見張りを続行した。店の周辺、隣接する建物の屋上にいたるまで、別段目立った様子は見られない。
「この件が片付けば、いいかげんクラも出歩けるようになるかな。無駄に精神的外傷トラウマ増やしやがって……そういや、元気でやっているのか?」
「ああ、金子にもなついて……え?」
「どうした?」
 朝飯も買いに行かずに覗いていた蒼葉だが、漏れ出た声は明らかに不意打ちを受けたような声音だ。
 不思議に思った船本は一度蒼葉の方を向き、そして指原の家である大豆加工商品取扱店、要するに豆腐屋の方を見た。二階の居住部分はくもりガラスに覆われて見ることはかなわないが、一階の作業場現売り場の方はすでに開店準備に入っているのか、店のシャッターが開けられている。
 そこでは指原に指示されながら、作業服姿の稲穂が売り物である豆腐の入ったトレーを運んでいる光景が双眼鏡に映っていた。
「……金子、って指原と顔見知り?」
「いや、この前紹介したばかりだ。『帰らない』とか言ってたけど、実家じゃなかったんだな……」
 一体何をやってるんだ、と思いつつも蒼葉は稲穂を覗くことを止めなかった。
「心配になって親父さん経由で所在を確認したら『友達の所に泊まるらしい』って聞いたけど、これは予想外だわ」
「……なあ、微妙に個人情報漏れ出ているけど、これ聞いていいやつ?」
 何故、普通は一緒に住んでいるはずの父親に聞く前に自宅に『帰らない』ことを、蒼葉が知っていたのか?
 少し頭が回る人間ならば、稲穂が父親と離れて生活していることも、蒼葉が稲穂と一緒ないしはごく近くに住んでいることも、確証がないとはいえ容易に想像がつく。実際、船本ですら微妙にさっすることができたのだから。
「あ~……オフレコで」
「分かった。聞かなかったことにする。面倒事じゃないだろうな?」
「安心しろ。一部の教師は知っている話だ。ついでに言えば偶然100%」
 本当かよ、という視線が突き刺さるのには耐えられた。
「飯買ってくるわ……腹減った」
 ……か、どうかは分からないが、空腹には耐えられなかったらしい。
「あ、俺はあんパンと牛乳な」
「昔の刑事ドラマかっ!?」



 指原豆腐店。
 商店街設立と同時に創業された歴史ある店舗で、取り扱っているのは豆腐以外にも大豆を加工する食品全般と、品揃えは豆腐・・屋という看板がかすむほどの豊富さだ。一時期は百貨店等に顧客を奪われていたが、目敏めざとく取り入れたネット通販と健康ブームがうまく作用し、現在では豆腐店の他に大豆加工食品取扱を専門とした会社『指原ソイフーズ』を別途保有し、安定した経営が行われている。
「けっこう有名だと思ってたんだけどね。あんた、『指原ソイフーズうち』のこと知らなかったの?」
「株はやっているけど、有限会社までは把握してないから、っと……はぁ、疲れた」
 商品を並べ終えた稲穂は背筋を伸ばし、軽く肩を回してから指原の方を向いた。
「いや……株じゃなくて、健康食関連で。食生活とか考えない派?」
「考えない派。大豆より肉が好きなのよね」
「肉食系め。朝食で大豆ソイミートのおいしさを教えてくれるわ」
 挑発的な発言をしてから、最後に暖簾のれんを掛けて開店準備は完了した。
咲里えみり、ご飯できたからお友達と先に食べてなさい」
「はいは~い。ほら行こ」
「……うん」
 手を洗い、作業着のまま二階の居住部分にある居間には、すでに二人分の朝食が用意されていた。稲穂達はテーブル席に向かい合って座り、食事に手を付け始めた。
「たしかにおいしいわね……元が大豆とはいえ、朝から肉食うとは思わなかったけど」
「ちなみに取引の大半は、肉が食えない神社仏閣関係ね」
「そこは話の流れから言って主婦とかじゃないのね……」
「宣伝に関してはまだまだ改善の余地あり、よ」
 大豆ソイミートを口に入れてから、指原は近くに立てかけてある作りかけの看板を箸で示した。土台は出来上がっているが、絵が途中なのか全体に色がついていない。
「うち広報系が弱くてさ。常連を捕まえるまでが駄目なのよ」
「ネット通販しているとか言ってなかった? 大豆ソイミート売っている店自体少ないから、競合はあまりないと思うけど」
「じゃあ逆に聞くけど……大豆ソイミートがネット通販で簡単に買える、ってここ来るまで知ってた?」
 稲穂は首を振って否定した。そう返されると分かっていたのか、指原は別段気にすることなく、食事をり続けている。
「つまり、そういう考え自体を浸透しんとうさせないと、たまたま他の商品と一緒に並べているように見せている大手のデパートやショッピングモールとかに、顧客持ってかれちゃうのよ。言っとくけど、こっちの方が質も値段も上だからね」
「それって高いの? 安いの? ……ねえ、話変わるけど」
「何?」
 先に食べ終えた指原は椅子の背もたれに体重を預けながら、稲穂の話に耳を傾けた。
「……母親と仲いい?」
「ん? なんでまたそんな質問を……ああ、そういうことね」
 なんとなく母親と不仲なのをさっしたのか、指原はそこまで話を広げようとはしない。ただ作業中は外していたピアスを取り出し、再び左耳に付けようとしているが。
「そっちは仲悪いの?」
「それ以前……いないと思ってたらひょっこり出てきた」
「なるほどそれで……その母親のこと知りたいの?」
 その質問に、稲穂は肯定も否定もしなかった。ただ、どうしたらいいか分からない、そんな表情を浮かべるだけで、言葉がまとまらないといったところだろう。
「詳しくは聞かないけど、こっちはごく普通の一般家庭だから、大したことは言えないわよ?」
「大丈夫。半分以上期待してなかったから」
「ならなんで聞いたっ!?」
 一度ツッコミを入れると冷静になれたのか、指原は自分の食器をまとめて流し台に運んでいく。
「母親のことじゃないけど……一つだけアドバイスできることがあるから教えてあげるわ」
 稲穂に声を掛けながら、指原は食器を片付け始めた。



「店番の後、買い物にでも行こっか?」
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